怠慢な年金記録消失による不受給問題
小沢「ですから、私は勿論さっき申し上げましたが、申し出があったから自動的に全部ハイ払えと言うことではないことは勿論です。それはその中に一定のプロセスを経ることは、それは当然ですけれども、しかしながら、その第三者機関なら第三者機関でも何でもいいですけども、そこでやっぱ国民の主張をちゃんと保険料をかけたんだという主張をきちんと尊重する前提に立たないと、結局はそのー、証明しなければダメというのと同じことになっちゃうんじゃないですかと。ですから、そういう意味で、えー、是非、その総理がおっしゃるようなお考えならば、国民の申し立てを前提として尊重すると、尊重するという前提に立って、その対応をしてもらわないといけないと、いうことを言っているわけです。
それから時間がなくなりましたが、時間最後は端折りますけれども、昨日、きのう何か政府与党から時効に関する法案が出たそうですございます。ま、これはですね、基本的にその、記録が見つかると言うんであれば、それは当然給付しなきゃならない話で、本当は年金というのはその制度は基本的に政府が、行政が管理運営している国の制度ですから、その意味に於いて、その記録を自分たちの責任でなくなっっちゃたから、だからと言って、その時効を進行させること自体が法としておかしいんですよ。法の論理としては。ですから、そういう意味に於いてこの法案が本当に多くの人のみなさんの、こういったことの被害を受けているみなさんの役に立つとは決して思えない。勿論ごく一部の方々には適応されるでしょうけれども。ま、いずれにしても、そういう色々な議論があるわけですから、何かあの、風の頼りにお聞きしますと、明日ですか、本会議にまた案を強行するようなお話ですけれども、是非ね、これはもうみんな本当に年金のことは国民のみなさんが本気にやっぱり心配している問題なので、多少時間がかかっても、私は与野党それぞれ主張は違うでしょうけれども、主張は違っても、やっぱり議論が出尽くすまでね、やっていくと、いうのが特に与党の総理総裁としての立場として、国会運営するに当たっての遣り方じゃないかなと、言うことを申し上げているんですが、もう一度最後にお聞きします」
安倍「時効の消滅についてもですね、私ども時効を消滅させなければいけない、こう考えています。そしてすべての方々にしっかりと真面目に払ってきた方々に対して支給できるようにしなければいけないと考えています。しかし私たちとしてもですね、立法なしにできるんであれば、当然それはやりたいと思います。しかしですね、しかし法的なヨウチョー(?/要証=「立証の必要があること」か。)として行政庁が請求権を著しく困難にさせたという理由がなければダメですから、その立証には時間がかかってしまう。 かえってですね負荷を与えることになってしまうわけであります。ですから、私たちは法的な根拠をしっかりと私たちの責任で法的な根拠をつくらなければいけない、ということで今回立法させて頂きたい、法案を提出させて頂きたい、議員立法でありますが、できるだけスピーディに行ってということで私たち議員立法させて頂きたい、こう思う次第でございます。どうかですね、年金の加入者の方々の気持に立って、この法案ですね、審議をして頂き、速やかに成立せしめて頂きたいと、このように思う次第でございます」
(「しっかりと真面目に払ってきた方々に対して支給できるようにしなければいけない」は政府・行政側が管理・監督の責任を十分に果してこなかったことも関わって生じた支障に対する補償行為であって、その構図をしっかりと踏まえないと、今までどおりの事務的な役所仕事の性格を帯びかねない。そのことは安倍首相の「私たちの責任で法的な根拠をつくらなければいけない」という言葉に既に表れている。「私たちの責任」でとさも政府という立場上の義務行為のであるかのように言っているが、管理・監督の責任を果してこなかった責任の一端に関わっているのだから、言うのだったら、義務行為ではなく、「政府として果してこなかった責任を取るために」と責任行為とすべきだろう。そうすることによって、責任行為はより確かな形を取る。
最終上位者の義務行為としている間は「年金の加入者の方々の気持に立って」は形式で終わるだろう。「責任」が言葉だけとなっている場面でもある。
小沢「まあ、再度申し上げますが、色んな議論があるわけですから、是非とにかくそれを採決するという必要は私はないと思います。どうぞそういう意味でもう一度重ねて申し上げますが、審議をさらに十分尽くして貰いたいと、そのように要望しておきます」
