沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(2)/「戦陣訓」

2007-06-24 13:26:11 | Weblog

 既読者は理解済みであろうが、未読者は読み通せば簡単に理解できることで、全体を通して不可能を可能と求める奇麗事の精神論となっている。いわば言葉によってのみ実現させ得る人間の姿を紙面上に営々と描き出す無駄な努力のみが見える。現実の姿として現すことができない綺麗事だから、「戦陣訓」が求める姿を見た目の立派さで装わせる必要が生じて、威張ったり、踏ん反り返ったりすることでしか偉さを表現できない軍人を結果的に多く生むこととなったに違いない。前回記事で例として挙げた中国人捕虜を日本刀の試し斬りの対象とする上官の行為は、そのことによって自己の偉さ・自己の力を見せつけようとする自己表現の一つであり、「戦陣訓」が虚構で終わっていることの一つの最も先鋭的な証明となる。

 そして最後に行き場を失って立ち往生したとき、物理的な選択行為であったがゆえにそれだけが可能だった「生きて不慮の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」を唯一残されたものとして選択したといったところなのだろう。

 尤もそれさえもう要領よくやり過ごして、「死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」など何のその、80、90まで生きた軍人の方が遥かに多いだろうが。

 「命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり」――

 こういった 「戦陣訓」が描く軍人像を誰が表現し得たであろうか。しかし表現し得るとの前提に立ったとき、このことが唯一の大成果であろうが、優秀な民族であるとの答を簡単に見い出すことが可能となる。「戦陣訓」として美しい言葉を紙面上に紡ぎ出していった人間は紡ぎ出しながら、自らの言葉に酔っただろうが、人間の現実行為は打算や欲得、あるいは恐怖や見栄などなどが渦巻き、一筋縄ではいかない感情を複雑に抱え込んで織り成される。それを一切無視し、不可能を可能と求めているから、奇麗事は奇麗事としての輝きを増すが、そのことに反して人間の現実の姿・実際の姿を見誤る働きをなして日本民族優越意識だけを増殖させていくこととなったに違いない。それは自らの力、自らの立場、置かれた状況等を省みる元々乏しい客観的認識能力を麻痺させ、消滅させていく道でもあっただろう。

 ( )内は読みと意味。――( )――内はちょっとした感想。

 【戦陣訓】<「1941年(昭和16)陸相東条英機の名で、戦場での道義・戦意を高めるため、全軍に示達した訓諭」(『大辞林』三省堂)>

 夫れ戦陣(戦いのための陣営・戦いの方法。兵法。戦法)は、大命(旧憲法下で、天皇の命令)に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道(天皇の行う治政の道)を宣布(公的なことを広く一般に知らしめること)し、敵をして仰いで御稜威(ごりょうい/天子・天皇の威光)の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚(せんよう/広く世の中に明らかに示すこと)せんことを期せざるべからず(約束しなければならない)。
 惟ふに軍人精神の根本義は、畏くも(おそれおおくも)軍人に賜はりたる勅諭に炳乎(光り輝くさま。明白)として明かなり。而して戦闘並に練習等に関し準拠すべき要綱は、又典令 (法律や命令)の綱領に教示せられたり。然るに戦陣の環境たる、兎もすれば眼前の事象に促はれて大本を逸し、時に其の行動軍人の本分に悖るが如きことなしとせず。深く慎まざるべけんや。乃ち既往(過ぎ去った時。過去)の経験に鑑み、常に戦陣に於て勅諭を仰ぎて之が服行(行うこと)の完璧を期せむが為、具体的行動の憑拠(ひょうきょ/拠り所とすること。依拠)を示し、以て皇軍道義の昂揚を図らんとす。是戦陣訓の本旨とする所なり。

 ――(「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」は精神論の最たるもの。具体的にさまざまな状況・場面を設定して、如何に戦ったら最善か、うまくいかない場合の対処方法といったふうに現実の戦闘を参考にした対処方法を各種訓練として学ぶのではなく、精神論を持ってくる。

 もし勝ちも負けもある、撤退もある現実の戦闘を参考に具体的な攻防技術・戦闘技術を学習していたなら、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」は非現実的なスローガンと化し、持ち出し不可能となる。)――、

