岩手県矢巾町イジメ自殺の中2男子の明るい表情と死の仄めかしのギャップの理由を知ろうとしなかった担任

2015-07-27 09:49:35 | 教育

 岩手県矢巾町中2男子イジメ自殺で、担任女教師が生活記録ノートに書いた自殺を仄めかす文章と教室での中2男子の言葉や表情にギャップを感じ、本当に自殺するとまでは予期できなかったとの趣旨の説明をしていることが分かったと7月25日付の「毎日jp」が伝えている。 

 6月29日の「生活記録ノート」

 男子生徒「ボクがいつ消えるかわかりません。ですが先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます。ただ、もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」

 担任女性教師「明日からの研修たのしみましょうね」

 男子生徒の訴えに対する、それとは余りにも脈絡のない担任女性教師のアッケカランとした反応についての自己正当化の弁解である。

 記事は関係者の話として伝えている。多分、担任教師から聞き取りを行った一人なのだろう。

 担任教師が6月29日の中2男子の記録を確認したのはノートの提出を受けた6月30日の給食の時間帯であったという。

 時間節約のために昼食を取りながら「生活記録ノート」に目を通していたのかもしれない。あるいはそうすることを習慣としていたのかもしれない。

 担任席の近くに中2男子の席があるため様子を観察したが、笑顔で友人と話しており、食欲もあるように見えた。

 担任は給食の後、中2男子を呼んで状態を尋ねた。

 中2男子「大丈夫です。心配しないでください」(といった趣旨の言葉を返した)

 その直後、バスの席など翌日に控えた研修旅行に会話の内容が変わったことから、担任はノートに「明日からの研修たのしみましょうね」と書いた。

 記事は最後に中2男子が、〈それ以前にもノートに自殺をほのめかす記載をしていたが、担任は同様に村松さんが明るく振る舞っているように見えたので、本当に自殺すると思わず、生活指導担当の教諭や、定期的に訪問してくるスクールカウンセラーに報告や相談はしていなかった〉と説明していると書いている。

 これで中2男子の自殺仄めかしの書き込みに対する余りにも脈絡のないアッケカランとした担任女性教師の反応に納得がいく――というわけには全然いかない。

 一応の筋道は通っている。だが、余りにも表面的な反応に過ぎる。中2男子の給食中の様子と給食後に交わした言葉の内容を単に表面的に観察して表面的な答を導き出したに過ぎない。それだけのことである。

 教室では明るい様子をしているのに、では、なぜ「生活記録ノート」に死を仄めかす記述をするのか、疑問の一カケラも持たなかった。教室で見せている姿と「生活記録ノート」で見せている姿の落差(=ギャップ)について自らに問いかけることは何もしなかった。

 学校教師になるについては大学の教育学部で児童心理学等の人間心理学を学んでいて、人間がときには本心とは異なる姿を見せるものだということ、あるいは本心を隠して別の心を見せるものだということを学んだはずだが、教室での明るい様子を以てして「生活記録ノート」で見せていた姿をあっさりと打ち消してしまった。

 あるいは学校教育者である以上、イジメの心理学を学んでいなければならないはずだが、学んでいれば、イジメる側の心理とイジメを受ける側の心理をそれなりに把握することになるはずだが、それすらも学んでいなかった。

 学んでいたとしても、知識・情報として活用するまでに至っていなかった。

 例えば1994年11月27日に自宅裏の柿の木で首を吊った愛知県西尾市の中2男子大河内清輝君のイジメ自殺事件は小学校6年生の頃からイジメが始まり、それが自殺するまで続いていたことに学校は的確に対応できなかったのだが、その一つの原因は学校側がイジメを疑いながら、人間がときには本心とは異なる姿を見せるものだということ、あるいは本心を隠して別の心を見せるものだという人間心理に何ら思いを致すことなく、本人の否定を額面通りに否定と受け止めたことにもあるはずだ。

 自殺した年の1994年9月16日、学年回で清輝君の様子について話し合った時、養護教諭は「視線が定まらなかったり、体の揺れがとまらなかったことがあった」と報告して心理テストの実施を勧めた。

