石原慎太郎が持つ日本人の血の絶対性

2007-03-28 10:23:46 | Weblog

 あるブログ記事に次のような興味を引く一文があった。石原慎太郎に関する文章である。

 <弟の石原裕次郎が結婚した時には、裕次郎を自分の部屋に呼びつけて、「在日の女なんかと結婚するのはお前の勝手だが、絶対に子供だけは作るなよ! この石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」って恫喝したことでもオナジミの石原慎太郎だけど、選挙のたびに、その弟の石原軍団を勢ぞろいさせて、自分の応援をさせてたんだから、まったくもって、厚顔無恥とはこのことだろう。>

 「この石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」

 「石原の家系」だけではない。日本のすべての家系が、日本人のすべての血が朝鮮人や支那人の血で汚されてはならないのです。それ程までにも日本人の血は純粋・絶対・優秀なのです。民族的にも日本民族の血は最優越の位置にある。日本人の多くが自らの意識に抱えている日本民族優越の思い・日本民族優越意識は日本人自らが創り出しだ日本の歴史と伝統・文化の美しさ・素晴しさによって裏打ちされ、完成させた確信・信念なのです。

 何と言っても、日本民族の起源である天皇が日本の美しい全歴史を通して自らの血を男子による万世一系の形で継承してきたのは、日本人の血が優秀であり、絶対的なものであったからで、そうでなければ、万世一系は無意味・無価値となり、万世一系なる言葉自体も担わせてきた輝き・勲章を失う。日本人・日本民族の優秀性・絶対性の凝縮された表徴が天皇であり、万世一系なのです。

 当然天皇・万世一系と日本人・日本民族の優秀性・絶対性は相互対応関係にある。

 1946(昭和21)年1月1日に発した『新日本建設に関する詔書』で、天皇は「朕ト爾等國民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい=物と物、人と人とを結び付ける役割を果たす大事なもの)ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて=その結果)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ」と言っているが、「日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有スト」する観念は決して「架空ナル」ものとはなっていなく、今以て多くの日本人の血の中に信念として、日本民族優越意識として生きづいている。意識の上で日本民族を世界の上に置く「世界支配」を健気にも日々果たしている。

 世界一美しい富士山も日本人・日本民族の優秀性・絶対性の大事な上に大事な表徴の一つとなっている。その美しさを日本人の血に反映・注ぎ込んで、富士の美しさと響き合わせている。日本人が日本には美しい富士山があると誇るとき、日本人をも美しいとイコールに位置づけることになるのはそのためです。

 だからこそ、何が何でもだからこそ、日本人の血が他民族の「血でけがされちゃかなわんからな!」なのです。難民を受け入れないもの、外国人労働者受入れに日系優先なのも、日本人の血・日本民族の血を優秀・絶対と価値づけて、他民族の血を、特に白人種以外の血を劣る血としているからなのです。

 従軍慰安婦問題で旧日本軍といった国家機関の関与を否定するのは日本民族の優秀性・絶対性に綻びを与えて自己否定の矛盾をきたすことになるのを防ぐためなのです。右翼政治家・下村博文官房副長官が「直接的な軍の関与はなかったというふうに私は認識している」としているのも、優秀・絶対の日本民族の代表格たる大日本帝国軍人が従軍慰安婦に強制的に関わって、浅ましい性欲の鬼と化していたなどとしたら、誇るべき優秀・絶対を失うからです。日本の美しい歴史・伝統・文化が美しくない歴史・伝統・文化となってしまうからなのです。安倍晋三以下、彼ら国家主義者は日本の美しい歴史・伝統・文化を守ろうと必死です。隠すことでしか、守ることができないからです。

 優越民族のファーストクラスにどっかりと踏ん反り返りながら、譬えるなら白人が登場した途端にファーストクラスを譲ってエコノミークラスにコソコソと退却する、日本民族優越意識を真っ向から裏切る、薄れたとは言うものの、まだまだ引きずっている白人コンプレックスは、日本民族優越意識が内弁慶か井の中の蛙が誇る程度の優越性となってまずいが、そこまで認識する客観的な目を持ち合わせていないことが、持ち合わせていないからこそ「家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」の日本民族優越意識を振りまわすことができるのだが、日本人にとって優秀であると信じ込む上での救いとなっている。客観的認識能力ゼロ民族、バンザイ!!

 国籍法が血統主義なのも、日本人の血・日本民族の血を優秀・絶対と価値づけているからこそです。天皇に見習って、日本人の血は日本人の血で永遠に万世一系と同形式を貫き通さなければならない。貫き通すことによって、日本の歴史と伝統・文化は美しさ・純粋さを守り通すことができる。「美しい国」日本は永遠の命を獲得することができるのです。

 安倍晋三「美しい」首相が「ポストという名前に大変抵抗を感じる。匿名で子どもを置いていけるものをつくるのがいいのか。大変抵抗を感じる」と赤ちゃんポストに反対なのも、同じ日本人の子と分かっていても、父親と母親がどこの誰か知れないことと他人が育てることが血の優秀性・絶対性を損なうと考えているからです。血の優秀性・絶対性は産んだ父親と母親が直接育て、社会に送り出すことによって、初めて些かも損なうことなく維持できる。どこの誰とも知れない子であってはならないのです。

 血というものは本人だけに関係する事柄ではなく、純粋培養的に受け継ぎ・受け継がれる継承によって日本人性・日本民族性を獲得し、血としての価値を高め、優秀性・絶対性を獲得して万世一系へとつながっていくのです。これが日本人の持つ〝血〟観です。〝痴漢〟ではありません。〝血液〟観という言葉を使ったら、優秀だ、絶対だといった精神的価値づけを入り込ませる余地を失うから、どうしても〝血〟観になってしまう。困ったものだ。

 石原裕次郎夫妻に子供ができなかったのは、妊娠する機会がなかったからなのか、兄石原慎太郎の厳しいお達しを守って子どもをつくらなかったからなのか、どちらかなのかと考えたが、当然兄慎太郎の厳しいお達しを守った結果でなければならない。そうであってこそ、血は裕次郎個人を離れて、日本人である兄慎太郎の「在日の血でけがされちゃかなわんからな!」の血を同じく引いて、「在日の血でけがさ」れないことを守った弟裕次郎となることができるからである。石原慎太郎が今回の都知事選で当選したなら、東京都民は今後4年間、優秀・絶対の日本民族の血を引いた小天皇を頭に抱くことになる。名誉なことではないか。

 但し、「在日の血」を引き、「在日の血でけがされ」た都民は石原慎太郎当選の暁には同じ4年間を石原都知事のいつ噴き出すことになるかもしれない差別の目を恐れ、差別の目を逃れ、コソコソと過ごすことを覚悟しなければならない。そのときは優秀・絶対の日本民族の一員ではないのだから、仕方のないことと諦めるか、ただただ石原が落選することを願うか。まあ、浅野史郎に頑張ってもらうしかないが。

コメント (6)
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