 本訓 其の一

 第一 皇国

 大日本は皇国なり。万世一系の天皇上に在(おわ)しまし、肇国(ちょうこく/初めて国を建てること。建国)の皇謨(こうぼ/天皇の謀)を紹継(=承継/先の人の地位・事業・精神などを受け継ぐこと)して無窮(きわまりのないこと。永遠、無限)に君臨し給ふ。皇恩万民に遍く、聖徳八紘(八方、全世界)に光被(こうひ/光が広く覆うこと。また君徳などが広く行き渡ること)す。臣民亦忠孝勇武祖孫(そそん/先祖から孫まで。一人残らずの意)相承け、皇国の道義を宣揚(広く世の中に明らかに示すこと)して天業(天子・天皇の国を治める事業)を翼賛(力を添えて助けること)し奉り、君民一体以て克く(よく)国運の隆昌を致せり。
 戦陣の将兵、宜しく我が国体の本義を体得し、牢固不抜(堅固な上にも意志がし
っかりしていて、揺るがないこと)の信念を堅持し、誓つて皇国守護の大任を完遂せんことを期すべし。

 第二 皇軍

 軍は天皇統帥の下、神武の精神を体現し、以て皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼(助け守ること)に任ず。常に大御心(おおみこころ/天皇のお考え)を奉じ、正(せい/正しいこと)にして武(ぶ/勇ましいこと)、武にして仁(己に克ち、他に対するいたわりのある心)、克く(よく)世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり。武は厳(おごそか)なるべし仁は遍き(あまねき/隅々まで行き渡ること)を要す。苟も (いやしくも/仮にも)皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令(たとえ)峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず、従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全し(まったし/完全)とは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。皇軍の本領は恩威(恩恵と威光)並び行はれ、遍く御稜威(天皇・天子の威光)を仰がしむる(見上げ、敬わせる)に在り。

 第三 皇紀

 皇軍軍紀の神髄は、畏くも(おそれおおくも)大元帥陛下に対し奉る絶対随順(従い逆らわないこと)の崇高なる精神に存す。
 上下斉しく(ひとしく)統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大意の承行(しょうこう/うけ行うこと)を謹厳(軽はずみなところがなく、真面目で厳かなこと。そのさま)にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫(すんごう/少しも)紊(みだ)るるなきは、是戦捷(せんしょう/戦いに勝つこと)必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。
 特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し (生と死と苦しみと悩みのはざまに対処し)、命令一下欣然として(喜んで)死地(死に場所)に投じ、黙々として献身服行(けんしんふっこう/身を捧げ、行うこと)の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。

 第四 団結
 
 軍は、畏くも大元帥陛下を頭首(とうしゅ/ある集団・組織などのかしらに立つ人)と仰ぎ奉る。渥き聖慮(天子の考え)を体し(たいし/心にとどめて行動する)、忠誠の至情(誠心誠意の気持)に和し、挙軍一心一体の実を致さざるべからず。軍隊は統率の本義に則り、隊長を核心とし、鞏固にして而も和気藹々たる団結を固成すべし。上下各々其の分を厳守し、常に隊長の意図に従ひ、誠心を他の腹中に置き (「真心は別腹に置き、厳しい心となって」という意味か)、生死利害を超越して、全体の為己を没するの覚悟なかるべからず。

 第五 協同
 
 諸兵心を一にし、己の任務に邁進すると共に、全軍戦捷(せんしょう/戦いに勝つこと)の為欣然として没我(物事に打ち込んで自己を没却すること)協力の精神を発揮すべし。
 各隊は互に其の任務を重んじ、名誉を尊び、相信じ相援け、自ら進んで苦難に就き、戮力(りくりょく/力を合わせること)協心(互いに心を合わせて助け合うこと)相携へて目的達成の為力闘せざるべからず。

 第六 攻撃精神
 
 凡そ戦闘は勇猛果敢、常に攻撃精神を以て一貫すべし。
 攻撃に方(あた)りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已(や)まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気(強い意気込み)を包蔵し、必ず主動(中心となって行動すること)の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委す(いす/物事の処理を他人に任せる)こと勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。
 勇往邁進百事懼れず、沈著大胆難局に処し、堅忍不抜困苦に克ち、有ゆる障碍(しょうがい)を突破して一意 (いちい/ひたすら)勝利の獲得に邁進すべし。

 ――(「陣地は死すとも敵に委すこと勿れ。」、陣地が壊滅的打撃を受け、反撃能力を失った。そういった状況で乗り込んできた敵に陣地を好きに管理させることをどう防ぐことができるのだろうか。その前に全員玉砕、あるいは全員自決と行くのか。そうしたとしても、自陣地を失うことに変りはないし、敵がその陣地を自陣地に替え、攻撃陣地とした場合の状況を防ぐことはできない。非現実なことを言っているに過ぎない。)――

 第七 必勝の信念
 
 信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く勝者たり。
 必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く(すべからく/すべきであることの意。当然)寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。
 勝敗は皇国の隆替(りゅうたい/盛んなことと衰えること)に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。