 翌9月17日、心理テスト実施。清輝君は「友達はいい人、クラスのみんなは優しい。将来はいい高校、いい大学に入り、いい会社に入りたい。勉強は大切、成績は上げたい」と書いた。

 自殺の2カ月と10日前だから、イジメに苦しい思いをしていたはずなのに、友達の中に置かれている真の自分の姿を自ら否定して、日々楽しく学校生活を送っているかのような別の姿を見せた。

 養護教諭のみが清輝くんは自分を偽っているのではないかとい疑った。視線が定まらないこと、体を不自然に揺らしていることと心理テストで見せた姿の落差(=ギャップ)の違いを疑ってのことなのだろう、ますます心配になって、学年の先生に相談してカウンセリングを受けることを勧めたということだが、清輝くんの叔母が「清輝はカウンセリングを受けさせず、家庭で話し合う」としたことから、カウンセリングの話はそのままになってしまった。

 9月22日、17日から家出していたイジメグループの数名が刈谷市刈谷署に保護され、このうちの1人が乗っていた自転車が盗難自転車で、「清輝君が8月下旬に盗んだもの」と話した。

 9月24日、清輝君と父親が刈谷署に出頭。その後、学校に行き「自転車は同級生に取らされた」と報告した。父親はその席で「8月に岡崎で自分で転んで自分の自転車を壊したと言っているが、自転車の壊れはイジメでないか調べてほしい」と話した。

 担任が清輝くんに父親の言ったことを尋ねると、イジメを否定、「自分で転んだために壊れた」と最後まで言い通したという。

 「自転車は同級生に取らされた」と言うことは同級生と清輝くんの関係が同級生の命令を断った場合、身体的及び精神的な何らかの不利、あるいはダメージを被る恐れのある支配と従属の関係にあるということであり、そのような関係になかったら、同級生は自転車を取って来いと命令することもないだろうから、一応は支配と従属の関係を疑って、そのような関係と「自分で転んだため」としている自転車の壊れた理由を関連づけたとき、清輝くんの言い分を額面通りに受け取らずに一度は疑ってみる必要があるのだが、そこに何ら疑いを生じさせずに否定を額面通りに否定とのみ把えて、否定から何も推察することはしなかった。

 清輝くんが教師たちに見せている姿を見せている姿どおりだと受け止めて、本心を隠して別の心を見せている姿だとは一切疑わなかった。

 2011年10月11日朝、イジメを受けて自宅マンションから飛び降りて自殺した大津市の中2男子の場合も、男性担任教諭が9月以降、「いじめがある」との噂を別の生徒から聞き、男子生徒と同級生との喧嘩のような姿も目撃、男子生徒に直接確認したところ、男子生徒は「大丈夫。同級生とも仲よくしたい」と話したために担任教師はそれ以上調査しなかった。

 その他の多くのイジメ自殺でも、イジメを受けている児童・生徒は報復の恐れやプライドから、あるいは親に心配をかけさせたくない思いなどから自身の本心を隠してイジメを否定し、他人の前では明るく振舞ったりする例を数多く見ることができる。

 だが、岩手県矢巾町中の自殺した中2男子担任の女性教師は過去のイジメ事件からイジメを受ける生徒のそういった姿を何も学んでいなかったか、学んでいたとしても、知識・情報として活用するまでに至っていなかったために(後者は何も学んでいないことと同じになる)普段の姿と「生活記録ノート」で見せている姿の落差(=ギャップ)に疑問を抱いて答を見つけ出す努力をせず、中2男子が普段は明るく振舞っていることを以って生活指導担当教諭やスクールカウンセラーに報告や相談もしていなかったことの弁解とした。

 そのように弁解すること自体が過去のイジメから何も学んでいなかった、あるいは学んでいたとしてもその知識・情報を活用できていなかった、そのいずれかに気づいていないことの証拠としかならない。

 学校教師という立場にある人間の何も学んでいないという姿勢の逆説は何を物語るのだろう。

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