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沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(1)

2007-06-23 23:18:14 | Weblog

 昨6月22日(07年)夕方5時頃からのTBSの「eニュース」で来年度から使用される高校教科書の沖縄の集団自決問題に関する検定の撤回を求める県議会の動きを伝えていた。花の――、かどうかは知らないが女子アナーが「沖縄戦での集団自決をめぐる高校の歴史教科書の記述です」と検定前と検定後の文言を上下に並べたフリップを用意し、読み上げた。

 「検定前は『日本軍に集団自決を強いられた人々もいた』となっていた文言が検定後はこちら、『中には集団自決に追い込まれた人々もいた』と日本軍の強制的関与がなったように修正されたことについて沖縄県議会はこの検定の意見撤回を求める意見書を全会一致で可決しました」

 県議会の場面。意見書の読み上げ。「沖縄戦に於ける集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」

 男性解説者が採決に当たっては自民党の一部に現在裁判で係争中との理由で慎重論もあったが、県民世論の高まりを受けて検定意見書撤回を求める意見書が全会一致で県議会本会議で採択されたといったことを説明。

 自民党伊波常洋県議「沖縄、あの戦争、それから戦後処理についてはですね、与野党を超えて、県民挙げて統一行動が必要なもんですから、今回、まさに私たちによる事実をきちっと検証しながら、よって本日のように全会一致で採決できたという――」

 何だか教条的な物言い。一般人と同じような言葉の使い方ができないのは上に位置しているという権威主義的な意識があるからだろう。

 同じ昨日のTBSの11時半からの病気療養中で出演していないにも関わらず、「筑紫哲也NEWS23」での検定前と検定後の教科書の記述は次のようになっていた。

 検定前「日本軍は、住民を壕から追い出し(中略)、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせた」

 検定後「日本軍は、住民を壕から追い出し(中略)、日本軍の配った手榴弾で集団自害や殺し合いが起こった」(引用以上)

 いわば軍の関与・強制が原因ではなく、あくまでの住民の主体的選択による行動だということである。

 だが集団自決に使われた手榴弾は「日本軍の配った手榴弾」である。「配」るについては目的を伝えていたであろう。オモチャにしてくれと渡したわけではないはずである。軍が住民を支配下に置き、住民は軍の言いなりだったのだから、手渡した目的に添わなければ、何らかの罰則を受けることになる。

 アメリカ兵と遭遇したときに使用するための目的であったなら、軍の言いなりにその目的に添うべく準備していたはずだが、集団自決に使用した。このことがすべてを物語っている。

 今日6月23日は沖縄慰霊の日だそうだが、今夕6月23日『朝日』夕刊の≪集団自決語り継ぐ 検定に反発 沖縄慰霊の日≫の関連記事≪「軍曹は訓示した」≫には手榴弾について次のように書いてある。

 <沖縄国際大学名誉教授の安仁屋正昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順三から、ある証言を聞いている。
 富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示したという。・・・・>

 そう、誰にしたって目的を伝え、伝えられた側は目的に添う義務を負うこととなる。そうでないと百歩譲ったとしても、〝自決〟という意識は軍によって伝えられ植えつけられた、住民の日常世界には存在しない〝爆弾〟であったろう。集団自決に手榴弾を使っているとしたなら、〝自決〟の意識だけではなく、〝自決〟の道具まで軍によって手渡されたと見るべきである。

 県議会の場面で読み上げた「意見書」は「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と訴えているが、これは従軍慰安婦の軍の関与の問題で、「元従軍慰安婦の証言ばかりで、その事実を示す記録・文書の類がない」ことを理由に軍の関与否定説をぶち上げているのと同じ文脈の証言なるものに価値を置かない〝証言無価値論〟とも言うべき策動であろう。

 現在裁判で係争中とは、いやに落ち着き払った態度で言葉を口の中からねっちりと引きずり出す、かの有名な桜井よしこのブログ「沖縄の集団自決をめぐる教科書検定に異議を唱えたNHKの偏向報道」(『週刊ダイヤモンド』2007年4月14日号≫から彼女の軍関与否定説と共に知ることができる。全文を引用してみる。『週刊新潮』の07年1月4日・11日号にも「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣」を発表し、桜井よしこのブログに転載している。

<高校の歴史教科書における沖縄戦についての記述に、文部科学省から検定意見が付いたとして、3月30日のNHKはこれを大きく報じた。検定で問題とされたのは、第二次世界大戦末期の沖縄戦において、旧日本軍が住民に集団自決を命じたというくだりである。NHKはまず、集団自決を命じたとされてきた梅澤裕・元沖縄慶良間(けらま)列島座間味(ざまみ)島守備隊長の感想を報じた。

現在90歳の梅澤氏は、旧軍人と旧陸軍に着せられた濡れ衣が教科書検定を通して晴らされたことについて、「うれしい気持ちだ」と語った。だが、NHKは氏のコメントを冒頭で短く伝えたあと、氏のコメントに費やした時間に比較して不当に長い時間を費やし、旧軍が集団自決を命じたと断ずる実態は存在していたとの主張を、研究者、住民の発言を中心に展開した。NHKの報道は明らかに、梅澤氏ら旧軍関係者の主張を否定し、検定意見に異議を唱えることを主眼としたものだった。

