選挙と政治に於けるカネの力を無化する

2007-01-02 09:41:14 | Weblog

 ある友人から次のようなメールが送信されてきた。

 「2007年1月2日。夏の参院選挙、自民党敗退という期待した初夢は残念ながら見ることはできなかった。夢は現実で見るべし」

 その通りだと思ったから、これを合言葉にしようと、さっそく他の友人たちに送信した。

 佐田前行革相の政治資金収支報告書虚偽記載疑惑。7800万円は何に使われたのか。06年12月31日、今年最後の「朝日」朝刊に、魚住汎英自民党参議員が「元自民党副総裁(故人)の『サイン入り』とされる囲碁セット売買の形を取って」「福岡市の資産運用コンサルティング会社『エフ・エー・シー』の関連団体『WBEF』から、インドとの文化交流を主催している任意団体『インド文化協会』を通じて」「2千万円が提供されていたことが30日、関係者の話でわかった」と出ていたが、その「2千万円」は「NPO法人申請で口利きか」と見出しに書いてあるように口利き謝礼らしく、捜査当局は「あっせん利得処罰法での立件を視野に調べている」とのこと。

 件のサイン入り囲碁セットが「捜査関係者は『材質などの面からもほとんど価値がない』としている」点と、「売買を仲介したというインド協会の会長は「魚住先生から『1億円の価値があるから』と頼まれて仲介し、議員会館で2千万円を手渡したという」点から、「インド協会」とその「会長」自身にも胡散臭さを感じるが、立証されていない現時点でも、限りなく黒に近い、あるいは黒そのものと言える真正の事実と見なせなくもない。

 ウラ献金・迂回献金・斡旋利得・収賄etc.etc・・・・。なぜかくも不正まで行ってカネを必要とし、不正にカネを懐するカネ亡者が多いのか。カネを国会議員の身分を手に入れ、維持する手段としているだけではなく、国会議員の何様にのさばるための権力獲得手段としているからだろう。億のカネが女たちにセレブを約束するように、億・千万のカネが実力者としての名実を約束する政治世界事情となっているからだろう。

 特定企業から知事選挙時の資金の便宜を受け、それが腐れ縁となって、見返りの便宜として当選後に特定企業に公共事業を知事の意向一つで受注させ逮捕された宮崎県の前知事。実弟と組んで天の声を発し、公共事業を談合操作して、その見返りに土地を価値以上の値段で引き取らせてその差額をウハウハの儲けとして逮捕された前福島県知事――すべてがカネを自らの力としていることからのカネ漁りだろう。

 政治の世界は政策の差別化は官僚への政策づくりの丸投げや官僚が提起し党が纏めた政策への便乗をそうしたと思わせない口先三寸のハッタリで誤魔化し、凌ぐことはできるが、仲間を周囲に集めて自分が頼りになる者として上に立つ地位の差別化は口にする政策は自分の創造性からのものではなく、その他似たり寄ったりだから、カネを力として、如何に有効に施し、施された者をして、あのカネが役に立ったと思わせ、恩に着せて子分としてうまく取り込み、縛りつけるかにかかっている。子分が多い程、実力者の地位は保障される。

 この方法を最もうまく成功させた者が派閥の領袖ということだろう。

 政治にカネがかかる、選挙にカネがかかると言う。カネがかかるなら、カネのかからない政治・選挙方法を創造すればいい。政党助成金の範囲内で政治を行い、選挙を行えばいい。それができずに、カネの力に依存しているから、結果としてカネのかかる政治になっている。自分たちの想像性のなさ、チエのなさを棚に上げて、カネがかかる、カネがかかるとぼやいているに過ぎない。子どもよりも始末の悪い頭の悪さである。

 国会議員となるそもそもの振り出しから、自らの政治的創造性を恃むのではなく、ないから恃めないのだが、カネの力に頼って人を集め、支持者の数で当選のいい顔をし、その積み重ねで当選回数の地歩を固めていく。そのようにカネを保証人とし、カネで築いた実力と名声だから、それを維持するにもカネ、カネで、カネを常に用意していなくては不安でたまらず、カネから逃れることができなくなったことからの政治にカネがかかる、選挙にカネがかかるカネまみれ状況ということだろう。

 かくしてカネが地位と実力をつくり、地位と実力がカネをつくる相互循環が日本の政治世界に蔓延することとなった。幅を利かすこととなった。
日本の政治世界からカネだけを力とした無能政治家を放逐し、日本の政治をかつてマッカーサーが言った13歳の少年の知能程度から大人に向けて成長させる唯一の手段は当然カネの力を無化する以外に方法はない。

 その出発点は国会議員デビューのキッカケとなる選挙でのカネの無化に先ずは照準を合わせるべきではないだろうか。カネの力を無化することによって、党の政策であっても、少なくとも政策を説明する能力(プレゼンテーション能力)如何が国会議員デビューの優先的方法となれば、否応もなしにプレゼンテーション能力を磨いていく以外に国家議員の地位を獲得・維持し、それを高めていく方法はないことを学習することになる。

 二世議員であっても、カネの力ではなく、プレゼンテーション能力が試されるとなれば、親から棚ボタ式に受け継いだいだカバンだけではなく、ジバン・カンバンも、その効力は無化する

