安倍晋三支持で細田派が派内議員に誓約書と自民党の新聞・通信各社への公平・公正報道要請に見る内心の自由の侵害

2018-09-04 11:55:17 | Weblog
 

 日本国憲法は第3章国民の権利及び義務 第19条で、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」ことを国民の権利として保障、国民に許される自由として国家権力による侵害を禁じている。これを内心の自由という。

 国家権力による国民に対する内心の自由の侵害は国家権力を絶対とし、国民を国家に従属した存在と看做す思い上がりに起因する。その絶対性が、戦前の国家権力、特に軍部に於いて見てきたように何ら縛られることのない、自らも規制することのない無限の権力を志向することになる。

 自民党最大派閥で安倍晋三出身母体、安倍晋三の自民党内最大支持基盤である細田派(94人)が9月の党総裁選で連続3選を目指す安倍晋三支持の誓約書に署名させることを決めたと、2018年9月1日付「YOMIURI ONLINE」が伝えていた。

 誓約書は、「全力を尽くして応援するとともに、必ず支持することを誓約する」などと書いてあると、その文面の一部を紹介、〈首相の出身派閥が所属議員から誓約書を取るのは極めて異例。〉と批判的に取り上げいるが、対して派内からは「うちの派で造反議員がいると思っているのか」(中堅)などと反発する声が上がっていると内情を明かしている。

 要するに造反議員がいるはずはないという予測を以って誓約書を用意することも、用意した誓約書へのサインも必要なしの論であって、支持・投票は自らの思想及び良心の自由に照らし合わせて行うもので、例え安倍晋三に投票するつもりでも、誓約書へのサインは他から強制されて行う形を取ることになって、内心の自由の侵害への抵触に相当するのではないのかとの疑義さえ浮かばなかったのか、その観点からの声は上がっていないようだ。

 記事は、〈誓約書に署名させることを決めた。〉と書いていて、9月3日発足の合同選挙対策本部に提出するとしていたが、実際に誓約書にサインさせて、合同選挙対策本部に提出したのかどうか、マスコミは伝えていない。マスコミ報道によって問題視されるのを避けるために見合わせたということもあるが、例え見合わせたとしても、そういう発想をすること自体が既に安倍晋三を候補者として絶対的な存在だと位置づけていて、その絶対性に署名という強制力で以って派閥所属議員を強制的に従わせようとする内心の自由への侵害を自らの精神に芽生えさせていたことに変わりはない。

 但し、〈首相支持の麻生派、二階派はすでに所属議員の署名付きの推薦状を作成していた。細田派幹部は「他派閥と足並みをそろえる必要がある」と説明している。〉と記事が書いていることからすると、細田派だけではなく、それぞれの派閥のボスによって内心の自由への侵害を厭わない強制力がそれぞれの派閥所属議員に向かって発動されていたことになるだけではなく、勢力のある一つ二つの派閥が始めると、他の派閥もそれに追随しやすい体質を抱えていることまで露わにしている。

 しかしこういった強制力が働くこと自体が安倍晋三を支持する派閥のボスたちをして安倍晋三を絶対的な存在だと位置づけることを安倍晋三自身が許しているからに他ならない。安倍晋三に正直さや公平さ、謙虚さがあったなら、公明正大な総裁選を求めて、自身を絶対的な存在だと位置づけることを決して許さないだろう。

だが、許している。その結果、安倍晋三支持の誓約書にサインさせようとする、あるいはサインさせる内心の自由への侵害に相当する動きが派閥単位で発
生することになった。

 内心の自由への侵害はこの件に関してのみではない。

 自民党が8月28日付、総裁選挙管理委員長野田毅衆院議員名で7日告示・20日投開票の総裁選に関して「総裁選挙に関する取材・記事掲載について」と題した、「公平・公正」な報道を求める内容の文書を新聞・通信各社に出したと、「朝日デジタル」(2018年9月3日19時45分)記事が伝えている。
  
 先ず自らの選管委が「すべての面において公平・公正が図れるよう全力を尽くしている」と前置きして、

 ①取材は規制しない
 ②インタビュー、取材記事、写真の掲載にあたっては、内容、掲載面積などで各候補者を平等、公平に扱う
 ③候補者によってインタビューなどの掲載日が異なる場合は掲載ごとに全ての候補者の氏名を記し、②の原則を守る

