メール数回のみの関係だが、一応義理立てて、このブログを使って出版案内に協力することにした。次のブログ記事がなかなか進まない事情もあるのだが。但し至って無責任な話だが、読んで面白いかどうかは保証の限りではない。
白川氏がどういう人物だか知らない人、名前だけは知っているという人のために「Wikipedia」からコピー&ペーストしてみた。
〈白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年6月22日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、自治大臣、国家公安委員会委員長、新党・自由と希望代表などを歴任。弁護士。
学生時代
十日町市立中条中学校、新潟県立十日町高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格し、司法修習24期経て弁護士(登録番号:13439)となる。
学生時代は、日本民主青年同盟の活動家で、東京大学の学寮である駒場寮の寮自治委員長等を務める。また、平和研究会(通称:平和研)を設立する。
自民党代議士時代
1976年衆院選初出馬時は保守系無所属、自民党へ入党。内閣官房副長官在職中の加藤紘一のスカウトで宏池会入会し時の総理総裁大平正芳と師弟関係結ぶ。1979年第35回衆議院議員総選挙で初当選し加藤の側近として活動。1985年国土政務次官、1987年郵政政務次官就任。1990年落選したが1993年復帰。伊東秀子と共に自社さ連立政権誕生の為に奔走した経歴がある。その際「憲法20条を考える会」の会長代行として細川連立内閣・新進党とその支持団体である創価学会との対決姿勢を露わにした。1994年衆議院商工委員長、1996年第41回衆議院議員総選挙で(現在の選対委員長)党総務局長として自民党勝利に貢献し自身は比例単独候補(平成研現職高鳥修とコスタリカ方式)として6度目の当選。11月第2次橋本内閣自治大臣・国家公安委員会委員長として初入閣(同じ青年会議所OBで79年衆院初当選同期で当時同じ宏池会属す麻生太郎も同時に初入閣)
同じ新潟県の田中眞紀子の夫である田中直紀が自民党の公認を得られないという事態がかつてあり、この時白川は党の方針を無視して田中直紀の応援演説をした。
また、田中眞紀子の応援があったが2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で民主党元職筒井信隆(ちなみに白川と同じく弁護士である。)に敗れ落選。交通違反もみ消し事件や自公連立後も創価学会批判により公明党が白川を推薦しなかったことが影響した。その後、加藤紘一と山崎拓が、当時の国民世論を受けて、揃って当時の森喜朗内閣に対する内閣不信任決議案に賛成票を投じようとした、俗に言う加藤の乱が勃発。
離党・新党結成・下野
自らが代表を務め新政党新党・自由と希望を立ち上げ、2001年8月の参議院比例選挙に打って出るが、宮崎学擁立問題と妙観講からの候補者擁立問題で、期待していた立正佼成会の支援が少なく落選。30万9994票の得票で落選するのは、比例代表非拘束名簿式選挙における落選者の中では最高得票記録である。その後暫く沈黙するが、2003年11月の衆議院総選挙に無所属で出馬。地元の民主党新潟県連と共闘し、政権交代実現の必要性を国民に強く訴える。選挙区を田中眞紀子のお膝元に鞍替えしたことで、田中眞紀子との熱い選挙戦が連日マスコミを賑わせた。
この選挙では民主党から公認を得るべく奔走したが、当時の民主党代表菅直人と幹事長岡田克也率いる執行部の協力を得られず落選となる。2004年、再び公式WEBサイト上で活動を活発化させる。2004年12月、2005年5月1日に行われる十日町市長選挙へ立候補を表明。同選挙で落選した。
2008年以降は弁護士としての活動を本格的に再開、個人の多重債務問題を重点的に扱っている。〉――
「交通違反もみ消し事件」について同「Wikipedia」が次のように説明している。
「2000年3月、白川の元私設秘書が、代議士の私設秘書の立場を利用して交通違反もみ消しを行い、公電磁的記録毀棄などの罪に問われる。」云々。
これは本人に対する潔白証明となる。これだけの紹介だと、一方的に肩を持つことになりかねないから、公平を期すためにスキャンダルも挙げておく。
〈2004年3月に東京都内の違法カジノ店に偽名を使い客として出入りしていたことが発覚する。白川は共同通信の取材に「山本という名を使い3、4回行った。金は賭けていない。店にいること自体は問題ない」と話していた。カジノ店は「渋谷Jクラブ」で、この捜査の過程で白川氏の名前が浮上。元店長と従業員の3人が「白川氏は偽名を使って昨年春から夏にかけて店に出入りしていた。1日に5時間ほど勝負をすることもあり、合わせて200万円ほど負けた」などと供述したという。〉(同Wikipedia)――
