野田首相の適材適所を裏切り、不退転が泣く任命責任隠しの信念なき内閣改造

2012-01-14 10:55:07 | Weblog

 昨1月13日(2011年)、野田首相が内閣改造を経て、首相官邸で記者会見を開いた。冒頭発言で、「最善かつ最強の布陣」だと自ら太鼓判を押している。

 野田首相「復興に万全を期すとともに、この際、間もなく通常国会が始まりますけれども、予算を通し、そして昨年来からの大きな命題である復旧・復興を加速させ、原発の事故の収束をさせ、新たな戦いに向かって様々な取組を評価をする、あるいは経済の再生を図るといった野田内閣の当初からの命題の他に行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革という、やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための、今回は改造でございました」

 この論理展開には幾つかのゴマカシがある。

 「野田内閣の当初からの命題」は東日本大震災からの復旧・復興と原発事故の収束、日本経済の再生であったが、行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革が新たに野田内閣の命題に加わったとしている。

 だが、行政改革、政治改革と社会保障改革はマニフェストに公約したことであり、消費税増税を前提とした「社会保障と税の一体改革」は菅前内閣以来命題としていたことで、それを新たに加わった命題とすることはゴマカシ以外の何ものでもない。

 大体が野田首相自身が昨年の8月29日の民主党代表選で、「先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と、間接的な言い回しながら、消費税増税の前提として議員定数の削減と公務員定数の削減、さらに公務員人件費の削減を自らが成し遂げる命題として既に挙げていたのである。

 さらに言うなら、昨年9月2日の首相就任記者会見で、震災からの復旧・復興を野田内閣の最優先課題だとした上に、 「福島の再生なくして日本の再生はございません」とまで言い、徹底的な無駄削減のための行政刷新の推進と税と社会保障の一体改革の与野党協議を経た成案の取り纏めを自らの命題としていたのであり、そうでありながら、新たな命題とすることはやはりゴマカシとしか言いようがない。

 なぜこのようなゴマカシを必要としたかは、あとで述べる。

 これら命題の内、昨年の12月16日に原発事故の収束宣言を出していて、この宣言自体がゴマカシに当たるが、出した以上、引き続いての命題から外すべきだが、未だに加えているゴマカシまでやらかしている。除染や帰宅、風評を含めた放射能被害等はもはや原発事故から切り離して、単なる復旧・復興の中に入れているのだろう。 

 野田内閣が取り組むべき命題が野田内閣発足以来ほぼ変わっていないということなら、当然、9月2日発足時に既に、「やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための」内閣人事でなければならなかった。

 いや、取り組むべき命題が新たに加わろうと加わらなかろうと、一国の首相となって内閣を率いる以上、常に「最善かつ最強の布陣」となる内閣人事でなければならなかった。

 「最善かつ最強の布陣」に反する“最悪かつ最弱の布陣”であったなら、これ程国民をバカにすることはあるまい。

 “最悪かつ最弱の布陣”などとは飛んでもない、「最善かつ最強の布陣」だったからこそ、就任記者会見で、何度も「適材適所」の人事だと断言したはずである。

 適材適所の「最善かつ最強の布陣」だったはずが、就任約4カ月にして、新たな命題が加わったわけでもないにも関わらず、早くも「最善かつ最強の布陣」を取り替える内閣改造を行わなければならなかった。

 いわば内閣発足当時の内閣人事が「最善かつ最強の布陣」ではなかったことの証明以外の何ものでもあるまい。「最善かつ最強の布陣」を敷く内閣人事を一国のリーダーとして野田首相は自らの責任能力としていなかったということの証明でもあろう。

 にも関わらず、改造人事を「最善かつ最強の布陣」だと言う。

 何重ものゴマカシがある。

 就任当初の内閣人事が「適材適所」だと断言しながら、適材適所ではなかったということでもある。「適材適所」と言っていたのはゴマカシであった。

 このゴマカシをゴマカスために野田内閣がこの場に来て取り組むべき命題が新たに加わったとゴマカス必要が生じたに違いない。

 当初からの命題を新たに加わった命題であるかの如くにゴマ化して、その命題に応じた「最善かつ最強の布陣」だとする更なるゴマカシを働かざるを得なかった。

 どの時点で内閣を率いようとも、あるいは取り組むべき命題が何であろうと、一国のリーダーとして首相は常に「最善かつ最強の布陣」と言える内閣人事を行う責任を負う。そのための「適材適所」でなければならない。
 