 ――(「百戦百勝の伝統」は自己美化以外の何ものでもない。これが厳然たる事実であったなら、中国戦線は長期化することなく、「戦陣訓」を訓示する以前の時点で終結させることができていただろう。事実を事実として見ない、誤魔化す姿勢が先にあり、そのように客観性を排除して事実を組み立てていけば、当然自己に都合よく解釈した、身内には通用しても、まったくの他者には通用しない作り上げた事実のみが残ることとなる。こういった事実を事実と見ない習慣が文藝春秋・07年4月特別号の『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』の日記の部分と半藤一利氏の解説に見ることができる、軍部の中国戦線での戦局の見通しの悪さやアメリカとの戦争に当たっての彼我の戦闘能力の甘い判断につながっていったのだろう。)――

 本訓 其の二

 第一 敬神
 神霊上に在りて照覧し給ふ。
 心を正し身を修め篤く敬神の誠を捧げ、常に忠孝を心に念じ、仰いで神明の加護に恥ぢざるべし。

 第二 孝道
 
 忠孝一本(ちゅうこういっぽん/主君への忠義と親への孝行は対象が異なるだけで、本来同じ真心から出たものであるという水戸学派が唱えた考え方)は我が国道義の精粋(清くて混じりけのないこと)にして、忠誠の士は又必ず純情の孝子なり。
 戦陣深く父母の志を体して、克く尽忠(じんちゅう/忠義を尽くすこと)の大義に徹し、以て祖先の遺風(先人の遺した教えや影響)を顕彰せんことを期すべし。

 第三 敬礼挙措
 
 敬礼は至純の服従心の発露にして、又上下一致の表現なり。戦陣の間特に厳正なる敬礼を行はざるべからず。
 礼節の精神内に充溢し、挙措謹厳にして端正なるは強き武人たるの証左なり。

 第四 戦友道
 
 戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救ひ、非違(法律に外れていること)相戒めて、倶に (共に)軍人の本分を完うするに在り。

 第五 率先躬行(きゅうこう/自分から実際に行うこと)
 
 幹部は熱誠以て百行の範たるべし。上正しからざれば下必ず紊る(みだる/乱れる)。
 戦陣は実行を尚ぶ。躬(きゅう・自分自身)を以て衆に先んじ毅然として行ふべし。

 ――(「上正しからざれば下必ず紊る」はそのまま社保庁の天下り幹部と職員の関係に擬えることができる。「上のなすところ、下これに倣う」の言い替えに過ぎない。お互いに好き勝手な関係にあったといったところだろう。)――

 第六 責任
 
 任務は神聖なり。責任は極めて重し。一業一務忽せ(ゆるがせ/いい加減に扱う)にせず、心魂を傾注して一切の手段を尽くし、之が達成に遺憾なきを期すべし。
 責任を重んずる者、是真に戦場に於ける最大の勇者なり。

 第七 生死観
 
 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。

 第八 名を惜しむ
 
 恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう/ふるさとに住む人々)家門(かもん/一族)の面目を思ひ、愈々(いよいよ/益々)奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

 第九 質実剛健

 質実を以て陣中の起居を律し、剛健なる士風を作興(さっこう/奮い立つこと)し、旺盛なる士気を振起すべし。
 陣中の生活は簡素ならざるべからず。不自由は常なるを思ひ、毎事節約に努むべし。奢侈は勇猛の精神を蝕むものなり。

 第十 清廉潔白
 
 清廉潔白は、武人気質の由つて立つ所なり。己に克つこと能はずして物慾に捉はるる者、争でか(いかでか/どうして)皇国に身命を捧ぐるを得ん。
 身を持するに冷厳なれ。事に処するに公正なれ。行ひて俯仰(ふぎょう/立ち居振舞い,起居動作)天地に愧ぢざるべし。

 ――(安倍晋三は単細胞だから、戦前の日本人はこういった教えを守り、行動に具体化できていたと思い込んでいるのだろうか。戦後の日本は自分の利益だけを考える自己中心的な人間が増えたと言っているのだから、〝反〟戦後である戦前の日本を安倍首相は理想社会としていることになる。しかし戦前の日本に於ける理想社会は「国体の本義」や「戦陣訓」、「軍人勅諭」等が描き出す世界にしか存在しないのだから、これらが描く美しい文言でつくり上げた持つべき規律を頭から信じているに違いない。それた「規律を知る、凛とした・・・」の思想原点となっているのだろう。まさしく「戦陣訓」が描く軍人世界は「「規律を知る、凛とした・・・」ものとなっている。)――

