昨日1月24日、民主党の蓮舫女史がツイッターで、〈息子、発熱。気温と体調、わかりやす過ぎ。〉と呟いていた。
私は彼女がどのような呟きを行なっているか知りたくフォローしたが、彼女からはフォロー返しがない。彼女に対して時々皮肉を込めたリツイート行なっている前科者だから、多分ブロックしていて、届かないだろうとは思っていたが、お節介なリツイート。
〈子どもも心配でしょうが、国民も消費税増税で発熱しかかっています。発熱、即生活肺炎に進む心配があります。低所得の老人は特に心配。〉
第180回国会野田首相施政方針演説も同じ昨1月24日(2012年)。
民主党が野党時代の参院で第1党を握っていた衆参ねじれ下で政局優先で何でも反対姿勢、自民党の与野党協議を拒絶しながら、福田元首相や麻生元首相のかつての施政方針演説を逆手に取ったご都合主義からの与野党協議要請には触れないことにする。
以下に言及した政策や美しい表現を取り上げてみる。
「日本再生元年とする」
「国政の重要課題を先送りしてきた『決められない政治』からの脱却が国民に対する政治責任となる」
「今、求められているのは、僅かな違いを喧伝するのではなく、国民の真の利益とこの国の未来を慮(おもんばか)る『大きな政治』、重要な課題を先送りしない『決断する政治』」
「今こそ、『政局』ではなく、『大局』を見据えようではないか」
「ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身で、地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が、今ほど試されている時はない」
「震災からの復興は新しい日本を作り出すという挑戦であって、今を生きる日本人の歴史的な使命である」
「今般の大震災が遺(のこ)した教訓を未来にいかしていくことも、私たちが果たさなければならない歴史的な使命の一つ。もう『想定外』という言葉を言い訳にすることは許されない」
「福島を再生し、美しきふるさとを取り戻す道のりは、これから本格的に始まる」
「私は、内閣総理大臣に就任後、これまで三度、福島を訪れた。山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じがする。日本人誰もが、ふるさとの原型として思い浮かべるような美しい場所です」
「福島の再生なくして、日本の再生なし」
「分厚い中間層の復活」
「中小企業を始めとする企業の競争力と雇用の創出の両立」
「新たな付加価値を生み出す成長の種をまき、新産業の芽を育てていくための環境整備」
「切れ目ない経済財政運営の遂行」
「国家戦略会議を発信主体とした『新成長戦略』の実行加速化」
「『日本再生戦略』の年央までの策定と官民一体となった着実な実行」
「減少する労働力人口を補うという発想からではない、能力尊重からの女性の社会参加と活用」
「日本再生の担い手たる女性が、社会の中で更に輝いてほしいのです」
「21世紀の成長産業となる大きな可能性を秘めた『農業』『エネルギー・環境』『医療・介護』等の分野に於ける新たな需要の創出」
「先に策定した食と農林漁業の再生に向けた『基本方針・行動計画』の政府全体の責任による着実な実行」
「海洋国家たる我が国の存立基盤であり、資源の宝庫である『海洋』や、無限の可能性を持つ『宇宙』は、政府を挙げて取り組んでいく人類全体のフロンティア」
「産官学の英知結集に基づく挑戦を担う『人づくり』への投資強化」
「内外のフロンティアを『夢』から『現実』に変え、日本再生の原動力とするための方策の国家ビジョン策定」
「経済再生のためのエネルギー政策の再構築」
「中長期的な原子力依存度の最大限の低減」
「国民が安心できる中長期的なエネルギー構成構築」
「原発事故の徹底的な原因究明と、その教訓を踏まえた新たな原子力安全行政の確立」
「『国家の矜持』として隗(かい)より始めなければならない政治・行政改革と社会保障・税一体改革の包括的な推進」
「不退転の覚悟で不断に取り組まなければならない行政の無駄遣いの根絶」
「『まだまだ無駄削減の努力が不足している』という国民の皆様のお叱りの声が聞こえます」
「国家公務員給与の約8パーセント削減法案の国会提出」
「大胆な統廃合と機能の最適化による、法人数4割弱減を目指す独立行政法人改革」
「社会資本整備事業特別会計の廃止や全体数半減の特別会計改革」