 「この3点を留意点として求める」と要請しているという。

 記事解説を見てみる。〈自民党側は、過去の総裁選でも同様の文書を出してきたと説明するが、安倍政権下では報道機関への「介入」と受け取れる事案が目立つ。2014年衆院選の際には、NHKや在京民放5局に選挙報道の「公平中立」を求める文書を送付。直前に安倍晋三首相が出演したTBSの番組でアベノミクスの効果が感じられないとの街頭インタビューに対し、「全然声が反映されていない。おかしいじゃないですか」と不快感を示したこともあり、「報道圧力」との批判を浴びた。今回の総裁選はそもそも、一政党の代表を選ぶもので、公正な選挙の実現を目的とする公職選挙法が適用されることもない。

 政治とメディアの関係に詳しい専修大の山田健太教授(言論法)は、自民党が今回出した文書について「強い公益性を有する政権政党が法的根拠もなく表現を規制することは決してやってはいけない。量的な公平を求めるのも、『公平』の解釈に問題がある」と指摘。「『公平・公正』を求めることは政権与党にとっての『偏向報道』を許さないということの裏返しであり、政権批判を許さないという姿勢に近い。結果として自由にものが言えなくなり、社会の分断を後押しすることにつながりかねない」と警鐘を鳴らす。

 一方、名古屋大大学院の日比嘉高准教授(日本近現代文化)は、真実や事実を軽視する「ポスト・トゥルース」(脱・真実)の傾向が強まる世界的風潮のなかで、「何が『公平・公正』であるか、社会的に共有できる軸が失われかけている」と指摘。そうした状況のなかで自民党が報道機関への要請を繰り返すことも、「公平・公正を判断する軸が手前勝手に作られないか注意深く見る必要がある」と話す。〉(文飾は当方)――

 日比嘉高准教授は今の時代の「公平・公正」の判断基準の不確実性を以って自民党が「公平・公正」な報道を求めたのは止むを得ないという姿勢だが、自民党が求めたのは自民党自身が考える、特に安倍晋三支持に身を委ねている自民党最大勢力が考える「公平・公正」であって、報道機関も含めて世間一般が考える、そうあろうとする「公平・公正」ではない。

 大体が、「何が『公平・公正』であるか、社会的に共有できる軸が失われかけている」と言っているが、では、軍部の独善行為が吹き荒れたが戦前の日本で、「公平・公正を判断する軸」は軍部側に大きく偏ることもなく、より中立な「公平・公正」を厳格に保っていたと断言できるのだろうか。

 いつの時代にも自分たちが考える「公平・公正」を押し通そうとする勢力が存在する。国家権力を握っている側がそういった勢力を形成して、国家権力を監視することを役目の一つとしている新聞・通信各社が考える「公平・公正」に任せることができずに自分たちが考える「公平・公正」を求めた場合、それが国家権力側の牽制であろうと、新聞・通信各社側の忖度をベースとした自主規制という名の受容であろうと、自ずとそこに国家権力側を絶対とする支配と従属の影が生じることになる。

 国家権力側が新聞・通信各社側に発動する支配と従属は、それがはっきりとは見えない影のようなものであっても、新聞・通信各社側に対する内心の自由への侵害に相当する。

 細田派が派閥所属議員のサインをした誓約書の提出を考え、あるいは提出した、麻生派と二階派が派閥所属議員のサインをした推薦状を作成して、多分提出したことと自民党が「総裁選挙に関する取材・記事掲載について」と題して、「公平・公正」な報道を求める内容の文書を新聞・通信各社に出したこととは内心の自由への侵害という点で同質の出来事として重なる。

 上記記事が、〈安倍政権下では報道機関への「介入」と受け取れる事案が目立つ。〉と書き、当ブログでも安倍晋三のそれとない姿勢での言論への介入を何度か取り上げてきたが、安倍晋三自身、自己愛性パーソナリティ障害から発している自己を絶対とする思い上がりが絶対としない報道機関を許せず、否応もなしに報道介入という形を取るのだろう。

 その精神の危険性に気づかなければならない。

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