安倍晋三が7月28日の参議院特別委員会で自身の戦後70年談話について次のように述べたという。
安倍晋三「70年前、日本は敗戦を迎え、二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという決意の下に戦後、平和国家としての歩みを進めてきた。自由で民主的な国を作り、基本的人権そして法の支配を尊んできた。同時に、また、まだ日本が貧しい時代から、地域やアジアの発展のために貢献もしてきた。
まさに70年前の痛切な反省のうえに、日本は自国そして地域の平和維持のためにしっかりと貢献しなければならない。今後、さらに、地域や世界の平和と安定のために、より一層貢献していくという積極的平和主義の旗を掲げながら、よりよき世界を作っていくために貢献していく、そういうメッセージを発信していきたい」(NHK NEWS WEB)
安倍晋三は「70年前、日本は敗戦を迎え、二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという決意の下に戦後、平和国家としての歩みを進めてきた」と言っている。
だが、このように言う資格は日本の過去の戦争、過去の歴史に謙虚に向き合い、謙虚な反省を示す姿勢を持って者に限られる。謙虚に向き合いもせず、謙虚な反省を示さない者が“戦後日本の平和国家としての歩み”を語る資格があるだろうか。
もしそのような者が語ったとしたら、謙虚な反省を欠いたまま「二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという決意」を示していることになり、その決意を口先だけの偽りと見做さないわけにはいかない。
果して安倍晋三は日本の過去の戦争、過去の歴史に謙虚に向き合い、謙虚な反省を常に胸に抱いていて、そういう姿勢の保持によってホンモノの意志とすることのできる「二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという決意」を多くの国民と共に分ち合っていることで初めて語る資格を得る“戦後日本の平和国家としての歩み”を機会あるごとに常套句のように口にしているのだろうか。
一例を挙げるだけで十分である。何度かブログに書いてきたことだが、安倍晋三は日本の戦争について2014年3月3日午後の参議院予算委で次のように答弁している。
安倍晋三「安部内閣としてはですね、侵略や植民地支配を否定してきたことは勿論、一度もないわけでありまして、その上に於い て累次の機会に申し上げてきたとおりですね、『わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた』、その認識 に於いては、安部内閣としても同じであり、これまでの歴代内閣の立場を引き継いでいるということであります」
「侵略や植民地支配を否定してきたことは勿論、一度もない」――
この1年前の2013年4月23日の参院予算委では日本の戦争について次のように発言している。
安倍晋三「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」
同じ年の2013年5月8日午前中の参議院予算員会でも同じ趣旨のことを述べている。
安倍晋三「侵略の定義は、学問的なフィールドで様々な議論があり、政治家としてそこに立ち入ることはしないということを申し上げた。絶対的な定義は学問的には決まっていないということを申し上げた。
かつて多くの国々、とりわけアジアの人々に、多大な損害と苦痛を与えたことは過去の内閣と同じ認識だ。その深刻な反省から、戦後の歩みを始め、自由と民主主義、基本的な人権をしっかりと守り、多くの国と共有する普遍的な価値を広げる努力もしてきた」
安倍晋三は先ず「侵略や植民地支配を否定してきたことは勿論、一度もない」と言っている。日本の戦争がさも侵略や植民地支配の戦争だと肯定しているかのように聞こえる。
だが、「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で見方によって違ってくる」という言い方で、あるいは「侵略の定義は、学問的なフィールドで様々な議論があり、絶対的な定義は学問的には決まっていない」との口実で、日本の戦争が侵略や植民地支配の戦争であるかどうかを歴史認識する判断から離れた場所に自分を立たせている。
そのことが「政治家としてそこに立ち入ることはしない」と言っていることに当たる。
侵略の「絶対的な定義は学問的には決まっていない」としている、あるいは侵略かどうかは「国と国との関係で見方が違ってくる」としている安倍晋三の言い分を認めるとしたら、日本の戦争が侵略、あるいは植民地支配の戦争であるかどうかの歴史認識は不可能ということになる。いわば肯定も否定もできない。
だが、安倍晋三は「侵略や植民地支配を否定してきたことは勿論、一度もない」という表現で日本の戦争が侵略、あるいは植民地支配の戦争であることを一度も否定していないと発言している。
このように発言するには侵略や植民地支配についての何らかの定義に基づかなければできない。
何らかの定義に基づいて日本の戦争が「侵略や植民地支配を否定してきたことは勿論、一度もない」と発言していながら、「侵略という定義は国際的にも定まっていない」、あるいは「侵略の定義は、学問的なフィールドで様々な議論があり、絶対的な定義は学問的には決まっていない」と二重基準を駆使する。
このように日本の過去の戦争・過去の歴史に不正直・不誠実な二重基準の姿勢の安倍晋三に“戦後日本の平和国家としての歩み”を常套句のように口にする資格が真にあると言うことができるだろうか。
断じてないはずだ。にも関わらず、“戦後日本の平和国家としての歩み”を口にする。そのマヤカシに気づかなければならない。
戦前の日本はアジア解放、あるいは八紘一宇(世界を一つの家にする)の大理想を掲げて南方進出を開始しているが、1943年5月31日御前会議決定の「大東亜政略指導大綱」は、〈「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム〉と決定している。そしてこの決定を、〈当分発表セス〉と秘密事項扱いにしている。
現在のインドネシア・マレーシア・ブルネイに当たるスマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスは石油、天然ガス、石炭、錫、銅、ニッケル、ボーキサイト、砂鉄、マンガン等の鉱物資源が豊富で、そのような資源国はアジア解放、あるいは八紘一宇の大理想を裏切って「帝国領土」ヘと植民地化して、「重要資源ノ供給源」とする。
このような植民地化は侵略なくして不可能であり、事実オランダ軍と戦争して勝利して、オランダ軍に代わって占領する形で侵略を果たしている。
インドネシアその他で侵略者として位置していたからこそ、未成年者を含む現地人女性を拉致・誘拐の形で暴力的に連行し、従軍慰安婦という形で性奴隷とすることができた。
安倍晋三は実際の70年談話でも、アジアの国々に多大は被害をもたらした日本の戦争に対する反省や「二度と戦争の惨禍を引き起こしてはならないという決意」を口にするだろう。
但し最初に取り上げた7月28日の参議院特別委員会での安倍晋三の発言と同じく反省や決意は短い言葉で取り上げるのみで済まして、“戦後日本の平和国家としての歩み”を長々とした言葉であれやこれや言い尽くすはずだ。
日本の過去の戦争、過去の歴史に真に謙虚に向き合いもせず、真に謙虚に反省していないことの当然の反映と見なければならない。
過去を反省した者のみがよりよく未来を語る資格を有する。過去を反省しない者が、未来を語る資格を自らに与えることは不遜・傲慢以外の何ものでもない。
だが、安倍晋三はこの原理を認識せずに日本の未来を語ることができる稀有なまでに不遜・傲慢な政治家である。