「国家公務員宿舎今後5年以内25パーセント削減と政府資産の売却」
「聖域なき行政刷新の着実な実施」
「公務員制度改革の引き続いての推進」
「行政サービス効率化と国の行政の無駄削減」
「地域主権改革の着実な具体化」
「国の出先機関の原則廃止に向けた具体的な制度設計と必要な法案の今国会提出」
「1票の格差是正と、衆議院議員定数削減及び関連法案の今国会提出」
「多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた『胴上げ型』の人口構成が今や三人で一人を支える『騎馬戦型』となり、いずれ一人が一人を支える『肩車型』に確実に変化していく少子高齢化社会を踏まえた、と同時に社会保障費の自然増だけで毎年1兆円規模となるゆえにもはや先送りは許されない、人々が安心して暮らすことのできる持続可能な『全世代対応型』への社会保障制度の構築」
「失業や病気などにより、一たび中間層から外れると、元に戻れなくなるとの不安が社会にじわじわと広がっています。このままでは、リスクを取ってフロンティアの開拓に挑戦する心も委縮しかねません。お年寄りが孤独死するような社会であってよいはずがありません。働く世代や子どもの貧困といった悲痛な叫びにも応えなければなりません。
政権交代後、『国民の生活が第一』という基本理念の下、人と人とが支え合い、支え合うことによって生きがいを感じられる社会づくりを目指してきました。全ての人が『居場所と出番』を持ち、温もりあふれる社会を実現するために、社会保障の機能強化が必要なのです」
「総合的な子ども・子育て新システムの構築」
「一体改革の成否にかかっている、若者が『今日より明日が良くなる』という確信を持つことができる第一歩となる社会全体の『希望』の回復」
「消費税増税と低所得層対策としての給付付き税額控除の導入の検討」
「格差是正と所得再分配機能の回復策としての所得税最高税率5パーセント引き上げ」
よくもたくさん並べたものだと感心するが、概ね、以上のような政策課題を並べた。
最後に美しい言葉が並んでいるゆえに、「結び」全文を記載しておく。
野田首相「私は、大好きな日本を守りたいのです。この美しいふるさとを未来に引き継いでいきたいのです。私は、真に日本のためになることを、どこまでも粘り強く訴え続けます。
今年は、日本の正念場です。試練を乗り越えた先に、必ずや『希望と誇りある日本』の光が見えるはずです。
この国は、今を生きる私たちだけのものではありません。未来に向かって永遠の時間を生きていく将来の世代もまた、私たちが守るべき『国民』です。この国を築き、守り、繁栄を導いてきた先人たちは、国の行く末に深く思いを寄せてきました。私たちは、長い長い「歴史のたすき」を継ぎ、次の世代へと渡していかなければなりません。
今、私たちが日本の将来のために、先送りできない課題があります。拍手喝采を受けることはないかもしれません。それでも、先に述べた大きな改革は、必ずやり遂げなければならないのです。
全ての国民を代表する国会議員の皆様。志を立てた初心に立ち返ろうではありませんか。困難な課題を先送りしようとする誘惑に負けてはなりません。次の選挙のことだけを考えるのではなく、次の世代のことを考え抜くのが『政治家』です。そして、この国難のただ中に、国家のかじ取りを任された私たちは、『政治改革か』たる使命を果たさなければなりません。
政治を変えましょう。苦難を乗り越えようとする国民に力を与え、この国の未来を切り拓くために、今こそ「大きな政治」を、「決断する政治」を、共に成し遂げようではありませんか。日本の将来は、私たち政治家の良心にかかっているのです。
国民新党を始めとする与党、各党各会派、そして国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げ、私の施政方針演説といたします」・・・・・
以上のような民主党政権の政策遂行を阻んでいる障害は断るまでもなく菅前首相がプレゼントしていった衆参ねじれである。この障害を取り除く唯一の手段が与野党協議なのはこれまた断るまでもない周知の事実となっている。
野田首相が気づいているのかどうか、多分気づいていないだろうと思うが、野田首相が一国のリーダーとして必要としていることは与野党協議をお願いすることではなく、与野党協議を自らが実現するリーダーシップ(=指導力)の発揮である。
