復興相の今村雅弘が2017年4月25日夜の自民党二階派の派閥パーティーでの講演で、「社会資本などの毀損も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北でですね、あっちの方だったから良かったんで、これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になると思っています」と発言、その国家財政の観点からのみ東日本大震災を把え、被災者(=国民)の困難を置き去りにした国家優先・国民無視の姿勢が批判を受け、その責任を取って翌日の4月26日午前に安倍晋三に辞表を提出、受理された。
実質的には政権批判を避けるための更迭だとマスコミは伝えている。二度までの失言でそういう流れを取らざるを得なかったのだろうが、安倍晋三は今村雅弘の最初の福島原発事故「自主避難は自己責任」の失言を今村の謝罪を以って問題解決と見做し、続投を許している。
その不手際を早々に隠す目的もあった手早い辞任劇に違いない。
安倍晋三は今村雅弘の辞任について首相官邸で記者団に発言し、「任命責任は私にある」と自らの任命責任を認めている。安倍晋三の発言は首相官邸サイトから、記者質問は「産経ニュース」から引用した。
《安倍晋三、今村復興大臣の辞任等についての会見》(首相官邸/2017年4月26日) 安倍晋三「先ほど今村復興大臣から辞表を受け取りました。東日本大震災からの復興は、政権発足以来、安倍内閣の最重要課題であります。そして被災地の皆様の心に寄り添いながら復興に全力を挙げる、これは揺るぎない内閣の基本方針であります。にもかかわらず、昨日、今村大臣の講演において、被災地の皆様のお気持ちを傷つける極めて不適切な発言がありました。 復興大臣にとって最も大切な被災地の皆様の信頼を失う重大な発言であり、辞職したいとの今村大臣の意向が示されましたので、辞表を受理することといたしました。内閣総理大臣として改めて被災地の皆様に深くお詫びを申し上げたいと思います。 また、任命責任はもとより内閣総理大臣たる私にあります。こうした結果となりましたことに対しまして、国民の皆様に心からお詫びを申し上げます。 復興はいまだ道半ばであり、多くの方々が大変な困難にいまだに直面をしておられます。一日たりとも停滞は許されません。被災地福島の出身であり、そして発災以来復旧・復興に全力を挙げてきた、そして現在衆議院の東日本大震災復興特別委員会の委員長を務める吉野正芳さんに後任の復興大臣をお願いすることといたしました。 東北の復興なくして日本の再生なし。この基本方針の下、東北の復興、福島の再生に全力で取り組んでまいります」 記者「今村氏にそもそもの大臣としての資質がなかったのではないかという声もありますが」 安倍晋三「任命責任は、正に、総理大臣である私にございますので、こうした結果となりましたことに対しましてお詫びを申し上げたいと思います」 記者「今村氏にかかわらず、他の大臣にも資質に関して問われる声もありますが」 安倍晋三「緩みがあるのではないかという、厳しい御指摘もあります。そういう御指摘に対しましては我々、真摯に受け止めなければならないと思います。これからも全力で復興を成し遂げていかなければいけませんし、そしてしっかりと安倍政権が掲げた政策の実現、結果を出していくために全力を尽くしていきたい。結果を出すことによって国民の皆様の信頼を回復したいと、こう考えております」 |
先ず最初になぜ首相官邸は記者の発言を入れなかったのだろうか。記者の発言を入れずに安倍晋三の答弁だけを伝えている。
記者は最初の質問で今村雅弘の復興相としての資質を質す声があることを尋ねた。だが、安倍晋三は既に話した任命責任の所在を再び口にして、辞任という結果を謝罪しただけで、資質については何も答えずに済ませた。
二度目の記者の質問は今村雅弘に限らず他の大臣にしても資質を問う声があることについて尋ねている。安倍晋三はその質問に対しても否定も肯定もせずに指摘を受けている内閣の緩みについて真摯に受け止めるとか、政策の実現と結果を目指すといった発言で締め括っている。
要するに記者の発言を載せないままに安倍晋三の発言だけを見ると、安倍晋三は閣僚の資質について何ら答えていないのだから、実際には記者から閣僚の資質についての質問があった事実はそこに存在しなかったことになるし、安倍晋三がその質問に何も答えなかったという事実も存在もしなかったことになる。
では、安倍晋三はなぜ資質を問う質問に答えず、しかも自分の発言だけを伝えて、そういう質問があった事実すら伝えなかったのだろうか。
安倍晋三は記者が閣僚の資質を問う前に「任命責任はもとより内閣総理大臣たる私にあります」と認めた。
断るまでもなく閣僚としての資質は首相の任命責任に深く関係する。その任命責任は閣僚に採用するに当たってその人物の資質を見る目があったかなかったかの初期的な判断能力に帰す。
任命責任を認めた後で、記者が閣僚の資質を問う形で実質的には安倍晋三自身の閣僚採用に当たっての初期的な判断能力の如何・是非を問題にしたことになる。
だが、安倍晋三が記者の質問に直接答えず、そのような質問があった事実すら伝えなかったということは、自身の閣僚採用に当たっての初期的な判断能力の適否を隠したことになる。
誰に対して隠したかというと、国民の目に隠したことは明らかである。
もし記者の質問に正直に答えていたら、「大臣としての資質がなかったと言わざるを得ません」と答えなければならないし、そう答えたなら、復興相に採用するときに資質がなかったことを見抜くことができなかったのかという次の質問、あるいは批判を覚悟しなければならないし、見抜くことができていたと答えたなら、採用との整合性が取れなくなるから、「見抜くことができませんでした」以外の答はないことになって、その答を口にした途端、自身の人を見る目の無能を曝け出すことになる。
要するに記者の質問を無視する以外に手はなかった。無視しただけではなく、記者の質問個所を首相官邸サイトに載せなかった。
この無視と不記載の経緯には都合の悪い事実を国民の目から隠すという情報隠蔽を忍び込ませている。
当然、安倍晋三の「任命責任はもとより内閣総理大臣たる私にあります」は閣僚採用に当たっての自身の都合の悪い事実――人物を見る目の初期的な判断能力の欠如には触れない形での任命責任の受容に過ぎない。
任命責任を認めたことは閣僚の資質を見る目がなかった事実を認めたことではないということである。
いわば「私にあります」と口で言って済ませているだけのこととなる。
今後共口で言って済ませていくことになるだろう。
「東日本大震災からの復興は、政権発足以来、安倍内閣の最重要課題であります。そして被災地の皆様の心に寄り添いながら復興に全力を挙げる、これは揺るぎない内閣の基本方針であります」と言っているが、任命責任を口で言って済ませるだけのリーダーは真に被災者の心に寄り添うことはできないだろう。
安倍晋三が真に被災者の心に寄り添っていないから、下は上を倣うで被災者の心に寄り添わない閣僚が出てくることになる。