 もし野田首相が発足内閣でも「最善かつ最強の布陣」の「適材適所」であったとするなら、「不退転」をモットーとし、信念としている以上、発足内閣の人事を守るべきであった。

 そうすることがまた、自らの任命責任を守ることでもあった。

 沖縄を理解しない不適切発言の一川防衛相にしても、マルチ業者との不明朗な関係、不透明な献金の山岡国家公安委員長兼消費者担当相にしても、野党が参議院で問責決議を可決し、更迭を要求しながら、「適材適所」の人事だとして更迭を拒否、擁護したのである。

 今月召集の通常国会で野党の不必要な追及を避けるため、国会を乗り切るためと口実をつけた、要するに政局を理由とした両者の交代ではあるが、「適材適所」を一旦は口にした以上、任命責任も関わってくるゆえに「不退転」の信念を守って、留任させるべきであった。

 野田首相は「不退転」という自らの信念さえも、政局を前にしてそれがメッキでしかないことを、あるいはニセモノでしかないことをさらけ出したのである。

 両者の交代が政局なのは山岡国家公安委員長兼消費者担当相の辞任記者会見の発言が証明してくれる。

 山岡国家公安委員長兼消費者担当相「何となくやり残したことがあり、残念だという気持ちであり、退任は政局だと割り切っている。野田総理大臣からも『瑕疵(かし)は、まったくないと思っているが、政治の動きの中でのことであり、ご理解いただきたい』ということだった。政局のいろいろな部分もあるわけで、それなりの理解はしている」(NHK NEWS WEB

 この発言を翻訳すると、「適材適所だったが、政治の動きの中でのこと、政局だと思って理解していただきたい」と野田首相から引導を渡されたとなる。

 いわば適材適所もクソもない、「最善かつ最強の布陣」もクソもない。すべては政局だということになる。

 では、任命責任はどこでどう位置づけたらいいのか、意味を失することになる。
 
 また、平岡前法相が死刑反対論者で、死刑執行に判を押す動きを見せないことを野党が追及していても、あるいは党内から批判が出ていても、「適材適所」を理由に改造内閣でも留任させるべきだったが、「適材適所」を裏切り、「不退転」の信念を裏切り、辞任に持っていったことも政局優先の「不退転」だったということであろう。

 それが政局であったことは新しく就任した小川法相の記者会見の発言が証明している。 

 小川法相「死刑という刑罰そのものは人の生命を断つという大変重い、厳粛な刑罰なので慎重に考えなければならないと思うが、一方で、それが法律で定められてい職責でもある。大変つらい職務だが、わたしはその職責をしっかりと果たしていくのが責任だと思っている」(NHK NEWS WEB

 平岡前法相の死刑執行に判を押さないことに対する死刑執行に関わる職責遂行の弁であろう。

 いわば死刑執行の是非を基準とした野党や党内受け入れ可能な政局優先の人事変更だということであり、平岡前法相は死刑執行という点で「適材適所」ではなかったということである。

 当然平岡氏を法相に任命した任命責任を問わなければならなくなるが、知らん顔の無視を決め込んでいる。多分、政局しか頭にないから、任命責任だ、適材適所だはどこかに吹っ飛んでしまっているのだろう。

 また、適材適所という観点からではなく、人事の頻繁な交代という観点からも、野田首相はゴマカシ行為、裏切り行為を働いていることになる。

 野田首相は“首相コロコロ交代忌避論者”である。このことは閣僚人事にも反映されなければならない主義・主張であろう。首相はコロコロ代わるべきではないが、閣僚はコロコロ代わっても問題はないとしたら、論理矛盾そのものとなる。コロコロ変わること自体が自らが主張して止まない「適材適所」の予定調和を破る人事であり、「最善かつ最強の布陣」をガラス細工とする倒錯を演じるゴマカシとなる。

 4カ月そこそこで大臣が交代する省庁もたまったものではないし、国内外の公的、民間を問わない交渉相手も担当大臣の頻繁なコロコロ交代は政策の一貫性に疑義を与え、困惑を与えるばかりか、日本の政治の安定性、あるいは日本政治の質の程度に疑いの目を向ける要因ともなるからである。

 要するに閣僚のコロコロ交代は国益に反する人事であることに加えて、自らが信念している「適材適所」の人事とも、「最善かつ最強の布陣」とも矛盾する人事であり、深く任命責任に関わってくるということになる。

