菅首相の「原発周辺10年、20年住めない」発言の真偽を改めて検証してみる

2012-01-08 09:47:26 | Weblog

 改めての検証を思い立ったのは次の記事を見たからである。《最悪シナリオ、福島事故後に検討 政府は公表せず》47NEWS/2012/01/06 13:51【共同通信】)

 本題と少々外れるが、細野原発事故担当相の12月6日(2011年)閣議後の記者会見で、〈福島第1原発事故発生後、1号機の原子炉が爆発して制御不能となり、4号機の使用済み燃料プールから水がなくなり、燃料が損傷する事態を想定した「最悪のシナリオ」を政府内で作成していたことを明らかにした〉という。

 この「最悪シナリオ」は当時の菅首相の指示で近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に作成し、その報告書を菅に提出。

 後に触れる「毎日jp」の「最悪シナリオ」の記述は、〈さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになると試算していた。〉となっている。

 政府がこのシナリオを公表しなかった理由について。

 細野原発事故担当相「想定しにくいシナリオをあえて描いたもので、過度な、必要ない心配をさせる可能性があった。当時の対応として間違ったことはしていない」

 なぜ、「想定しにくいシナリオをあえて描いた」のだろうか。多分、危機管理上、想定外を想定内と看做して最悪のシナリオを想定したということなのだろうが、だとしたら、最悪のシナリオに対する防御方法も想定しないことには危機管理とはならない。

 断るまでもなく危機を管理するシナリオまで想定することを危機管理と言い、想定した危機が万が一にも実際に発生した場合、想定した危機管理のシナリオに則って、ときには臨機応変の機転を加えて危機を管理することを危機管理と言うからだ。

 この危機管理には原子炉のコントロールとコントロールしきれなかった場合の住民避難の的確なコントロールも想定に入れていなけれがならない。

 このことを言い換えると、危機管理とは想定した危機が現実に起きた場合を前提として前以て対策を練ることを言うはずだ。

 当然、危機管理上、「想定しにくいシナリオをあえて描いた」としたなら、危機を管理する防御のシナリオも同時に描いていた(=想定していた)はずで、万が一にもその想定外の危機が現実のものとなったとしても、公表していなかった場合、突発的危機として住民を襲うこととなって却ってパニックを誘発することになるが、公表していた場合は当座はある程度のパニックを誘うだろうが、住民は前以て公表されていた避難方法に則って避難を心がけようとするだろうから、却ってパニックを制御する働きをするはずだ。

 いわば、「過度な、必要ない心配をさせる可能性」を想定して公表しなかったことが却って仇となりかねない。

 細野のこの発言は3月11日(2011年)東日本大震災発生直後から「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を作動させて放射性物質の拡散状況を予測していながら、公表もせず、住民避難に役立てもしなかった政府の対応を釈明して、細野が「公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実体であります」と言っていたことに通じるものがある。

 公表しないままの住民避難指示であっても、パニックは起きなかったが、だからと言って、公表したならパニックは必ず起こったとする保証はない。

 公表しなかったことによって、放射性物質の拡散方向に住民は避難し、例え少量であっても、却って被曝させているのである。

 この近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に「最悪シナリオ」を作成したという事実は「毎日jp」が12月24日付で報じ、「YOMIURI ONLINE」が12月31日付で既に報じている。

 《福島第1原発:「最悪シナリオ」原子力委員長が3月に作成》(2011年12月24日 15時10分)

 この記事は2011年12月25日当ブログ記事――《菅直人の一国のリーダーとしての仮面・元市民派としての仮面が剥がれていく - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で別のテーマで既に利用している

 「毎日jp」は報告書の無公表については何も触れていないが、「YOMIURI ONLINE」記事は政府関係者の発言として触れている。

 政府関係者「最悪の事態が起きても避難する時間的余裕はあり、パニックを防ぐため報告書は公表しなかった」

 「避難する時間的余裕」があるなら、そのことを周知させて、住民の側からの、あるいは国民の側からのこのような場合の危機管理の学習のためにも公表すべきだったろう。

 公表によって住民が次々に避難を開始するパニックが起きたとしても、正しいことだったのかそうでなかったのかを学習するための経験及び機会となるはずである。

 近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に「最悪シナリオ」を作成し、当時の菅首相に報告した。

 2011年4月14日当ブログ記事――《菅首相の「原発周辺10年、20年住めない」発言の真偽を解く - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたが、松本健一内閣府参与が、菅首相が「原発周辺は10年、20年住めない」と言ったと発言したのは近藤駿介・原子力委員長の「最悪シナリオ」作成の3月25日から19日後の4月13日である。

