名古屋市の中1男子イジメ自死調査報告書からイジメ潜伏中の学級担任の各種情報の読み解きを考える

2016-09-08 13:01:36 | 教育

 昨年、2015年11月に名古屋市の中1男子がイジメを受けたと遺書に書き残して自殺した原因を究明する市の教育委員会が設けた第三者機関による調査結果の報告書が2016年9月2日公表され、イジメが原因の一つだと認定した。

 何日かの前のブログで2016年7月26日発生の障害者施設「津久井やまゆり園」に於ける19人殺害、26人重軽傷の事件を学校でのイジメを受けた自殺やイジメが過剰な形を取った殺人を例にこのようなイジメの潜伏期間中に当事者以外の第三者の目に、それが少数であったとしても、イジメに繋がる何らかの出来事が触れるか映るかして潜伏する形を取るものであって、その触れるか映るかした出来事を如何に情報処理するかにイジメ自殺やイジメ殺人の防止がかかっている同様の構造を「津久井やまゆり園」の事件も見せていたのではないかといった趣旨のことを書いた。

 この論理を(と言う程の大袈裟なものではないが)調査報告書の中から特に目に触れるか映るかする機会がそれなりにあるはずの学級担任がどう情報処理したかに当てはめて問題点を探ってみたいと思う。

 《調査報告書》はPDF記事で紹介されている。解釈の妥当性は読者の判断に任せるしかない。     

 「情報処理」という言葉をより理解しやすいように「情報の読み解き」という言葉に変えてみる。

 まず最初に報告書は、〈これらのいじめ行為は、当該生徒に対する故意で積極的なものとは言いがたい、というのもいじめ行為を行っている側としては、当該生徒が嫌がっており、苦痛を感じているということに思いが及ぶことはなかったようだからである。〉と記しているが、彼に対するイジメ行為は攻撃対象を特定して特段の悪意を持って行ったものではなく、意図しないままに結果的にそうなったイジメ行為としている。

 中1男子の小学校からの引き継ぎ事項について報告書は次のように書いている。
 
 〈当該生徒の中学校入学に際し、小学校からの引き継ぎ事項には、学力面での課題のほか、心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要があるとの内容があり、当該中学校には、当該生徒はいじめられやすい傾向があるとの認識があった。ただ、引き継ぎの中に、当該生徒に対する具体的ないじめに関する内容はなかった。

 こうしたことを踏まえ、当該生徒が中学校1年生時の学級担任(以下、「学級担任」という。)としては、注意して様子を見ていくとともに、当該生徒が自分から積極的に話しかけてくるタイプではないため、学級担任の側から働きかけて接点を持たないといけないということを感じていた。〉

 小学校からの引き継ぎによって「心も体も強くはない」タイプの生徒だと学級担任の目に中学校入学時点でその人柄が映ることになった。小学校時代に具体的にイジメられていたという事例の報告はなかったが、「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」とする小学校からの情報を「いじめられやすい傾向がある」と読み解いた。

 このことに関しては報告書はそれ以外に触れていないから、推測しようがないが、「心も体も強くはない」というタイプはちょっとしたイジメにも心理的に大きな打撃を受けがちであるという情報の読み解き方をしたかどうかである。

 いずれにしても学級担任は注意して中1男子を見守ることにした。どういった方法を取ったかというと、他の生徒に対しても同じだが、身体的な触れ合いを専らとしていたようだ。

 (5)学級担任との関わりの項目で報告書は次のように記している。

 〈学級担任は、受け持ちの生徒に対してスキンシップを取ることが多かった。

 当該生徒に対しても、顔に手を近づけて触ろうとする、追いかける、抱きつこうとする、当該生徒の椅子に座るなどの働きかけをしていた。その頻度は、1学期は1日1回ぐらいのペースであった。

 このことに対して当該生徒は、顔を触られそうになれば避ける、追いかけられれば逃げるという対応を取ったが、表情としては笑っていたようであり、周囲の複数の生徒の証言によれば、じゃれ合っているように見えたとのことである。