また以前「リベラリスト 白川勝彦の永田町徒然草」の題名でブログをインターネットに乗せていたが、久しぶりにアクセスしてみたら、「友よ 友へ」に改題されていた。
記事内容は20年以上国会議員を務めていただけあって政治の裏に通じていて、なかなか面白い。
次に届いたメールを紹介させて貰う。白川氏の承諾を取ったわけではないが、多分本人が承知していない相手だという私の予想と、個人的内情に関わる内容ではなく、不特定多数に送った単なる出版案内の一部で信書に当たらないことから無断で紹介することにした。
送信者: "shirakawa" <wr@liberal-shirakawa.net>
宛先: "手代木恕之様" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : ご無沙汰しております。白川勝彦です。
日時 : 2009年6月30日 15:31
拝啓 手代木恕之 様
梅雨の日と夏の日が互い違いにくる季節です。
世の中は所詮そんなものじゃないか、と思えるような歳ごろとなりました。去る6月22日、私は64歳となりました。
ご無沙汰しておりますこと、お許しください。東京・新橋に新しい事務所を出して、早や1年余りが経ちました。お陰さまで法律の方の仕事は順調に進んでおります。私を含めて10人のスタッフで毎日元気にやっております。私が仕事の中心としております多重債務問題は、依然として深刻な社会問題です。多重債務に苦しんでいる人たちのサポートが、私の現在の「闘いの現場」です。
事務所から一歩外に出ると、私は政治モードとなります。自公“合体”政権の政治の中でいったい何が起こっているのか、が私の関心事となります。
最近の麻生首相の言動に多くの人々は、怒りを通り過ぎて呆れ果てております。麻生内閣が迷走しています。麻生首相は、
「解散は、然るべき時に私が判断して行います」
と言い続けてきましたが、果たしてどうなるのか。私に言わせしめれば、麻生首相だけではなく自公“合体”政権がダッチロールしているということです。
現実に動く政治について、毎日一篇の論評を加えることが私のもうひとつの「闘いの現場」です。こちらの方は、40年近くやってきたことですから苦労はありませんが、毎日1万人を超える人々の目に晒されるものですから、それなりの緊張感はあります。日々動く現実の政治に敢えて一石を投じようとするものですから、それなりに難しいところはあります。
さて、解散総選挙は目前に迫っております。来るべき総選挙に多くの人々がさまざまな想いをもって臨もうとしております。私にもこの10年余りの痛切な想いがあります。多くの人々がこのようにさまざまの想いを込めて、総選挙に臨むのは初めてのことではないでしょうか。それぞれの人々がいろいろな想いをもって戦う「最終決戦」です。
この時期に、いやこの時期だからこそ、私は
『翔べ!鳩山由紀夫』
を上梓いたしました。7月1日から全国の書店で発売されております。
ご購読いただき、ご一読頂ければこれに優る喜びはございません。
なお、最近では大きな書店を除き、自動的に配本されません。下記のURLでチラシをダウンロードしていただき、それで近くの書店で申し込んでいただくことが、いちばん早くお手元に届くことになると思います。送料はかかりません。ご利用ください。
http://www.liberal-shirakawa.net/library/images/handbill-toweb.pdf
ご貴台の益々のご健勝をお祈り申し上げます。
敬具
2009年6月30日 白川 勝彦
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もし懐具合に余裕があり、関心をお持ちなら、別にチラシをダウンロードして印刷して書店に持ち込まなくても、電話一本で書名と著者名を伝えれば、在庫がない場合は取り寄せて貰うことで済む。値段は「1500円+税」です。
かつての自民党代議士の白川勝彦氏から自著出版案内のメールが来た。自民党を離党後、2001年8月の参議院比例選挙に出馬して、多分、激励のメールを送ったのがキッカケだと思うが、選挙資金を求められてなけなしの金からやっとの思いで1万円寄付し、本人は落選、それ以後2度ほど自著出版の案内メールが届き、今回が3度目の自著出版案内メールで、それだけの付き合いに過ぎないが、現在弁護士をしていて秘書がいるということだから、秘書が相手が誰か分からず、過去のアドレス帳から一人残らず拾ってメールしているのだと思う。いわば白川氏本人の関知しないことなのだろう。