 松本参与「(福島第1原発から)放射能が漏れ続け、土地が汚染され続けると、復興をそこで考えることはできない。そこの人々は当面戻ることができないので、新しい都市を内陸部につくって、5万人とか10万人とかの規模のエコタウンをつくるという復興の方向があるだろうと(首相に)申し上げた。

 原発の周囲30キロ辺り、場合によっては飯舘村のように30キロ以上のところもあるが、そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる。そういう人々を住まわせる都市を、エコタウンを考えなければならないということを(首相は)言っていた」(時事ドットコム

 だが、菅首相は自分は言っていないと発言を否定し、松本内閣府参与は後に自分の発言だと訂正している。

 菅首相は報告書の中の、〈さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになる〉とする試算を目に触れていたはずである。

 勿論、あくまでも危機管理上の「最悪シナリオ」――想定外の想定であって、現実の事態とはなっていないが、頭の隅に認識だけはしていたはずである。

 認識していたと考えると、住民の帰宅時期に少なくとも敏感にならざるを得ないはずである。

 菅直人の人格を考えると、実際に頭を悩ましていたかどうか分からないが、放射能汚染濃度に応じて最も除染困難な地域の帰宅がいつになるか、頭を悩ますことになる。

 少なくとも首相として、帰宅のシナリオを策定しなければならない。

 しかも東京工業大学理学部応用物理学科を卒業していて、3月16日(2011年)首相官邸で笹森清内閣特別顧問と会談、「僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ」(asahi.com)と発言したことが笹森特別顧問を通じて伝えられている。

 自身も考えていた帰宅のシナリオであろう。

 一方、松本健一内閣府参与は東京大学経済学部卒業、現在、麗澤大学比較文明文化研究センター所長であり、麗澤大学経済学部教授を務めていて、評論や思想等を文筆してはいるが、原子力に関してはシロウトである。

 原子力にシロウトの内閣府参与が「原子力に強い」一国の首相にして原子力災害対策本部長に向かって、「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」などと発言できるだろうか。
 
 少なくとも菅首相の何らかの示唆を受けた、示唆に応える形式の「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってきますね」でなくてはならない。

 そして政府は8月27日(2011年)の福島県との定期協議の初会合で、年間推定被曝量100ミリシーベルト地域は除染などの作業を行わなかった場合、政府目標の年間20ミリシーベルト以下になるのにおよそ10年かかり、150ミリシーベルトの地域ではおよそ20年かかるという試算を示した。《政府 長期間帰宅困難な地域も》NHK NEWS WEB/2011年8月27日 19時52分)

 政府の責任として除染を行った場合の試算を示すべきを、その責任を放棄して、「除染などの作業を行わなかった場合」という条件をつけたということは3月11日原発事故発生から5カ月を要した8月27日の時点になっても、除染の具体的な進捗状況を正確には把握できていないことを何よりも物語っているはずである。

 正確に把握できたいたなら、「除染などの作業を行わなかった場合」などという条件をわざわざつけはしない。除染を行ったとしても、150ミリシーベルト地域に於ける20年を15年に短縮できるか、10年に短縮できるか、明確には分からないということである。

 このことは細野発言が証明している。
 
 細野原発事故担当相「この期間を今後、除染によって、どれくらい前倒しして短くできるかについて、自治体とも協力して挑戦したい。かなり長期にわたってなかなか帰宅が難しい方が出てくる現実は、直視しなければならない」・・・・

 「直視しなければならない」ということは否定することはできないの意味であるはずである。

 菅首相「原子力発電所そのものは、だんだん落ち着いてきているが、早い段階で放出してしまった放射性物質の影響が、いろいろな形で広がっている。除染の問題にしっかりと取り組み、皆さんが元にいた所に帰っていただけるよう、全力を挙げて取り組むことを約束したい。政府としての役割は、必ず、次の総理大臣にきっちりと引き継ぎたい」

 「除染によって、どれくらい前倒しして短くできるか」不明であるにもかかわらず、その点を言葉の約束で埋め合わせている責任感覚は決して立派なものとは言えない。

 4月13日の「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」が誰の発言であっても、8月27日の時点以上に除染の具体的な進捗状況が正確には把握できていない事態下の発言であった。

 なおさらに帰宅時期が把握困難であったはずで、そのような困難を反映した「10年住めないのか、20年住めないのか」云々だとしたら、納得できる年数ということになるが、同時に発言の主体はなおさらに帰宅に責任を負う菅首相でなければならないことになる。

 どう見ても、菅首相が責任回避意識から自分の発言ではないと嘘をついた一騒動だと見做さざるを得ない。

 以上はあくまでも状況証拠に基づいた揣摩憶測に近い検証に過ぎないが、一国のリーダーの資質を占う責任意識、あるいはその逆の責任回避意識に関わってくる問題である。

 どうしても疎かにできない思いで、改めて取り上げてみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする