昨日2012年1月4日、野田首相が年頭記者会見を行った。昨年9月の野田内閣発足時に最大かつ最優先の3課題とした東日本大震災からの復旧・復興と原発事故の収束、日本経済の再生を改めて取り上げて、実現できたことと今後の取組みを紹介した後、与野党協議の俎上に乗せながら取り残した課題として郵政改革、議員定数の削減、公務員人件費削減等の行政改革、あるいは政治改革を挙げて、通常国会のなるべく早い時期に実現をさせていきたいと抱負を述べ、最後に社会保障と税の一体改革に言及、「どの政権でももはや先送りのできないテーマ」だと与野党協議の呼びかけを以って冒頭発言の結びとしている。
冒頭発言では「消費税」の言葉は直接的には一切使っていない。「社会保障と税の一体改革」の中に含めているからなのだろうが、国民にとって切実な問題でもあるのだから、直接的な言葉で一言でも取り上げて説明するのが「正心誠意」だと思うが、そうではなかったらしい。
また、議員定数の削減と公務員人件費削減にしても、「残念ながら残された課題がありました」という文脈で取り上げたに過ぎず、消費税増税の優先的前提とすると野田首相自身が公約とした文脈で言及したわけでもない。
この二つの発言の仕方に誤魔化しの臭いを感じないわけではない。
記者との質疑応答の中で初めて消費税増税の優先的前提の文脈に近い形で議員定数の削減と公務員人件費削減が取り上げられている。
江川紹子「フリーランスの江川紹子といいます。よろしくお願いします」
野田首相「高校の後輩ですね。」
江川紹子「よろしくお願いします。先ほど、社会保険と税の一体改革の前提条件の一つとして、政治改革、特に定数削減の問題をおっしゃいました。
確か年頭のラジオのお話でも、不退転の決意でやるというふうにおっしゃっていましたけれども、これを具体的に、いつまでにどのような形でおやりになるつもりなのか、次の選挙までに間に合わせるということで良いのでしょうか。1票の格差、1人1票が確保されていないという問題と併せてどのようにされるのか、今のスケジュールとお考えを聞かせて下さい」
野田首相「まず1票の格差なんですけれども、私の選挙区の船橋というのは千葉4区、日本で一番1票が軽いんです。だからということでもありませんが、当然そうすると区割り変更を余儀なくされる選挙区ですが、これは当然早くやらなければいけないと思います。基本的には違憲状態だと指摘されていることを克服しようとする国会の取り組みが見えないということは問題だと思います。それはまずやらなければいけません。
併せて、今申し上げた一体改革もありますので、まずは隗より始めよう、まず身を切れというのが国民世論だと思います。その世論を重く受け止めるならば併せて定数削減も、早急にしなければならないと思っています。ただ、1票の格差の問題がどうも、これは早くやらなければいけませんが、それと解散権とは結び付く話ではありません。それはそれで別にあると思いますが、ただ何よりも、他の課題よりも優先してこの1票格差の問題、定数削減の問題は、早急に結論を出すために、特段まず1番矢、2番矢があるとすれば1の矢として放たれなければいけないと思っております」・・・・・
当ブログで何度か取り上げているが、議員定数の削減と公務員人件費削減の行政改革、政治改革を消費税増税の優先的前提とすると最初に公約したのは、私が知る限りでは昨年(2011年)の8月29日の民主党両院議員総会民主党代表選の演説の中でである。
野田首相「先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。
それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」
首相になった暁にはということでの発言だから、首相になった以上、正真正銘の公約となる。
そして昨日の年頭記者会見で、「併せて、今申し上げた一体改革もありますので、まずは隗より始めよう、まず身を切れというのが国民世論だと思います。その世論を重く受け止めるならば併せて定数削減も、早急にしなければならないと思っています。」と似た文言を展開しているが、代表選時の発言と似て非なる中身となっている。
代表選のときの発言はあくまでも、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」を先ず行なって、それでも、「どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と、「国民にご負担」=消費税増税よりも先んじる優先順位を「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」に置いていた。
当然、「どうしてもおカネが足りない」場合の財源不足の規模は「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」等の実現次第で決まってくる。
そして、これも当然なことだが、消費税増税率は財源不足の規模に対応して決まってくることになる。