 しかし一方で、当該生徒が防犯ブザーを持ってきていたのを見た生徒もおり、また学級担任の話によれば、追いかけた際、当該生徒が防犯ブザーのひもを実際に引く行動をとったが、壊れていたために鳴らなかったということもあった。

 他にも、担任の働きかけに対して「やめてください。へどが出ます。」と言ったこともある。

 また、自分のノートに「一生、顔をさわらない。」「一生、だきつかない。」「人の席にすわらない。」などと書いた「契約書」と称するページを学級担任に示した上で、署名をさせたこともあり、学級担任の受け止めとして、「なかなか面白いことを考えてきたな、ちょっとやらしいな、こういうタイプはなかなかいないな」と思った旨を証言している。〉――

 学校教師は担任する生徒に関して可能な限り意思疎通を図ることを心がけなければならない。意思疎通とは言葉を介してお互いに考えていることを伝え合うことでお互いを理解し合うことを言う。

 生徒の顔に触れようとしたり、抱きつこうとしたりして逃げる相手を追いかけたりすることではない。相手と親しい関係を作る行為として始め、例え親しい関係を作ることに成功したとしても、中学1年生相手の身体的接触の試みをキッカケとした逃げる・追いかけるふざけ合いで作るような親しい関係は余りにも幼児的で、もし言葉を介した意思疎通を心がけていたとしたなら、最初から言葉を用いて接触を試みているはずだろうから、そういったスキンシップからは言葉を介した真の意思疎通が生まれてくることは考えることもできない。
 
 イジメに関係しないことであっても、生徒と親しい関係を構築する方法の情報の読み解き方に問題があるようだ。

 だから、学級担任の幼児的なスキンシップに対して「やめてください。へどが出ます。」と拒絶反応され、尚且つそういったことをさせない「契約書」に署名させられながら、「なかなか面白いことを考えてきたな、ちょっとやらしいな、こういうタイプはなかなかいないな」と、自身のスキンシップ自体は決して間違っていないかのような自己都合の解釈ができる。

 ところが6月に実施した「ハイパーQU」アンケートで担任のスキンシップが拒絶されていることが分かることになる。

 「ハイパーQU」とは学校生活に於ける児童生徒の意欲や満足感、および学級集団の状態を5段階の各質問項目にそれぞれ○をつけて、その選択肢によって測定するためのアンケートだという。

 「担任の先生とうまくいっていると思う。」――5段階のうち下から2番目の「あまりそう思わない」

 「学校内に自分の悩みを相談できる先生がいる。」――5段階の最も下の「全くそう思わない」

 さらに1学期の終わり頃の7月10日(金)に行われた保護者会(三者面談)。

 〈当該生徒の保護者から学級担任に対し、「フレンドリーではなく、厳しく接してほしい」という旨の話があった。遺族の話によれば、当該生徒本人が学級担任の接し方を嫌がっていると感じていたとのことであり、保護者会では、「先生が『コミュニケーション過剰で迷惑をかけた、これからはそういうことはないようにします』とおっしゃったので、(保護者側からは)『お願いします』と話した」とのやり取りがあった。

 学級担任によれば、この保護者との話し合いの後、1学期の終わりからは、当該生徒に対し、それまでのような働きかけはやめたということである。その理由として、学級担任は、自分の接し方が他の生徒のようには通じず面倒に感じるようになったこと、当該生徒が本気で嫌がっているのかなと思ったこと、他の生徒に手がかかるようになり当該生徒にこれまでのように関わる余裕がなくなったことを挙げている。〉――

 「コミュニケーション」とは言葉を介して行う双方向の意思疎通を言う。学級担任は学校教育者でありながら、生徒の顔を手で触ろうとしたり、抱きつこうとしたりして、逃げれば追いかける生徒に対する接し方を「コミュニケーション」だと解していた。

 面白がって応じる生徒がいたとしても、相手が幼児なら兎も角、コミュニケーションといったシロモノとは言えない。

 学級担任は「自分の接し方が他の生徒のようには通じず面倒に感じるようになったこと、当該生徒が本気で嫌がっているのかなと思ったこと、他の生徒に手がかかるようになり当該生徒にこれまでのように関わる余裕がなくなった」。

