安倍首相のマヤカシの従軍慰安婦解釈

2007-03-04 18:47:54 | Weblog

 ――最初にご案内。

 ブログ<薔薇、または陽だまりの猫 「慰安婦」の人権の保護についての公聴会/米下院外交委員会 >に07年「2月15日に行われた米下院公聴会でのオランダ人ヤーン・ルフ・オヘルネさんの陳述の仮訳」が載っています。興味のある未アクセスの人はアクセスしてみてください。大変参考になります。
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 安倍首相や山本一太等が従軍慰安婦に関して「強制性」があったかどうかの問題で「狭義の強制性」とか「広義の強制性」という言葉を使っている意味が分からず、インターネットで調べても答えに行き着くことができなかったが、今朝3月4日(07年)の朝日朝刊に詳しく出ていて、やっと納得することができた。

 『「強制性」解釈のズレ波紋』。副題は「慰安婦問題首相の発言 対米韓で危機感も」

 ――従軍慰安婦に対する日本政府の姿勢に改めて関心が集まっている。1日の安倍首相の発言が海外で波紋を広げているほか、米下院では慰安婦問題で首相の公式謝罪を求める動きもある。首相は軍当局の関与と「強制性」を認めた官房長官談話を引継ぐ立場を変えていないが、談話が示す「強制性」の定義をめぐる解釈のズレも、様々なあつれきを生む背景にあるようだ。(藤田直央、ワシントン=小村田義之)
 首相が河野談話継承を表明したのは、中韓両国訪問を控えた昨年10月上旬の衆院予算委員会だ。
 この時、首相は「家に乗り込んで連れて行った」ことを「狭義の強制性」とし、「行きたくないが、そういう環境の中にあった」ことを「広義の強制性」と説明。その上で、「今に至ってもこの狭義の強制性については事実を裏付けるものは出てきていなかったのではないか」と指摘し、「広義の強制性」を認めた河野談話を引継ぐという考え方を強調した。
 河野氏は97年の朝日新聞のインタビューで「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書があったかと言えば、そういうことを示す文書はなかった。けれども、本人の意志に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明かだった」と語っている。
 首相が1日、記者団とのやりとりで「当初、定義されていた強制性」について「裏付けるものはなかった」と語ったのも同じ趣旨だ。
         (中略)
 首相の発言概要

 「河野談話」について安倍首相と記者団が行ったやりとりの概要は次の通り。
 ――自民党議連で談話見直しの提言を取りまとめる動きがありますが。
 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」
 ――強制性連行の証拠がないにもかかわらず(強制性を)認めたという指摘もあります。談話見直しの必要性は。
 「(強制性の)定義が(「狭義」から「広義」へ)変わったということを前提に考えなければならないと思う」
 ――(議連の)動きは中韓との関係に水を差す懸念はありませんか。
 「歴史について、いろいろな事実関係について研究することは、それはそれで当然、日本は自由な国だから、私は悪いことではないと思う」――

 安倍首相の立場は「軍の関与」は認めるが、強制的慰安婦問題はなかったとするものだろう。

 だが、安倍首相の論理には美しい国の美しい首相にふさわしいゴマカシがいくつもある。先ず第一番に河野元官房長官は言う。「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書があったかと言えば、そういうことを示す文書はなかった。けれども、本人の意志に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明かだった」

 ここでいう「広義」とは、〝一般的〟ということであり、「狭義」とは〝具体的〟な様子を指すのだろう。一般的な慰安婦問題は確かに存在した、しかし「強制性」を具体的に示す「狭義」の意味での慰安婦問題は存在しなかった――。

 誰が知恵をつけたのか、単細胞の安倍晋三が思いつくはずはない。「文書」がないことを逆手に取って「強制性」を「狭義」と「広義」に分け、そこに韜晦の線引きを行う言い逃れをやってのけている。しかし刑事裁判でも、物的証拠がなくても状況証拠を積重ねて有罪とするケースがあることを無視している。

 3月3日土曜日に記載した当ブログの「従軍慰安婦問題2」に引用したNHKテレビの「ソニアの日記」で解説は途中で「日本軍の抑留所部隊が作成した抑留者の死亡診断書です」と表紙に墨書で大きく『抑留者死亡関係書類綴』と漢字で書いてある赤茶けた一冊の書類を写し出して、「日本軍は終戦直前に抑留者に関する書類の焼却をを命じました。この書類は焼却を免れてオランダに残りました。昭和20年以降、死亡者の数は急速に増えていきます。終戦までに6300人を超える人が亡くなりました」と説明している。

 駐屯地を敵側に引き渡して撤退しなければならなくなったとき、関係書類を焼却するのは軍隊の常套手段であるし、政府にしても、純粋な軍事命令以外の国際条約に違反する命令・指示は、例え文書で行ったとしても、伝達され次第焼却を命ずるであろう。現在の企業でも不正を行って官憲に知れたとき証拠書類を焼却処分、もしくは廃棄処分するケースはある。「文書」がないからと言って、直ちに無罪放免とはいかない。無罪放免にさせようと「広義」・「狭義」に分別処理のマヤカシをやらかす。

 「美しい」を盛んに口にするが、美しくない政治家の代表安倍首相の「家に乗り込んで連れて行った」「狭義の強制性については事実を裏付けるものは出てきていなかった」という説明自体にも巧妙なまでのマヤカシを忍ばせている。

 オランダ民間人が抑留されていたアンバラワ抑留所にそこを日常的に管理している日本兵とは別の「日本兵士を乗せて二台の車がやって来」て「18歳から28歳までの女性」(HP「日欄歴史調査研究」のアンバラワ抑留所「強制慰安」(http://niod.nihon.nl/doc_body.php?tekst_par=kampen/ambarawa/14_1.txt)を強制的に連れ出した行為は「家に乗り込んで連れて行った」「狭義の強制性」の「事実を裏付ける」証拠例とはならないだろうか。

 例えそこが日本軍が設置した抑留所であっても、日常業務で出入りするのではなく、日常業務とは一切関係ない、また彼女たちにとっても日常的な生活行為に関係のない慰安行為をさせるために「二台の車」で押しかけたのである。その場所で誇り高い天皇の軍隊に所属する日本兵は日常業務に於ける「強制性」とはまるきり別個の「強制」力を働かせた。オランダ人女性にしたら、抑留所とは言え、自分たちが住まいとしている居住空間に「乗り込ま」れ、有無を言わせず「連れて行」かされた。これを「河野談話」が言う「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書」がないからと、「行きたくないが、そういう環境の中にあった」「広義の強制性」だと一般的な慰安婦問題とするマヤカシが許されるだろうか。

 最大の狡猾・巧妙なマヤカシは、「家に乗り込んで連れて行った」ことを「狭義の強制性」とする論理には、「強制性」が働く時点を「乗り込んだ」「家」にのみ置く自己都合を介在させていることであり、それ以外を一切無視していることである。

 軍に依頼された慰安婦募集業者が兵士相手に酌をするだけでカネになると甘言で釣り、とにかく軍に渡してカネさえ手に入れればこっちの勝ちだとあとはよろしくと早々に退散する。軍の方で女を慰安所に連れて行き、兵士に渡す。そんなはずはないと抵抗しても男の力には適わず、衣服剥され、強姦され、やっと解放されたと思ったら、次の兵士が待ち構えていて再び強姦同様に慰み者となる。いわば「強制性」は「家に乗り込んで連れて行った」形では働かなかったが、慰安所の特定の部屋の中で初めて顔を見せたのである。

 このような例を以て「行きたくないが、そういう環境の中にあった」「広義の強制性」(=一般的な慰安婦問題)だとすることができるのだろうか。

 もしそうすることができるとしたら、日本国内から暴力的に拉致された被害者と違って、松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんらがそれぞれの海外の留学先から暴力的な拉致行為によってではなく、面白い仕事がある、北朝鮮で働いてみないかといった甘言に釣られて北朝鮮工作員と共に平和裡に北朝鮮に入国したとしたら、あとで「強制性」が働いたとしても、慰安婦が軍隊に渡されるまで「強制性」が働かなかったと例と同じように入国の時点では「強制性」は働かなかったのだから、「広義」の拉致であって、「狭義」の拉致ではないとすることができるだろうか。北朝鮮側が北朝鮮「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に』『駆り出した』と書かれた文書」は存在しないと、文書の存在の有無のみで拉致を否定することもできることになる。被害者がのちに北朝鮮で生きていることが確認されたとしても、拉致を証明する唯一の方法は「文書」の存在のみで、どのような状況証拠も証明には無力としなければならなくなる。矛盾していないだろうか。

 「美しい国」安倍「美しい」首相の慰安婦に関わるマヤカシは北朝鮮・金正日将軍様の拉致問題に関わるマヤカシと同列・同根、軌を一にするマヤカシと言わざるを得ない。

コメント (2)
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