内閣府政務官務の務台俊介が記録的な大雨をもたらした台風10号の被災地岩手県岩泉町の9人が亡くなった高齢者グループホームを視察した際、革靴で出掛け、長靴を履いていなかったために行方を遮った水溜りを進むのに、部下なのだろう、内閣府の職員に背負われて渡ったことに批判が集中している。
台風10号は8月30日夕方6時前に岩手県大船渡市付近に上陸、記録的な大雨を降らして青森県を斜めに横切り日本海に出て、8月31日0時頃温帯低気圧に変わったものの、この影響で北海道にも記録的な大雨をもたらしている。
ネットで調べると、務台俊介が視察に訪れた高齢者グループホームは町中心部から7キロ程離れた山間の川沿いの平地に建てられ、背後に山が迫っていて、対岸も岸にまで山が迫っている地域にある。
いわば降った雨の殆どが川に集中することになる。
増水した川の水は8月30日午後5時半頃にグループホームの中に入ってきて、あっという間に腰ぐらいの高さにまで達し、入居者はベッドごと持ち上げられ、増水した水と共に大量の流木や泥が押し寄せて1階の窓を突き破って建物の内部に押し寄せたという。
視察は2016年9月1日。2日経過して水はかなり引いているだろうが、このような水害場所を訪れたのである。肩書は政府調査団の団長。
内閣府庁舎の建物内なのだろうか、それとも首相官邸内なのだろうか、大勢の記者が務台俊介の後を追いかけて質問を浴びせている動画を「FNN」記事が載せている。
記者「(官房)長官も不適切な行動だと言ってますが」
務台俊介「猛省しています。猛省しています」
記者「長靴を履いていなかったということは――」
務台俊介「持参しなかったことも(「猛省しています」と続けようとして思いとどまったのだろう。)被災の翌日行ったということです。すみませんでした」――
内閣府の職員に背負わせて水溜りを渡っている画像を載せておいたが、防災服を着用している。2枚目の画像はどこの視察なのか分からないが、向き合っている立ち位置から、右側に立っているのは自治体側の人間で、左側の務台俊介と並んで立っているのが務台を背負った人物とは異なるが、内閣府の職員であろう。
二人共左胸に同じ名札をつけている。所属場所が内閣府と分かる名札であるはずだ。おぶっている人物の右胸に同じ名札を見つけることはできないが、「NHK NEWS WEB」記事が「内閣府の職員」だと書いている。
政府の人間が視察する場合、いきなり視察現場を訪れるのではなく、視察地の役所に出向く。そこが町役場であっても、県知事も出向いていて、県知事と町長が一緒に政府の視察者を出迎えるといったことをする。
もしそこに県知事まで同席していたなら、県の問題でもあるからだろうが、最初に役所に出向くのは現場の視察に先立ってそこで被害の概要を説明する必要があるからである。
例えばかなりの立場の人間がある会社の製造現場を視察する場合でも、視察者は社長室か来賓室で社長以下重役の出迎えを受け、そこでおおまかな説明を受けてから、視察する製造現場に出向く。
いきなり製造現場に出向くことも案内されることもないのと同じである。
もし務台俊介が防災服のみで長靴を持参してこなかったなら、役所は災害が起きたときの備えとして長靴をかなりの数を用意してあるはずだから、長靴に履き替えることを勧めなかったのだろうか。水害現場に行くのに長靴は常識だからである。
勧めたが、務台俊介が「これで十分だよ」と断ったということなのだろうか。
それとも地方自治体の立場から長靴に履き替えてくれと言うのは務台俊介は東大法学部卒で政府の役人だから恐れ多いからと、何も言えなかったということなのだろうか。
後者だとしたら、中央を上に置き、地方を下に置いて地方が中央にペコペコと頭を下げるような権威主義的な上下関係に縛られていることを意味する。
務台俊介が前者の「これで十分だよ」と断ったとしても、「水害現場ですから、いつ長靴が必要になるかもしれません。履き替えてください」と指示するぐらいの姿勢を示すことができなければ、やはり中央を上に置いて地方を下に置いた上下関係からの意思表示しかできなかったことになる。
2枚目の画像の務台俊介の右側に立っている内閣府の職員の足元が写っていないために長靴を履いているかどうか分からないが、務台俊介を背負って水溜りを歩いた内閣府の職員は長靴を履いている。
職員は水害現場を視察する際の備えとして長靴を履いていたはずだ。
その職員は役所からいざ現場に向かうときに自分が長靴を履いているのに務台俊介に「長靴に履き替えなくても、いいですか」と尋ねなかったのだろうか。それとも短靴のままだと気づかなかったのだろうか。
後者なら仕方がないが、前者で気づいていながら何も言わなかったとしたら、内閣府という役所内の地位の上下関係に縛られて上に従うだけで下から満足に忠告もできない権威主義的な人間関係に縛られていることになる。
いわば務台俊介を何様扱いをしていることを意味する。
一方を何様扱いすることはする側は相手に対して自分を遥か下に置いていることになる。
務台俊介の不用意だけなのか、被害調査のために随行した内閣府職員や視察を受け入れる地方自治体の権威主義的な上下の人間関係に於ける下位者側の下位者としての意識が務台俊介の不用意にプラスされて長靴を履かないままの水害現場の視察を行わせてしまったのかは分からない。
だが、水溜りに行方を遮られて、ズボンの裾が濡れたり汚れたりしても短靴のまま水溜りを歩くのではなく、務台俊介が言い出して背負わせたとしても、あるいは逆に内閣府の職員が言い出して背負ったとしても、二人の人間の間に務台俊介を上位者として内閣府の職員を下位者とした地位上の上下の関係が働いていなければ、この背負って水溜りを渡るという行為は成り立たなかったはずだ。
もし務台俊介が長靴を履いていなかった自分自身の問題だとして、いわば誰の問題でもない、個の問題だとして濡れるのも構わずに水溜りを直に歩いたなら、少なくとも務台俊介自身は自分が地位上の上位者であっても、権威主義的な上位者意識には囚われていないことを示すことになる。
例え背負うことを内閣府の職員が言い出しても、「いや、大丈夫」だと断ったはずだ。いや、言い出す前に水溜りにどんどん入っていっただろう。
そうしたなら、男を上げたはずだ。少なくとも批判を受けて男を下げることはなかった。
日本人のこの権威主義的な上下関係は封建時代以来の思考様式・行動様式であり、今以て払拭できないでいる。
上位者意識と下位者意識が相互に介在し合わなければこのような出来事は起こるはずはないから、背負わせた務台俊介と背負った内閣府の職員の間に日本風の“殿様と家来”的な上下関係を見たとしても、あながち見当違いではあるまい。
配慮に欠ける行為だとか、不適切な行動だといった問題だけではないはずだ。