安倍晋三では日本の教育は取り戻すことはできない/自立(自律)した児童・生徒は育成できない

2012-12-09 12:34:37 | Weblog

 自民党は選挙公約で、「日本を取り戻す」をテーマとしている。選挙コマーシャルでも、「日本を取り戻す、教育を取り戻す」と自信たっぷりに断言している。

 だが、安倍晋三はその自信たっぷりの断言に反して「取り戻す」ことはできないだろう。

 少なくとも教育に関しては取り戻すことはできないと断言することができる。

 安倍側近が2006年11月16日に安倍晋三が成立させた改正教育基本法の具体化に関して安倍自身の思いを代弁しているのだろう、「民主党政権になってから、改正教育基本法の理念が教育現場で生かされていない」(毎日jp)と言っているそうだが、教育の責任は民主党政権のみならず、自民党政権にもあり、共同責任であるはずである。

 そのことを自覚せずに民主党政権のみに責任転嫁、特に民主党の有力な支持母体の一つである日教組を日本の教育荒廃の元凶、もしくはA級戦犯に位置づけ、憎悪の対象としているが、大いなる心得違いと言わざるを得ない。

 《安倍自民総裁、日教組を批判 「学校サボって民主支援」》47NEWS/2012/11/25 12:51 【共同通信】)

 11月25日のテレビ朝日番組。

 安倍晋三「今でも恐らく、学校をサボって民主党議員のポスターを張っているのは日教組の先生だと思う」

 記事解説。〈北海道教職員組合による小林千代美元衆院議員陣営への不正資金提供事件で、教職員の勤務実態が問題になったことを踏まえて日教組による民主党支援の在り方に疑問を呈した発言だが、民主党側から反発が出そうだ。〉――

 安倍晋三(輿石民主党幹事長を念頭に)「幹事長が日本の教育をゆがめてきた日教組のドンだ。民主党の本質がそこにある」――

 安倍改正教育基本法が、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」云々と、いわゆる愛国心教育を眼目の一つとしたことについて、安倍晋三は当時次のように国会答弁しているそうだ。

 安倍晋三「心は評価することはできない。だが日本の伝統と文化を学ぶ姿勢や態度は評価の対象にする」(Wikipedia

 ここに安倍晋三の精神性が現れている。「日本の伝統と文化」を学ばさせることが愛国心涵養につながるとする価値観は「日本の伝統と文化」を日本人精神の主たる権威とする権威主義に立っていることによって成り立つ精神性であろう。

 思想・信条の自由を保障されている民主国家日本に於いて何を精神の権威としようと自由であるはずだが、戦前からつながる「日本の伝統と文化」に限定して日本人精神の主たる権威だと国家権力を以って上から強制する権威主義は国家主義そのもので、こういったことが安倍晋三をして国家主義者足らしめている。

 また愛国心評価であるが、親切な人間であるか、そうでないか、辛抱強い人間であるか、そうでないか、あるいは粗暴かそうでないかといった人間の内面は日常行動に於いて自然と現れる。だが、愛国心に関しては戦前とは違って愛国心表現の対象が乏しい現在、日常行動での表現は限られることになる。

 戦前に於いては、「鬼畜米英」と叫べば、それが愛国心表現となった。町内会一丸となって、竹槍を天に向けて突き刺せば、それが愛国心表現となった。

 戦後の現在、愛国心表現は「日本の伝統と文化を学ぶ姿勢」を見せること、さらには国旗掲揚時に国旗に向かって直立不動の姿勢で敬意を込めて正対するとか、国歌斉唱のときも直立不動の姿勢でしっかりと歌うとかに限られる。

 だが、こういったことはその場限りの形式で演ずることもできる愛国心である。

 「心は評価することはできない」と言いながら、愛国心という「心」を「日本の伝統と文化」を日本人精神の主たる権威とする権威主義や形式で演ずることができる愛国心表現で評価しようとした。

 ここに矛盾が存在しないと言えるだろうか。

 よりよい評価を得ることを目的とした愛国心表現の蔓延を招くことは戦前の非国民というレッテル貼りを恐れて、それを避けるためだけを目的とした愛国心表現の蔓延が証明してくれる。

 こういったことを考えることのできない安倍晋三の合理性を欠いた判断能力からはどのような教育改革も望むことはできまい。

 安倍晋三の思いを代弁しているだろう安倍側近の「民主党政権になってから、改正教育基本法の理念が教育現場で生かされていない」と言っていることについて、安倍内閣は2006年10月10日、教育改革政策策定の教育再生会議を設置している。

 この教育再生会議は小渕内閣2000年3月設置の教育改革国民会議を受け継ぐ組織であり、その焼き直しである。

 小渕内閣を引き継いだ森喜朗内閣教育改革国民会議の2000年12月22日最終報告は「教育を変える17の提案」を内容とし、「教育の原点は家庭」だとか、道徳教育や奉仕活動の導入、「伝統文化や社会規範」の尊重、「郷土や国を愛する心や態度」の育成を謳っている。

 安倍晋三教育再生会議も、「家庭は教育の原点」だと謳っているし、「学校は、『道徳の時間』について十分な授業時数を確保し、体験的活動や心に響く教材を取り入れる。また、地域や企業の有識者を招いた授業を実施するなど、道徳教育を形骸化させない」と道徳教育の強化を求めているし、奉仕活動に至っては、高校での奉仕活動の必修化ヘと一歩踏み込んでいる。

 伝統・文化に関しては既に触れたように安倍晋三改正教育基本法で「伝統と文化」の尊重を、さらに教育改革国民会議「郷土や国を愛する心や態度」自体が同じく改正教育基本法で、「我が国と郷土を愛する」へと引き継がれている。

 これらの要求項目によって児童・生徒の規範意識、社会規範を育むということだが、小渕内閣が2000年3月に教育改革国民会議を設置、それを受け継いで森内閣が「教育を変える17の提案」を行い、安倍晋三が新たに教育再生会議を設置、安倍晋三退陣後も具体化の方法論は福田内閣に向けて第3次報告、最終報告と続いたが、理念は2006年11月16日の安倍晋三改正教育基本法で一応の結実を見たはずだ。

 小渕内閣の2000年3月から始まって、政権交代、麻生太郎首相退陣の2009年9月まで9年の年月を経ていながら、自民党政権下で日本の教育の再生は果たして成し遂げることができたのだろうか。

何ら変わらず、日本の教育の質は以前通りのまま続いた。だからこそ、安倍晋三は政権復帰を果たしたなら、マニフェストで、「教育を取り戻す」、「教育の再生」を掲げたはずだ。

 いわば9年の年月を費やしていながら、自民党政治は安倍政治をも含めて、日本の「教育を取り戻す」に力を持たなかった。

 当然、安倍晋三の思いを代弁して、「民主党政権になってから、改正教育基本法の理念が教育現場で生かされていない」は既に指摘したように責任転嫁以外の何ものでもない。

 尤も安倍晋三に日本の教育を取り戻して欲しくないという日本人は多く存在するはずだ。断るまでもなく、国家主義の支配下に置くことになる、その立場からの日本の「教育を取り戻す」を姿勢としているからだ。 

 国家主義とは「国家を全てに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(『大辞林』)三省堂)であって、国家を上に置いて国民を下に置き、下の国民をして上の国家に従属させる最大の権威主義を意味する。

 教育政策に関してマニフェストは、〈自民党は、世界トップレベルの学力、規範意識、そして歴史や文化を尊重する態度を育むために「教育再生」を実行します。〉と謳っているが、日本の暗記教育は教師を児童・生徒に対して上に位置させ、教師に対して児童生徒を下に位置させて、上に位置する教師が与える知識・情報に対して下に位置する児童・生徒にそのままなぞる形で従属させる構造を取るゆえに兼々権威主義教育だと言ってきたが、この教師の上からの知識・情報の伝達と児童・生徒の教師からの知識・情報をそのままなぞる形の受容という権威主義的関係下の規範意識の涵養は一般授業に於ける知識・情報の授受と同じく、教師の教える規範をそのままなぞる形で自身の規範とする経緯を辿ることになる。

 暗記教育が教師と児童・生徒間の知識・情報授受の間に児童・生徒の考えるブロセスを用意していない構造となっているからに他ならない。

 児童・生徒が自身で考え、判断し、納得した上で自身の精神性とするのではなく、考えも判断もせずに教師が言う規範を暗記する構造を取るということである。

これはしてはダメだ、あれはしてはダメだと指示・命令することを、あるいはこうせよ、ああせよと指示・命令することを単に暗記して、暗記したあるべき行動を必要に応じて形に現す。

 当然、皆が皆、ほぼ同じ規範行動となって、戦前同様に 右向け右人間を作ることになる。

 いや、暗記教育は戦前で終わりを告げたのではなく、戦後も受け継いで今日に至っているゆえに横並び型人間やマニュアル人間等の右向け右人間を世に出現させることになっている。

