6月14日(07年)の『朝日』朝刊に≪時効で年金「もらい損ね」 9万人、総額1155億円 99~03年度≫なる見出しの記事が載っていた。年金の受給は<05年10月からは受給開始年齢の誕生日の3カ月前に社保庁が申請用紙を郵送。本人が送り返せば>開始されるシステムとなっていたが、それ以前は<本人からの申請を待>って受給を開始するシステムとなっていたために<年金を受給できる年齢に達していたのに申請せずに5年以上が経過したため、時効で年金を受け取れなかった人が99年度から03年度までに計9万人おり、受給漏れの総額が1155億円に達していた>という内容である。
<現在審議中の年金時効特例法案>では、このような<申請遅れのケースは、時効撤廃は適用されない>ということで、9万人の1155億円が救済から洩れることになる。
もしかしたら社保庁は幹部の天下り先に配分したり、自ら保養施設などを乱造して、何らかの利益となるキックバックを受ける資金捻出のために、申請のない年金を狙い、そういった制度にしたのではないだろうか。
一応この記事の全文を引用しておく。
≪時効で年金「もらい損ね」 9万人、1155億円 99~03年度≫
<年金を受給できる年齢に達していたのに申請せずに5年以上が経過したため、時効で年金を受け取れなかった人が99年度から03年度までに計9万人おり、受給漏れの総額が1155億円に達していたことが13日、社会保険庁の推計で明らかになった。5000万件の「宙に浮いた年金記録」とは別問題だが、「本人が申し立てない限り、年金を支払わない」という社保庁の姿勢が改めて浮き彫りになった。
13日の衆院厚生労働委員会で、柳沢厚労相が明らかにした。05年10月からは受給開始年齢の誕生日の3カ月前に社保庁が申請用紙を郵送。本人が送り返せばいいが、当時は本人からの申請を待っているだけだった。
現在審議中の年金時効特例法案では、基礎年金番号に統合されずに受給漏れを引き起こした年金記録が新たに発見された場合、5年の時効を適用せず、全期間分の年金を本人に支払うが、申請遅れのケースは、時効撤廃は適用されない。
また柳沢氏は、国民年金台帳から3090件を抽出したサンプル調査で、新たに明らかになった約20件のミスのうち5件が氏名と生年月日の間違いだったことを認めたが、「受給額に影響はない」との理由から公表しなかったという。
一方、1人1番号のはずの基礎年金番号を複数持っている人が06年10月時点で約2万人いることも判明。今後、年金記録の統合作業が混乱する恐れもある。>
年金の受給は年金保険料を支払った国民の権利としてある。年金制度そのものが国の制度としてある以上、年金の支給は受給資格に達した国民に対する国の絶対義務としてある。
その義務が果たされてこそ、日本国民なら誰でも入れるとする「機械の平等」が保証されたことになり、その保証の結果としての、滞りのない受給の形として現される「結果の平等」の恩恵に浴することができる。
しかし社保庁は<05年10月>まで、その絶対義務を国民からの申請がなければ支給に応じない比較義務としてきた。絶対義務としなければならないにも関わらず、申請がなければ支給に応じない絶対義務とはどのような義務を言うのだろうか。
こういった絶対義務の変質を国は許してきた。
安倍首相は小泉内閣の時代の幹事長であった頃から国民のあるべきとしたい社会的生存条件政策として「機会の平等を求め、結果の平等を求めない」を基準とすることを口癖にしてきた。しかし年金の支給に関しては〝機会の平等〟と〝結果の平等〟は同等に保証されなければならない。その同等性は国の国民への年金支給に関して、それが国の国民に対する絶対義務である以上、どのような理由があれ、保険料の納付に対する受給が行われて初めて保証される。〝機会の平等〟が〝結果の平等〟へと連動していく。
しかし、申請がなかったからといって、国の絶対義務に反する支給を行わない〝結果の不平等〟をつくり出す不公平が<05年10月>まで許されてきた。
これも、安倍首相が年金問題は「すべて私の内閣で解決する」と宣言したことに反する、すべて解決したことにならない〝安請け合い〟で終わっている問題であろう。
尤も議員立法であろうと何であろうと、05年10月以前でも時効撤廃を適用するとする内容に「年金時効特例法案」の内容を変えれば、救済の対象に入るが、しかし安倍首相にしたら自身の、柳沢「女性は産む機械」発言大臣にしたら安倍首相の、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」とした発言を踏まえた<時効撤廃は適用されない≫とする認識なのだろうから、そうである以上、「すべて解決」にならない安請け合いの約束宣言となる。
それとも「機会の平等を求め、結果の平等を求めない」が自らが掲げた〝機会論〟であって、年金に誰でも入れる「機会の平等」は果たしているのだから、受給洩れといった「結果の不平等は求め」ていないのだから、言っていたことに何ら反しているわけではなく、別に裏切ってもいないとしているのだろうか。だとしたら、「すべて解決する」はなおさらに口先のみの安請け合いと化す。
岩手日報のインターネット記事≪社会保障番号導入に意欲 首相、参院厚労委≫(2007年06月14日)が<安倍晋三首相は14日の参院厚生労働委員会で、年金など社会保障に関する個人情報を一元管理する社会保障番号導入について「国民にも利便性が高い。早急に検討しなければいけない」と述べ、導入に意欲を示した。
社会保障番号は本来、社会保障費の伸びの抑制策として政府が検討している項目の一つ。記録管理の利便性を強調し、社保庁の公的年金記録の不備問題に対する対策として打ち出すことで、導入に弾みを付ける狙いもあるようだ。自民党の舛添要一氏への答弁。
これに関連し、柳沢伯夫厚生労働相は健康保険証を集積回路(IC)カード化した「健康ITカード」について、将来、社会保障番号が導入された場合、同カードを活用する考えを示唆した。同カードの導入検討は今年の「骨太の方針」に盛り込まれている。>と伝えているが、確かに安倍首相が言うように「利便性は高い」かもしれないが、年金受給有資格国民すべてに受けるべき年金の全額支給を保証して初めてICカード化はすべての国民に洩れなく意味を持ち、「機会の平等」と「結果の平等」を洩れなく約束することができる。
だが、保険料を支払いながら、受給から洩れた、あるいは受給額を減らされた国民が一人でもいるとしたら、例え自分自身が政策として掲げた〝機会論〟に忠実に添っていようとも、年金問題に関しては「すべて私の内閣で解決する」に反して「機械の平等」を与えながら「結果の不平等」をもたらす不公平を国民に強制することとなって、そのような国民にとっては個人情報一元管理化(ICカード化)は意味のないものとなり、国民すべての利便性とはならない不公平を安倍首相は政策とすることになる。
受給を受けられなかった、あるいは受給を減らされた国民にしたら、ICカードを持たされたとしても、忌々しいものとなるだろう。
安倍首相はそういった全体を考えて、個人情報一元管理化(ICカード化)の<導入に意欲を示し>、「国民にも利便性が高い。早急に検討しなければいけない」と言ったのだろうか。言ったとしたら、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」としながら、解決から洩れる国民を無視する個人情報一元管理化(ICカード化)ということになって、やはり「解決」は安請け合いに過ぎないとする謗りは免れることはできない。
国民の批判をかわす狙いもあるだろうが、全体を眺める力もなく、個別的視野しか持たないからこそ、意味を持たない国民が生じることも考えることができずに、単なる「利便性」を口実に個人情報一元管理化(ICカード化)案を持ち出したのだろう。
安倍首相の自らの歴史・文化・伝統としているこれまでの単細胞的発想・単眼的視野から考えるとするなら、そうとしか判断しようがない。