礒崎陽輔の時代錯誤な戦前の国防絶対正義に取り憑かれた「法的安定性は関係ない」発言

2015-07-29 07:07:13 | 政治

今首相補佐官の礒崎陽輔の安全保障関連法案に関して法的安定性の確保を軽視した発言が問題となっている。7月26日の大分市講演で飛び出した発言だそうだが、どう発言したか7月28日付「TOKYO Web」記事からその要旨を見てみる。   

 礒崎陽輔「憲法には自衛権について何も書いていない。1959年の砂川事件(最高裁)判決は、わが国の存立を全うするための自衛の措置は国家固有の権能であるとした。
 中身を言わないから政府は解釈してきた。昔は憲法9条全体の解釈から、わが国の自衛権は必要最小限度でなければならず、集団的自衛権は必要最小限度を超えるから駄目だと解釈してきた。72年の政府見解だ。

 ただ、その時はまだ自衛隊は外に行く状況ではなかった。その後40年たって、北朝鮮は核兵器やミサイルを開発し、中国も軍備を拡張している。

 政府はずっと必要最小限度という基準で自衛権を見てきたが、40年たって時代が変わったのではないか。集団的自衛権もわが国を守るためのものだったらいいのではないか、と提案している。

 何を考えないといけないか。法的安定性は関係ない。(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない。わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない。『憲法解釈を変えるのはおかしい』と言われるが、時代が変わったのだから政府の解釈は必要に応じて変わる。

 (安全保障関連法案の審議は)九月中旬までには何とか終わらせたいが、相手のある話だから簡単にはいかない」――

 マスコミは法的安定性軽視の点で磯崎発言を把えているが、この発言にはいくつかの重要な問題点がある。問題点のある発言を以下に列挙してみる。

 「集団的自衛権もわが国を守るためのものだったらいいのではないか」

 「法的安定性は関係ない」

 「(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」

 「わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない」

 「時代が変わったのだから政府の解釈は必要に応じて変わる」・・・・・・

 先ず、我が国を守るためであるなら、「憲法が駄目だと言うことはあり得ない」という表現で憲法よりも優先されると、国家の最高法規である日本国憲法を国防の下に置こうとしている。

 いわば国防を絶対正義としていて、国防であるなら、何でも許されるとする意思を覗かせている。絶対正義としているから、「集団的自衛権もわが国を守るためのものだったらいいのではないか」と、集団的自衛権に関わる権限も活動範囲も何ら問題とせずに無条件の承認を求めることができる。

 国防を絶対正義とし、憲法よりも国防を優先させていることは、「(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」という言い回しにも現れている。意味していることは「わが国を守るために必要な措置かどうか」を考えればいいと言うことであって、国防を絶対正義としているからこそ可能となる国防優先であろう。

 憲法よりも国防を優先させて国防を絶対正義とする行き着く先が「法的安定性は関係ない」とする法秩序無視と社会秩序無視の認識であろう。
 
 なぜなら、国防絶対正義と法的安定性無関係は相互対応し合う関係にあるからだ。

 法的安定性とは、法が様々に解釈されてその適用が随意とならないために法を厳格に規定することで確保されるそれ自体の安定性と法を厳格に規定すると同時にその適用もが厳格であることによって社会の安定性が確保されることまで含めて法的安定性と言う。

 「法的安定性は関係ない」と言うことは法の厳格な規定も厳格な適用も問題視しないとすることで法自体の安定性も社会の安定性も無視する態度を取っていることになって、そのような態度を取ることで「わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない」と、憲法よりも国防を優先させて国防を絶対正義とすることが可能とり、また国防を絶対正義とすることによって法的安定性をも問題視しないで済むのであって、両者は否応もなしに相互対応し合う関係を取る。

 また、「時代が変わったのだから政府の解釈は必要に応じて変わる」とする憲法を無視した随意性は「法的安定性は関係ない」とすることによって成立することになる。

 そして法的安定性を無関係とする礒崎陽輔の国防絶対正義が何よりも問題なのは、これが戦前の思想であって、それがあるはずもない戦後の民主主義の社会に突如として蘇らせたことである。

 戦前、政府・軍部は天皇と国家の名前の元、国防を憲法よりも何よりも優先させて絶対正義としていた。「守れ日の丸 汚すな歴史」、「遂げよ聖戦 興せよ東亜」、「欲しがりません勝つまでは」等々、天皇の国家体制を守ること、国を守ることが絶対正義とされていた。

 国防を絶対正義としていたからこそ、その正義に非協力的な国民は非国民とされ、あるいは米英のスパイとされ、近所づきあいから除け者とされるなどの社会的排除を受けた。

 かくこのように礒崎陽輔の発言は単に法的安定性を軽視したことだけに問題があるわけではない。憲法を無視し、国防を絶対正義としている点にこそ、重大な問題を孕んでいる。

 礒崎陽輔は東大の法学部卒業だということだが、日本の最高学府に学んだ者がこのように時代錯誤な戦前の国防絶対正義に取り憑かれている。このような人物が首相補佐官として内閣の一角を占めている。その資格があるとは見えない。

 ところが官房長官の菅義偉は礒崎陽輔を擁護している。7月28日午後記者会見。

 菅義偉「発言は法的安定性を否定をしたわけでもなく、私は問題ないと思っていた。しかし、一方で、きのうから参議院の審議が始まるところだったので、誤解を与えるような発言はやはり慎むべきである、こういう趣旨のことを電話で注意した」

 記者「野党から礒崎氏の更迭や辞任を求める声が出ているが、その必要性はあるか」

 菅義偉「法的安定性を完全に否定したわけではないので、そこは当たらないと思う」(NHK NEWS WEB

 単に「法的安定性は関係ない」との発言だけを把えて評価している。「何を考えないといけないか。法的安定性は関係ない。(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない。わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない」と、国防を憲法よりも優先させた上で、「法的安定性は関係ない」との言い回しで国防を絶対正義とする時代錯誤な戦前の思想を持ち出したのである。

 菅義偉の頭の程度ばかりか、責任意識をも疑わないわけにはいかない。

 礒崎陽輔は発言を謝罪したということだが、謝罪で済む問題ではない。存在自体を時代錯誤と見なければならない。その存在を排除することによって時代錯誤の思想をも排除可能となる。

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