橋下大阪市長には中央集権体制が日本人のDNAから発しているという認識がない

2012-01-11 09:57:07 | Weblog

 1月8日日曜日放送「たかじんのそこまで言って委員会」は「新春早々緊急提言 たかじんのそこまで言って委員会から日本を変える」をテーマとしていた。提言者の一人として「大阪から日本を変える」をキャッチフレーズとしている橋下徹大阪新市長が登場、「大阪都構想」を通して「日本の国の形を変える」について熱弁を振るった。

 紹介が「大阪新市長」となったことについて、収録が就任の2011年12月19日以前で、まだ市長にはなっていないと言っていたが、就任後のテレビ放送である関係から、番組では「大阪市長」の肩書まま押し通した。

 橋下大阪市長「どんなにいい政策をつくっても、それがどんなに優秀だと言われるリーダーが誕生しても、今の日本の仕組みでは絶対に前へ向いて進むことはできません。

 これは政策と政治家、人です。それから政策を実現する装置、これが三つ合わさって、初めて政策というものは実現できる。

 この仕組って、何やろって言ったら、それが行政の仕組みなんですね。日本のこの行政の仕組みっていうのは、実は、明治時代の廃藩置県以来、明治政府が樹立して以来、なーんにも姿形変わっていないんです。

 これはコンピューターに譬えたら簡単なもんです。あのー、政治家のみなさんは政策ばっかりを語りたがる。政策というのは、コンピューターに言うところのソフトですね。しかし、コンピューター自身が壊れていたら、どんだけいい政策、どんだけいいソフトを開発したとしても、本来動きようにないんです。

 政治家のみなさんは、本当は今この時代に於いてやらなきゃいけないのは、この日本の根幹(「コッカン」と聞こえた。)運営システムを一からつくり直さなきゃいけないんです。

 明治140年前につくられたこの日本の国の仕組みを平成の世に於いてつくり直さなきゃいけないのに、ここを誰もやらない。

 なぜやらないかと言えば、やはりこれは国の形を変えようと思ったら、権力の形を変えるわけですから、ものー凄ーい権力闘争があるわけですよ。今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか。

 でもね、日本の国の形を言い出したらね、言いたいことは山程あるんですが、先ず第一に、今の日本の民主主義は物事を決める民主主義になっていません。物事が決まらないようにしている民主主義なんです。

 誰かに権限を渡さない。責任も渡さない。結局、みんなで話しあって、なーんにも決まらないというのが日本の今の仕組みなんです。

 大阪都構想は今まで大阪府庁、大阪市役所、このバカデカイ役所二つがですね、それぞれ、あのー、お互いの言い分言い争ってですね、なーんにも大阪全体で物事決まらなかったんです。

 大阪府と大阪市のこの戦争、100年戦争と言われていますが、この100年間に、大阪府と大阪市に横たわる問題、千も二千も山程あるんですよ。これを今回大阪都構想の前段階、僕と松井知事で新しい仕組みをつくりますから、この千や二千、大阪に横たわる問題、6カ月で全部解決していきます。これを見せます。

 だから、僕が言っているのは、よく大阪都構想というのは住民サービスがどうなるんだとよく言われるけどね、あんなバカな大学の教授の言うことだとかバカなコメンテーターの言うこと無視して、行っていきます。

 大阪都構想で住民サービスがどうなるんかなんてね、そんな馬鹿なこと考えないでください。物事を決める仕組みなんです。今大阪に課題は山程ありますから、これを決定する仕組みをつくりましたから、この6月までにドンドコ、ドンドコ解決していきます。

 国会見てくださいよ。国の政治、なーんにも決められないじゃないですか。

 そんなに大阪都構想、難しいこと考えないでください。これはなーんかと言えば、今の仕組みを全部ぶっ潰す。ガラガラポンをして、一からつくり直しましょうというのが大阪府庁、大阪市役所、大阪のありとあらゆる仕組みを一回全部崩します」

 桂ざこば「すみません。こういうのがこういうふうになると、言って貰いますか。物凄く分り易く」

 橋下大阪市長「例えば、水道事業については、平松(前大阪市長)さんと3年間話し合っても、結局決まりませんでしたが、今回5分で水道統合決まりました。僕がやるといえば、もう決まりです。後は役所がやります」

 辛坊治郎アナ「今の話はよく分かりましたけど、現実にやろうと思ったら、大阪府は首長(くびちょう)議会過半数ありますから、動きます。ところが、水道事業統合一つにしたって、大阪市議会、3分の2が必要ですね。86議席の内、33しか維新の会、取れていないと。