いわば優先順位をこのようにしますよと公約した。
だが、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」を実現させないうちに増税時期を決め、足りないおカネがどの程度か分からないうちに増税率を既に決めている。
公約違反の何ものでもないはずである。公約違反である以上、消費税増税に大義はないことになる。
だが、昨日の年頭記者会見で自らは消費税増税を大義あることだとしている。
犬童日本経済新聞記者「日本経済新聞の犬童です。総理は野党はこれから呼び掛ければ応じてくれるという期待感を持ってお話をされていると伺いますが、現実問題、消費税法案、これから野党の協力を得て成立させるというのは難しいと、誰がどう見ても難しいと思いますが、局面を打開するにはもう国民の世論しかないと思います。国民の世論をどう総理が引っ張っていくかというところに、今懸かっていると思うんですけれども、総理は国民に問う考えはありますか」
野田首相「難しいと一刀両断でありましたけれども、まさにこれからも野党協議の呼び掛け、合意を得られるかどうか、法案提出できるかどうか、法案が通るかどうか、いろいろハードルはあります。
ちょうど昨日、出身高校の同窓会があったのですが、そのときに手紙をもらいました。世界史の授業を受けていたときの記憶があるかどうかと。それは先の大戦の時のウィンストン・チャーチルの言葉。The most famous six words、覚えているかと。先生が教えてくれたこと、忘れていましたけれども。
それは“Never, never, never, never give up”。私は、大義のあることを諦めないでしっかりと伝えていくならば、局面は変わるというふうに確信をしています」
「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」を先に実現させてから、それでも埋めることができない財源不足の規模とその規模を補うに足る消費税増税率を国民に提示し、説明する、自ら公約とした優先順位を、いわば既に「give up」し、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」を後付けとする怠慢・不作為を棚に上げて、消費税増税を「大義」あることだとし、“Never, never, never, never give up”だと強弁している。
常識的に考えるなら、大義なき“Never, never, never, never give up”だと言わざるを得ないはずである。
最後に、冒頭発言で、「昭和36年に日本の社会保障制度の根幹はできました。国民皆年金、国民皆保険。しかし、その後急速な少子高齢化によって、かなり今は様々なひずみが出てきているだろうと思っています」と発言しているが、だとしたら、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」と同等に少子高齢化対策が必要となり、今更ながらに「社会保障と税の一体改革」の中で取り上げるのではなく、民主党政権発足と同時に取り上げていなければならない政策のはずだが、民主党政権2年の間に何ら実効性を挙げていないことを伝えている記事がある。
《生まれた赤ちゃん 戦後最少に》(NHK NEWS WEB/2011年1月1日 6時4分)
厚労省の推計によると、昨年1年間の出産児は105万7000人、戦後最少で、死亡者より20万人あまり少なかったという。
記事は、〈急速な少子高齢化が進むなかで人口減少が加速していることがうかがえ〉る現象だとしている。
〈1人の女性が一生に産む子どもの数の指標となる「合計特殊出生率」は、おととしの1.39と同じ程度になる可能性が高い〉とは書いてあるものの、105万7000人は一昨年よりも1万4000人少ない数字だという。
死亡者は高齢化と東日本大震災の影響で一昨年よりも推計約6万4000人多い126万1000人。
死亡者の増加に東日本大震災の影響があったとしても、出産児が被災3県以外で増加しているならまだしも、そのことへの言及は記事にはなく、一昨年よりも1万4000人少ない数字は自民党の少子化対策にも責任はあるが、民主党の2年間の少子化対策が何ら実効性を挙げていなかったことの証明にしかならない。
にも関わらず、このことに何ら触れずに野田首相は社会保障制度の様々なひずみの原因に急速な少子高齢化を機械的に挙げているに過ぎない。
記事が伝えている、平成19年から5年連続で出生数が死亡数を下回る「自然減」となっていることが民主党一人の責任ではなく、自民党の責任でもあることを物語っているが、要するに最近始まったわけではない少子化現象に政治自体が何ら機能していなかったということになる。
“Never, never, never, never give up”などと言葉を選ぶよりも、あるいは言葉で格好をつけるよりも、必要とされる政治、あるいは自分が口にした政治を着実に実行していく堅実な政治力こそ国民は望んでいるはずである。 |