 児童・生徒自身が考え、判断して自らが決めるという知の構造こそが、児童・生徒が知識・情報の取捨選択、判断等に関してそれぞれが独自の形を取って行くことになる自立(自律)の精神構造へと児童・生徒を向かわせるはずだが、暗記教育は常にその逆をいっている。

 日本の教育がこのような構造となっていることに思い至らなければ、いくら規範意識を植え付けようとしても、ムダな抵抗として終わるだろう。

 要するに安倍晋三の国家主義という権威主義そのものが暗記教育を体現するしているのである。

 国家主義の最悪の表現は自分たち国家に都合のいい知識・情報で国民を統一、同じ行動を取らせることである。現在の北朝鮮がそのような状況にある。

 安倍晋三は12月16日、選挙応援に駆けつけた大阪・北区の街頭演説で次のように勇ましいことを発言している。

 安倍晋三「すべての子どもたちが、高い学力や道徳心、規範意識を身につける機会を保障していく。子どもたちに、何が正しいふるまいで、正義とは何かを教える、まっとうな教育を取り戻していく」(NHK NEWS WEB

 児童・生徒に対して知識・情報の暗記を専らとさせ、自ら考え、判断して自分なりの知識・情報へと昇華させる取捨選択能力・咀嚼能力を育む教育構造とすることができない日本の教育となっているという認識を国家主義者らしく持たない安倍晋三には、暗記知識ではない真の「高い学力」、自分で判断して行動する「道徳心、規範意識」は身につくはずはなく、当然、「子どもたちに、何が正しいふるまいで、正義とは何か」は自分で判断できず、他人の判断に任せたり流されたりすることになり、自立(自律)心の育みは望みようのない「まっとうな教育を取り戻していく」ことになる。

 自ら考え、判断して自分なりの知識・情報へと昇華させる取捨選択能力・咀嚼能力を育むことを通して自立(自律)心を養う教育はゆとり教育の総合学習が目標としていたが、安倍晋三教育再生会議はゆとり教育の見直しを謳い、実現させることとなった。

 この点からも、安倍教育改革では児童・生徒が自身で考え、判断して行動する、当然そこに責任が生じる自立(自律)心に基づいた真の規範意識は身につけることができないことになる。

 要するに安倍晋三という政治家自身の認識能力・判断能力が問題だということである。

 そこを直さない以上、制度やその他、何をどういじろうとも、いじっただけで終わることになるはずだ。

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嘉田「日本未来の党」代表に開き直りと強気のススメ

2012-12-08 10:40:55 | Weblog

 共同通信社が12月4、5両日に行った全国有権者約12万3700人対象の電話世論調査。《衆院選:自民単独過半数の勢い、民主は激減 序盤情勢調査》毎日jp/2012年12月06日 05時00分)

 自民党は小選挙区、比例代表ともに優位に立ち、単独過半数(241議席)確保の勢い。公明党と合わせ300議席を窺う。

 民主党は公示前の230議席から激減し70議席前後となる可能性。

 可能性?危険性と表現すべきように思えるが。

 我が貧乏人が支持する「日本未来の党」は。

 公示前62議席から大きく減らして小選挙区、比例合わせても15議席前後。

 調査通りだとしたら、大惨敗の危機に立たされていることになる。後のない断崖絶壁に立たされていると言うべきか。

 注目の「日本維新の会」は、〈比例で自民に次ぐ第2党を民主と競うが、小選挙区は大阪を中心にした勢いを全国に広げることに腐心している。小選挙区、比例を合わせ50議席に届かないことも想定される。〉・・・・・

 維新が50議席に届いたとしても、自民党が単独過半数を確保、確保しなくても、公明党と連立で単独過半数を優に超えた場合、「Wikipedia」によると、参議院議員は3名となっているから、キャスティングボードを握るチャンスは限りなくゼロに近くなる。与党に対する発言力確保の余地と対応することになるから、この状況は衆院50議席にも反映される確率も高くなって、存在感に影響するはずだ。

 どのマスコミの序盤情勢も似たり寄ったりで、自民党は油断して切り崩しに合わないよう、引き締めにかかっている。

 「日本未来の党」の嘉田由紀子代表はこの公示前62議席から15議席前後の情勢が想定外も想定外、まるきりの想定外だったのだろう。つい弱気な発言を行なっている。

 《【衆院選】未来の嘉田代表「小沢さんのイメージの影響も」 世論調査で苦戦の理由》MSN産経/2012.12.7 13:34)

 12月7日、序盤情勢の低評価についての記者団に対する滋賀県庁での発言。

 嘉田由紀子代表「(合流した)小沢(一郎)さんのイメージの影響もあると思う。

 原発ゼロ社会や子供・若者・女性に優しい社会をつくるなど、政策に限った連携です。

 各地で遊説していると『小沢さんのファンなんだよ』と言って走り寄って来る方もいる」

 記事は嘉田由紀子代表と小沢氏との連携に関して、〈小沢氏らとの連携に触れ「原発ゼロ社会や子供・若者・女性に優しい社会をつくるなど、政策に限った連携」と強調。〉と表現しているが、嘉田代表は小沢氏が「政治とカネ」の問題でダークイメージがあることを意識して、あくまでも「政治とカネ」の問題とは関係のない純粋に政策のみの連携だと言いたかったのだろうから、「政策に限った連携」であることを強調するために、断定の意味を含む「です」を付け加えた。

 だとしても、「(合流した)小沢(一郎)さんのイメージの影響もあると思う」と言った上で、「政策に限った連携です」と続けて小沢氏のイメージと政策を別個扱いした連携だとした場合、マスコミ調査の低評価に対して嘉田氏自身には責任はないとする自己正当化の発言とはなり得るが、自己正当化の代償として小沢氏に対する他者否定の発言となって、小沢氏が連携相手である以上、矛盾を来す否定となる。

 連携相手とした以上、イメージと政策を区別できないということである。

 最初から小沢氏に対する世間のイメージを承知の上で連携したはずだ。いわば政策がイメージを相殺して余りあると判断して、イメージを丸呑みして、政策を選択したということであろうし、連携した以上、そうでなければならない。

 私自身も小沢氏に対するダークイメージを丸呑みする形で、他の政治家には望むことができない優れた政治的資質として、その指導力・実行力に期待している。

 それを今になって小沢氏のイメージを持ち出して、序盤情勢の低評価はその「イメージの影響」だとして小沢氏を悪者とし、自身を正当化する。

 いくら弱気になったとしても、代表としてあるまじき態度だと言わざるを得ない。

 言うべきは次のような強気の発言だったはずだ。

 嘉田由紀子代表「小沢氏は強制裁判で無罪を勝ち取ったのだし、政策構築能力や官僚を使いこなす実行力・指導力には優れたものがあるのだから、国民は小沢氏に対するマイナスイメージからそろそろ抜け出して欲しい。私達は序盤情勢にめげずに最後まで共に戦っていく」

 このように強気に発言することによって、嘉田氏自身の自己正当化の発言となると同時に小沢氏を正当化する発言ともなって、結果として有権者に対する強いメッセージとなる情報発信とすることができるはずである。

 また、こういった前向きの姿勢こそが少なくない挽回の機会ともなるはずである。

 結果的に選挙で惨敗することになったとしても、まだ結果は出ていない選挙戦途上なのだから、強気、強気の姿勢を貫かなければ、些かの挽回も期待できないことになる。

 橋下徹は言っていることはかなりいい加減なところがあるし、石原慎太郎との政策の違いを誤魔化すいい加減さを見せているが、強気、強気で押しているから、それなりの人気を確保できている。

 怯んだら、ジリ貧状態を招くだけとなる。例え負け試合であっても、最後まで強気を貫くことこそがダメージを小さくし、最善を尽くしたという好印象を与えることができる。

 2010年12月23日、小沢一郎氏はインターネット動画番組に出演、11月の横浜アジア太平洋経済協力会議(APEC)出席で来日した胡錦涛中国主席と会談したと発言、これが事実ではなく、実際に会談したのは小沢氏が民主党代表時代の2008年5月だったことが判明したが、本人が1カ月前と2年以上も前のことを記憶違いすることはないだろうから、言葉足らずだったのだろう、2008年の会談の際、小沢氏は胡錦涛主席に次のように発言したという。

 小沢民主党代表(没落する貴族を描いた、バート・ランカスター主演映画『山猫』の一節を引きながら)「変わらずに残るためには、変わらなければならない。これが私の人生の政治哲学だ」

 これは中国共産党独裁体制の転換を暗に求めた発言だという。

 この会談に同席していた前原誠司が発言の事実を証言している。《「小沢氏の『この前』は2年半前だ」前原外相が小沢発言否定》MSN産経/2010.12.28 18:09)

 12月28日の記者会見。

 前原誠司(小沢氏が「この間」会談したというのは、)「2年半前の2008年5月の訪日だ。

 小沢氏が山猫の話をしたのを覚えている。小沢氏の頭の中では『この間』が、2008年5月のことなのだと理解している」

 菅直人や野田首相だったら、胡錦涛主席と会談した機会を捉えて、面と向かって、それが遠まわしのものであっても、中国共産党独裁体制の転換を求める発言などできただろうか。