 現実問題として先に進めようと思ったら、議会で賛成してもらわないと、どうにもならない。どうするんです?」

 橋下大阪市長「物事を進めるには二つの要素が必要でしてね。先ずは統合するという決意を、これを行政側がしっかりと決意していなければなりません。決定した後、今度は議会の承認が必要なんですが、議会の承認はあとは有権者の判断なんですよ。

 だから、もし僕が水道事業の統合をやりたいというふうに決めます。もう決めましたけど。これで議会が反対してきたときに有権者のみなさんが何言ってるんだと、橋下の言うことに賛成しろよと言ってくれれば、議会はそれで動くんです」

 宮崎哲弥「そのー、議会どうなるかっていうことは、いずれ問題になってくる。もしそれに対して、徹底的に抗ってきたら、これは例えばリコールってことも、市民の側が視野に入れる必要があるということですか」

 橋下大阪市長「それはね、有権者が判断するってことです。僕がこれからこれからどんどん改革案を出します。それで議会がどんどん否決してきたら、もうこの議会をどうするか、僕をどうするか。僕を落として貰っても結構ですし、議会を入れ替える。これを有権者の責任だということですね」

 女優山口もえ「橋本さんは大志を持って変えたいという気持がひしひしと伝わってくるが、もう少し上から目線ではなく、下から目線で言うことができませんか、もうちょっと優しい言い方で」といったことを例の舌っ足らずな感じでやんわりと申し出る。周囲が爆笑。橋下も苦笑い。

 橋下大阪市長「権力というものは物凄い力を持っている。権力を変えようと思ったら、下から目線とか、そんなふうじゃあ、無理です。今までの明治時代につくられた仕組みをね、その継ぎはぎ、継ぎはぎでやってきたのが今の日本の現状、もうボロボロです。あと。3年5年経ったら、日本沈没ですよ。

 もしつくり直そうっていうんであれば、これはもう創造的破壊、一回壊して、新しいものを一からつくり直すということをやらないと、何も変わりません。

 だから、僕は次の総選挙、これはどうするかっていうことで、三宅(久之)先生が解散総選挙のあと、じゃあ、あー、民主党をぶっ壊した後に自民党がなるのかどうなのかと、そういうご指摘ありましたけども、一期4年ということをね、決めたメンバーがね、それこそ集結すべきだと思いますよ。一期4年ですよ。

 だから、普段からね、色んな政治の問題とかね、こういうことにギャーギャー、ギャーギャー口ばっかり言っている、口ばっかり出している人が口ばっかりじゃなくて、本当に一期をね、この期間だけ限定で、みんなが集まるってことをやるかどうか、もうこれしかね、日本は救えないですよ。

 これにね、またコメンテーターとか、また学者とか、学者さんがね、ワアーワアー文句ばっかり言っているような世の中じゃ・・・・」

 宮崎哲弥「僕も口ばっかの人間だけど」と言いながら、大阪府の教育は府教育委員会の決定ではなく、首長の決定とすべきだと前々から主張してきたといったことを発言。

 橋下大阪市長「教育委員会制度を変えようとしたら、どうなったか。僕らどうなったかと言ったら、教職員組合がフル稼働して、それはビラ配りから何から、凄かったんですよ。

 公務員制度改革やろうとしたら、どうなったか。大阪市役所の職員組合が、まあー、それはもう、みんな動いてですよ、橋下潰せで動くわけですよ。

 じゃあ、これを役所自体を変えていこうってなれば、今の大阪市役所で利益を得ている人たちは猛抵抗するわけですよ。大阪市役所と大阪府庁、たった二つの役所の再編成ができないのに何か国の形を変えれるんですか。

 国会の議員はみんな言うんですよ。選挙があったら、日本を変える、国の形を変える。それでいて、変えれない。大阪府庁、大阪市役所、役所の再編だけでも、血みどろの戦(いくさ)ですよ

 これをね、日本全体でやらないと、日本の再生はないです。

 で、やろうと思えば、今の国会議員では無理ですから、一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループをつくって、あとはみなさん(パネラーに)、口先だけなんて言わずに、やってくださいよ」

 (以下省略)

 以上、橋下市長は物事が何も決まらない「日本の国の形を変える」には「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」を一からつくり直さなければならないと熱く語った。