 と言うことは、小学校からの引き継ぎ事項に「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」とあった情報を「いじめられやすい傾向がある」と読み解いたものの、別の接し方を考えずにその情報を学級担任自らが失念させたことになる。

 そもそもからして言葉を介した意思疎通を生徒との接し方の主たる方法として学級担任の能力の中に存在させていなかったからこその失念であろう。つまり生徒の顔を手で触ろうとしたり、抱きつこうとしたりして、逃げれば追いかける以外の生徒との接し方を知らなかった。

 では、1学期の6月15日(月)と2学期の10月9日(金)に実施した「ハイパーQU」アンケートの結果を見てみる。

 回答肢は5「とてもそう思う」、4「少しそう思う」、3「どちらともいえない」、2「あまりそう思わない」、1「全くそう思わない」という段階となっている。
 
 設問と結果(前者の数字が6月、後者の点数が10月)

 学校内には気軽に話せる友人がいる。 5 2

 学校の勉強には自分から進んで取り組んでいる。 5 2

 担任の先生とはうまくいっていると思う。 2 4

 勉強や運動、特技やひょうきんさ(おもしろさ)などで友人から認められていると思う。4  2

 学校やクラスでみんなから注目されるような経験をしたことがある。 3 1

 クラスや部活でからかわれたり、ばかにされたりするようなことがある。2 4

 クラスにいるときや部活をしているとき、まわりの目が気になって不安や緊張を覚えることがある。2 4――

 友人とのコミュニケーションの頻度についての6月と10月の「ハイパーQU」アンケート

 回答肢:4「いつもしている」、3「ときどきしている」、2「あまりしていない」、1「ほとんどしていない」

 みんなと同じくらい、話をしていますか。 4  2

 自分から友人を遊びに誘っていますか。 3 1

 「担任の先生とはうまくいっていると思う」以外は全てが2段階か3段階は自身が置かれている状況が悪化している。

 報告書は、〈学習意欲や周囲からの承認に関する項目が大きく低下している。〉と記している。
 
 学級担任は「担任の先生とはうまくいっていると思う」とした6月時点の「2」から10月時点の「4」へと中1男子と担任との関係が好転しているが、生徒が発信したこの情報をどう読み解いていたのだろうか。

 保護者会(三者面談)は1学期の終わり頃の7月10日に行われて、そこで学級担任の生徒との接し方を、いわば迷惑だとして拒絶され、担任は生徒と関わることがなくなった。

 と言うことは、迷惑な関わりから解放された分、関係が好転したとしているだけで、良好な意思疎通の関係が新たに構築できたという意味での好転ではないことになる。

 このことが先述の「学校内に自分の悩みを相談できる先生がいる。」との質問に対して5段階の最も下の「全くそう思わない」という選択肢となって現れたということなのだろう。

 このように読み解いていたなら、中1男子が置かれている状況の悪化に注意しなければならないことになる。

 報告書の「ハイパーQU」アンケートの結果についての調査内容を見てみる。

 〈これらの結果より、6月のハイパーQU実施時期から自死の前の時期にかけて、当該生徒がクラスや部活動などで、孤立感や疎外感、不安感を深めていった様子がうかがわれる。当該生徒は、これらについて、家族にも相談することがなかった。

 なお、当該生徒は6月の結果では、「満足群」「非承認群」「侵害行為認知群」「不満足群」の4つに分類される領域のうち、「不満足群」に属していた。

 10月の結果では、その中でもさらに配慮を要する「要支援群」になっている。

 この結果は10月28日(水)に学校へ届き、翌10月29日(木)には学級担任が結果を目にし、今後注意して当該生徒の様子を見ていこうとしていたその矢先に、当該生徒は自死するに至っている。〉――

