政府の原子力災害対策本部や政府・東電事故対策統合本部等、政府の重要会議の議事録が殆ど作成されていなかった不作為・怠慢を法律違反だとする批判を受けてのことなのだろう、岡田副総理が法律違反ではないと言っている。
先ず法律違反批判の一例としての山口公明代表の1月28日(2012年)午前、水戸市で開かれた党の会合での発言。
《山口代表 議事録の問題追及を》(NHK NEWS WEB/2011年1月28日 13時36分)
山口代表「未曾有の震災と原発の事故は日本だけの問題ではない。議事録を残すことは、現在の国民のみならず、将来の国民に対しても負わなければならない責務で、国際社会にも大きな責任を負っている。
政府の行いは明らかに法律違反だ。民主党は、自公政権時代に『情報公開に備え、しっかりと記録を残すべきだ』と強く主張していたにもかかわらず、この体たらくで、あらゆるところにほころびが起きている」
山口代表は国会審議を通じて追及していく考えを示したという。
岡田副総理の法律違反否定発言。同じく1月28日(2012年)《“議事録作成 政府が指針作成も”》
記事は岡田副総理が公文書管理担当だとしている。
岡田副総理「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっているので、ただちに法律違反とは言えない。事後といってもできるだけ速やかに作るべきで、これだけ時間がたっているのはよくないから問題になっている。
なぜ作成されなかったのかという検証の問題と、今後どうするかという問題の2つがある。法律があるのに、省庁によって扱いが全然違うのはよくないので、今後は、公文書を所管する立場で、どの程度の議事録をどういう形で作るか、一定のガイドラインを作ることも考えなければならない」・・・・・
「法律があるのに、省庁によって扱いが全然違うのはよくない」と言っているが、「公文書等の管理に関する法律」は民主党政権交代前の2009年6月24日成立、施行は2011年3月11日東日本大震災発生後の2011年4月1日。
民主党は野党第一党として重要な立場で法案の作成・成立に関わっていたのだから、政権交代後に準備に取りかかっていなければならなかったにも関わらず、自らの怠慢・不作為を省みもせずに、「どの程度の議事録をどういう形で作るか、一定のガイドラインを作ることも考えなければならない」などと今更ながらに言っている。
「公文書等の管理に関する法律」の施行は東日本大震災発生から21日後だからと、2011年3月11日から3月31日までの会議の議事録作成は法律上免れるとしても、4月1日以後の議事録も未作成だったことからすると、施行が東日本大震災発生前だったとしても、同じく未作成で終わったことは容易に予想できる。
岡田副総理は「これだけ時間がたっているのはよくないから問題になっている」と、その点をもっともらしげに取り上げているが、義務づけている法律がありながら、そのことに反して議事録作成の認識がなかったこと自体を取り上げるすべきで、見当違いも甚だしい責任逃れの発言となっている。
マスコミの指摘がなかったなら、いつまでも放置状態は続いただろうことからしても、議事録作成の認識がまるきり持ち合わせていなかったことを証明して余りある。
原理主義者なら原理主義者らしく原理・原則に則って法律の義務づけを厳格に受け止め、議事録作成の認識がなかったために作成に至らなかった責任不履行を潔く認めるべきだが、時間の経過の問題にすり替える、原理主義者からご都合主義者への変身をものの見事に演じている。
また、「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっているので、ただちに法律違反とは言えない」にしても、このことを事実だとしても、次の「事後といってもできるだけ速やかに作るべき」とする発言と前後相矛盾していることに気づいていない。
どのような法律であっても、一つの行為の義務づけに対して行為期間を厳格に規定していない法律は存在するだろうか。いわば「できるだけ速やかに」議事録を作成すべきであるというふうに作成期間を限定しなかった場合、「できるだけ速やかに」が人によって解釈が異なることになって、「できるだけ速やか」の常識的範囲はどの程度だといった新たな条文の作成が必要になる。
当然、二度手間とならないように最初から行為期間を厳格に規定することになるはずだ。
いわば「事後の作成」を許しているとしても、「事後」とはどの程度の期間を以って「事後」とするといった範囲規定がなければ法律は成り立たないはずだ。
