女子プロゴルファー横峯さくらの父親の横峯良郎がは11日(07.6)、参院選比例代表に民主党から立候補するという記者会見をテレビでやっていた。隣に民主党代表の小沢一郎がいつもの苦虫をつぶしたようなのと無表情との中間の地味すぎるクソ真面目な表情で控えていた。
読売のインターネット記事(2007年6月11日≪さくらパパ、参院選に出馬表明…「教育問題に取り組む」≫)でパパの立候補の動機と経歴を見てみると、
<女子プロゴルファー・横峯さくら選手の父親、横峯良郎氏(47)は11日昼、民主党の小沢代表とともに鹿児島市内で記者会見し、夏の参院比例選に民主党から出馬すると表明した。
横峯氏は「小学生に(ゴルフを)教えているが、学校の教育、親の教育を変えていかなければいけない。教育問題に取り組みたい」と語った。横峯氏は鹿児島県鹿屋市で居酒屋を経営する傍ら、娘のさくら選手らにゴルフを教え、自らもテレビのバラエティー番組などに出演している。>
お笑いタレントと一緒に<バラエティー番組などに出演して>視聴者を笑わせるエピソードの披露を担い、その役目をそれなりにこなしてもいるのだから、記者会見がもう少しパッとしていいはずだが、どうも隣の小沢氏の地味色が勝ち過ぎて、そうはならなかったようだ。
ここは平成の水戸黄門こと、前国体委員長、現民主党名誉顧問である渡部恒三氏も同席させて、渡部氏のユーモアを利用し、賑やかな席とすべきではなかったかと思うのだが、どうだろうか。
渡部恒三が今年も参拝したかどうかは知らないが、靖国参拝議員の一人であることは気に入らないことだが、2007年5月28日の東京新聞インタネット記事、≪“黄門様”威光衰えず 民主・渡部氏、全国遊説≫が渡部氏の人気の程を次のように伝えている。
<「平成の水戸黄門」の異名を持つ民主党の渡部恒三最高顧問が、党所属議員や夏の参院選候補予定者の応援に、全国を飛び回っている。ユニークな個性で党内随一の知名度を誇る存在であり、参院選に向けた貴重な「戦力」として、存在感がじわじわと高まっている。(清水俊介)
渡部氏の人気が沸騰したのは昨年三月。偽メール問題で民主党が窮地に立たされた際、国対委員長に担ぎ出され、持ち前の明るいキャラクターと演説のうまさで一躍、党の「顔」になった。
党内の人気はその後も続き、75歳の誕生日を迎えた今でも、ほぼ毎週末、所属議員の後援会集会や参院選候補予定者の決起集会に招かれている。
ある中堅議員は「ビッグネームだし、話が面白くて支援者も喜んでくれる」と、渡部氏を後援会集会に招いた理由を説明。
渡部氏も、日程の都合がつく限り、応援の要請に応じており、今年に入って既に北海道から九州まで17都道府県を「漫遊」、29回の応援演説をこなした。
「未来につながる若い政治家を育てていくことが私の最後の仕事。私自身は野心も何もない」
渡部氏は最近ある集会でこう強調した。
一方、渡部氏には、小沢一郎代表を党内で公然と批判できる数少ない議員という、もう一つの「顔」もある。
渡部氏は22日の党常任幹事会で、小沢氏が欠席したことについて「できるだけ党首は出られるようにお願いしたい」と苦言を呈し、記者団には「参院選で一致結束するため、けじめはきちんとつけておかないと」と、その意図を説明した。
渡部氏には、年長者として、小沢氏に厳しく接するのが自分の役目との意識があるようだが、小沢氏は党の会合や衆院本会議を欠席することが多く、渡部氏の発言は、小沢氏に対する不満を象徴する発言として受けとめられた。
25日に開催されるはずだった小沢、渡部両氏の合同誕生会が「日程の都合」を理由に延期されたことも、二人の不仲説に拍車をかけている。
参院選の結果次第では、小沢氏の進退論が浮上する可能性もあり、渡部氏の「ご意見番」としての言動が、引き続き注目されることになる。>