 小沢氏だからこそできた発言であるはずである。強力な指導力・強力な実行力が自然体の対等の関係をつくり出すことができる。

 強力な指導力も強力な実行力もない政治家は外国首脳に対して虚勢を張ることはできても、虚勢の裏で自身を外国首脳に対して下に置くことになる。

 虚勢からは力ある言葉も創造的な言葉も、さらには直言も生まれてこないからだ。

 嘉田由紀子「日本未来の党」代表は腹を括って開き直り、強気で戦い抜く覚悟を持つ以外に道は残されていない。

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安倍晋三200兆円規模大型公共事業を橋下徹の「政治家と官僚の役割分担論」から読み解く土建国家逆戻り

2012-12-07 09:41:43 | Weblog

 橋下徹「日本維新の会」代表代行は衆院選公示後もツイッターで対立政党の政策を批判、公職選挙法違反の恐れのある呟きを繰返していたが、公職選挙法違反覚悟の強固な確信犯行為かと思ったら、1日で尻尾を巻いて撤退。但し公職選挙法違反に触れない範囲で持論としている、政治家は政策の方向性の提示が役割で、行政官僚は制度設計・工程表作成が役割だとする「政治家と官僚の役割分担論」だけは巧妙にも呟き続けている。

 橋下徹の12月5日ツイッターの呟きに入る前に、11月29日(2012年)、「日本維新の会」石原慎太郎代表と橋下徹代表代行の衆院選公約発表記者会見から、橋下徹の持論に触れた発言から。

 橋下代行「(政策の)工程表は官僚が作る。政治家に制度設計をつくれというのは無理だ。分かっていない国会議員は自分たちで工程表を作ろうとするが、ほとんど実行できない。メディアは旧太陽の党と一緒になったときに、橋下の原発政策は変わったと(指摘した)。書くだけでいいなら、なんぼでも書くが、実行するかどうかが問題だ。政治家の(示す)方向性は、原発をこのまま増やしていくか、新しいエネルギー供給体制を目指していくかだけだ。それを基に官僚に工程表を作ってもらう。

 (工程表が)2020年代(原発)ゼロになるのか、30年代ゼロなのか、40年代ゼロなのか、50年代ゼロなのか。それがいいか悪いかを最後判断するのが政治だ。30年代ゼロを気持ちとしては捨てていないが、選択肢ができていない。だから、今回の骨太では工程表を示していない。官僚では絶対できないセンターピン(重要なポイント)になるようなものをまとめた。『政策実例』は決まったことではない。議員がアイデアとして出したもので、まだまだ議論の余地がある」――

 橋下徹(脱原発の工程表を)「唯一言えるのは民主党ですよ。それは内閣持っててね、行政組織使えるわけですから」

 前の発言はまさしく政治家は方向性の提示、行政官僚は制度設計・工程表作成が役割であるとする政策の構築と実現に於ける「政治家と官僚の役割分担論」となっている。

 そういうふうな役割分担であるからこそ、後の発言が出てくる。前後の発言を通じた趣旨は、政治家ができることは方向性を提示することのみで、その方向性に従って官僚が制度設計・工程表作成の役割を担うから、行政組織を使うことのできる政権担当の民主党のみが工程表や制度設計を提示することができると。

 この発言を裏返すと、行政組織を使うことのできない野党はどの政党も脱原発の工程表を作ることも言うこともできないということになる。

 原子力の専門家や経済の専門家でもダメ、原子力行政、あるいは国のエネルギー行政に関わった元官僚でもダメ、現役官僚でなければ不可能だと制限を課している。

 現役官僚こそ、制度設計と工程表作成の全能者だと。

 この時点で既に橋下徹の「政治家と官僚の役割分担論」に悪臭が立ち、矛盾が潜んでいることに気づくが、12月5日のツイッター呟きは「政治家と官僚の役割分担論」に添いつつ、厳密であるべき政治家と官僚の役割対象を崩して、そこに専門家を加える巧妙な修正を忍ばせている。

 橋下徹「政治家が方向性を示して、官僚組織や専門家に議論させる。議論が膠着したら、政治家の決定で、先に進める。そして複数案の中から、最後選択する。これが政治家の役割であり、政治行政マネジメントだ。専門的領域まで政治家が議論・検討するなら、それこそ官僚組織は不要になる」――

 橋下徹「今は、脱原発依存体制の構築と言う方針を掲げ、官僚組織や専門家に徹底的に議論してもらい、具体的工程表を作ってもらう段階。具体的工程表が確定してから、国民の皆さんに宣言するのが、責任ある政治・行政」――

 公約発表記者会見では、(脱原発の工程表を)「唯一言えるのは民主党ですよ。それは内閣持っててね、行政組織使えるわけですから」と、方向性提示の役割と制度設計・工程表作成の役割を前者は政治家、後者は行政官僚と厳格に規定していたはずが、12月5日のツイッターでは「専門家」を官僚だけとしていた後者の役割に割り込ませている。

 この「専門家」の参入は公約発表記者会見での「専門家」否定に矛盾する発言となる。

 橋下徹「工程表作りなんていうのは選挙で選ばれた僕ら公選職が作れるわけないですよ。

 で、原発を、これを、可能な限り収束させていくね、プランなんていうものを、政治家とその周りの取り巻きのブレーンだけで作れなんて絶対あり得ない」

 この「ブレーン」の中に原子力を加えたエネルギー担当の元官僚や経済政策担当の元官僚、さらに民間の原子力発電の専門家、経済の専門家を入れることができるだろうし、基本は発想であり、創造性であるから、現役の行政官僚主導でなくても、「卒原発」のプランは作成できないわけではないはずである。

 果たして現役官僚が全能者の地位を与えることができる程に有能・優秀と断言できるのだろうか。

 2000年9月21日、森喜朗内閣総理大臣が衆参両院本会議(第150回国会)の所信表明演説で、日本型IT社会の実現を目指す「E-ジャパンの構想」を発表。

 2001年1月、森内閣は内閣官房設置の「IT戦略本部」で「e-Japan戦略」と銘打ってIT国家戦略を策定。次のように謳った。

 「我が国は、すべての国民が情報通信技術(IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」(Wikipedia

 橋下徹の現役官僚こそ全能者だとする「政治家と官僚の役割分担論」から言うと、森内閣は「知識創発型社会の実現」という方向性と、行政組織を使うことができる与党の立場として官僚に計算させたのだろう、「5年以内」という工程表で、「世界最先端のIT国家となることを目指す」とする方向性を提示した。

 その方向性に添って現役の行政官僚は制度設計と工程表を具体的・精密に作成し、方向性通りに実現させる役割分担を担っていたはずが、「5年以内」どころか、10年以上経過するのに今以て「知識創発型社会」も、「世界最先端のIT国家」も実現していない。

 実現していないどころか、現在に於いても情報後進国とか、IT後進国とか、非常に有難い名称を戴いている。

 もし日本が政治家の方向性通りに行政官僚が「世界最先端のIT国家」の地位をつくり出して、その地位に相応しい才能を発揮、「知識創発型社会」を実現し得ていたなら、グーグルやツイッターやフェイスブック等々の「知識創発型」情報サービス企業の誕生も夢ではなかったはずだ。

 官僚が橋下徹が言っていることに反して全能ではないことの証明でしかないが、全能と殆ど逆だからこそ、かくまでも経済の低迷や財政の悪化、社会の矛盾が是正されないままに10年、20年と放置されている。

 政治家は常に常に方向性を示している。バブル崩壊後もリーマンショック後も、景気対策、経済回復策、財政再建策等々の方向性を示し、「行政組織を使える」内閣として行政官僚のアドバイスも受けていたはずだ。

 だが、行政官僚は政治家の方向性に基づいて、政策の実現を図ることができなかった。

 かくまでも官僚が無能であるなら、官僚こそが日本国家低迷のA級戦犯ということになって、橋下徹の「政治家と官僚の役割分担論」は無意味化する。

 制度設計や工程表作成に官僚以外に専門家を入れたとしても、政策の実際の実現に関わるのは行政官僚である。実行部隊の官僚が無能であったなら、画竜点睛を欠くことになる。

 かつて自民党政権時代、バブル崩壊後、公共土木事業を主体として景気浮揚策を採ってきたが、その方向性に官僚は応えることができず、単に建設して終わるだけで経済的な波及効果は見る程のこともなく、赤字国債を積み上げるのみで推移し、なお一層の財政悪化に手を貸すことになった。

 要するに橋下徹の官僚こそ全能者だとする「政治家と官僚の役割分担論」自体を否定する政治と行政を日本は歴史の実体としてきたということである。

 日本の官僚がかくも政治家からの公共事業の方向性に応える能力を持っていなかったにも関わらず、自民党安倍晋三は政権を獲った場合、再び200兆円規模の大型公共事業という景気浮揚の方向性を示そうとしている。

 官僚がこうまでに政治家が示す方向性に応えることができていない実績から言ったなら、安倍晋三は日本を以前の土建国家に逆戻りさせるだけの功績しか上げることができないはずだ。

