我が日本の麻生総理大臣が昨13日夜、官邸で記者団に次のように大本営発表したそうだ。
「来週早々に衆議院を解散し、8月30日に総選挙を実施する旨を与党幹部に伝えた」(《首相 歯を食いしばってでも》NHK/09年7月13日 22時28分 )
この言葉だけ見ると、「来週早々」を「然るべき」解散の時期とし、投開票は「8月30日」が「然るべき」日だと「自分で決め」て「与党幹部」に伝達したように見えるが、実際は都議選敗北の日から2日後の14日解散を自分では「然るべき」日と決めていたと一部マスコミが伝えている。
だとすると、いつも麻生が口癖としていた、「解散につきましては、毎回同じことをお答えするようで恐縮ですけれども、解散につきましては、しかるべき時期に、私の方で判断をさせていただきます」 を守らず、ぶれさせたことになる。
いわば結果としてウソをついたことになる。まあ、麻生のウソは珍しくもないから、たくさんあるうちの一つに過ぎないと見れば、どうってこともない。
7月14日付「中国新聞」インターネット記事――《「一拍置けば危うい」 首相、当初は14日解散に固執》の題名が既に示しているように「14日」を「しかるべき」解散の日としていた。
記事をベースに想像を交えて解説すると、解散・総選挙に限っては単に先延ばしに逃げてはいたが、「しかるべき時期」とすることに関しては頑固なまでに決してぶれないところを見せていた我が麻生太郎は13日午前の官邸執務室にヒステリー症の細田幹事長と高血圧症を疑わせる大島理森国対委員長と呼びつけたのだろう、顔を突き合わせていた。
麻生太郎いわく。
「衆院解散まで一拍置いたら、中川や武部を抑えられず、危うくなるじゃないか。解散は14日以外にない。譲れない線だ。大根のように降ろされてしまったなら、解散を自分で判断する目を失ってしまう。解散の先送りはもはや許されない状況だ」
散々解散を先送りしたことは棚に上げて、焦りさえ見せて強硬に14日解散を主張する。
しかし細田・大森の二人は14日解散が党の大勢意見ならおとなしく従うが、そうでないから、14日解散にさせまいと食い下がり、二人して共々訴える。
「明日解散したら、都議選で負けたイメージのまま選挙戦に入ることになります。都議選で民主党に1票を投じた勢い殺ぐ冷却期間、と同時に我が方の負けてカッカしている頭を冷やす冷却期間が必要です。せめて1週間待ってください。選挙協力上必要な存在だから、仕方なく与党に加えている公明党も8月末以降の選挙を望んでいます。彼らの協力なくして、自民党は総選挙を満足に戦うことはできない情けない政党に成り下がっているのです。都議選で23人の候補者全員を当選させた公明党・創価学会の組織票なしで衆院選を戦えるはずがないのです」
「麻生降ろしに走る議員がいれば、衆院選で公認しなければいいじゃないですか。決然とした気持ちでなければ駄目です。これまでぶれることのなかった解散の『しかるべき時期』です。最後にほんの少しぶれていただいて、決然とした気持で8月末以降の投開票に持っていってください」
「ここで14日解散にこだわれば、総理を支えてきた執行部はもとより派閥幹部、公明党さえもが麻生降ろしの隊列に加わりかねません。与党側との事前合意で来週以降の解散を既成事実化させれば、反麻生勢力も腰砕けとなるはずです」
そこで我が日本の麻生太郎は決然とした態度で決断する。
「よし、麻生降しを防げる保証があるというなら、解散を1週間先送りしよう」
――と、自分では解散の「しかるべき時期」を14日としていた決断を簡単にぶれさせて、「1週間先送り」をぶれることなく決断したというわけである。
「480人を失職させる解散の決断は重いことだよな」
小選挙区300・比例代表選挙区180、衆議院定数480人のうち、野党の殆どは早期解散を強く望んでいる。政権交代を果たすも果たさないも解散・総選挙を唯一の機会としなければならないからだ。野党にとってその絶好の機会が今ということなら、失職への心配は与党議員の方がより強いはずだが、野党議員まで含めて「480人を失職させる解散の決断は重いことだよな」とする。例の如く物事を合理的に判断する能力がないことからの、トンチンカンな発言なのだろう。
このトンチンカンさはぶれる・ぶれないよりも重要な資質の欠陥であるが、麻生自身、知らぬが仏で全然気づかない。
記事の結論は次のようになっている。
〈麻生が衆院解散を21日の週とすることで、与党側と折り合った。都議選での過半数割れを受けて、倒閣の火の手が上がる前に、先手を打った格好だ。ただ民主党が掲げる「政権交代」に対抗する旗印は見いだせていない。有権者には「脱自民」の逆風が吹き荒れており、麻生自民党は勝算なき夏決戦へ突っ込むことになる。(敬称略)〉・・・・