 12月4日(2011年)の前原政調会長の大津市での講演発言。

 前原政調会長「(首相が)コロコロ代わるのは、どの政権でも海外では腰を据えて話をできない国と思われ、国益を損なうことになる」

 このことは閣僚についても言えることである。

 2010年7月11日参院選で菅民主党は大敗、衆参ねじれ状況をプレゼントして、与党民主党ばかりか、野党からも一気に菅退陣の声が噴き出た状況に加えて9月の代表選挙に立候補する意向を表明すると、菅退陣の声は一段とかしましく高まることとなった。

 このような状況に対して菅擁護派も声を挙げた。

 7月29日午前、TBSの番組収録。

 岡田外相「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない。長い間やってもらいたいと国民も感じている。菅政権が)スタートしたばかりなのにまた代えるといえば、自民党と一緒だ」 

 2010年7月30日――

 北澤防衛相「わが国の政治のためにも、ひと月やふた月で総理大臣が辞めるというようなことはあってはならない」

 野田財務相「トップがコロコロ変わるのは不安定につながるので、しっかり菅さんを支えたい」(以上NHK NEWS WEB

 野田首相が実力主義の人事、即ち実力のない者は去れを信念としているなら、問題はないが、実力主義ではなく、一定の時間的長さを(菅前首相は自らの実力を顧みずに衆院4年間をあるべき就任期間としていた。)就任の基準としていた以上、自らの閣僚に於いてもこの基準に準ずるべきを、そうなっていない以上、すべてを裏切るゴマカシとして、今回の改造人事があったとしなければならない。

 と言うことは、最初から「適材適所」の人事も任命責任の意識も「不退転」の信念も存在しない内閣人事であり、内閣運営であったと結論づけなければならない。

 このことは改造内閣に於いても引き継ぐはずだから、「最善かつ最強の布陣」だとする人事も、例えそれが事実であっても、野田首相がリーダーである以上、的確な活用も相乗効果も期待できないことになるだろうから、砂上の楼閣で終わるに違いない。

 このことの証明として、野田首相が昨日の記者会見で示した「社会保障と税の一体改革」に対する姿勢を挙げておく。

 関口東京新聞記者「東京新聞の関口と申します。岡田さんは民主党内で小沢一郎元代表と距離を置く存在とされています。元代表を支持する議員からは、消費税増税に批判的な議員が多いとされています。岡田さんの副総理、社会保障と税の一体改革担当大臣への起用については、元代表を支持する議員から党分裂の道を突き進むなどと反発の声が上がっていまして、消費増税の反発をさらに高める可能性があります。総理は今後一体改革の実現に向けてどのように党内融和を図るお考えでしょうか」

 野田首相「今ご指摘いただいたような声って本当に多いんですか。多いですか」

 関口東京新聞記者「あるとは思います」

 野田首相「そこまで、ちょっと私はそんな空気が充満しているとは思わないんですが、少なくとも反なんだとか親なんとかというのはもう止めようというのは、私は代表選挙のときに申し上げたつもりであります。

 誰かが何かのポジションを退いたら退くよなんていうような、了見の狭いようなそういう政治は止めた方が良いです。もし政策で違うんだったら、その政策でものを言えばいいと思いますが、いま誰かさんのグループがこうだからという、私は議論はあり得ないと思います。なぜならば、今回の一体改革を党内で議論でまとめていく過程において、決して別に反対の意見があったわけじゃありません。むしろ慎重な意見で、こんなことをやらなければいけないよという中で、一番多かったのが行政改革です。その行政改革を党内の中で調査会長として中心になってまとめられてこられた方が岡田さんです。その岡田さんが行政改革と税と社会保障の一体改革を、これをパッケージとして、責任を持ってやっていこうというお立場になったことで、むしろそれを期待する人の方が私は多いんではないかというふうに思っておりますので、いまちょっと私は認識が違います」 

 反対意見がないとしていること自体がゴマカシであるが、自らの消費税増税論議を正しいとするなら、全体的な国民の利益を前提としている以上、その正しさを国民に十分に説明して、国民の納得を得、それを支持率に変えることを第一番に持ってきて、その支持率を強力なバックアップとして野党や党内の反対派を説得することを基本的な戦術としなければならないはずだが、そういった正攻法の戦術を取ることができず、自分から「適材適所」も「最善かつ最強の布陣」も任命責任も投げ捨てて政局優先の「了見の狭い」政治を行なっている。

 そしてそのことに気づいていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする