安倍・腰巾着下村の軽薄政治思想

2007-03-11 11:08:45 | Weblog

 朝日新聞07年3月9日の夕刊の「人・脈・記 安倍政権の空気⑤」に「遺児、母の愛こそ『教育』」という題名の記事が載っている。知性も何も感じることができない持ち上げコラムニスト、太鼓持ちの早野透の記事で、普段は殆ど読まないのだが、「河野談話」の見直し衝動を抱えた偉大な政治家、安倍晋三の腰巾着、当然安倍晋三と同じ穴の国家主義者である下村博文内閣官房副長官の写真が乗っていたから、つい読んでみる気を起こした。

 「戦後生まれの首相安倍晋三と同い年の内閣官房副長官、下村博文(52)は9歳のとき、父を交通事故で亡くしている。
 母はまだ32歳、3人の子を働きながら育てた。下村は交通遺児の奨学生第1期生として高校、早大を出て、東京で学習塾を開いた。政治をめざしたのは『弱い立場の人にこそ光は当たるべきだと言うのが原点なんです』。」

 「弱い立場の人にこそ光は当たるべきだ」と言うなら、格差を受けている国民の側に立つべきを、その逆の格差を与えている側に身を置いている。人間、口にすることと行うこととが常に一致するとは限らない。旧厚生省から大量の天下りを引き受けていた財団法人「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」(KSD)の古関理事長と親密な個人的関係を結んでKSD側から事務所家賃・秘書給与・党費・集票を肩代わりしてもらっていた見返りに参院本会議でものつくり大学設立促進の代表質問(1996.1)を行い、さらに当時の労働省側にものつくり大学への補助金増額を要請、増額させて総額5,000万円の利益供与を受けたとして受託収賄罪で逮捕された(01.3.1)参院のドンこと労相経験者村上正邦の人物像を朝日記事(『進軍の果て』の上/01.3.2.朝刊と下/01.3.4朝刊)は紹介している。

 「炭鉱労働者だった」「酒好きの父は小学校六年の時に他界し、母は行商をして四人の子を育てた。村上は、昼間は炭鉱で働き(測量係)、定時制高校に通った」苦労多き青春時代を送った。

 「村上は、著書の中で『私の末娘はダウン症』と明かす。地元の病院長は、夜遅くに発熱した三女をおぶって訊ねてきた村上を覚えている。『子どもに心を砕くいい父親に見えた』
 生まれたとき『一週間とは持たないでしょう』と言われたが、病院をかけずり回り、命をとりとめた。村上は著書で書く。
 『生命の尊さ、生かされていることのすばらしさを思ったとき涙がとめどなくあふれてきた。国のいのち、人のいのちを守るという政治家としての志は、この原体験に根ざしている』
 原点は、KSDのカネと票にまみれ、失われた。『ゴール』と思い定めた参院議長は、後一歩で永遠に届かぬ頂上となった」

 「原点」など、如何に当てにならないかの恰好の見本だろう。「原点」云々の多くは、功なり名を遂げた人間が現在の自分を美しく見せるために身に纏わせることとなった、見た目だけ美しいまがい物の宝石と疑った方が無難である。

 KSDからは自民党有力議員に政治資金という名で多額の金が流れていただけではなく、「9年間で延べ約63万人の分の党費、約15億6千万円を負担していた」(『自民党費15億円負担』01.2.26.『朝日』朝刊)というから、両者の金権振りには恐れ入る。「国のいのち、人のいのちを守る」を政治原点としていたからこそできたカネを力とした政治権力だったのだろう。

 「架空党員は、KSD会員の名前で無断使用して仕立てた場合と、実在しない人物を捏造した場合があった」と苦労の跡を窺うことができる。警察が捜査協力費流用に架空の名前や住所を使ったのに似ている。

 最初の記事に戻ると、「昨年10月、あしなが育英会が『格差社会になって遺児の母子家庭は食べるにも事欠き、高校進学もままならず』と安倍に陳情した。そばに下村がいた。」

 「そばにいた」のは自分自身が交通遺児だったという理由だけではなく、安倍晋三の腰巾着として当然のツーショットだったからではないか。しかし問題にしたいのは、そういったことではない。「格差」の存在を最初は小泉前首相と同じく認めず、民主党の追及質問で渋々と認めたが、渋々だから当然深刻には認めたわけではない安倍首相が格差の深刻な状況の「陳情」を受ける奇異で滑稽な矛盾状況に安倍首相だけではなく、「そばにいた」下村自身も何も気づかないまま「陳情」に対する定式的な応対で対応したノー天気がそこで演じられたのではないかという疑いである。少なくとも持ち上げコラムニスト、太鼓持ちの早野透は何も気づかなかったからこそ書けた文章に違いない。

 安倍晋三は「ハイ、ハイ、心して格差問題に取組みます」とでも答えたのだろうか。

 「自民党青年局、幹事長質、そして『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』。いつも安部のそばに下村の姿があった」(同記事)(やっぱり。)

 「いじめ、校内暴力、少年犯罪。世の中がすさんできたのは『そもそも教育基本法がよくないから』と改正案作りを試みた議員連盟で、下村は起草委員を務めた。
 『戦後政治は共同体や家族主義を壊してきた。母親が母乳を冷凍して仕事に出かけ、父親が職場を休んでそれを赤ちゃんに飲ませるだなんて。やはり母親の愛情が教育の出発点です』
 教育基本法の改正は昨年12月、成立した。新たに『家庭教育』の条文が盛り込まれ、『教育の第一義的責任は父母ら保護者にある』と歌う。下村は言う。
 『離婚が増えて母子家庭化が進んでいる。家族が一緒に暮らせる、できるだけ3世代で暮らす。保守主義の一つの柱ですね』
 それは古きよき日本の復活か?
 『そうですね』」(同記事)――

 国民全般から見た場合、「古きよき日本」など、どの時代に存在したのだろうか。ごく一般的な国民にとっては、経済成長以前の日本は生活の苦しく貧しかった時代ばかりで、「古きよき」は生活豊かな者でなければ、親が僅かな収入で苦しい生活を送っていたことも気づかずに無邪気に遊びまわっていた子供の頃を思い出したときにのみ現れる世界に過ぎないのではないだろうか。

 東北・北陸・沖縄・九州・四国の寒村地帯の若者たちは中学を卒業すると金の卵とおだてられて特別仕立ての就職列車に乗せられ都会に集団就職して行かざるを得ないほどに貧しかったのである。積雪地帯の父親は冬になると都会に出稼ぎが慣習化していた。日本の経済成長を油まみれ、汗まみれの汚れた姿で縁の下から支えたのは安い賃金の金の卵の存在であった。

 それ以前に遡ると、江戸時代だけではなく、明治、大正、昭和戦前は勿論、戦後も生活苦からの売春婦への身売りは跡を絶たなかった。1951(昭和26年)2月には「人身売買対策要綱」を作成して対策を講じなければならなかった。

 「文部省の調査(昭和27年11月)によれば、全国で約26万人の長欠児童がありその三分の一が家庭外の労働に従事しているといわれているが、この不幸な長欠児童こそ人身売買の大きな給源地帯といわなくてはならない」(『売春』神崎清・現代史出版会)

 『売春』は次のようにも述べている。「さいきん、石炭不況の反映として、炭鉱地帯における人妻を対象とした人身売買の激増が伝えられているのは、この人妻売春時代出現の不吉な前兆とみるべきであろう。『週刊読売』(四月一七日号)の『妻を売る筑豊炭鉱』によれば、『三月初めに福岡署が検挙した二十余名からなる「大規模な人買いグループ」は、福岡市内の特飲街と結んで、ほとんど福岡地区の炭鉱住宅から買い出した女を、それら特飲街に供給していたのだが、彼らの毒手にかかったものは娘よりも人妻の方がずっと多かった』」

 この炭鉱不況は1950年代(昭和30年代)を言う。特に50年代半ばがひどかったらしい。

 『売春』は「人妻売春時代出現の不吉な前兆」と言っているが、江戸時代も人妻売春があり、仕切っている男が客があると小僧にメモを持たせて、何人か抱えている人妻うちの一人の長屋まで行かせて渡させる。指示を受けた人妻はちょこちょこっと化粧して、指定された出会茶屋(現在のラブホテル)に出向き、予定のことを済ませて、小遣い稼ぎする。亭主の稼ぎだけでは生活が苦しいからの方便でもあるのだろう。客となる男の方も商売として構えた店の女よりも安くつくから、利用するに違いない。