この人気振りをテレビへも露出させて利用しない手はないと思うのだが、ただでさえ大衆化・劇場化している政治の大衆化・劇場化に手を貸す邪道に組することになるのだろうか。
党首の見栄えも、現実問題として選挙の投票行動に強い影響を与えている。政策で玄人を納得させる力はあっても、それを下回ってマスコミの報道や党首の見栄えに簡単に左右される絶対多数者である素人を納得させる力が不足していたなら、政権担当の道が開けないのも現実問題として横たわっている事実である。
小泉郵政解散、総選挙では〝刺客〟選挙、〝くの一〟選挙といったマスコミの煽動に煽られた素人政治集団が自民党空前の勝利を演出したのはまだ記憶に新しい05年9月のことである。
無視し難きは素人政治集団であるからこそ、そのことを認識した自民党、民主党のタレント担ぎ出し合戦なのだろう。
となれば、これまで政治に無関係なタレント、あるいはタレントまがいの人間たちの立候補記者会見でその立場に応じた雰囲気を演出したとしても、邪道とまではいかないと思うのだが。
確かにタレントの担ぎ出しに賛否両論がある。否定論の多くは政治のことは何も知らない、政治に素人だ、人気にあやかって当選するのは筋が通らないといったところだろう。だが、大学で政治を学んだり、政治家の秘書を皮切りに政治を学びつつ議員となった者の中でも、実際に学んだのは選挙術だけで、法案採決のときに手を上げたり起立したりするだけの単なる頭数を出ない、政治に素人であり続ける議員がゴロゴロと転がっているのも現実問題としてある事実である。
国会議員が政治に素人であり続けるといった現実問題が許されるなら、政治に丸きりの素人が立候補しても許されなければ整合性からもバランス上も辻褄が合わないことになる。実際問題としても、自民・民主両党とも当選者を増やすための頭数として利用している面の方が大きいだろうし、そのためのタレント、あるいは著名人の担ぎ出しであろう。
最近は陣笠なる言葉を見かけることも使われることも少なくなったが、ひと頃前は盛んに「陣笠だ」、「陣笠代議士だ」なる言葉が使われた。『大辞林』(三省堂)には『陣笠』を次のように解説している。
<政党の幹部に追従し、自分の主義・主張を持たない議員>。当然頭数の役目しか担えないことになる。そしてそういった手合いでも、5期、6期当選すると、大臣になる資格ができたと買官に奔走する。
陣笠、あるいは頭数で終わるかどうかは、あくまでも本人の問題、本人の責任事項であるが、そもそもからしてそのような政治家を議員に当選させるかどうかは有権者自身の選択にかかっているのであって、タレントやタレントもどきの立候補者や議員となっても政治に素人であり続ける頭数を出ない陣笠議員以上に責任を負わなければならないのは有権者自身の問題、有権者自身の責任事項のはずである。
さくらパパの立候補の結果が吉と出るか凶と出るか、投票箱の蓋を開けてみないと分からないが、記者会見で新聞記事に書いてないことでどのようなことを言っていたか、当てにもならない記憶を頼りに順不同で記してみる。
「有名だから、それを利用するようだが、利用してもいいんじゃないんですか?何をするかですから」と、結果論重視のようなことを言っていた。頭数で終わるかどうかは、結果を見てみないことには分からない。そのことを弁えた発言ではないだろうか。
「自民党からも話があったが、社会保険庁とかの問題が今あって、自民党からの立候補となれば、年金問題で批判できなくなるから、民主党から立候補することにした」
そう、所属政党議員だからと批判の口をつぐむ人間がどれほどいることか。それを前以て避けようとするはっきりとした意志を見せている。「女性は生む機械」柳沢厚労相の問題でも、与党の女性議員は「女性の立場として絶対許せない発言だ」と言いながら、「辞任する必要までない」とその進退に関しては「絶対許せない」を引っくり返して「絶対」擁護に動く当てにならない「絶対」を見せた。