 親から受け継ぐか、同じ党の引退した先生が築いた跡を受け継ぐか、あるいは自ら築いていくか、ジバン・カンバン・カバンを築くことで選挙を制してきた従来型の選挙方法を一切禁止する。いわば現行の公職選挙法そのものを一新する。単に党の政策を似たり寄ったりの内容で言いっ放しで片付けることができる立会演説も、一票を投じてください、国会に送ってください、見掛けは男でも、中身はまだ男になっていないらしく、男にしてくださいと、政策とは何も関係ないことを喋るだけの選挙カーでの訴えも、あるいは一方通行で都合のよいことだけを叫び立てる街頭演説も禁止する。その他企業訪問も組合訪問も、電話でのよろしくお願いしますも禁止する。すべての後援会活動も禁止。せっせと増やした後援会員を介して親類縁者にまで網をかけ、動員する形で票を集める方式の、特定の有権者のみを対象とした選挙活動を基本とさせるのではなく、選挙区全体の有権者を対象とした選挙活動を基本とさせるためにである。

 以下の従来型に代わる選挙方法は何度か自作HPやメーリングリストに発表してはいるが、何も目新しいものではなく、テレビ各局の報道番組や討論番組で採用している方法を利用するに過ぎない。次のような内容の選挙活動・政治活動を唯一のものとして義務づけ、他は一切禁止する公職選挙法を新たに制定する。

 まず各地方テレビ局は交代で月に最低1回は、各選挙区の衆・参合わせた国会議員、及び次回衆・参選挙の立候補予定者を出席者とした政治討論番組を常設することとする。衆・参いずれかの選挙前はその選挙の立候補予定者のみを出席者とした討論番組とする。

 最も重要なことは、選挙前に各政党の党首による党首討論を中央の各テレビ局が交代で一回りさせる形式で行うことの義務づけを欠かしてはならない。政党の政策こそが社会のありようを決定づける。当然有権者は各党首の、特に政権党党首の政策説明を自らの投票行動を決定づける有効なカギとすることになるだろう。
 
政治に興味が持たれなくて視聴率が望めない場合を考えて、番組制作費は政党助成金から賄う。各国会議員は従来の選挙活動及び後援会活動の禁止によってそれぞれの活動費は不要となるから、政党助成金の減額が可能となり、減額分を番組制作費に回すことができる。

 上記メリットは、立候補者は党の政策を一方通行で主張していれば済んだ従来型が通用しなくなって、その代わりに政策に対する創造的なアプローチ(他の候補者と違ったアプローチの仕方)と説明の議論術が求められることになり、その裏返しとしてジバン・カンバン・カバンが通用しない状況をつくり出すことができることにある。

 新聞は立候補者ごとの選挙活動や新聞の要求に応じて各候補者が書き入れた政策・趣味・座右の銘・家族構成等の従来の政策紹介・人物紹介から、テレビの討論番組での議論を通して表面に表れる政策・人物がより実態に近いことから、その紹介に情報伝達の軸足を移さざるを得なくなるだろう。

 有権者はテレビの討論番組を見なくても、それを報じる新聞の地方版が目に触れたり、テレビの地方ニュースが耳に触れたりすることで、あるいはインターネットでも取り上げるだろうから、候補者の情報をそれ相応に意識的、あるいは無意識的に収集することになる。有権者が政党を投票基準としていたとしても、殆どの場合、最大の集合体は支持政党を持たない、いわば基本的には政党を投票基準としていない無党派層である。無党派層が選挙に於ける政党間の勝敗のキャスティングボードを握っていることになり、有権者全体で見た場合、政党を投票基準とする〝物差し〟は逆説を受けて絶対的なものではなくなり、相対化の憂き目に遭い、候補者は自分が所属する〝政党〟ばかりに依存しているわけにはいかず、例え泡沫候補者であっても、テレビ討論を通して無党派層に向けた働きかけに僅かでも力にならなければならなくなる。
 
 また、候補者は選挙活動・後援会活動に費やした時間を政策勉強に振り向けることができる。

 このような選挙方法を自治体の各選挙にも応用する。テレビ討論番組はときにはタウンミーティング方式を取り入れ、市民代表を討論に参加させ、政治家と議論を闘わせる。議論が馴れ合いかどうかは、すぐに分かることだろう。このような方法はタウンミーティングが不必要となり、不明朗な会計処理や委託もなくなり、世論操作も起きず、国庫の節約ともなる。

 テレビ各局は政府がスポンサーだからと親方日の丸に安住していたのでは、有権者の取捨選択を受けて適者生存の運命に曝されることになる。視聴率を少しでも高めることができるか否かは、あるいは他局との差別化を図るためには、視聴者を引きつける政策テーマを適宜創出することと、司会者が出席者たちから如何に白熱した議論を引き出せるか、各局の取り組み姿勢にかかってくる。

 出席者である各政治家、あるいは市民代表にしても周到な準備と討論術が要求されるのは言うまでもない。如何にカネを集めるかにエネルギーを費やすのではなく、いやでも政策を勉強せざるを得なくなるだろう。

 以上であるが、どうだろうか、この方法は。まあ、こうなることはないだろうが。カネ集めが大変でも、カネを力とした選挙活動・政治活動が野心さえあれば、政策的創造性がなくても、誰にもできて、一番性に合うものとなっているだろうから。日本の教師にとって暗記教育が一番性に合う、楽な教育方法となっているようにである。

コメント (2)
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