安倍晋三の「生前退位」政府内議論「期限ありきでなし」は現天皇が死去するのを待っているのか

2016-09-20 10:42:45 | 政治

 2016年9月18日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている国連総会出席のためにアメリカに向かう羽田空港での対記者団発言。

 安倍晋三「天皇陛下が、国民に向けてご発言をされたことを重く受け止めている。ご公務の在り方などは、天皇陛下のご年齢や、ご公務のご負担の現状に鑑み、天皇陛下のご心労に思いをいたしながら、何ができるかをしっかりと考えていきたい。

 期限ありきではなく、静かに、先ずは(有識者等)様々な方々から話を伺っていきたい」

 風岡典之宮内庁長官の2016年8月8日の記者会見発言として天皇は5、6年前から「務めを果たせなくなった場合にどうしたらいいか」と側近に相談していたとマスコミは伝えているが、この相談の形を取っ天皇の意向は日本国家の体制にも関係してくる政治の問題でもあるから、5、6年前の民主党政権に伝えられ、安倍政権も引き継いでいたはずだ。

 だが、この5、6年の間一切表てに出なかった。いわば意向は封印されていた、と言うと聞こえはいいが、無視され続けた。

 理由は「生前」などという途中退位は以ての外と反対していたからだろう。

 ところが、宮内庁の誰かからのリークに違いない、7月13日付「NHK NEWS WEB」記事によって意向が表沙汰になると、いくら安倍晋三と言えども、受け入れるべきとの方向で喚起された世論まで封印・無視することは不可能なために意向を尊重するという姿勢を取った。

 それが姿勢でしかないことの現れの一つが、根本的解決法の皇室典範の改正ではなく、皇室典範には手を付けずに現天皇に限って退位を認める特別立法を軸に法整備を検討していることに現れているはずだ。

 生前退位の現天皇の跡を継いで天皇となった皇太子が高齢となって同じ境遇となったとしても、一代限りの特別立法で遣り繰りしていくことになる。

 皇室典範に手を付けずに一代限りで生前退位を認める考え方は皇室典範に於ける即位の条項を絶対視しているからに他ならない。

 旧皇室典範(1889年(明治22年)2月11日に裁定)を見てみる。 

 第二章 踐祚即位 

 第一〇条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク

 「踐祚即位(せんそそくい)」とはネットで調べると、「皇位の象徴である三種の神器を受継ぐことを践祚、皇位につくことを天下に布告することを即位」(コトバンク)と解説されている。

 現皇室典範

 第4条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。――

 旧と新の違いは旧の「祖宗ノ神器ヲ承ク」が省かれているのみで、天皇が死去を以てしか退位できない規定は全く同じである。

 明治以前の天皇は生前退位が珍しくなかったということだが、安倍晋三等の超保守的な国家主義者たちが即位の条項のみならず、旧・新、これも同じとなっている男系の男子のみに限るとする皇位継承の条項をも絶対視しているのは、彼らが明治から敗戦までの大日本帝国を理想の国家像としていることと合致する。

 この絶対視は日本国憲法はGHQがつくった憲法だと忌避しているのに対して現皇室典範にしても、旧皇室典範が大日本帝国に於いて明治憲法と並び立つ特別法で、帝国議会や国民の関与・支配を受けないとされていたことに反して一般法として当時の帝国議会衆議院本会議に1946年(昭和21年)11月26日提出され、12月14日衆議院、12月24日貴族院可決、1947年1月16日交付、5月3日施行となったが、一般法化することで国会と国会を通して国民が関与できる仕組みにしたのはGHQの関与によるものだそうだが、その関与を忌避しないのは根幹部分に於いて新が旧をほぼ踏襲していることが可能としているはずだ。

 このことを逆説するなら、現皇室典範が国会と国会を通して国民が関与できる一般法であったとしても、根幹に手を付けることは大日本帝国という国家像に手をつけることになり、そのことへの忌避こそが皇室典範に関わる絶対視となって現れていると見なければならない。

 当然、皇室典範絶対視の基本的な考え方からすると、天皇の死去がなければ、皇位継承を認めることは譲れないことになる。

 だからこその天皇の生前退位の意向に対して皇室典範の改正ではなく特別立法で一時凌ぎをするということなのだろうが、天皇が5~6年も前からその意向を示していながら、政治の側はその意向を封印・無視し、マスコミがスクープするに及んで意向に添うべくやっと腰を上げたものの、「期限ありきではない」となると、天皇の生前退位の意向と世論の手前、見せなければならない動きであって、一般国民からしたら畏れ多いことだが、安倍晋三は実際は天皇の死去を待っているのではないかという疑いが出てくる。

 死去によってのみ、現皇室典範の第4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」の規定を、一代限りといった例外は一つもつくらずに守ることができる。

 このことは安倍晋三にとっては大日本帝国という戦前の理想の国家像を守ることでもある。

 天皇は「生前退位の意向」を2016年8月8日に述べられた。   

 昭和天皇が死去したとき、大多数の日本国民が一斉に様々な行事を自粛し、それが日本全国に広がった。テレビがNHKの教育番組を除いて天皇追悼番組一色に埋め尽くされ、NHK教育番組の視聴率が突然跳ね上がったり、街のビデオレンタル店が普段以上に繁盛したが、愉しみ事は不謹慎という雰囲気に社会は支配された。

 天皇はこのことについて触れている。

 「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)()の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀()に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります」――

 だが、「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもので、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」と見なして、日本の歴史は天皇家を源に発し、その主人公を天皇に置く歴史認識の持ち主である安倍晋三は日本国民ほぼ一斉の一大自粛は天皇の存在性を国民の中に新たに顕現させ、高める一大イベントとして、あるいは国民に対する天皇の影響力は測るバロメーターとして、その有用性を認めているはずだから、国家主義者としての立場からも、天皇主義者としての立場からも、あるいは5~年間天皇の意向を封印・無視してきた姿勢からも、いわば“自粛の自粛”に十分に反対であろうから、生前退位してからの死去は何もかも不都合と見ているとしなければならない。

 どこをどう考えても、安倍晋三は明治以降の天皇の存在性を絶対として、その絶対性を守る重要な手立てとして皇室典範が規定している第4条、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を死守したいようだ。

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