「asahi.com」記事――《首相、週内解散構想から一転 公明への配慮も》(2009年7月14日5時14分)はこの辺の経緯を次のように解説している。
〈「麻生降ろし」封じのため、早く解散を既成事実化させる必要がある。一方で、連立を組む公明党への配慮は欠かせない――。1週間後の解散を事前予告するという異例の表明は、ふたつの条件を満たす「窮余の策」だった。〉と解説している。
我が日本の麻生太郎は都議選を「あくまでも地方の選挙。争点は都政の諸課題で都民が判断する。国政に直接関連しない。」(中日新聞)と位置づけ、都議選の結果如何に関わらず、いわば国政は国政、「首相として日本の政治に責任がある。国民、日本を守るため、責任を果たすことに変わりはない」(同中日新聞)と引き続いて政権担当していくことを宣言している。
自分が言ったことに責任を持つなら、都議選が自民党にとって歴史的敗北であろうとなかろうと、あるいは最悪の事態であろうと、そのことを受けて解散に踏み切る理由は麻生にはないはずだ。「国政に直接関連しない」を忠実に守る責任があったはずである。
だが、都議選2日後の14日解散を自分では「しかるべき時期」とした。
いくら麻生太郎名宰相が都議選を「あくまでも地方選挙。・・・・国政に直接関連しない」と言っても、あるいは引き続いて国政を担当していく、本人からしたらぶれない姿勢を見せたとしても、都議選の大敗北でこれまでも党内に渦巻いていた「麻生では総選挙は戦えない」とする動きがより悪い方向、より激しい方向にぶれていくことは麻生の単細胞な目にもはっきりと見えていたはずである。
いわば麻生降しの動きが活発となる。この活発化はぶれない麻生にしても相当に神経をぶれにぶれさせる不愉快な予測事態に違いない。この予測事態は予測で終わらず、必然事態となる可能性が限りなく高い。
じゃあ、表紙を麻生から他の誰かに変えさせて総選挙を戦おうとする動きに先手を打って、麻生降しの陰湿な大陰謀をこっちから潰してやる。「解散につきましては、しかるべき時期に、私の方で判断をさせていただきますと言ってきたんだ。表紙を変えられたんじゃあ、私の方で判断が有名無実化してしまう。他の誰かの方で判断することになるじゃないか。福田では総選挙は戦えない、麻生の話は面白い。麻生こそが選挙の顔だと言って総理・総裁に押しておきながら、何だ、今になって麻生降しだと?」
都議選の無残な敗北を受けて活発となるのは目に見えている麻生降しの動きを封じ込めるためには都議選敗北から間を置かない早い時期を「しかるべき時期」としなければならない。それくらいの計算はできる日本の麻生太郎である。
それが都議選からたった2日後の14日ということなのだろう。
いわば麻生降しを策している党内勢力に向けた麻生降しをできなくする「当てつけ解散」だった。
“当てつけ”だからこそ、全体の局面を全体的に見る目を欠いて、麻生を支えてきた党内最大派閥、その他の大勢意見となっている解散・総選挙先延ばし論を麻生らしく考えもなく無視することができた。
麻生の方は単細胞に無視できても、その無視を党の方は無視できない。細田・大森が党内大勢意見を代表して、14日解散に反対、「8月末以降の選挙」を主張、麻生にしても大勢意見に逆らって最大派閥その他を敵にまわした場合、以後の政権担当も覚束なく、そうなれば「しかるべき時期に私の方で判断」も怪しくなりかねない。
解散決定の最終局面で、14日「当てつけ解散」がぶれて、1ヶ月以上の間を置くことになった。こういった結末ではなかったのか。
麻生太郎は「私の方の」「判断」をぶれされて、党内大勢意見に従った解散のシナリオを決めた後、ぶれさせたことなどオクビにも出さずに次のような勇ましいことを口にしている。
「どの党が国民生活を守り、日本を守るかが争点だ。民主党は政権交代を主張しているが、現実的な政策も財源も示しておらず、国民不在の党利党略だ」(上記NHK)
「政府・与党は、景気対策の一点に全力をあげてきた。経済危機から国民の生活を守ることが政治の責任であり、ここで手を緩めることはできない。経済対策は、責任ある政党のもとで実施しなければならず、民主党には任せられない」(同上記NHK)
政権を担当するのは自民党でなければならないとするのは、絶対なるものは存在しないという真理を無視して、自民党を絶対とする独裁意識・権威主義意志の現れ以外の何ものでもない。決して自民党は絶対ではない。今の矛盾だらけ、格差ばかりがのさばっているこの社会を見れば、簡単に証明できる。愚かしいばかりではないか。