 この「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」とは、直接的には「中央集権」という言葉遣いはしていないが、日本の政治決定システムが明治の以来の中央集権体制にあると言っていることと同じであるのは、2011年12月5日当ブログ記事――《橋下徹「国の形を変える」の可能性の阻害要件は簡単には変わらない日本人の権威主義性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げた大阪府知事時代の橋下氏の発言が証明している。

 橋下大阪府知事「国と地方は奴隷関係。(奴隷側に)公民権を。(地方自治体に)拒否権とか議決権を制度として与えてほしい」(時事ドットコム/2009年7月8日(水)14:03)

 ここでも直接的には「中央集権」という言葉は使っていないが、「国と地方は奴隷関係」とは中央(=国)が地方を支配し、地方が中央(=国)に支配され、従属する中央集権体制の関係に他ならないはずだ。

 確かに政治体制は明治維新以降、近代化され、西洋の制度を多く取り入れたものの、国という中央を支配的な上の位置に置き、地方を従属的な下の位置に置いて国という中央が自らに権力を集中して地方を支配・従属させる中央集権の政治体制を西欧化・近代化に反して戦後の現在も引きずっているということは、誰でもない、日本人自身がつくり上げた政治体制と見做さざるを得ないはずである。

 いわば日本人性が反映した中央集権体制であって、国を上に置き、地方を下に置く中央集権の上下の価値観に相互対応する日本人性とは上が下を従わせ、下が上に従う、日本人が自らの行動様式とし、思考様式としている権威主義を措いて他にはないはずだ。

 いわば中央集権体制を構築させているそもそもの精神構造は日本人が血とし肉としている権威主義の行動様式・思考様式から発して、その反映としてあるということである。

 そうである以上、明治の廃藩置県以来の中央集権体制ではなく、明治維新以前の封建時代――中央が地方支配を確立し、歴史的にも証明されている中央集権国家たる6世紀以降の大和政権に始まって飛鳥・奈良・平安と続いて明治政府もその例に漏れず、今日に至るまで生き永らえた中央集権体制と見做さなければならない。

 江戸幕府時代は各藩は独立の領地を持つといってもタテマエ上であって、領地の規模、転封、移封、減封は幕府の意向次第で決定されたし、藩主の任命自体が申し出た継承の最終決定権は幕府にあった純然たる中央集権国家であった。

 日本人が権威主義の行動様式・思考様式を血とし肉としていることは次のように譬えることができる。明治維新で西欧化・近代化を目指して西洋の文物・制度を多く取り入れた。だが、歴史的に引きずってきた権威主義を払拭できず、西欧化・近代化は和服から替えたズボンや靴や背広といった身体の表面を覆う衣装で終わり、封建時代以来の中央集権制制度を明治維新を跨いで踏襲するに至った。

 また、日中戦争、太平洋戦争で歴史的にも国家的にも手痛い敗北を喫し、戦後アメリカによって民主主義と自由・平等の思想を植え付けられながら、それは明治維新のときと同じように身につける衣装で終わり、精神とするまでに至らず、中央集権制度を戦後も政治体制とすることとなった。

 日本人が権威主義の行動様式・思考様式を血とし肉としているからに他ならない。本質のところでどのような時代の波も受けつけなかった原因がそこにある。

 となると、橋下市長が「大阪から国を変える」といくらいきり立っても、一筋縄でいかないことになる。

 最近地方分権が騒がしく言われ、国から地方への権限移譲の要求が高まっているが、2006年8月4日当ブログ記事――《日本人性の反映としてある国と地方の関係- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたように国の権限を地方の中央を形成している都道府県が握って、その“中央”から見た市町村という“地方”に対して中央集権体制を敷いたなら、中央集権体制の国から地方への移譲で終わるのみで、国を根本的に変えることにはならない。

 何しろ日本人性としてある中央集権体制である。日本人の権威主義的行動様式・思考様式と相互照射し合っている中央集権であって、明治維新や戦後と同様に単に表面的な変化で終わりかねない。

 橋下市長は「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」として説明している中央集権体制が日本人性から発しているということに強く意識して、一人ひとりの意識の変革を求めることをしなかったなら、制度そものを変えることができたしても、明治維新や戦後の二の舞を繰返すことになるに違いない。
 
 当然、橋下市長の大阪都構想を通して日本の国を変えるという主張には中央集権体制は日本人のDNAとしてある権威主義性から発しているという認識に立った主張でなければならないことになるはずだが、その認識もなく持論を述べているように見える。