 自民党は2012年衆院選マニフェストに「世界に勝ち抜く製造業の復活」を掲げているが、日本の製造業の活躍自体、アメリカ経済任せ、中国経済任せ、ヨーロッパ経済任せ等々の世界経済任せの従属性を性格としてきたのである。

 だから、かつてアメリカがくしゃみをすると日本は風邪をひくと言われていた。現在では中国がくしゃみをすると、日本は風邪を引く状況にある。日本自らが世界の経済をリードする主体性を持ち得ているわけではない。

 グーグルの2009年の米国での経済効果は540億ドル(4兆円前後)だそうで、全世界的に見た場合、相当な金額の経済効果となるはずだが、直接的な金銭価値的経済波及効果にとどまらず、グーグルやツイッター、フェイスブックを介して容易に手に入れることができる知識・情報によって高められたスキルが職業や社会活動を通して生み出す経済波及効果、共同体的効果は計り知れないものがあるに違いない。

 土建国家の再現が疑わしい安倍式大型公共事業や世界の景気に従属する製造業の復活のみを国の経済活性化の主たるエンジンとするのではなく、「知識創発型」の情報サービス産業を育成して日本経済復活のエンジンに加えることも、日本のモノづくりの製造業等を含めた経済活動や人的活動と相互作用し合って、経済活動を超えた全体的な活動に新たな多様化と新たな可能性を広げる素地を提供するはずである。

 さらに日本型の情報サービス産業の育成による知識・情報の発達・高度化は公共事業の単純な経済構造――工事を発注して雇用を生み、工事が終わると同時に雇用も終わるから、工事を発注し続けるが、経済波及効果は左程のことはなく、赤字国債を積み上げていくだけという従来からの経済構造を破る手立てを創造する素地をも提供するはずである。

 だが、その素地ができていない現況での大型公共事業はやはり土建国家逆戻りの水平しか見通すことはできない。

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橋本徹の公示後のツイッター投稿、確信犯だと思ったが、長続きしないのは何度目か

2012-12-06 11:10:38 | Weblog

 日本維新の会の橋下徹代表代行は12月4日の衆院選挙公示後もインターネットを利用した選挙運動を認めていない公職選挙法の規定に反して、自身のツイッターで「日本未来の党」の原発政策を批判する選挙活動を行なっていた。

 既に当ブログに一度利用したが、再度掲載。

 橋下徹「僕はエネルギー供給体制を転換させたいと思っている。しかしそれをやるには具体的な計画を作って方針を宣言する。10年後に原発0!と叫ぶのは、10年後に火星に行くぞ!と叫ぶのと同じレベル。具体的な計画を作って、本当に可能となれば、それは立派。その時点で評価すべき。今は叫んでいるだけ」――

 ところがたったの1日経過の12月5日になって、ツイッター上でツイッターを使った選挙活動の自粛宣言を出した。

 《橋下氏「バカらしいが…」 ツイッター控える方針》TOKYO Web/2012年12月5日 夕刊)

 橋下徹「公選法での文書制限があり、ネットも文書に当たるとの総務省見解があるので、バカらしいがそれを踏まえる。嫌ならルールを変えればいいわけだから」

 記事は公示後の自身のツイッター発言が選挙運動であることを自身も認めていた発言例も紹介している。

 橋下徹「前回の衆院選では350億円が既存の政党の広告費宣伝費に使われた現実があるのに、僕のツイッターでの選挙運動が禁止とは日本はどうなっているんだ」(以上)――

 橋下氏はネット上での選挙運動についてツイッターで次のように呟いている。

 橋下徹「日本維新の会は、僕のこのせこいツイッターが唯一のツール。もちろん、ダイレクトに投票呼びかけ行為はしないけどね。公選法が文書の配布に制限をかけたのは、金のある者がバンバン文書を出して、金のあるなしで選挙が不公平にならないようにとの趣旨」

 橋下徹「ところが官僚組織は面白い。こういう趣旨はそっちのけで、ネットが文書にあたるかどうかだけを吟味する。そしてネットは文書だから公選法の制限がかかると。やれやれ」

 橋下徹「もともと金のあるなしで不公平にならないように、という法の趣旨なのに、法の趣旨はどうでも良くなっちゃう。ネットは文書かどうかだけに焦点を当てる。担当者になるとそうなるんだろうね。そしてネットは文書→金のない者の唯一のツールを奪う→政党交付金を莫大に受けている既存の政党だけが有利」

 橋下徹「結局、ネットでの選挙運動を制限することによって、公選法のもともとの趣旨である、金のあるなしで選挙運動が不公平にならないようにということが完全に反故にされる。面白いでしょ?これが官僚制度の特徴の一つ。担当者がルールをその領域で完璧に守ろうとするから、結局法の趣旨を害することになる」

 私自身は公示後のネット利用の選挙運動には賛成である。賛成の立場であることからも、橋下徹が資金力不足の日本維新の会の選挙運動――政策の訴えや、他党の政策を批判しているのだから、対立政党の政策批判をも含めてだろう、それら選挙に関わる諸々の活動は「僕のこのせこいツイッターが唯一のツール」だと、そこに信頼性を置いていることからも、公職選挙法違反に当たるのを承知の確信犯として、最悪の場合、逮捕覚悟でツイッター上で徒手空拳の選挙活動をし、投票日前日まで強行して、旧態依然の選挙慣習を自ら打ち破ろうとしていたのだと思っていた。

 こういった個人的な過激性こそが、若者受けの理由の一つであるはずだ。

 ところが16日の投票日前日どころか、公示日1日経っただけで断念してしまった。公職選挙法に逆らう形で「僕のこのせこいツイッターが唯一のツール」だと断言したのは何のためだったのだろうか。

 もし投票日まで続けて投票日以後に逮捕されたなら、あるいは悪質だとして投票日まで待たずに逮捕されたとしても、ネット上で大きな反響を呼び、ネットの選挙活動に風穴を開けたはずだが、確信犯でも何でもなかったから、そこまでは想定していたはずはなく、確信犯だと期待した者は尻切れトンボもいいとこではないかの印象を受けたに違いない。

 但しツイッターを続けてはいるが、選挙活動ではなく、選挙に於けるネット利用の是非とか政策は政治家が方向性を決めて、官僚が制度設計し、工程表を決める役割分担となっているとする、これまでの主張の繰返しを呟いているに過ぎない。

 敢えて続けることによって名誉の確信犯となることができる、対立政党の政策を批判する過激な呟きはすっかりと影を潜めている。

 橋下徹が最初は周囲に期待を持たせる新奇な発言を行なって尻切れトンボになることはこれが初めてではない。

 近いところでは大飯原発再稼働を最初は反対していたが、反対姿勢を長続きさせることができずに1カ月半かそこらで再稼働容認に変節する尻切れトンボを見せている。

 古くは、これもブログで何度か取り上げているが、2009年11月30日に普天間飛行場の移設先として関西国際空港への受入れを検討することを表明していながら、1週間程で「(防衛政策は)国の権限。僕が動くことではない」とトンボの尻尾切りで終わらせている。

 ところがである、翌年2010年5月27日の全国知事会議で同じ問題を再度持ち出している。

 橋下徹大阪府知事「沖縄県などの犠牲の上に、大阪府民は安全をタダ乗りしている。普天間問題がクローズアップされ、チャンスだ。小学校の子どもですら、この問題を考えるようになった。ただ、自治体が動いても、米国からダメだと言われると動けない。2006年の米軍再編のロードマップを履行し、政府が第2段階の基地負担軽減というときに話を振ってもらえれば、できる限りのことはする。必要があれば、沖縄のみなさんにお願いをしに行き、大阪府民として申し訳ございませんと言いたい」(asahi.com)――

 今度は沖縄米軍の訓練を関空で引き受けてもいいという発言である。「小学校の子どもですら、この問題を考えるようになった」と子どもまで持ち出して、責任分担の必要性を主張している。

 そして半年後の11月30日の記者会見。

 橋下府知事「政治状況は日々刻々と変わっている。残念ながら関空が基地負担軽減の受け皿になることはない」(MSN産経

 この前日に仲井真沖縄県知事が橋下徹当時大阪府知事に期待していたにも関わらず、見事期待を裏切った。

 仲井真知事「本土の方が(沖縄より)空間が広いのでむしろ可能性がある。橋下(徹・大阪府)知事が『関空はどうか』と言っているので一度見てきたい」YOMIURI ONLINE

 期待の尻切れトンボである。

 橋下徹の「残念ながら関空が基地負担軽減の受け皿になることはない」は仲井真沖縄県知事が「一度見てきたい」と言ったことに対する「見に来なくてもいいよ」の回答だったのかもしれない。

 こう見てくると、多弁・多言を操って人をなる程と思わせるのは言葉の名人だが、実際には言葉が軽くできていることが分かる。言葉が軽いから、長続きしない尻切れトンボを演ずることになる。

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橋下徹の具体論なき若者受け狙いの「日本未来の党」・「卒原発」集中攻撃