上記読売記事が「教育問題に取り組みたい」と書いているが、「午前中は従来どおりの科目事業を行って、午後は生徒の好きなカリキュラム授業を行うべきだ」といったことを言っていた。
私自身はテストの成績を上げて有名大学に入り、有名企業に入りたい、中央官僚になりたいと思っている生徒には従来どおりのテスト教育を施せばいいと思っているが、テスト教育になじめない生徒には「午後は」とは言わずに、朝から「好きなカリキュラム授業を行うべきだ」と思っている。「好きなカリキュラム授業」のみの勉強であっても、それを通して世間一般の常識、あるいはそれ以上の一般的な知識を学ぶことはできる。本人が望む勉強を与えるということは生徒が望む生存機会を提供するということでもあろう。
少なくともさくらパパは生徒の身近に立とうとする彼なりの教育論を持っている。安倍首相みたいに「高い学力と規範意識を身につける機会の保障」などと一部の生徒の欲求を満たすことはできるが、すべての生徒が満たせるわけではない、それゆえに生徒の身近に立つのとは逆の、高みから教育状況を眺め降ろすこととなっている、そのためにご大層なハコモノとはなり得るが、中身はないこととなる教育論を振り回したりはしていない。
どのテレビ局か忘れたが、社会的弱者に思いやり深いことで有名なかの石原慎太郎東京都知事の息子の日本の政治界の若きホープ、参院選対策に駆けずり回っているらしい石原伸晃の車に記者が乗り込んでまでして、さくらパパの立候補について突撃取材(?)を試みていた。
記者「民主党からの立候補は自民党にとって衝撃ですか?」
石原伸晃、それはないといったことを言ったと思う。
記者「学校を変えたいと言ってるそうですが」
石原(軽く笑いながら)「学校を変える?ゴルフを教えることは上手だろうけど、フィールドが違うから」と変えることができないようなことを言う。
要するに卒なくうまくかわした。石原伸晃はそのあと自民党から参院選に立候補することになった朝日テレビの元女子アナウンサーがいる都内の歩道上だろう、そこに駆けつけ、有権者に語りかけるとき片足を一歩前に踏み出して語りかけるように注意し、元女子アナが教えられたとおりに一歩前に出る仕草をしたのを見届けてから立ち去っていった。そう、当選をすべてとして、政策とは関係ないことまで学ばなければならない。
自民党にしても「フィールドが違う」タレント、その他の有著名人を当選議席を増やすだけの選挙対策でゴマンと立候補させ、望みどおりに議席を増やす効果を上げてきた。そのことを無視して「フィールドが違うから」と言う。自分たちがやってきたこと、現にやっていることを省みる能力、客観的自己省察能力が欠けるからこそ言える「フィールドが違うから」であろう。
相場とは格段にかけ離れた入居料格安の赤坂高級議員宿舎問題にしても、議員宿舎を選挙事務所とする光熱費問題でもテレビに出ては自己都合だけで自民党正当化の強弁を平気で展開する客観性を欠いた人間ぶりを見せていたが、改めてその感を強めた。
「まあ、自民党もタレントを立候補させているし、有望なタレント候補を物色してもいるのだから、民主党さんも手頃なタレント候補を見つけてきたなといったところじゃないの?」ぐらいの気の利いたことを言えたなら、政治家に特に必要な自他を客観的に認識できる能力の証明となるのだが、自己都合だけで終わっている。政治に素人であり続ける陣笠議員よりもひょっとしたら始末が悪いのでないだろうか。
だが、そのような客観的認識能力を備えるに至っていない自己都合だけの政治家であっても、若いということと石原慎太郎の息子という毛並み、ルックス等で選挙の顔としていつの日か次期総裁として担ぎ出される幸運に見舞われないとも限らない。その可能性大であろう。本質は自己都合だけの単細胞人間でありながら、安倍晋三が担ぎ出され、まんまと総理大臣になったように。