 当然、その主張には矛盾が生じる。

 橋下市長は「大阪都構想」とは「物事を決める仕組み」を変えることであって、「大阪都構想で住民サービスがどうなるんか」を、いわば変えることではないと言っている。

 「大阪都構想で住民サービスがどうなるんかなんてね、そんな馬鹿なこと考えないでください」と言っている。橋下政治は住民サービスなど眼中にないと言っているに等しい。

 だが、橋下氏は「今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか」という表現で行政での既得権益化を伝えているが、実質的には「物事を決める仕組み変える」ということは行政の既得権益を剥がして、住民の権益とするということでなければならないはずだ。

 その認識もなく、大阪府や大阪市が国の手を離れた場所で「物事を決める仕組み」をどのように変えたとしても、それが従来どおりの中央集権体制を根付かせて、大阪府や大阪市が国に代わって単に頂点に立ったというだけのことなら、国が省益や政官業癒着を優先させたように下に位置する住民よりも上に位置する府や市の利益を優先させる政治を行うことになる。

 中央集権体制とはそういうものである。国を地方の上に置くだけではなく、国民主権と言いながら、国家を国民(=住民)の上に置いているのが中央集権体制でもあるからだ。

 橋下氏は「大阪都構想」によって「物事を決める仕組み」を変えることは最終的には「住民サービスがどうなるんか」という住民サービスの向上に行き着くと言って初めて中央集権体制を離れて住民主権(国の立場から言うと、国民主権)の政治とすることができる。

 そうでなければ、「物事を決める仕組み」をいくら変えようと、意味を成さないはずだ。

 また水道事業統合について、「例えば、水道事業については、平松(前大阪市長)さんと3年間話し合っても、結局決まりませんでしたが、今回5分で水道統合決まりました。僕がやるといえば、もう決まりです。後は役所がやります」と言っているが、これは単に大阪府、あるいは大阪市を頂点とした(多分橋下氏と松井府知事の力関係から見て、大阪市を頂点に立たしめているのだろう)中央集権による上からの制度のつくり替えを説明したに過ぎない。

 統合以前と比較して統合後は制度のつくり替えによって大阪市民にどれ程の利益となるか、「住民サービスがどうなるんか」、いわばどんな渇水期にも給水を切らさず、水道料をこれだけ安くできるといった具体的、懇切な説明を行なって、中身の制度のつくり替えを証明しないことには事業統合は権益を行政から住民に付け替えたことにはならない。

 「大阪都構想」実現には地方自治法等の改正といった国の支援が必要となる。国の支援を受けることができない場合、次の総選挙で維新の会から立候補者を送り、当選させた数の勢いで国に法律改正を迫る構えでいる。

 それが、「一期4年ということをね、決めたメンバーがね、それこそ集結すべきだと思いますよ。一期4年ですよ」という発言となり、「やろうと思えば、今の国会議員では無理ですから、一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループをつくって、あとはみなさん(パネラーに)、口先だけなんて言わずに、やってくださいよ」という発言となって現れている。

 だが、「国の形を変えようと思ったら、権力の形を変えるわけですから、ものー凄ーい権力闘争があるわけですよ。今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか」と自身も言っているように日本の中央集権体制は明治維新でも戦後の民主化でも変えることができなかった程に牢固とした強靭さを誇って眼前に立ち塞がっている。

 だからこその「今の国会議員では無理ですから」の認識だと思うが、「一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループ」は現在議席を占めている「今の国会議員」の多くを押しのけて、他党の賛同者も含めて過半数を占めなければ法律一本も通せないことになる。

 このことは辛坊アナが「大阪市議会、3分の2が必要」と言っていたことに対応する困難であるが、国会の場合、より多くの困難さが付き纏うことになる。

 このことを証明しているのが国民新党の郵政改革法案であろう。与党の一角を締めながら、少数政党であることと参議院与野党逆転状況が障害となって、今以て法案を通すことができないでいる。

 議員は選挙民と簡単には解(ほど)くことのできない様々な利害で結びついている。血縁関係からの結びつき、地縁関係からの結びつき、利益供与等の経済的利害からの結びつき等々、一朝一夕には排除できない利害関係である。

 いわばそれぞれが既得権益という利害で動く。大阪都構想と結びついて、遠く離れた選挙区でも選挙で当選を約束してくれる既得権益ともなって、従来の既得権益とプラスマイナスプラスが大きく上回るなら賛成もするだろうが、日本の中央集権体制が日本人のDNAとしてある権威主義性から発しているという認識がないことに加えて、鼻息の荒さだけは窺うことができるが、どおうも楽天的に過ぎるように思える。

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