 本訓 其の三

 第一 戦陣の戒
 
 一 一瞬の油断、不測の大事を生ず。常に備へ厳に(おご
   そかに)警め(いましめ)ざるべからず。
   敵及住民を軽侮するを止めよ。小成(ほんの少しの成
   功)に安んじて労を厭ふこと勿れ。不注意も亦災禍の
   因と知るべし。
 二 軍機を守るに細心なれ。諜者は常に身辺に在り。
 三 哨務(しょうむ/監視任務)は重大なり。一軍の安危
   を担ひ、一隊の軍紀を代表す。宜しく身を以て其の重
   きに任じ、厳粛に之を服行すべし。哨兵の身分は又深
   く之を尊重せざるべからず。
 四 思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する
   不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧(はさい/破砕
   )するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。
 五 流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ、動ずる
   こと勿れ。皇軍の実力を確信し篤く上官を信頼すべし
   。

 ――(敵前逃亡した上官、民間人保護を放棄した上官。民間人を自決させておいて、自らは戦後まで生き延びた上官etc.etc.「皇軍の実力を確信し篤く上官を信頼すべし」)――

 六 敵産、敵資の保護に留意するを要す。徴発、押収、物
   資の燼滅等は規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし
   。
 七 皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護す
   べし。

 ――(「無辜の住民を愛護すべし」。中国残留孤児に対する国の手厚い保護・支援は「無辜の住民を愛護すべし」の精神を戦後に受け継いだ美しい国家行為なのだろう。)――

 八 戦陣苟も(いやしくも/かりそめにも)酒色に心奪は
   れ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を
   損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深
   く戒慎(かいしん・自ら戒め慎むこと)し、断じて
   武人の清節(潔い志)を汚さざらんことを期すべし
   。

 ――(軍自らが従軍慰安婦の募集に関わった。決して「慾情に駆られて本心を失」うことはなかったろう。)――

 九 怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人
   も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。
   軍法の峻厳なるは特に軍人の栄誉を保持し、皇軍の
   威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感
   激とを想起し、遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、
   仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。

 第二 戦陣の嗜

 一 尚武の伝統に培ひ、武徳の涵養、技能の練磨に勉む
   べし。「毎事退屈する勿れ」とは古き武将の言葉に
   も見えたり。
 二 後顧の憂を絶ちて只管(ひたすら/一途に)奉公の
   道に励み、常に身辺を整へて死後を清くするの嗜を
   肝要とす。
   屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ(た
   とい/例え)遺骨の還らざることあるも、敢て(あ
   えて)意とせざる様予て家人に含め置くべし。
 三 戦陣病魔に斃るるは遺憾の極なり。特に衛生を重ん
   じ、己の不節制に因り奉公に支障を来すが如きこと
   あるべからず。

 ――(下手に「戦陣病魔に斃」れるな。天皇・国家への奉仕に「支障を来たす」ではないか。奉仕一番。)――
 
 四 刀を魂とし馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦
   陣の間常に兵器資材を尊重し、馬匹を愛護せよ。
 五 陣中の徳義は戦力の因なり。常に他隊の便益を思ひ
   、宿舎、物資の独占の如きは慎むべし。
   「立つ鳥跡を濁さず」と言へり。雄々しく床しき皇
   軍の名を、異郷辺土にも永く伝へられたきものなり
   。
 六 総じて武勲を誇らず、功を人に譲るは武人の高風とす
   る所なり。
  他の栄達を嫉まず己の認められざるを恨まず、省みて
   我が誠の足らざるを思ふべし。
 七 諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ。

  ――(大本営は戦局の発表を「諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥と」して、虚報で国民を欺くようなことは一度としてなかった。)――


 八 常に大国民たるの襟度(きんど/人を受け入れる心の
   広さ・度量)を持し、正を践(ふ)み義を貫きて皇
   国の威風を世界に宣揚すべし。国際の儀礼亦軽んず
   べからず。
 九 万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具
  (とも)に思を護国の英霊に致し、言行を慎みて国民
   の範となり、愈々(いよいよ/益々)奉公の覚悟を固
   くすべし。

  ――(靖国参拝は国民の精神的義務である。次の総理もその次の総理も国のために戦って死んだ者を検証するために靖国に参拝すべきだ。自決した民間人は軍の関与事項ではないのだから、放っておけばいい。)――

    結
 以上述ぶる所は、悉く(ことごとく)勅諭に発し、又之に帰するものなり。されば之を戦陣道義の実践に資し、以て聖諭(天皇の教え諭し)服行の完璧を期せざるべからず。
 戦陣の将兵、須く此趣旨を体し、愈々奉公の至誠を擢(ぬき)んで、克く軍人の本分を完うして、皇恩の渥きに答へ奉るべし。
            (陸軍省、昭和16年1月) 
* * * * * * * *
 ――(大日本帝国、バンザイ!!「美しい国」の原風景はここにあり。)――

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