2012-12-05 10:44:27 | Weblog

 「日本未来の党」の「卒原発」に対する集中攻撃を繰返していた橋下徹日本維新の会代表代行が昨日の自身のツイッターで再度日本未来の党の「卒原発」を攻撃した。マスコミが伝えていたから、そのツイッターを覗いてみた。

 果たして正当性ある集中攻撃なのだろうか。

 橋下徹ツイッター「僕はエネルギー供給体制を転換させたいと思っている。しかしそれをやるには具体的な計画を作って方針を宣言する。10年後に原発〇!と叫ぶのは、10年後に火星に行くぞ!と叫ぶのと同じレベル。具体的な計画を作って、本当に可能となれば、それは立派。その時点で評価すべき。今は叫んでいるだけ」

 「日本未来の党」の卒原発の実現性と火星旅行の実現性、いずれの可能性が高いか誰が考えても分かることだが、同レベルに置いて火星の困難性を以って卒原発の困難性をイコールとする詭弁を用いている。

 選挙の場合に限らず、如何なる場合に於いても政策の提示は自党の政策の他党の政策に優る優越性を訴える関係で両党間の政策を比較、他党の政策を批判し合うことをルールとすべきだろう。

 比較がなければ、優劣の判定はできない。

 「日本維新の会」が「日本未来の党」の原発政策を批判する場合、「日本維新の会」の原発政策が「日本未来の党」の原発政策に優る優越性を訴えて、初めて「日本未来の党」の「卒原発」を批判し得るということである。

 大体が比較可能な提示がなければ、国民は較べようがない。

 政府の政策に対して野党が自分たちに対案がないにも関わらず、政府政策を批判すると、政府から、「対案を出せ」と言われるのは、自党の政策の他党の政策に優る優越性の提示を以って初めて他党の政策を批判する資格を得ることをルールとしていることに基づいているからだろう。

 だが、「日本維新の会」のマニフェスト「骨太201~2016」に書いてある脱原発政策を見てみると――

 〈4 エネルギー供給体制を賢く強くする

 政策のメカニズム、ルールを変える

 1.脱原発依存メカニズム(安全規制、使用済燃料の総量規制・乾式中間貯蔵、損害賠償のルール化)。
 2.過渡期マネジメント(市場メカニズムによる電力需給調整、廃炉、東京電力の破綻処理)。
 3.電力市場出口戦略(発送電分離、競争事情、再生エネルギー、コジェネレーション)。

 脱原発依存

 結果として、既設の原子炉による 原子力発電は2030年代までにフェードアウトすることになる。〉のみで、具体的な工程表は一切書いていない。

 尤もこのことを橋下徹は次のように説明している。

 橋下徹「工程表は役人が作る。政治家は方向性を示す。役割分担だ」(MSN産経

 この説明が正当性あるものだとしても、「工程表」がないのにどうして「日本未来の党」の「卒原発」を批判できるのだろうか。橋下徹が「日本未来の党」の「卒原発」を「火星旅行」と同じだと批判するには「日本未来の党」の「卒原発」に優る自党の脱原発政策を提示、その優越性を訴えなければならないはずだが、あるべき正当なルールに則らずに、今後「工程表は役人が作る」からと、後出しジャンケンみたいな場外ルールで資格もない批判を繰返している。

 橋下徹の集中攻撃は若者受けはするだろうが、自党の政策の他党の政策に優る優越性の提示というルールに則っていない攻撃であって、橋下徹は潔いとは決して言えない。

 「日本未来の党」は《「卒原発カリキュラム」骨子》をHPで公表している。

 橋下徹がこの骨子を批判するにしても、「日本維新の会」の具体的な工程表の公表を前提としなければならない。

 また、橋下徹はツイッターに、「具体的な計画を作って、本当に可能となれば、それは立派。その時点で評価すべき。今は叫んでいるだけ」と書いているが、実現性は「具体的な計画」に見通しとしては見ることができるが、その証明はあくまでも計画の順序に従って順次実現させていく、その時々の結果を踏まえた最終結果である。

 このことは他の政策についても言えることで、当然、「叫んでいる」だけなのは橋下徹も同じだということである。

 橋下徹が結果責任意識を強く持っていたなら、「工程表は役人が作る」などと言わずに、可能な限りのブレーンを集めて工程表を作成し、先ず工程表で自他いずれかの優越性を争い、後は結果を御覧じろと結果責任に向けた戦いに備えるはずだ。

 国政の場に臨もうとする政治家は全て、このような強い意識を持たなければならない。

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橋下徹の日本未来の党子育て支援政策批判、「子どもは英語を喋ることはできない」はバカげた見当違い

2012-12-04 08:39:40 | Weblog

 先ず本題に入る前に野田首相の千葉4区・小選挙区と比例代表南関東ブロック重複立候補について。

 《【衆院選】野田首相、重複立候補を表明「退路の断ち方はいろいろ」》

 12月3日(2012年)、首相官邸で行われた内閣記者会のインタビュー。

 野田首相「退路の断ち方はいろいろある。(重複立候補の是非は)形式論だ」

 記事解説。〈現職首相の重複立候補は平成12年の森喜朗氏を除いて例がない。民主党代表だった鳩山由紀夫氏も、前回21年の衆院選では重複立候補しなかった。〉――

 【退路】「退却する道、逃げ道」(『大辞林』三省堂)

 「退路を断つ」とは、退却する道を用意しない、あるいは逃げ道を前以て考えないで、その場の一本勝負で勝ち負けの決着をつけることを言うはずだ。

 選挙で言うなら、形勢に関係なしに小選挙区のみの勝負で決着をつけるということであろう。

 だが、野田首相は言葉とは裏腹に一本勝負ではなく、二本勝負に賭けようとしている。
 
 大体が小選挙区で落選した場合の比例区での当選を備えとして用意しておきながら、「退路の断ち方はいろいろある」と言って、さも自分なりの方法で退路を断ったかのように言っていること自体が矛盾した薄汚いゴマ化しでしかない。

 普段から奇麗事の言葉でゴマ化し慣れしているから、ゴマ化し切れるとつい言葉を駆使したのだろうが、化けの皮を自ら剥がしてしまった。

 「形式論だ」と言っているが、中味のない言葉という意味で確かに「形式論」だと言える。

 記事は、野田首相は厳しい選挙であることは認識しているが、比較第一党として政権維持を目指す考えを強調したと書いているが、言葉のゴマ化しで地位を維持するような政治家にリーダーシップは期待しようがない。実行力を備えていたなら、言葉のゴマ化し、奇麗事は必要としないだろう。

 いわば必要としていること自体が実行力を備えていないことを証明している。当然、リーダーシップは欠いていることになる。官僚の言いなりになるには都合のいい資質、好ましい才能と言える。

 橋下日本維新の会代表代行が日本未来の党の子育て政策を批判した。

 《橋下代表代行 未来の子育て政策批判》NHK NEWS WEB/2012年12月3日 19時15分)

 大阪・守口市の街頭演説。

 橋下徹「申し訳ないが、日本未来の党に日本の未来はない。私だって、できるものなら、子ども手当をやりたいが、お金がないなかで現金を配るというのは大変で、現金を配っても、クーポン券を配っても、子どもは英語を喋ることはできない。

 本当に子どもたちのことを考えるのであれば、英語の教育のために使うとか、『現金を渡す』ではなく、『これだけのお金はかかるが、こういうことをする』というのが、10年後、20年後の未来に責任を負う政党や政治の役割だ」――

 人には受ける喋りであるが、バカげた見当違いでしかない。

 日本未来の党は中学卒業限度に年間31万2000円の子ども手当を支給することについてマニフェストに次のように書いている。 

 全員参加型社会へ   

 子ども・女性

 子どもや女性の声なき声をきちんと政治に反映させます。

 女性が社会の中で活き活きとし、子どもが笑顔ですこやかに育つ社会が当たり前でなければいけません。日本の未来を担ってくれるはずの子どもが減少している原因の一つは「子どもを産みにくい、育てにくい」という不安を多くの女性が抱いているからです。その状況を打破し、同時に、子どもたちが「この国に生まれて良かった」と思える社会を実現します。

子ども一人当たりの中学卒業まで年間31万2000円の手当を支給し、その一部を「子育
  て応援券」(バウチャー)とする。
● 結婚・出産が女性のキャリア形成に不利にならない社会を創る。
● 子どもが虐待や育児放棄にあわないよう親の子育て環境の改善を図る。
● 離婚・別居時に両親が子どもの共同養育計画を作成することを義務化する。
● 家庭・学校・地域が一体となって「子育て」「子育ち」を応援する社会を創る。
● 高校授業料の無償化などを堅持する。
● いじめの撲滅に向け小・中学生への「心の教育」を実施する。
● 配偶者暴力に対し刑事罰を科すよう法改正する。

 子ども手当支給は社会政策であって、「子ども一人当たりの中学卒業まで年間31万2000円」手当支給は単に子ども一人宛に「年間31万2000円」を支給するのみで終るのではなく、「高校授業料無償化」と「いじめ対策」の教育政策を除いた以下の社会政策すべてに効果を持たせるべく関連し合っていることに留意しなければならない。

