安倍晋三の国会が終了してから説明責任だ、信なくば立たずだの謙虚な姿勢を見せる口車に乗せられるな

2017-06-20 11:31:53 | 政治

 安倍晋三が193回通常国会終了を受けてなのか、森友問題疑惑、加計学園疑惑からの追及をうまく逃げおおせた記念なのか、2017年6月19日に首相官邸記者会見室で、厚化粧で美人に見せる手管さながらの例の如くの口達者で有能な政治家に見せる会見を開いた。   

 安倍晋三「4年前、政権奪還後の最初の通常国会において私は、建設的な議論を行い、結果を出していこう、こう各党各会派に呼び掛けました。

 その原点は今なお変わることはありません。

 しかし、この国会では建設的議論という言葉からは大きく懸け離れた批判の応酬に終始してしまった。政策とは関係のない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまいました。

 国民の皆様に大変申し訳なく感じております」

 質問には満足に答えずに詭弁と強弁を使いこなして、各政策がタテマエとしている趣旨を長々と垂れ流す答弁を得意技とし、最後は数の力で押し切る強権手法を最終手段としている、建設的議論には無縁な安倍晋三が「建設的議論」を言う。

 ウソつきが正直とは何かを説教するのに似ている。

 そして国会が終わったことをいいことに国民に「大変申し訳なく感じております」としおらしく謝罪する。口車に乗せられてはいけない。

 安倍晋三「印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております」

 印象操作とは相手の印象を故意に貶めて何らかの不利益を与え、自身は何らかの利益を得る、あるいは故意に相手の印象を高めて、高めた相手共々何らかの利益を得ることを言う。

 後者の場合は安倍晋三シンパのマスコミが安倍晋三を必要以上に持ち上げて人気を高めようとするのによく使う。

 安倍晋三は野党の安倍晋三に対する追及を印象操作だとしているが、もしそれが事実印象操作であったなら、前者後者いずれの印象操作であっても同じだが、事実を曲げる、あるいは安倍晋三の実像を曲げる言葉の操作となるから、自ずと言葉に合理性を欠くか、あるいは言葉がつくり出す事実の提示に合理性を欠くことになる。

 その点を突けば、単に言葉を操作することでつくり出している事実や実像に過ぎない悪意ある印象操作であることを相手にも周囲にも知らしめることができるはずだが、安倍晋三は「印象操作だ、印象操作だ」と言うだけ、頭に血を上らせてカッとなって余分なことを言うだけで、満足に反論できない。

 逆に相手に対して事実を突いている印象を与えて、追及がより厳しくなる。

 要するに野党の追及を印象操作だと決めつけて、満足に反論できないところに問題がある。安倍晋三に何ら後ろめたいところがなく、公明正大で、野党の追及が事実印象操作なら、カッカして、「強い口調で反論」する必要などどこにもない。

 それを必要とするのは、何か後ろめたいとことがあって、公明正大でも何でもないからだろう。にも関わらず、「深く反省しております」などとしおらしさを見せる。ああ、反省しているんだななどと、口車に乗せられてはいけない。

 安倍晋三「国家戦略特区をめぐる省庁間のやり取りについて、先週、文部科学省が徹底的な追加調査を行った結果、新しく見つかったものも含め、文書を公開しました。これを受け、内閣府の調査も行い、関係する文書等を明らかにしました。

 しかし、最初に調査した段階では、それらの存在を確認できなかった。二転三転した形となり、長い時間が掛かることとなりました。こうした対応が、国民の皆様の政府への不信を招いたことは、率直に認めなければなりません。

 信なくば立たずであります」

 ここでも殊勝にも反省を見せている。最初の調査では文書は確認できないとし、文書を加計学園獣医学部新設決定を中傷する類いの怪文書に過ぎないと逆に野党を批判した。野党の追及をかわしきれなくなったわけではなく、それに終わりをつけようとして再調査して文書の存在を明らかにした。

 最初の調査で存在していた文書を確認できなかったとしたこと自体に問題があるとすることができない。文書は最初から存在していたのだから、最初の調査の段階で徹底的に調査する姿勢がなかった。

 隠す意図がなければ、調査したが、文書は確認できなかったという事実を創り上げることはしない。但し二度目の調査で文書の存在を明らかにしたから、安倍晋三の政治的関与疑惑・口利き疑惑を事実ではなかったことの証明とすることはできない。

 最初の調査では文書の存在自体を隠す意図があった。二度目の調査で文書に書いてある事実を隠す意図で文書の存在を明らかにしたに過ぎない。最初の調査で文書は確認できなかったとしたことが疑惑が事実であることを証明しているにも関わらず、「事実ではない」の一点張りで逃げ切った。

 安倍晋三の殊勝気な反省の弁の口車に乗せられてはいけない。口車に乗せられたら、いともたやすく騙される国民に成り下がることになる。

 「信なくば立たず」という言葉は政治家が国民の信頼を自らの政治遂行の重要な動因とすることの国民との契約を言う。

 契約としない如何なる政治家も「信なくば立たず」という言葉を口にする資格はない。

 安倍晋三は多くの法案を国民の大多数が反対するにも関わらず、数の力で押し切ってきた。例えば2015年9月成立の安全保障関連法案は多くの世論調査が政府の法案の説明が「不十分」との回答が7~80%、今国会での成立方針に「反対」が60%前後を占めていたにも関わらず、数の力を用いた強行採決で可決成立させた。

 今国会最終盤で成立させた「テロ等準備罪」は、監視社会化する危険性を抱えているにも関わらず、安倍晋三こそテロ対策という印象操作で賛成と反対を拮抗させることに成功していたが、審議時間の過不足については不足が70%前後、参院で同法の委員会採決を省略した与党の国会運営に関しての批判が同じく70%前後を占めて、その遣り方に国民は信頼を示していなかった。

 加計学園安倍晋三疑惑に関しても多くの世論調査が政府の説明に納得がいかないが7~80%も占め、尚且つ国民の多くが真相を明らかにするために参考人招致や証人喚問を求めていながら、何一つ応じない安倍晋三の姿勢は国民の信頼を失い、内閣支持率を下げる原因の一つとなった。

 要するに安倍晋三は国民の信頼を政治遂行の動機づけとしていないにも関わらず、「信なくば立たず」と、恰も国民の信頼を政治遂行の重要な動機づけにしているかのようにゴマカシている。

 自分がやっていることと言葉で言っていることが大きく乖離していることも省みずに立派な言葉を口にする。この図々しさ、無神経が日本人の喉元通れば熱さ忘れる、熱しやすく冷めやすい国民性を利用して、ちょっと景気の良い経済の話をすれば、国民はそっちに顔を向ける、少しぐらい内閣支持率が落ちても、すぐに上げることができると高をくくる神経へと発展しているに違いない。

 くれぐれも安倍晋三の口車に乗せられてはならない。安倍晋三の政策が口車に乗せるだけの政策だから、見た目の統計の良さを挙げてアベノミクスが成功しているかのように吹聴してはいるが、その統計に反して、国際通貨基金(IMF)は〈日本経済は個人消費や企業の投資が弱すぎると指摘、正社員と非正規労働者の間に広がる賃金格差などを是正し、働く女性や高齢者をさらに増やす構造改革に踏み込むべきだ。〉(NHK NEWS WEB)との日本経済の1年の総括を行わなければならなかった。  
 
 くれぐれも安倍晋三の口車に乗せられてはいけない。バカを見るのは国民である。

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