人間が軽いからなのだろう、安倍晋三の否応もなしの言葉の軽さを北方四島発言から見る

2018-09-06 11:38:06 | 政治


 
 9月3日(2018年)総理大臣官邸で開催の政府与党連絡会議。「NHK NEWS WEB」(2018年9月3日 14時53分)

 この会議で安倍晋三は来週10日から13日までの日程でロシア極東のウラジオストク開催の国際経済フォーラムに出席に合わせて、プーチンとの日ロ首脳会談に臨み、北方領土での共同経済活動などについて議論、領土問題を含む平和条約交渉の前進を図る考えを示し、同フォーラム出席の習近平中国国家主席との日中首脳会談なども調整していることを明らかにしたと伝えている。

 記事にはプーチンとのこの首脳会談は通算で22回目になると書いてある。つまり、これまで21回も首脳会談を重ねてきた。
 安倍晋三「北方四島における共同経済活動や元島民の方々のための人道的措置等について胸襟を開いて議論を行い、平和条約締結を前進させていく決意だ。

 日ロ経済関係も、8項目の協力プランの具体化を含めさらなる進展を確認し、北朝鮮問題をはじめとする喫緊の国際情勢についてロシアとの連携を確認する」

 「北方四島における共同経済活動」は安倍晋三が2016年5月6日にロシアのソチを訪問、プーチンと首脳会談を行い、会談後の声明の中で北方四島の帰属交渉と平和条約締結交渉の進展に資する目的で「新たなアプローチ」として提案したことか発している。
そして約7カ月後の2016年12月15日、安倍晋三の地元山口県長門市でプーチンと1回目の首脳会談を開き、翌12月16日も首相官邸で2回目の会談を立て続けに行い、共同記者会見で次のように発言している。

 安倍晋三「この『新たなアプローチ』に基づき、今回、四島において共同経済活動を行うための『特別な制度』について、交渉を開始することで合意しました」

 「特別な制度」とは日ロ双方共に北方四島を自国領土とし、双方共に主権を主張している関係から領土と主権の二つの主張を双方共に降ろさないままにロシアの法律にも日本の法律にも依拠しない、いわば主権を脇に置いた制度の創設ということなのだろう。
1年8カ月も前に「共同経済活動を行うための『特別な制度』について、交渉を開始することで合意した」。

 ところが、この2回の首脳会談後から約3カ月後の2017年3月18日に東京都内で開催した北方領土での共同経済活動に関する初の日露次官級協議ではロシア側は「ロシアの法律に矛盾しないような条件に基づいて実現しなければならない」と主張、ロシア側は自国の主権に拘り、そして1年8カ月後の現在もなお、ロシア側のその姿勢に変わりはなく、「特別な制度」を創設するには至っていない。

 但し共同経済活動に関しては何を行うかの事業項目の選定は進んでいて、海産産物養殖、温室野菜栽培等5項目の事業が具体化されているという。要するに日露双方の主権を脇に置いた「特別な制度」に基づいてではなく、「特別な制度」を脇に置いた形で共同経済活動に関しての議論のみが進んでいることになる。
このような状況の下、次のようなことはあり得ないはずだが、「新たなアプローチ」としての「特別な制度」が用意できないままに共同経済活動が実施された場合、ロシアの法律のもとに行われることになり、その実施はロシアの北方四島に於ける主権を認め、日本の主権を引っ込める扱いとなって、少なくとも北方四島の帰属交渉は必要度の順位から外さなければならなくなる。

 このことを避けるためには日本政府が基本方針としている北方四島の帰属問題を解決して平和条約締結へと持っていく原則に忠実であろうとするなら、安倍晋三が「平和条約締結を前進させていく決意」を持ち、その手助けとして北方四島での日ロ共同経済活動を考えているなら、先ずは「特別な制度」の創設をプーチンに認めさせなければならない。
認めさせて初めて、北方四島の帰属交渉も平和条約締結交渉も前へと進むことになる。認めさせることができなければ、前へ進まない。

 となると、言うべきは「特別な制度」をプーチンに認めさせるための議論をどう進め、どう決着させるかであって、そのことを前提としなければならないにも関わらず、21回も首脳会談を行い、積み重ねてきた信頼関係をどう活かしたのか、認めさせることができないうちに前提を省いて「平和条約締結を前進させていく決意」を勇ましげに言う。

 ここに安倍晋三の言葉の軽さを否応もなしに見る。

 勿論、プーチンは北方四島を返還する気はないのだから、「特別な制度」を認めさせることも、帰属交渉も、これらの解決が前提となる平和条約締結交渉への取っ掛かりも難しいことは理解できる。

 これらの難しさはプーチンが2016年12月15、16日の長門での安倍晋三との首脳会談後の共同記者会見で、1855年2月7日に伊豆下田で締結された日露和親条約から第2次世界大戦集結までの歴史を紐解き、1905年の日露戦争から「40年後の1945年の戦争の後にソ連はサハリンを取り戻しただけでなく、南クリル諸島も手に入れることができました」との物言いで、このことが最終決着であるかのように発言しているところに現れている。
このプーチンの北方四島を返還する気はない難しさを踏まえるなら、平和条約締結交渉だけではなく、安倍晋三自身が締結の前提とした共同経済活動のための「特別な制度」に関わる議論も難しいことは当然であって、このような難しさを抜きにして、それとは反対の前進させることが可能であるかのように聞こえる言い方を用いたのである。
言葉が軽さは人間の軽さに対応する。相当に人間が軽く出来上がっているように見える。

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