「あのような戦争」とはどのような戦争なのか/訂正

2006-08-11 02:21:57 | Weblog

 8月9日にカキコミした「『あのような戦争』とはどのような戦争なのか」の一部に誤りがあったため訂正します。文章中にこう書いています。

 「小泉首相も首相官邸で臨んだ記者会見で次のように答えている

 ――8月15日に参拝しますか?
 「適切に判断します」
 ――5年前の首相就任時に8月15日に参拝すると公約しまし
 たが、その公約はまだ生きていますか?
 「まだ生きています」――

 それで終りとなった。「8月15日参拝が公約でありながら、一度も8月15日に参拝しない理由は何ですか」となぜ追い打ちの質問を発することができなかったのだろう。「適切な判断でしなかっただけだ」と答えたなら、「適切な判断の内容を知らせてください」と迫る。例え在任最後の年の8月15日に公約を果たしたとしても、それまでの4年間に公約を果たさなかった「適切な判断」なるものを知る権利が国民にはあると思うのだが、そうではないのだろうか。」

 06年8月10日の『朝日』朝刊に、8月15日を避けた小泉首相自身の理由説明が既になされていることを伝えた記事がありました。私の事実確認の過ちです。謝罪し、訂正します。「小泉首相の靖国参拝をめぐる主な発言」として一覧表で5回の参拝それぞれに談話や所感を発表・述べているが、それとは別に記事本体から要約してみます。
 
 ①01年4月、自民党総裁選の討論会で、「8月15日に如何
  なる批判があろうと必ず参拝する」と公約として掲げ
  る。
 ②1回目の参拝。2日前倒しして01年8月13日に参拝。
  「幅広い国益を踏まえ、諸課題の解決に当たらなけ
  ればならない」(談話発表)
 ③2回目は02年4月の参拝。「終戦記念日やその前後の
  参拝に拘り、内外に不安や警戒を抱かせることは私
  の意に反する」(所感)

 記事は「『8・15参拝』に踏み切れば」、それを「見送る理由を述べた談話や所感との矛盾が生じる」と述べている。その「矛盾」とは別に、私自身の過ちを正当化するわけではないが、「公約は生きている」という言葉から単に参拝の日を占うのではなく、例え何日に参拝しようが中韓の態度は変わらないと本人は言っているものの、在任中と退任後では中韓に与える意味が全然違うだろうし、安倍氏が首相となった場合、小泉後継者と目されていることから安倍氏に与える影響も微妙に違ってくるはずである点を突く質問をすべきではなかったろうか。小泉首相が退任後に参拝すれば、安倍氏が首相になったとしても在任中の参拝を避ける可能性が出てくるし、逆に退任前の8月15日に一度公約したことだからと参拝したら、安倍氏も在任中少なくとも一度は8月15日に参拝する可能性が出てくるのではないだろうか。

 また、参拝時期は〝適切な判断〟で済ませても、首脳会談を開くことができない状況の中で参拝を続けたことは「適切な判断」だったのか、日本の今後のために質問しておくべきではなかっただろうか。例え以前質問したことであっても、退任前に改めて質問しておくのも、再確認の役目を果たすだろうから。

 「一つの問題で意見が違うから首脳会談を行わないというのはおかしい」と責任の所在を中韓に預けてはいるが、そのことも含めて、今後アジアに於ける日本の置かれる状況に応じて、実際の〝適切さ〟が判定されることになる。そのときの参考のために聞いておくのだが、その時点で小泉純一郎は鼻を高くするか、それとも身体を小さくしなければならなくなるか、そのどちらになるか、興味津々ではないか。

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