 この「今後注意して当該生徒の様子を見ていこうとしていた」とする担任の証言と「その矢先に、当該生徒は自死するに至っ」たとする経緯は、10月の「ハイパーQU」の結果を受けてのことだろう、〈当該生徒について、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーへの相談はしなかったのか、考えなかったのかという聞き取りに対し、学級担任は、そういった機会はもう少し事が大きくなったときと思っていたと証言している。〉ことと矛盾する。

 10月29日にアンケートの結果を見て「もう少し事が大きくな」る危険性を予見する情報として読み解いていたのか、あるいはこの程度なら、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに相談する程のことはないとする情報として読み解いていたのか、いずれかとなる。

 前者なら、その危険性と「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」タイプの生徒で、「いじめられやすい傾向がある」としていた情報の双方から「今後注意して当該生徒の様子を見ていこうと」するのではなく、直ちに面談なり何なりのケアを行う責任を有していたはずだ。

 だが、様子を見ていくことだけにした。

 もし後者のこの程度ならスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに相談する程のことはないとアンケートの結果に現れた情報を読み解いていたなら、自殺は予見できなかったとしても、「心も体も強くはない」タイプの生徒であることを失念していたか、過小評価していたことになる。

 「心も体も強くはない」と言うことは何事につけても打たれ弱い性格を言う。そのように情報を読み解いていたなら、アンケート結果を他の一般的な生徒の結果よりもより深刻に読み解かなければならないだろうし、読み解きに応じた保護が必要になる。

 だが、学級担任の情報の読み解きはこういった経緯を一切取っていない。

 明確に悪意に彩られたイジメ行為ではなかったとしても、自殺に追いやることになったイジメの潜伏期間中にかなりの数の兆候が第三者の目にそれとなく映っている。その一つが「ハイパーQU」のアンケートの結果に現れた様々な情報だが、学級担任にはその情報を的確に読み解く能力はなかったようだ。

 報告書の次の記述も学級担任の目に映った兆候であるはずだ。

 中1男子は〈弁当を忘れた生徒に対し、自分の弁当を自ら進んで分けることがあった。このことは何人かの生徒が実際に見た様子を証言しており、学級担任も3回程度見ているとのことである。学級担任はこのことについて、当該生徒の通知表中の所見欄に「昼食を忘れたクラスメートがいるときは自分の弁当を分けてあげるなど心優しい面が多くみられました」と記載している。〉
 
 だが、優しさが仇となって、生徒の中には本人に無断で弁当を食べるようになった。

 〈2学期に入り、一部の生徒が、当該生徒への断りなく、弁当の中身を取るようになった。この行為は、他の生徒が別室にスクールランチを取りに行き、クラス内の人数が少なくなっている間に行われ、2週間に1回程度の頻度であったとのことである。この様子を見ていた別の生徒によれば、弁当を取った生徒は事後、当該生徒に弁当の中身をもらったことを話し、それを聞いた当該生徒は嫌そうな顔をしつつも、しょうがなく「いいよ」というような返事をしていた。〉――

 問題は本当に優しさから弁当を分けたのかである。「心も体も強くはない」人間、打たれ弱い人間は自分の弱さを意識していて、自身の持ち物を人にくれてやることで気に入られて自分を保護する自己防衛本能を得てして発揮しがちとなることからの疑いである。

 もしこのような防衛本能からの弁当のお裾分けであるなら、無断で他人が弁当の中身を取るという形は、くれてやるという形が気に入れられて自身の保護に繋がることに反して弱い自身に対するある種の攻撃を意味することになる。

 なぜなら、保護を求めるという彼自身の相手との秩序に対してその秩序を相手側が無理やり破る行為となるからだ。

 例え後で断ったとしても、無断で取られたという秩序の破壊は自己防衛本能の調和を無理やり破られたことになり、決して心穏やかに済ますことができなかった出来事であったに違いない。

 学級担任が弁当を分けてやる行為を「心優しい面」とのみ情報を読み解いたのか、その読み解きも「ハイパーQU」のアンケートの情報の読み解きにも関係することになるし、当然、対生徒関係そのものが異なってくることになる。

 日々の学校生活に第三者の目に映るか触れるかして表出される情報の読み解きが如何に重要かに焦点を当ててみた。


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