 そして江戸の農村では食えない百姓の数の方が遥かに多く占めていた。

 こういった状況を見てくると、「古きよき日本」という前提そのものが崩れて、腰巾着下村博文の言っていることのすべてが怪しくなる。

 例えば「古きよき日本」が広い範囲に亘って娘を売春婦に売って生活を凌ぎ、人妻が夫と納得づく、あるいは内緒で男を取り、その収入を家計の足しとする、あるいは中学を卒業すると集団就職で故郷を離れるといった状況にあり、そういった状況を前提とすると、「家族が一緒に暮らせる、できるだけ3世代で暮らす」ことができていた家の間取りや経済状況に恵まれていた世帯数をどれ程弾き出すことができるというのだろうか。家の間取りは恵まれていたとしても、経済が保障されていなければ、娘を売ったり、男なら故郷を離れて働きに出なければならない。正月や盆の帰省を機会として「3世代」が顔を揃えても、日常普段の生活でそこに存在しない「3世代」なら、下村腰巾着の言っていることは洒落にもならない滑稽な戯言(ざれごと)と化す。少なくともこういった家族は多数存在していたはずである。

 経済成長を見るまでの日本に於ける「母親」は家に従属し、夫に従属し、子供にまで従属した存在として子どもを産み、育てることを社会の中での役目とされ、家族の中での役目とされてきた。だが戦後を出発点とした個人の権利意識の発展と経済成長を受けた女性に対する人手要求が(権利意識を単一条件として働いたその行き過ぎだけが原因となっているわけではない)家族及び夫に従属している存在ではなく、誰に従属しているわけでもない独立した個人・独立した人格として生きるようになったことが、まだまだ多くの矛盾を抱えた現在の日本の女性の状況であって、自民党系や自民支持者が責任逃れに頻繁に使う言葉だが、一党独裁の国ではないのだから、簡単に以前の状況に戻すことができると思っているのだろうか。ポルポトなら、確実にできる。安倍晋三や下村如き政治家にポルポトになるほどの覚悟はあるのだろうか。つまり下村博文は不可能なことを言っているに過ぎない。

 かつて日本の住まいは外国人からウサギ小屋と揶揄され、蔑まれた。確かに経済大国化によって日本の住まいの間取りは一時代前よりも広くなったが、それでも従前どおりにウサギ小屋と言ってもいい狭い建物に押し込まれて生活している生活者も多い。すべての世帯・すべての生活者に「家族が一緒に暮らせる、できるだけ3世代で暮らす」ことが可能な十二分な間取りを持った住まい、それを手に入れても日常的な家計を圧迫しないだけの収入を保障できる政策を自民党は実現させることができるというのだろうか。実現させるどころか、「格差の拡大」が問題となっているお粗末な状況に日本は立ち止まっている始末である。
 
 一戸建て所有者にしても、20年30年のローンが日々生計を圧迫しているだけではなく、日銀の利上による住宅ローンへの影響まで心配しなければならない状況下に現在暮らしている。

 政治家というものは「家族が一緒に暮らせる、できるだけ3世代で暮らす」家族状況を「保守主義の一つの柱」として掲げたなら、それを可能とする住宅政策・経済政策・「母親が母乳を冷凍して仕事に出かけ」なくて済む、いわば、少なくとも子供が小学校に入るまでは専業主婦を可能とする雇用政策、そうなると女性労働者に代わる雇用者確保のための外国人受入れ及び外国人雇用政策も絡んでくるし、そういった諸々の政策を相互に関連付けた全体的な政策を立体的に設計してから口にすべきだが、そうするだけの頭がない単細胞だからこそ、時代のネジを逆にまわさしたとしても実現できないことだと認識すらできないお粗末で程度の低い客観性を曝すことができるのだろう。口先だけのことを振り撒くだけで内閣官房副長官でございますと、それだけの肩書をいただけるらしい。

 まあ、日本の政治家はみなその程度だと言ってしまえば片付く問題ではあるが、その程度の政治家のクスリにもならない話を記事にする。持ち上げただけの始末の悪い記事で終わっているのも当然の結果なのだろう。同じ持ち上げるなら、もう少しましな政治家を取上げて欲しいと思うが、他にいないということなら、別の記事で紙面を埋めるべきである。

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