(次の機会に憲法について議論したいといったことを付け加えて終える。どうも生煮えの追及に終始した感が否めない。「こちらが何と言おうと強行採決に持ち込むだろうが、十分に議論を尽くさない強行採決は我々は絶対認めない。認めるわけにはいかない」と断固とした調子で一度言うだけで、後は突き放した態度に出るだけで十分と思えるが、何度もお願いするように繰返していたのは、追及のインパクトを自ら殺ぐ行為に思えた。)
安倍「最後にもう、もう一言年金について申し上げておきたいと思いますが、年金というのは国民の信頼があって初めて、私は生まれた制度である、このように思うわけでございます。ま、ですから、国民のみなさまの不安をなくしていくために我々は全力で取り組んでいかなければ、いけない。このように考えているわけでありますし、そして年金を真面目にコツコツと払ってきた方々の立場に立って、この問題を解決していくということを申し上げたい。そしてなお、もう一言を申し上げればですね、この問題についてはお互いにですね、政党同士の対立、政争の具にすべきじゃない。私たちはこう思うわけでございます。私たちはこの議論を通じ、この議論を通じですね、この議論を通じ、民主党の主張も受け入れてきたところであります。みなさま方のご指摘も私は有意義であったと、そのように率直に認めたいと思います。その上に於いて、国民のみなさま、年金の、これはまさに信頼を回復していくために国民のみなさまの心配を払拭していくために全力で取り組んでいくことをお誓いいたしまして、私の答弁としたいと思います」
(「年金というのは国民の信頼があって初めて、私は生まれた制度である」――これはごく当たり前のことである。だが、当たり前のことが当たり前の制度ではなくなった。年金不信がどれ程に国民の間に浸透して深刻な様相を呈しているか、感受する能力もないから、ごく当たり前のことを当たり前のこととして披露することしかできない。
そして「国民の信頼」を失わせた制度としたことについては政府も共犯者であって、そのことに対する責任意識がないから、「国民のみなさまの立場に立って」とか、「年金を真面目にコツコツと払ってきた方々の立場に立って」と軽々しく言える。いや、政府が最終責任者の立場であることから言えば、ある意味主犯者とも言える。言えないとしたら、子供のしつけは親の責任であるなどと言えなくなる)
「政党同士の対立、政争の具にすべきじゃない」――
「政党同士の対立、政争の具」にしてどこが悪いというのだろうか。安倍自身が一人のみの責任に帰することはできないはずなのに、年金システムをつくった当時の厚相は菅直人だと名指しで非難する「政争の具」にしているではないか。そのくせ「この問題で非難し合うのは無意味だ、非生産的だ」といったことを言って、与党自民党と安倍政権に波及しかねない不利な形勢に収束を打つべく自己都合をも働かせてている。
有効な解決策を講じることにこそが意味があり、生産的な政策行為と言うべきもので、自ら非生産的な菅直人非難を行いながら、「無意味だ、非生産的だ」は滑稽である。
政権交代がないことが、官僚の緊張感を失わせ、政治家を単に選挙に当選するだけ、与党の座を失わないためだけの選挙屋に進化させ、日本の政治を劣化させているのである。日本の政治に政権交代を慣行化させて政治を活性化させるためには大いに勝つか負けるかの「政党同士の対立、政争の具にすべきじゃない」か。「選挙の争点」ともすべきだろう。
安倍首相だけではなく、マスコミの間にも「政党同士の対立、政争の具にすべきじゃない」、「選挙の争点とすべきではない」といった主張があるが、愚かなことである。
2日(07年6月)の『朝日』夕刊記事(≪年金記録、入力漏れ2割≫)によると、「宙に浮いた年金記録」はオンライン上に5千万件あり、民主党の「台帳とオンライン上の記録をすべて突き合わせてミスを修正したうえで、5千万件の照合をするべきだ」とする主張に対して、政府・与党は「突合せに10年くらいかかる」として、まずオンライン上の5千万件を台帳と突き合わせて統合することを優先させるとしているらしいが、オンラインに未入力、もしくは重大な入力間違えがあるケースの可能性のある件については、突き合わせから漏れることとなって統合は不完全となる。
つまりオンラインから出発したのではオンライン上の脱漏・間違いによって台帳に行き着かないケースも生じるわけで、それを正すには例え10年かかろうと20年かかろうと、台帳から出発してオンラインの脱漏・間違い訂正しつつ正確な内容に変えていく以外に道はないはずである。そうすることが正真正銘の「国民に対する責任」、ではないか。
台帳をすべて検証し直して一つ一つオンライン上の記録と突き合わせていく。例え優先順位をつけることになったとしても、必要年限を無視した台帳の見直しは避けることができない作業なのは間違いないだろう。
当然10年先に年金を受け取ることなく、あるいは少ない年金で、それが少なくなっていることに気づかない場合もあり、この世から去る人間も出てくるわけで、それでは不公平と言うよりも、政府は「国民の立場に立って」と言いながら責任を償わないことになる。それを避ける暫定措置として、保険料を支払ったと申請した国民すべてに支払った大体の額を聞いた上で、自動的にそれ相当の給付額を支給すべきだろう。支払いを優先させてこそ、国民に対する誤魔化しのない、真正な責任となる。
台帳の突き合わせが終わった国民から順番に支給額が多ければ、多い額を返還して貰い、少なければ少ない金額分を本人が生存していれば本人に、生存していなければ、その家族に支給する。
もし保険料を1円も支払っていなくて、その場利益に支払ったと申請して給付を受けた場合は、台帳との突き合わせて判明した時点で、詐欺罪として立件し、特別に重い刑に課す特別立法を行うぐらいのことをすればいい。
誤魔化しの詐欺を働いた人間が亡くなっていたなら、支払った金額を家族に前以て周知させた上で、返還させる取り決めも必要だろう。独居者で、家族がいなければ、回収不能に処するしかない。
しかしこのくらいのことをしなければ、政府・行政自らが招いた〝年金不振〟の責任を取り戻せないのではないだろうか。年金記録の消失・遺漏の原因をつくり出した原因責任者はあくまでも社保庁であり、社保庁を管理・監督する内閣・厚労省であり、最終的にはそれぞれの長の任免責任者たる内閣の長である総理大臣であって、領収書をなくしたといった国民が原因をつくり出したわけではない。口にする「責任」という言葉を言葉だけで終わらせないためにも、
支払いを優先させるべきだろう。
財源は社保庁職員だけではなく、他の省庁職員、及び国会議員の給与からも徴収するといった自分の身を削るぐらいのことをさせればいい。税金のムダ遣いはすべての省庁に亘って行っている慣行であるということだけではなく、政治の責任・行政の責任であるとする位置づけのためにも、緊張感を持って職務を遂行させるためにも、また責任の所在を明確にするためにも、徴収は止むを得ない懲罰ではないだろうか。
怠慢な年金記録消失による不受給問題
5月30日に国会で小沢・安倍党首討論があることは知っていたが、最近ボケが始まったのか、失念してしまっていて、その日テレビのチャンネルを変えていて既に途中まで進んでいた党首討論の場面に出食わした。急いで録画した部分を文字に起こしてみた。()内に私自身の解釈を加える。
小沢「果して政府行政の側に過失があるのか、あるいは国民のみなさんの方が領収書を提示できないと言うことで過失だとおっしゃるのか」
安倍「国民の気持ちに立って審査を行い、その方々が、その人たちが言っていることが合理的であれば、間違いない、そのような判断することに私はなる、そう思っているわけでございます。小沢代表もですね、小沢代表も、私は、私は、私はですね、給付は受けていないというすべての人たちすべてにですね、自動的に出せっていうことはおっしゃっていないんだろうと、当然そう思うわけであります。そこはなかなか難しいところでありまして、我々はその中でできる限りということで第三者の機関を、委員会をつくる、と言うことを申し上げているわけでございます」
(テレビニュースでは小沢代表の国の責任を認めるかどうかの質問に、安倍首相が「すべての責任は私が負う」と負い切れもしないのに言っていたが、この場面では小沢代表の過失の所在を問う質問に直接答えていない。直接答えることで社保庁本体の「過失」が政府の長たる首相自身に全面的に降りかかる危険が生じかねない恐れを少しでも避けるためにだろう、少なくとも曖昧の線にとどめておこうとする回避姿勢を窺うことができる。
それにしても安倍晋三君は戦前タイプの国家主義者らしく、物々しいというか、仰々しいというか、格式張ったことさらな言い回しを好みとしているらしい。主語は「私」以外にいないのだから、「そのように判断することになると思います」だけで簡略に済ませことができる場面でも、「そのような(に)判断することに私はなる、そう思っているわけでございます」とわざわざ「私」を前に押し出す付け足しを行った上で使わなくてもいいバカ丁寧な言い回しを最後に持ってくる。そのような言い回しで自己を勿体づけるタイプの人間なのだろうが、内容空疎なことを言う人間ほど、内容空疎をカモフラージュするために勿体ぶった言い回しが必要となる。)
小沢「あの、総理が第三者委員会をつくるって、そこでいろいろと作業すると、いう趣旨の、総理が言っているお話は、あの、分かっていますけれども、その場合もいわゆる挙証責任を最終的に国民の方(ほう)に押し付けたんでは、それはもう今と何にも変わりはないことになってしまうわけでありまして、その第三者機関なるものが原則として、今総理は申立人を(に対して)全部払えと言ってるんじゃないじゃないだろうね、というふうにお話なさいましたけれども、私は基本的には確実に保険料を払ったという申立人の国民のみなさんの主張を基本的に尊重すべきだと私は思っております。勿論、それ、全部が全部ね、ええ、正確かどうか、それはまた別な問題ですけれども、いくら第三者機関をつくっても、本人がいくら申し立てても、いくら言っても、いや、それそれがどうやって証明できるんだという話になったならば、それは何にも解決にならないと思うんですよ。ですから、基本的に第三者機関をつくって、そして国民の保険料をちゃんと払った皆さんの主張を基本的に認めるという前提に立って第三者機関が運営されないとですね、何にも今解決にならないどころじゃないですか。そこどうですかね?」
安倍「あのー、もう一度、今私、小沢代表に確認をしたいわけでありますが、小沢代表は国民の方々から申請があれば、自動的にそれに対して給付をせよとおっしゃってるんですか?」
小沢「あのー、この場は私が総理に質問する場でありますけれども、ま、折角の総理のお話ですので、ええ、お答えいたします。今私が申し上げましたように基本的に国民の側の申し立てを採用するという前提に立って、私は第三者委員会ちょうのは、自動的にという言葉を使われましたが、自動的にと言うふうにつもりはありませんけれども、そういう国民の主張を尊重するという立場に立って、その前提で運営されなきゃ、意味はないじゃないかということを申し上げております」
(総理が相手の主張を確認する意味で質問する場面まで禁止されているわけではないだろうから、小沢代表の「この場は私が総理に質問する場でありますけれども」は的外れな判断ではないだろうか。安倍晋三君も盛んにそんなことはないというふうに首を振っていたが、自信がなかったのか反論はなかった。)
安倍「私もすね、私も真面目にコツコツと年金を払ってきた方々の立場に立って考える。いわば社会保険庁の親方日の丸的に何年も前の領収書を持って来い、という姿勢は取らないという話をしているわけであります。そこで、お話を丁寧に詳細をよくお伺いをしながら、合理的な説明をしておられるかどうか、そういう判断をしていただき、そして、第三者の機関に於いて、第三者の委員会に於いてですね、そこで判断していただいて、そこで給付を行っていくということを申し上げているわけであります。ですから、小沢代表もですね、今そういう前提に立ったということはですね、そういう前提に立ったということは、一応何らかのですね、それはチェックをするということをおっしゃってるわけですね。そこがやはりはっきりさせておかなければいけないわけでありまして、我々もですね、我々も年金というのはそれは負担があって初めて給付があるわけであります。
ですから、我々は給付に対して、それが負担にも、負担にもですね、それが直接反映するということを考えながら、しかしその中で真面目に、真面目に給付を、えー、納付をしてきた方々に対しては給付をするという仕組みについて今申し上げているわけである。では我々の案以外の案があるんであれば、小沢代表に示して頂きたいと思います」
(「年金というのはそれは負担があって初めて給付があるわけであります」、「(真面目に)納付をしてきた方々に対しては給付をするという仕組み」――そのような仕組みは確実に維持・運営されて初めて意味を持つ。支給額が減ぜられたり、支給年齢が引き上げられたりの「仕組み」の変質や年金を使った保養施設を造って赤字経営を行い、最終的には二束三文で競売に付す年金のムダ遣いなどを含めて、満足な形で維持・運営されてきていないのだから、既に安倍の言う「仕組み」自体に大分意味を失っているにも関わらず、それを無視して「仕組み」をさももっともらしげに講釈する。
責任意識など一切感じていないから言える「仕組み」講釈だろう。「負担」を担っても、「給付」から外れた人間が現実に生じているのであり、将来的に外れる人間が生じる状況にもある。「仕組み」が破綻なく機能していてこそ、その「仕組み」のルールを講釈できる資格を得る。資格もないのに、堂々と講釈する。家庭内別居か家庭内離婚している者が、夫婦のあるべき「仕組み」を講釈するのと同じことを安倍晋三は行っている。単細胞だから、そのことには気づきもしないだろう。
現実にオンライン上に5千万件の「年金記録」の消失が生じていると言うことだが、台帳からオンラインへの移行が不十分であったり、間違えていた件も出てくる可能性を考えると、5千万件以上の不備・脱漏を生じさせている不満足な「仕組み」へと変質せしめた過失は社保庁とそれを管理監督する厚生省及び政府の責任であって、領収書を持つ・持たないを超えて、国民の側の責任ではない。