沖縄戦で非常に多くの住民が痛ましい犠牲を強いられたのは、歴史上の事実である。誰もそのことを否定しはしない。かといって、いわれなき罪を旧軍人や旧軍にかぶせてよいわけではない。NHKは報道の最低限のルールとして、戦後長きにわたり大江健三郎氏らによって、事実無根の集団自決命令を下した軍人として貶(おとし)められてきた側の声をもっと報ずるべきだった。一方の意見のみを軸としたNHKの報道は、偏向報道以外の何物でもない。

ノーベル賞作家として“名声”を確立させた大江氏は、著書『沖縄ノート』で、梅澤隊長らが「住民は、部隊の行動を妨げないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」と命じたと断じ、にもかかわらず、命じた本人らは戦後も生き延び、沖縄への謝罪もないままに、一般住民に埋没して生活していると糾弾する。“集団自決命令”の当事者らを、「あまりに巨きい罪の巨塊」「者」などの表現で痛罵してきたのが大江氏だ。

だが、事実は大江氏の著述とは正反対だったことは、すでに報じられてきた。梅澤隊長の命令によって集団自決を迫られたと主張してきた座間味島住民のなかからも、「命令があったというのは嘘だった」との証言が出てきたのだ。

1945(昭和20)年3月25日夜、住民代表5人が梅澤隊長を訪れ、「足手まといにならないために、年寄り、女子ども、赤ん坊まで全員死ぬと決めています」と語り、ついては玉砕用の弾薬が欲しいと請うたそうだ。梅澤隊長は驚き、「自決など考えてはならない、軍は住民を守るために戦っている、後方に退いて避難せよ」と諭した。しかし、代表の一人だった助役の宮里盛秀氏が住民たちに集合を命じ、集団自決を決行。それが真実だというのだ。

上の証言は、3月25日夜、梅澤隊長を訪れた住民代表5人のうちの1人である宮城初枝氏が書き残したものだ。彼女は、集団自決が梅澤隊長の命令だということにしたのは、軍命によって自決したのであれば、一般住民も国の補償金を受けられるという事情があったと説明、梅澤氏らに謝罪している。

“集団自決”のもう一つの村、渡嘉敷村の碑文にはこうも書かれている。

「豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、(中略)敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった」

涙なしには読めない。事実の歪曲は、悲しみを癒やすことも関係者を救うこともない。重要なのは事実と向き合うことなのだ。沖縄にも、風説をもって旧軍人を非難し続けるマスコミに対し、「真実に謙虚に向き合うおとなになれ」と「沖縄ショーダウン」(「琉球新報」連載)に書いた上原正稔氏らがいることが、せめてもの救いである。>(以上引用)

 <現在90歳の梅澤氏は、旧軍人と旧陸軍に着せられた濡れ衣が教科書検定を通して晴らされたことについて、「うれしい気持ちだ」と語った。>とは、裁判ではそれがまだ果たされていない係争中だということだろう。

 <梅澤氏ら旧軍関係者の主張を否定し、検定意見に異議を唱えることを主眼としたもの>と批判しているが、桜井よしこの文章自体が<梅澤氏ら旧軍関係者の主張を肯定し、検定意見に賛意を唱えることを主眼とした>おあいこさまの主張展開(<偏向報道>)となっていて、人のことばかり言えないのではないか。相当自分勝手の強い女のようだ。

 07年6月17日(日曜日)『ニッポン情報解読』by手代木恕之の当ブログ記事≪広告/従軍慰安婦の〝事実〟の薄汚いゴマカシ≫で、日本軍が天皇の絶対性を体して、それを軍自らの絶対性とし、例え依頼の形であったとしても強制性を備えて業者を介して従軍慰安婦に大きく作用した面を否定できず、文書の存在とは関係なしに軍の強制性が働いたとすることができるといった趣旨のことを述べたが、安倍晋三にしても桜井よしこにしても、当時の日本軍の性格について、世界の他の軍同様の一般的な軍組織とする誤った前提に立っている。

 上官が中国人捕虜を引き出して自らが日本刀の試し斬りの対象とする、あるいは部下に命令して対象とさせるといった民主主義に真っ向から反する強圧性を備えた権威主義の力を常に背景として軍全体を支配していたことをまったく無視している。軍内部の上官による組織的な新兵いじめは強圧的権威主義の人間関係力学が軍組織全体を支配し、それが可能とした暴力行為であったはずである。

 「天皇のために命を捧げる」、「お国のために命を捧げる」も聞こえはよくても上からの命令・指示に下に位置する軍人・国民が無条件に従属する権威主義的強制によって可能となる天皇・国家への命の奉仕行為である。そして最も肝に銘じておかなければならないことは、当時日本人の行為・行動を律していた権威主義的人間関係に於いて、国民は軍人のさらに下位に位置させられていたということである。日本軍の放つ権威主義が軍組織のみにとどまらず、国民をも支配していたのである。