当然、岡田発言にも「事後」の範囲の言及がなければならないはずだが、ないばかりか、「できるだけ速やか」でなければならないと、極めて曖昧な期間となっている。
発言のどこからも原理主義者の片鱗は見えないばかりか、ご都合主義者の影ばかりに浮かんでくる。
果たして「公文書等の管理に関する法律」が「事後の作成」を許しているのか、許しているとしたら、どの程度の期間を以って「事後」としているのか、調べてみた。
先ず「第一章 総則」「第一条」(目的)について転載。
〈(目的)
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。〉・・・・
法律による議事録作成の義務づけは、作成した記録の情報公開を通した国民に対する政治の説明責任の遂行を目的としていると書いてある。
この情報公開は政治の透明性確保を逆照射することとなり、両者を暗黙のうちに一体の義務づけとしているはずだ。
とすれば、議事録の作成はその場その場で厳格に作成した正確な内容を備えていなければ、正確な情報公開とはならないし、当然、政治の説明責任を正確に果たすことも、政治の透明性を保証することも不可能となる。
この逆を行くことこそが、原理・原則に則ることになる。
議事録作成の規定は以下である。
〈第二章 行政文書の管理
第一節 文書の作成
第四条 行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。
一 法令の制定又は改廃及びその経緯
二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含
む。)の決定又は了解及びその経緯
三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経
緯
四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五 職員の人事に関する事項 〉・・・・・
これ以外に作成自体に関する規定は何らの記述もない。
「当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない」のどこに「事後の作成」を許可する文言が含まれているというのだろうか。
「事後」のこととして位置づけられている行為は、“合理的な跡付け”及び“合理的な検証”のみであって、行為主体は主として国民である。
行政機関が主体の“文書作成”は特に規定はないが、情報公開、政治の説明責任、政治の透明性を厳格に担保するためには意志決定のプロセスを明確にする必要があり、これらの条件をクリアするためには当然リアルタイムの作成が求められているはずである。
リアルタイムであることから時間を置いた場合、情報自体が変質しない保証はなく、それが変質しなかったとしても、変質したか否かの証明が困難となる。
勿論、リアルタイムの作成であっても、議事録自体を捏造・情報操作することもあり得るが、一度のゴマカシが次のゴマカシを誘う、あるいはゴマカシがどうしようもなく纏うことになるその不自然さによって火のないところに煙は立たずの疑惑を呼び込むことになり、支持率に影響しないことはあるまい。
今回の議事録未作成に関しても、NHKの情報公開請求さえなければ、無事遣り過ごせたかもしれないが、情報公開請求が火を燃やし、煙を立たせた。
岡田副総理は「合理的に跡付け、又は検証することができるよう・・・文書を作成しなければならない」のうちの「跡付け」という言葉を事後の作成を規定する文言と勘違いしたのではないだろうか。
【跡づける】とは「物事の変化していった跡をたどって確かめる」(『大辞林』三省堂)という確認行為、あるいは確認作用を意味している言葉であって、あとから記録する、あるいは作成するという事後の形成行為を意味しているわけではない。
いわば、“追跡”を意味している。事後の必要時に何がどう決められていったか“追跡”して、「合理的に」確認できるようにしておくということであろう。
岡田副総理が実際に原理主義者なら、原理・原則に則って先ず法律違反を謝罪し、それ相応の責任を取ることを最初に持ってくるべきだろう。未作成の議事録作成は、その次のスケジュールとすべきである。
断片的なメモや記憶、あるいは文書化した記録に頼ったとしても、実際の場での意志決定のプロセスの正確な臨場感は望むべくもなく、当然、事後の記録作成では正確さを欠き、何がしかの変質は免れ難いはずだ。 |