町村信孝は天皇の満足を基準に政治を行うらしい

2009-07-03 16:44:17 | Weblog

 昨7月2日、町村派領袖町村信孝が町村派総会で次のように述べたと言う。

 「天皇陛下が心安らかに親善の目的を達成できるような国内の環境を作ることは、国会議員として最低限の義務だ」(《解散時期「都議選直後より遅くに」…与党幹部求める》YOMIURI ONLINE/2009年7月3日00時16分)

 これは記事解説によると、「天皇、皇后両陛下がカナダ・米ハワイ州を公式訪問されている3~17日の解散は避けるべきだ」と主張したものだそうだ。

 町村のこの主張を妥当性ある内容だとすると、天皇自身は憲法によって「国政に関する権能を有しない」と規定されているが、そのことに反して国の政治そのものは天皇のために存在することになる。発言どおりに解釈するなら、天皇の満足を基準に政治を行うべきものと主張したことになる。

 当然の逆説として、政治は国民の満足を対象としていないことを意味する。自民党最大派閥の親分さんが言っていることなのだから、その精神の影響を受けていないはずはないにも関わらず、自民党が「国民目線」とか「国民のために」をかねがね口癖としていられるのは単なる口先だけの見せかけ言葉だからとなる。実際には、少なくとも町村信孝なる政治家は“天皇目線”で常に政治を行ってきた、そして現在も行っているということになる。

 同じ昨7月2日の「毎日jp」記事――《質問なるほドリ:天皇陛下の外国訪問中には衆院解散はないの?=回答・石川貴教》が衆議院解散時の天皇の役目を解説している。(一部抜粋引用)

 〈Q 衆院を解散する時に、天皇は具体的に何をするの?
 A 内閣が解散を閣議決定すると、内閣官房の内閣総務官が解散の詔書の原案を皇居に持っていきます。受け取った天皇は詔書に署名し、御璽が押されます。「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」と呼ばれるもので、この詔書に首相が副署(添え書き)し、衆院議長に伝達します。これらの段取りを踏んで解散の効力が発します。

 Q これまでも衆院が解散された時は、天皇の外国訪問中ではなかったのかな。

 A 現行の憲法が施行された1947(昭和22)年5月3日以降、これまで20回、衆院が解散されましたが、いずれも天皇が外国訪問中でない時期に実施されました。選挙日程と重なるのを避けたというよりも、結果的に重なるケースがなかったというのが実態のようです。外国訪問と解散時期の関係に注目が集まったのは00年6月2日の森内閣当時の解散で、天皇陛下の訪欧期間中(同年5月20日~6月1日)を避けたとされています。

 Q 今回の天皇陛下の外国訪問中も解散はないんだね。

 A 100%ないとは言い切れません。天皇の外国訪問中は、事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を代行できます。今回は、臨時代行を務める皇太子さまが衆院を解散することも法律上は可能です。ただ、その場合、陛下不在中の強引な解散と国民から批判を受けかねないのも事実です。(政治部)〉――  

 「陛下不在中の強引な解散と国民から批判を受けかねない」は日本の政治を「陛下」のためにあることとする説明となる。

 要するに天皇は解散のセレモニーを執り行うに過ぎない。しかも「事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を代行で」きるとしている。天皇の外国訪問中であっても、政治が天皇の満足を目的としているのではなく、国民の満足を対象としている以上、解散して何の不都合があるのだろうかと思うのだが、天皇の満足を政治基準としている町村にとっては、あるいはその同類にとっては天皇の外国訪問中は「心安らかに」いられるよう、解散は控えるべきだということになるらしい。

 既に触れていることと重なるが、日本国憲法の第1章天皇、第4条で「天皇の機能」を次のように規定している。


 (1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
 (2)天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
 
 「国事に関する行為」、いわば「国事行為」を 『大辞林』(三省堂)は次のように解説している。

 【国事行為】「憲法上、天皇が内閣の助言と承認により行う形式的・儀礼的行為。法律などの公布、国会の召集、衆議院の解散、一定の官吏の任免の認証、栄典の授与など。内閣がその責任を負う。」