 「結婚・出産」にしても、「虐待・育児放棄」にしても、「離婚・別居」にしても、「子育て・子育ち応援」にしても、「配偶者暴力」(ドメステック・バイオレンス)にしても、多くの人にとって経済問題が深く関わっているからであり、子ども手当支給によって少しでも経済的余裕を与えることができれば、経済的困窮が往々にして理性を失わせて極端な感情行動に走るのを防ぐことが可能となり、そのような効果を子ども手当支給に僅かながらにでも持たせているはずである。

 いわば子ども手当支給とそれ以下の政策が相互関連し合って、相乗的な効果の総合性を持ち得たとき、「女性が社会の中で活き活きとし、子どもが笑顔ですこやかに育つ社会」の実現への扉が開くことになるはずである。

 尤もそうなるにはマニフェストに掲げた各政策の実行性にかかっていることは断るまでもない。このことは偏に日本未来の党嘉田由紀子代表の言動一致のリーダーシップにかかっている。

 わざわざ「言動一致の」と形容詞を入れたのは、野田首相が言動一致のリーダーシップを持ち得ず、その多くが言動不一致のリーダーシップとなっていたからである。

 以上を纏めると、子ども手当支給は子どもの教育機会の獲得に貢献するものの、その用途上の効果の内にそもそもから英語力をつけることを入れていないということである。中には子ども手当を利用して英語を教える学習塾に通うケースもあるだろうが、子どもに英語力をつけるのは別の教育政策である。

 にも関わらず、橋下徹は「金を配っても、クーポン券を配っても、子どもは英語を喋ることはできない」などとバカげた見当違いの批判を行なって、日本未来の党の政策を貶めている。

 人受けすることを喋れば、それだけでいいということではない。考えながら言葉を口にしなければならないはずだが、そもそもから思考力・判断力を欠いているからだろう、考えずに思いついたことだけを喋りまくるから、見当違いの批判となる。

 政策は単発的成果で終わってはならないはずだ。同じ分野の他の政策と関連させ合って、全体として相乗的な総合性を持たせた成果としなければならない。
 
 教育政策で言うと、各教育政策が相互に関連し合い、相互に相乗的な効果を発揮することによって、その総合としての学力や判断力、言語力、コミュニケーション能力が身についていくようにしなければならないはずだ。判断力、言語力、コミュニケーション能力が身につくことによって、学力は他人の知識・情報を自己知識・自己情報とするマネでしかない機械的な暗記学力から脱することができる。
 
 大阪府の全国学力テストの成績順位が最悪状況にあることから、橋下徹は「大阪の成績を日本一にする」と豪語していたが、暗記教育下で暗記学力を上げることだけのことしか考えない教育政策ではいつまで経っても学力的にも判断能力の点でも、他人の知識・情報に従うことから自律(自立)できない人間を育て、自律(自立)できない人間を社会に送り出していく成果しか期待できない。

 このことも橋下徹が思考力・判断力を欠いている根拠となるが、マニフェストに「最低賃金の廃止」を掲げたことも思考力・判断力を欠いている根拠の一つとなる。

 不景気になって有効求人倍率が下がれば、失業者はその日の暮らしを維持するために給料の多い少ないを度外視しなければならなくなる状況が生じる。企業は求人倍率が低いことと最低賃金制度がないことを利用して、限りなく安い給料で使うことを考える最悪の雇用状況を招くことになるに違いない。

 外国人研修制度を悪用して、相手が人件費の安い国からきた外国人であることいいことに最低賃金以下で雇用し、残業時間も守らない企業も存在する。

 ところが批判を受けたからだろう、「最低賃金制の廃止」から「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」へと修正したと12月4日付の「asahi.com」が伝えているが、政策に当初から合理性を持たせることができないということは思考力・判断能力を欠いていることの証拠としかならない。

 歯切れのよい言葉にゴマ化されてはいけない。

 参考までに、日本語の朗読劇から演劇へと入って、同じセリフを英語に翻訳した朗読劇と演劇で考える力と同時に英語力を身につける方法を提案した2010年9月21日当ブログ記事――《考える教育は朗読劇から - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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菅直人の責任を恐れて行動した福島原発危機管理無能は落選を断罪手段としなければならない

2012-12-03 11:42:55 | Weblog

 福島原発現場視察も、自衛隊派遣も、遅れた場合の批判を恐れる責任回避意識で行った。

 菅仮免、国会事故調参考人証言(2012年5月28日午後)

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております」――

 阪神・淡路大震災の自衛隊出動の遅れを教訓とすることはあっても、その遅れを理由として自衛隊の早期出動の基準とはならないはずだ。

 あくまでも早期の人命救助・早期の生活支援を基準として決定されるべき出動時期であろう。

 だが、菅は阪神・淡路大震災で自衛隊が「いつ行く、いつ行かないで色々と議論があった」ことを出動の基準に組み入れていた。

 勿論、出動に如何なる基準を用いたとしても、その判断を誤った場合、責任問題が浮上する。

 当然、一国の指導者は責任を覚悟で自衛隊の出動基準を自ら決定しなければならない。

 但し菅仮免の場合は最初から阪神・淡路大震災の自衛隊出動遅れの二の舞を演じた場合の責任を恐れ、そのような責任云々を判断基準として早々に自衛隊出動を決定したのであって、純粋に人命救助・生活支援を第一義・最優先を基準とした自衛隊出動ではなかったということであろう。

 いわば最初に責任問題ありきの出動決定であった。決定が遅れることの責任を恐れて、早々に決めた。

 もし人命を第一義・最優先に考えた自衛隊早期出動等の官邸危機管理であったなら、生活支援や福島の放射能漏洩時の避難指示・避難方法、避難に関わる情報提供に手違いや失態、遅れ等が生じた危機管理機能不全は極力抑えることができたはずだが、そのことに反して人命を第一に考えたとは言えない目に余る機能不全を生じせしめた原因は、そもそもから人命重視を基準としていなかったことの反映としてあったお粗末な体たらくであったはずだ。

 菅無能は自衛隊を最初は2万人、次に5万人、最終的に10万人体制で支援に当たらせ、最終的に2万6千人以上の人命を救助したことを後々まで勲章としていたが、その実態は自衛隊の派遣規模でしかない出動と津波による出水で建物の屋上や、交通遮断等によって地理的に隔離された場所に目に見える形で取り残された生存者が殆んどの人命救助であって、そのような勲章と言える程のことではない勲章で以って人命を第一義・最優先で執り行わなければならない生活支援・生活救助の機能不全に置き替えるべく謀ったこと自体、責任を覚悟の積極的姿勢を取ることができずに逆に責任を恐れて大胆な危機管理を狭めた証拠としかならないはずだ。

 2011年3月11日東日本大震災発生による福島第1原発事故発生翌日の3月12日、1号機冷却のための真水注入から海水注入に切り替える必要が生じた際、菅仮免は班目原子力安全委員会委員長から、海水注入で「再臨界の可能性はゼロではない」と言われて、海水注入を東電に対して正式に指示するまでに2時間もムダな時間を費やしたが、このことも責任を恐れて逡巡したからだろう。

 2011年5月23日衆院震災復興特別委員会。

 班目委員長「その場に於いては海水を注入することによる問題点をすべて洗い出してくれという総理からの指示がございました。私の方からは海水を入れたら、例えば塩が摘出してしまって流路が塞がる可能性、腐食の問題等、色々と申し上げた。

 その中で、多分総理からだと思うが、どなたからか、再臨界について気にしなくてもいいのかという発言があったので、それに対して私は再臨界の可能性はゼロではないと申し上げた。これは確かなことであります」

 同衆院震災復興特別委員会。

 班目委員長「私の方からですね、この(海水注入の是非を巡る)6時の会合よりもずうーっと前からですね、格納容器だけは守ってください。そのためには炉心に水を入れることが必要です。真水でないんだったら、海水で結構です。とにかく水を入れることだけは続けてくださいということはずーっと申し上げていた」

 2012年5月28日午後の国会事故調菅仮免証言。

 菅仮免「再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません。これは私もよく分かっておりました。

 つまり、私も技術的なことは専門家でありませんので、詳しくは申し上げませんが、再臨界が起きる可能性というのは制御棒が抜け落ちたとか、あるいはメルトダウンした後の、その燃料より大きな塊になったとか(手を大きく動かしてゼスチャーたっぷりに話す)、そういう場合に起きる危険性があるわけでありまして、班目委員長の方からは『可能性がゼロではない』というお返事がありました。

 まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい。つまりはホウ酸を入れれば再臨界の危険性を抑えることができるということは、その関係者はみんな知っておりますので、そのことも含めて検討して欲しいと、このように申し上げたところであります」

 海水注入で再臨界は起きることはないという知識・情報は持っていた。だが一方で、班目委員長から海水注入で再臨界の「可能性がゼロではない」と言われて、「まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい」と議論を求めた。

 班目発言から窺うことができる何よりの必要最優先事項は、海水注入で再臨界の可能性はゼロではないにしても、海水であろうと真水であろうと注入によって原子炉を冷却しなければならないということである。

 だが、菅は班目のアドバイスを責任を覚悟で直ちに自らに引き受けずに、逆に責任を恐れて、責任を取らずに済む確かな答を求めて、いたずらに時間を費やした。

 と言うことは、「再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません」は後付の知識・情報であって、3月12日当時の知識・情報ではなかったことになる。

 このウソも責任を覚悟で行動するのではなく、責任を恐れて行動することの現れとしてある言い逃れであろう。

 責任を覚悟して臨機応変の素早い行動を心がける資質を有していたなら、このようなウソ・言い逃れの類いは口をついて出ることなどないだろうからである。

 民主党が大勝し、政権を握った2009年総選挙で神奈川県第11区から初出馬、小泉進次郎に大差で破れて比例で当選した横粂勝仁議員は2010年9月の民主党代表選挙で菅直人に投票したものの、2011年6月2日の菅内閣不信任決議案採決では賛成票を投じ、民主党を離党している。

 今回の総選挙で、「菅直人を落選させる」として菅と同じ選挙区である東京都第18区から出馬すべく行動している。

 責任を恐れて行動した福島原発危機管理無能の責任を取らすには落選を断罪手段としなければならない。

 前民主党議員で、2010年9月の民主党代表選挙で菅直人に投票した横粂議員の手による菅落選の刑執行こそが、最も皮肉で嘲笑的な、無能な首相だった菅に相応しい断罪となるに違いない。

 当然の報いとしてそうなることを期待して止まない。

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橋下徹と石原慎太郎の怪しくなってきた熱愛関係が今、面白くなってきた

2012-12-02 11:09:21 | Weblog

 日本維新の会と太陽の党は原発政策や消費税問題で食い違いがあった。にも関わらず、石原慎太郎太陽の党代表の「小異を捨てて大同につく」の主張を受け入れ、政策の食い違いを乗り越えて、日本維新の会が太陽の党を吸収する形で合流した。

 原発政策に関して言うと、「大同小異」を厳密に解釈するとしたら、原発政策の違いを「小異」と見做したのであって、見做した以上、自分たちが目指した大同を力とするためには旧太陽の党側か日本維新の会側か、いずれかの側がか、あるいは双方が共に原発政策を捨て去さなければならないはずだ。

 そうでなければ、大同小異を障害なく維持することはできない。

 足して二で割るといった妥協は政策そのものを後退させるか、歪めることになる。

 だが、日本維新の会側も旧太陽の党側も、いずれも自らの原発政策を捨て去ることができなかった。

 結婚したら女性は家庭に入るべきだと固く信じている男がキャリアウーマンと結婚、女性が仕事を続けることを主張したために小異を捨てて結婚という大同を手に入れるために妻の仕事を許したとしても、家に帰っても妻は残業で帰りが遅くなり、一人の時間を過ごさなければならない、妻が出世して地位も収入も夫と遜色ない立場に立ち、家庭に入る女性に対して夫が振る舞うことのできる言動さえ抑えなければならないとなったら、ストレスが溜まって小異を捨てて結婚したことを早晩後悔することになったとしても不思議はない。

 11月29日(2012年)に発表した日本維新の会衆院選公約と同時に公表した「政策実例」は原発政策に関して次のように記載している。

 「原発政策のメカニズム、ルールの変更。既設の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウトする」

 日本維新の会側の原発政策を押し出し、旧太陽の党側が自らの原発政策を小異として捨て去ったかに見える。

 しかし実際は捨て去っていなかった。小異を小異として抱え込んでいて、この公約に旧太陽の党側の石原慎太郎日本維新の会代表が異を唱えた。

 このことは石原慎太郎の「小異を捨てて大同につく」主張を自ら破る言動となる。

 《維新、30年代まで脱原発 石原氏「直させる」》TOKYOWeb/2012年12月1日 朝刊)

 11月30日の記者会見。

 石原慎太郎「今から30年代に原発をなくすなんて非常に暴論に近い。(公約を)直させる。橋下徹代表代行とも合意している。

 経済をシミュレーションした先に原発を考えなかったら、私はやっていられないし、代表を辞める」

 国民の安心よりも経済を優先させるべきだ、日本維新の会の原発政策では「私はやっていられない」、引っ込めなければ離婚もあり得ると険悪な様相を呈してきた。

 これでは小異どころではない。“大異”そのものである。

 記事は記者会見に先立つ党首討論会の石原発言も伝えている。
 
 記者「(原発ゼロによって、石原氏の)これまでのスタンスだった核(兵器の開発)のオプション(選択肢)を失ってもいいのか」

 石原慎太郎「それは困る」

 記事は石原慎太郎が如何に原発維持のスタンスでいるかを伝えたかったようだ。

 石原慎太郎の原発政策見直し発言を松井日本維新の会幹事長は同30日、否定している。

 松井幹事長「橋下氏と石原氏が発表した。党としての決定だ」

 両者の合意の元の決定済みだと、見直しを否定している。

 石原慎太郎の離婚も辞さいない険悪な状況に周囲から離婚を勧める動きが出た。12月1日の《古賀茂明氏のツイッター》

 古賀茂明橋下さんへの切なるお願い その1 間違えたということはよくお分かりだと思います。理念も政策も違う石原さんや旧たちあがれ日本の老人たちと決別してください。そして、みんなの党と選挙協力をやり直してください。そうすれば、国民は付いて来ます」――

 元通産(経産) 官僚の古賀氏は橋下徹のブレーンの一人である。ブレーンの立場から、「間違えたということはよくお分かりだと思います」と早くも熱愛が冷めていると推測、早く別れた方がいい、離婚すべきだと忠告している。

 11月29日、日本維新の会衆院選公約発表記者会見での橋下徹の発言に対しても批判している。

 橋下徹(公約発表記者会見)「日本未来の党ですか、飯田哲也さんがブレーンについていますけども、僕はあのブレーンに大阪府市戦略会議の委員になって貰って、1年間議論して貰っているけど、プラン出ていないんですから」

 日本未来の党の飯田氏を例に取って、どの党も卒原発・脱原発のプランなど簡単には出ないとの趣旨の発言である。

 古賀茂明橋下さんへの切なるお願い その2 『大阪府市のエネルギー戦略会議が脱原発の工程表を出していないから原発ゼロとは言えない』という言い訳は止めて下さい。20回開催した後、9月にこの会議を止めたのは橋下市長と松井知事です。エネルギー戦略会議は大阪府市の会議です。政治利用は止めて下さい」――

 エネルギー戦略会議は大阪府市の会議であって、日本維新の会のために議論している諮問会議でも何でもないから、自分たちのために議論させていたのにできなかったような発言は控えるべきであるし、しかもエネルギー戦略会議を9月に止めているのだから、プランが出ていないことの批判は当たらないし、政治利用だと言っている。

 橋下徹は石原慎太郎に激しいまでの熱愛を寄せていた。

 橋下徹「一国民として石原首相を見たい。石原首相と僕に任せてほしい」(2012年11月18日テレビ番組)

 だが、その熱愛に対して石原慎太郎はあくまでも冷静である。

 石原慎太郎「橋下君が(首相に)一番ふさわしいと思うが、当分、首長(大阪市長)の席を離れるわけにいかない。平沼君を推挽(すいばん)したい」(YOMIURI ONLINE

 石原慎太郎は俺よりも平沼の方がいいと言っているのである。橋下徹の石原慎太郎に寄せる熱愛は片想いの様相を呈していると言っていい。

 日本維新の会がキャスティングボートを握って社会党の村山富市が自社さ連立政権で所属政党が少数派であるにも関わらず首相になれたヒョウタンからコマの二匹目のドジョウで平沼が首相になる可能性は捨て切れない。平沼は天皇を「天皇様」と様づけする程の超保守主義者である。

 石原の勧めに橋下徹は小異を捨てで大同につく習いで二つ返事で乗るだろうか。「いいでしょう、小異を捨てて大同につく。平沼さんとベッドに入りましょう。国のためです」と。

 原発政策ばかりか、誰を首相に就けるかでも、考えに違いが生じている。平沼首相を脇からコントロールしようとしても、果たして石原慎太郎のコントロールと橋下徹のコントロールとどちらに効き目があるかである。

 平沼側からしたら、石原慎太郎の方のコントロールを受け入れる確率の方が高いはずである。親和性は橋下徹に対するよりも石原慎太郎に対する方が遥かに強い。

 誰のコントロールで動くかで大きな違いが出てくる。大同小異で切って捨てるか、切ることができずに熱愛を一挙に冷却、高嶋政伸と美元の関係を辿るのか、橋下徹と石原慎太郎の怪しくなってきた熱愛関係が今、面白くなってきた。

 芸能記者が高嶋政伸と美元の関係を追いかけたように、政治記者にとって橋下徹と石原慎太郎の今後の関係が注目の的になるに違いない。


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橋下徹は日本の維新の会マニフェストは方向性を示しただけのものだと言っていることの正当性