一国のリーダーである以上、常に主体的に働きかけていく存在でなければならないからだ。
お願いする存在としてとどまる間はリーダーシップ(=指導力)は鞘に収めっ放しの抜くことのない、当然、武器としての役目を果たすことのない刀で終わる。他力本願を旨とし、自力本願を属性としないリーダーシップ(=指導力)という逆説を備えることになる。
このことの証明は1月16日(2012年)民主党定期大会の、有名になった例の挨拶に表れている。
野田首相「参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」
口では挑発的なことを言っても、反発を買っただけで、自らが動いて与野党協議を呼びかけ、その開催に説得を試みることを一度もしていない。
また与野党協議実現は首相自身の直接的な働きかけによってのみ可能とするわけではない。「国政の重要課題を先送りしてきた『決められない政治』からの脱却が国民に対する政治責任」だといった素晴らしいことを言っているが、国会で政策を議論し、決定していく過程以前にその政策は国民の信認を初期的に得るプロセスを必要とするはずであり、その初期的第一歩こそが「国民に対する政治の責任」であろう。
政策に対する国民の信認を得て初めて、政治を議論し、決めていく使命と資格を得ることができ、野田首相が言う「決断する政治」を自ら実現可能とすることができる。
もし消費税増税に国民の支持(=信任)を70%も80%も得ていたなら、その支持(=信任)を介して与野党協議を動かすことができるはずだ。
この方法も主体的なリーダーシップ(=指導力)を必要条件とする。消費税増税と社会保障の一体改革に関わる政策実現能力とその政策を国民に説明し、納得を得る情報発信能力は偏に一国のリーダーにかかっている政治的資質であろう。
だが、野田首相は消費税増税に国民の支持(=信任)を得ていないことが祟って、直接的にも間接的にも与野党協議を実現させる能力を発揮できないでいる。
偏にリーダーシップ(=指導力)を欠いているからに他ならない。
野田首相の今回の施政方針演説を美辞麗句に過ぎないと批判できる最大の証明は二つある。
まず一つ目は原発事故との戦い、福島再生に触れて、「 私は、内閣総理大臣に就任後、これまで三度、福島を訪れました。山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じます。日本人誰もが、ふるさとの原型として思い浮かべるような美しい場所です」と情緒豊かに福島の地を紹介し、「生活空間の徹底した除染、住民の皆様の健康管理、食の安全への信頼回復」への取り組みを宣言しているが、除染処理が必ずしも満足に進んでいるわけでないことや瓦礫処理や汚染土壌処理の進捗状況に一言も触れていないことである。
政府が福島県双葉郡内に設置方針の汚染土壌等を保管する中間貯蔵施設は未だ設置場所が決まっていないし、被災地以外の自治体の瓦礫受け入れも殆ど進んでいない。
福島の早急な再生を阻んでいる障害は除染や瓦礫処理であり、除染と瓦礫処理の過程で生じている汚染土壌や高濃度放射能汚染灰であるはずである。
この遅れへの謝罪とこの障害を如何に取り除くかの具体策に言及して初めて、「福島の再生なくして日本の再生なし」への手応えを福島県民のみならず、全国民に印象づけることができるはずである。
だが、肝心の除染も満足に進んでいない、高濃度放射能汚染灰も処理が進まず、一時保管場所に溜まる一方となっている困難な状況にありながら、「福島の再生なくして日本の再生なし」を言うから、言葉が浮いて、奇麗事となってしまう。
多分、「山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音」、「福島の再生なくして日本の再生なし」を言うためには除染や汚染土壌、高濃度放射能汚染灰の処理が満足に進んでいない状況、中間貯蔵施設が一向に決まらない状況、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体がなかなか決まらない状況は都合が悪く、言及するわけにはいかなかったのではないだろうか。