 「国政」(=国の政治)は解散・総選挙のみではない。憲法が定める天皇の儀礼上の行為に付き合っていたなら、ただでさえその資格もなく総理大臣を務めている麻生太郎のお陰で日本の政治が立ち往生していると言うのに、たちまち国の政治は立ち往生以上の大混乱に陥ってしまうだろう。

 あるいは国民の満足を対象とせず、天皇の満足を目的に政治を行ったなら、戦後の民主化は夢幻(ゆめまぼろし)と化す。

 麻生太郎にしても〈天皇の国事行為である衆院解散を皇太子が代行することについて「法律上は何ら問題はない」〉(《麻生首相:天皇海外訪問中「解散に問題ない」》毎日jp/2009年7月2日21時25分)と言っている。

 〈憲法などでは、天皇の外国訪問中は、事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を行うことになっており、今回は皇太子殿下が務める。首相は「天皇陛下がおられない間に、国事行為の代行を皇太子殿下がされると法律があるので、その法律通りにさせていただくというのが普通。解散に限って言うわけではない」と述べた。【影山哲也】〉――

 この発言だけ見ると、たまにはまともなことを言うように見えるが、党役員人事も党内の反対から自分の思うようにすることができず、任期を2カ月後に控えた土壇場で解散まで縛られたのではすっかり存在意義を失ってしまう反撥から出た最後の足掻きに過ぎないのではないのだろうか。

 町村は早期解散反対の立場から、「天皇陛下が心安らかに」云々と発言したのだが、ご都合主義に天皇の外遊を持ってきたわけではあるまい。天皇を最上位権威に置く意識を政治精神としているからこそ、口にすることができた発言であろう。

 改めて言うが、政治は決して天皇の満足を基準に行うべきものではない。国民の満足を基準として行われるべきものであろう。だが、町村信孝なる政治家は天皇自らが望んだこうあるべきだとする精神状態ではないにも関わらず、自分一人の願望から、一人ではなくても、同じ国家主義者・天皇主義者である同じ穴のムジナたちと意を同じくした願望から、「心安らかに」と天皇の精神の満足を持ち出し、そこに政治を合わせようとしている。これは天皇の政治利用に当たらないだろうか。

 こういう説明もできる。

 天皇自身が日本もそろそろ政権交代のある当り前の普通の国になるべきだと思っているのかもしれない。思ってはいないかもしれない。思っていたとしたら、外遊に関係なく、早いうちに解散・総選挙が行われ、早く政権交代を見たいと思っているかもしれない。外遊先だろうとなかろうと、日本の重大ニュースはリアルタイムで知ることができる。日本が総選挙の間、スリルとサスペンスでわくわくしながら外遊をすることになるかもしれない。

 だが、どのような精神状態にあるのか、何を考え、何を思っているのか、実際のところは天皇以外は、あるいは天皇と皇后以外は、さらに皇族以外は誰一人与り知らないことで、町村もその一人に入るはずである。

 与り知らないにも関わらず、「心安らかに」と天皇の精神状態の理想を言うことで正当化を図りながら、それを満たすための解散・総選挙であるべきだと、そのような「国内の環境を作ることは、国会議員として最低限の義務だ」だと天皇の理想の精神状態に国会議員を従わせようとしている。

 国会議員を従わせるとは、国民をも従わせることであろう。小賢しいばかりに独善的な政治利用ではないか。

 町村が天皇を最上位権威に置く権威主義者・天皇主義者なのは「心安らかに」を天皇のみの満足状態としていることからも窺える。今日7月3日からのカナダ・ハワイ訪問は天皇のみではなく、皇后も同道する。例え国事行為が天皇の専権行為であったとしても、天皇だけが「心安らかに親善の目的を達成でき」ればいいというわけではあるまい。皇后共々であるはずだが、権威主義者は男女をも上下に権威づけ、男尊女卑、あるいは男を主とし、女性を従とする上下意識、上下の価値観に縛られる。

 このような権威主義性からの関連から言うと、天皇しか頭になかったことからの皇后忘却の疑いが濃厚なのは間違いない。

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