そのような責任意識に立たない場所での「では我々の案以外の案があるんであれば、小沢代表に示して頂きたいと思います。」は開き直り以外の何ものでもないだろう。「国民の気持ちに立って」という言葉に含まれていなければならないはずの〝責任〟感覚が言葉だけのものとなっている。)
小沢「えー、同じことの繰返しなってしまっていますが、我々民主党としては民主党の案を考えて出しております。従って、私が申し上げたようなことは、今そういう話が色んな問題点が、私は素人ですけども、そういう色んな問題があるわけでしょう。それをもう少し時間を掛けて最初に申し上げたとおり、委員会でもう一度論を、審議をするということは、そういう方法を取ったらいいじゃないか如何ですかということを最初に申し上げた。そういう色んな問題があるから、私申し上げたんで、もう一度お聞きしますが、総理はそういうお考えありませんか?」
安倍「今まさに小沢党首とですね、その年金の問題について議論をさせていただいております。そしてあたしたちの考え方を最初述べさせて頂いております。今後ろで笑った人がいます。少し不真面目ですよ。そして我々は今具体的にお話をさせて頂きました。1年以内に統合していくという話もさせていきました。問題ごとについてですね、丁寧に説明させていただいたつもりです。そして記録が消えている人たちに対する、どう対応すればいいか、これは我々もできればですね、これはもう言ってきて頂いた方々にこれはすぐに給付っていう判断ができればいい。しかし、そういう立場は、それはですね、やはり保険をお預かりしている以上ですね、一定のプロセスを踏まなければならない。そのプロセスの中で我々は、我々の案として、第三者のこの機関をつくるという案を示させて頂いた。その中で我々はどういう姿勢かということも、についてですね、小沢代表の質問に答えさせて頂いたわけでございます。ですから、これがダメであるんならですね、だから私は小沢代表にそちらの案を今お示しを頂きたい、こういうことを申し上げたわけでありますが、それと同時にこういう問題が起こってきたという背景にはやはりですね、社会保険庁の大きな問題があるというってことは、これは小沢党首も、みなさんがもうですね、お認めになるところなんだろうと、このように思います。やっぱり現場に於いてですね、どういう労働慣行がですね、蔓延していたか、やっぱこの問題があるんですね。かつて、かつて国鉄のローズの、労使の大きな問題がある。そしてその国鉄を私たちは改革をしました。だからこそ、私たちは今待ったなしの改革を行わなければならない。このように考えているわけでございます。そういう論点から私は議論を行った。そのように委員会に於いて判断をされたと、私はこのように思うところでございます」
(「言ってきて頂いた方々にこれはすぐに給付っていう判断ができ」る形が受給者側にとっての本来のごく当たり前の姿であって、それを供給側がおかしくしてしまったという認識が安倍には全然ない。いわば被害者は受給者側であって、社会保険庁は加害者であり、そういった加害者をつくり出した責任の一端は社会保険庁を管理・監督しなければならない政府にもあるという意識がないから、「保険をお預かりしている以上ですね、一定のプロセスを踏まなければならない」の「一定のプロセス」が自分たちの都合上必要不可欠とする「プロセス」としてのみの物言いとなっていて、受給者側にしたら本来なら必要としない余分に付け加えられた手続きとなる迷惑な「プロセス」という認識を持てないでいる。
「社会保険庁の大きな問題がある」、「現場に於いてですね、どういう労働慣行がですね、蔓延していたか、やっぱこの問題がある」は既知の事実であるということだけではなく、管理・監督側が長年見逃してきた事実をも並行して提示すべき「問題」であって、「内閣・厚生省の社保庁に対するどういう管理・監督慣行がですね、蔓延していたか、やっぱこの問題もある」とする提示もなく、見逃してきた事実を抜きに社会保険庁側の事実のみの提示は一種の誤魔化しであり、そこに責任回避が存在する。
「国鉄を私たちは改革をしました。だからこそ、私たちは今待ったなしの改革を行わなければならない。このように考えているわけでございます」と言っているが、現実に存在する受ける資格のある給付を受け取ることができないでいる受給者を救済するための改革であって、国鉄改革は別問題である。同じ問題として扱うのは国鉄と同様に社会保険庁の組織自体のみに責任を帰属させようとする意識からだろう。いわば政府の責任回避の意識が言わせている同じ扱いと言うことである。)
<安倍の言う「責任」が言葉だけのものとなっている(2)に続く)