このことは逆説すれば分かる。除染、汚染土壌、高濃度放射能汚染灰、中間貯蔵施設、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体等の進んでいない状況を訴えてから、果たして「山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音」を取り戻すという文脈で訴えたとしても、果たして堂々と訴えることができただろうか。
あるいは声を強くして、「福島の再生なくして日本の再生なし」などと言えただろうか。
そんなことを言う前に除染、汚染土壌、高濃度放射能汚染灰、中間貯蔵施設、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体等の問題が先に進む方策を考えろよと批判を受けるに違いない。
要するに美しい言葉で進んでいない問題を隠したとも言える。
だから、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説だと看做すことになる。
また、「ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身です。地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が、今ほど試されている時はありません」と地域の主体性に期待する発言を行なっているが、単なる地域主権で片付く震災からの復旧・復興、原発事故からの復旧・復興であろうはずはない。国の強力なリーダーシップ(=指導力)なくして地域は主体的な力を発揮することは不可能な大災害である。
この視点がないことからの当然の帰結なのだろう、国の強力なリーダーシップ(=指導力)が示されないまま推移することになり、すべてに遅れを見せることになっている。
このことも都合の悪いことは触れずに都合のいい言葉だけを並べている、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説であることの証明となる。
次に、「多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた『胴上げ型』の人口構成が今や三人で一人を支える『騎馬戦型』となり、いずれ一人が一人を支える『肩車型』に確実に変化していく少子高齢化社会を踏まえた、と同時に社会保障費の自然増だけで毎年1兆円規模となるゆえにもはや先送りは許されない、人々が安心して暮らすことのできる持続可能な「『全世代対応型』への社会保障制度の構築」という文脈で「社会保障と税の一体改革」を訴えているが、このような状況の根底に横たわっている少子高齢化問題を社会保障の観点からのみ見ている。
いわば少子高齢化の現状とその進行の追認に立った社会保障改革という偏頗な認識を示すだけで終わっている。
政府は優遇措置を設けて優秀な外国人を受入れる方針でいるようだが、日本の技術革新や経済成長につなげるのが狙いであって、少子高齢化の解消、出生数の増加、人口増を目的としているわけではない。
OECDの試算によると、日本が2005年水準の生産年齢人口を維持するためには、2005~2010年の期間に年間約50万人の外国人労働者を受け入れる必要があるとしている。
野田首相は「社会保障費の自然増だけで毎年一兆円規模となる状況にある中で、毎年繰り返してきた対症療法は、もう限界です」と言っている。
このような財政状況を前にして果たして少子高齢化の現状とその進行の追認に立った社会保障改革のみで、「『復興を通じた日本再生』という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか」と美しい言葉を使っているが、「日本再生」にしても「国民に対する政治の責任」も実現可能とすることができるのだろうか。
既に「年金一元化」と「最低保障年金」を実現するためにはさらに消費税を上げなければならないと言っているのである。
施政方針演説をいくら美しい言葉で飾り立てようとも、あるいはもっともらしい言葉を並べ立てようとも、政策遂行の障害となっている与野党協議を早急に実現させ得るリーダーシップ(=指導力)さえ発揮できないのである。
そうである以上、際限もない財政悪化と際限もない消費税増税の際限もない悪循環に陥りかねない状況の払拭を確約する施政方針とは決して言えないことになり、美辞麗句満載、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説と批判を受けても当然のこととしなければならない。 |