 このことを言葉を替えて言うと、国家の強制に対して一般国民は最も翻弄される最下位に立たされた権威主義の連鎖につながれていたということだろう。

 権威主義の中間に位置する戦前の日本軍人は表向きは国家権力上層部の強圧的権威主義を受けて「戦陣訓」に謳われている軍人像を演じていた。〝表向き〟とは「戦陣訓」が人間の現実の姿からかけ離れた存在させ得ない人間の姿を求める幻想を犯していて、軍人は都合上その現実離れした理想像を上からの命令・指示に添う形で、〝表向き〟演じることしかできないからだ。

 「戦陣訓」は言う。「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

 座間味島守備隊長だとかいう梅澤某にしても上官という立場上、沖縄戦に敗れた場合に備えた「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の生きざまを自ら選択する態度を常に身を以て周囲に示し、少なくとも部下に対して同じ態度を取るべく意思表示していたはずである。でなければ、当時は大日本帝国軍人でございますとは言えなかったろう。ましてや上官でございます、守備隊長でございますと言えなかったはずである。
 
 だが権威主義社会にあっては、下位に位置する程、上の命令・指示を〝表向き〟演ずるだけでは済まない上位の権威主義の強圧を受ける関係にある。こういった関係性に対応して、例え軍の直接的な命令がなかったとしても、戦闘を避けて洞窟や山中、その他に潜伏していれば済んだはずだが、実際は済まなかった非戦闘員たる住民の集団自決といった側面もあったはずである。またそうすることが手榴弾を手渡された目的に添うことでもあったろう。

 だが、こういった経緯は沖縄住民として特殊状況下に置かれた個別的地域意識から発した行動性であって、沖縄住民を日本人に位置づけて見た場合は、<1945(昭和20)年3月25日夜、住民代表5人が梅澤隊長を訪れ、「足手まといにならないために、年寄り、女子ども、赤ん坊まで全員死ぬと決めています」と語り、ついては玉砕用の弾薬が欲しいと請うた>云々、あるいは<「豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、(中略)敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ>云々は少なくとも強圧性を備えた上(=国家)が発した天皇のために命を捧げる・お国のために命を捧げる等の権威主義のメカニズムに日本国民として添う奉仕行為となる。そのことに制約を受けた、自由な立場に立った主体的選択ではないとも言える。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」を表向きは天皇のため・お国のためとする軍人の権威主義的宿命・戦死を先取りした、自らも強圧的な国家主義的権威主義に囚われた住民なりの「生きて虜囚の辱めを受けず」が集団自決という形に向かわしめたということであり、それが下位権威者に位置する住民としての上からの権威主義を受けた天皇のため・お国のための最終的な存在形式、その選択だったはずである。

 このことは戦前の沖縄人が本土の日本人と同等の立場に立ちたいと自らの沖縄伝統の氏名を捨て、本土風の苗字・名前に替えるといったことをしたばかりか、自らの沖縄語を捨て、標準語を話すべく心がけて日本の歴史・文化・伝統を沖縄に引き入れるべく努力した姿にも連動し、そういった自ら進んで受け入れようとするメカニズムが集団自決に於いても日本軍の意識を受けて作用しなかっただろうか。

 記録・文書が存在していないからと言って、従軍慰安婦問題に日本軍の強制的な関与がなかったとすることができないように、例え住民が自ら求めた集団自決だろうと、軍の関与がなかったとすることはできない。心理的には住民をも「生きて虜囚の辱めを受けず」の死生観で支配していたのであり、天皇のために命を捧げる・お国のために命を捧げるの生き方を上からの強圧的な権威主義によって心理的に強要していたのである。

 そのことを無視して沖縄戦の住民集団自決に軍の関与はなかったとするのは、従軍慰安婦問題で軍の関与はなかったとする主張と併せて、戦前の大日本帝国軍隊を無誤謬化する一種の美化であって、そのことは戦争をも含めた戦前の日本の歴史そのものの無誤謬化へとつながり、最終的には戦前の日本を一点の誤謬もない「美しい国」と終着づける企となる。

 このように過去の日本を「美しい国」としたいプロセスを安倍晋三のA級戦犯国内無罪論や侵略戦争否定衝動、「国のために汗や血を流す」国民の希求等と併せて考えると、沖縄戦の住民集団自決の軍関与否定は従軍慰安婦軍艦四節否定と同じように自民党政治が自らの歴史とし文化とし伝統としてきた戦前日本の無誤謬化衝動の表れではあっても、安倍首相の戦前の日本を受け継いだ戦後日本の「美しい国づくり」の一環、結果としての「戦後レジームからの脱却」の一環と位置づけることができる。

 ≪沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(2)/「戦陣訓」≫に続く

 次回記事として、当時の国家権力・軍上層部が軍人に対して如何に天皇は絶対だ、神聖だ、天皇のために如何に尽くすべきかと「戦陣訓」という形で表現することとなった国家主義的権威主義の力で何から何まで天皇漬けにしようとしていたか、それを読み取るべく、語の意味付けを行った上で「戦陣訓」の全文を掲げてみる。

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