2012-12-01 11:17:02 | Weblog

11月29日(2012年)、日本維新の会の石原慎太郎代表と橋下徹代表代行が衆院選公約発表の記者会見を行なっている。

 そこで橋下代行が「政治家が政策の方向性を示し、政策実現の具体的な工程表は役人が作る」役割分担となっているといった発言があったとマスコミが伝えている。

 いわば公表した衆院選公約「骨太2013~2016」に記載した政策は方向性のみの提示であって、具体的な工程表は書き入れていないということなのだろう。

 記者会見での石原代表と橋下代行の発言を先ず次の記事から見てみる。《維新記者会見要旨【12衆院選】》時事ドットコム/2012/11/29-20:26)

 石原代表「こまごました政策の話をしてもしょうがない。硬直した中央官僚の支配を壊す」

 橋下代行「(政策の)工程表は官僚が作る。政治家に制度設計をつくれというのは無理だ。分かっていない国会議員は自分たちで工程表を作ろうとするが、ほとんど実行できない。メディアは旧太陽の党と一緒になったときに、橋下の原発政策は変わったと(指摘した)。書くだけでいいなら、なんぼでも書くが、実行するかどうかが問題だ。政治家の(示す)方向性は、原発をこのまま増やしていくか、新しいエネルギー供給体制を目指していくかだけだ。それを基に官僚に工程表を作ってもらう。

 (工程表が)2020年代(原発)ゼロになるのか、30年代ゼロなのか、40年代ゼロなのか、50年代ゼロなのか。それがいいか悪いかを最後判断するのが政治だ。30年代ゼロを気持ちとしては捨てていないが、選択肢ができていない。だから、今回の骨太では工程表を示していない。官僚では絶対できないセンターピン(重要なポイント)になるようなものをまとめた。『政策実例』は決まったことではない。議員がアイデアとして出したもので、まだまだ議論の余地がある」――

 政治家ができることは各政策の方向性を示すことのみであって、その方向性に基づいて政策実現の制度設計、工程表の作成を担うのは官僚だから、原発は「30年代ゼロを気持ちとしては捨てていないが」、官僚が「2020年代ゼロになるのか、30年代ゼロなのか、40年代ゼロなのか、50年代ゼロなのか」、脱原発の最適な制度設計、工程表を作っていない段階であり、「選択肢ができていない」からと、公約に「工程表は示していない」ことの正当性を訴えている。

 だからだろう、公約には、「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」の表現のみで、具体的な工程表は一切書き込んでいない。

 だとすると、「骨太2013~2016」と共に公表したという「政策実例」に、安全基準の厳格化や再生可能エネルギーの活用などを進めれば、「結果として、既設の原発は2030年代までにフェードアウトする」と、官僚の役割であるはずの「安全基準の厳格化」や「再生可能エネルギーの活用」等、大枠の形で制度設計を示し、なおかつ同じ官僚の役割であるはずの「2030年代までにフェードアウトする」と工程表をやはり大枠の形で示しているのはなぜなのだろう。
 
 記者会見の発言と「政策実例」に書いてあることと矛盾する。矛盾しているという指摘を避けるために前以て、「『政策実例』は決まったことではない。議員がアイデアとして出したもので、まだまだ議論の余地がある」と弁解したということなのだろうが、橋下代行が言うところの政治家と官僚の役割分担を厳格に守って、例え大枠であっても、制度設計や工程表に少し足りとも踏み込まずに、方向性のみにとどめおかなければ、どう弁解しようとも、矛盾は残る。

 つまり、「どのような制度設計になる分からないから、目標達成年限も工程表も示すことはできないが、エネルギー政策は原発ゼロの方向性を選択する」と書き入れることによって、初めて記者会見の発言と公約文言との整合性を矛盾なく取り得ることができる。

 但しこのような政策の提示こそが公約としては正当だとするなら、制度設計も工程表も何も分からない脱原発か、制度設計も工程表も要らない原発維持かの二者択一となって、国民は選択の具体的な基準をどこに置いていいのか迷うことになる。

 他の政策についても、目標数値や実現達成年限の提示が必要となる場合、そのような工程表作成は行政官僚の役割であって、政治家の役割ではないからと省略した場合、国民の選択の基準を失わせることになる。

 どういった発言だったのか、インターネットから記者会見の動画を探して、関係する箇所のみを文字化してみた。

 橋下代行「じゃー、あのー、結局ですねぇ、政治を良くするっていうのはメディアがしっかりしないとですね、政治はホント、良くならないですよ。

 あのー、国民と政治をつなぐためにメディア、まさに媒介するメディアが必要なわけでね。政治をきちんとチェックをして、えー、きちんと国民のみなさんに提供して、国民のみなさんに判断して頂くという、その重要な仲介役がメディアであるにも関わらずですね、今回のこのマニフェストっていうことに関しても、これ、メディアおかしいですよ。

 今日の『朝日』の社説なんかでも、、あの、原発のね、具体的な工程表を早く示せって、あの、日本未来の党に言ってますけどね、具体的な工程表ってのは、これ、行政官僚が作るんですよ。

 政治家が作るんじゃないってことを僕はね、あのー、大阪都構想の時に何遍も言ってきた。方向性を示すのが、政治家であってね、その方向性に向けて選挙で信任を受けて、そして行政官僚にこれで具体的な工程表を作れと、命じるところが政治家の役割で、具体的な工程表が出てくるときにね、そりゃ色んな利害関係者が反対しますよ。

 で、色んなオプションが出てくる。そのオプションが出てきたときにそれぞれどれを選択するかっていうことも、また、政治家の仕事ですよ。

 それがね、工程表作りなんていうのは選挙で選ばれた僕ら公選職が作れるわけないですよ。

 で、原発を、これを、可能な限り終息させていくね、プランなんていうものを、政治家とその周りの取り巻きのブレーンだけで作れなんて絶対あり得ない。

 で、これはね、やっぱり都庁を率いてきた石原代表、それから府庁、市庁のトップを務めている僕だから分かっている。国会議員というのは分からない。

 で、自分たちで案ばっか作って、工程表を作ろうとする。実際、それじゃあ行政で実行できるかっていうと、ホトンード実行できないですよ。

 普天間の県外移設なんていうのも、政治家言うのは簡単なんだけども、じゃあ具体的なプランあったかというと、ないわけです。

 ――(中略)――

 日本未来の党ですか、飯田哲也さんがブレーンについていますけども、僕はあのブレーンに大阪府市戦略会議の委員になって貰って、1年間議論して貰っているけど、プラン出ていないんですから。

 そりゃあ、10年後にゼロにするって、言やあいいっていう政治だったらですね、何ぼでもいいこと言いますよ。ま、メディアのみなさんがね、どこをチェックしなきゃいけないのか。30年ゼロになるのか、20年ゼロなのか、10年で、10年後ゼロなのかね、そんなのは今の段階でどの政治家も言えませんて。

 唯一言えるのは民主党ですよ。それは内閣持っててね、行政組織使えるわけですから。

 で、あの民主党ですら、閣議決定していないんですから。2030年代ゼロ。で、責任ある政府の立場では閣議決定できない。2030年代できないのに、責任のない議員のグループ、政党になったらね、2030年代ゼロ、ゼロっていうふうに。

 やっぱりね、もうちょっとメディアのみなさんが政治家が何を行政官僚に指示を出すのかが仕事、判断するのが仕事ですから、どこまでね、政治家にそういうペーパーで以って求めるかということを考えて貰わないと、役人が作るような、行政官僚が作るような、具体的な工程表を示せ、示せって、これは政治家の仕事ではないし、そんなことをやっていたら、日本の政治は良くならないし、そんなことを繰り返していたらね、いつまで経っても、決めたことはできないし、守れない。そういう政治になります」(以下略)

 趣旨は新聞が書いているとおりに、政治家の役割はあくまでも政策の方向性を示すことであって、その政策の実現に向けた具体的な工程表の作成は官僚の役割である分担によって成り立っているというものである。

 だとすると、やはり衆院選公約「骨太2013~2016」に「既設の原発は2030年代までにフェードアウトする」と書き入れたことは矛盾することになる。

 「30年ゼロになるのか、20年ゼロなのか、10年で、10年後ゼロなのかね、そんなのは今の段階でどの政治家も言えませんて」と、工程表の提示は不可能だと強調までしていながら、公約には書き入れた。

 但し工程表の提示を可能とする例外として、「唯一言えるのは民主党ですよ。それは内閣持っててね、行政組織使えるわけですから」と、政権与党を挙げている。

 だとしたら、橋下徹は行政組織が使えたはずなのに野田内閣が2030年代ゼロで閣議決定できなかったのはなぜなのか、考えなかったのだろうか。

 理由として考え得る答は行政官僚に制度設計と工程表作成を委託したが、返ってきた返事が不可能ということであったことが閣議決定できない理由だということになるが、そうであるなら、そのことの説明責任を国民に対して果たすのが内閣の務めであるはずだが、そのような説明もない。

 少なくとも野田内閣は行政組織を使うことができる立場上、行政官僚から「2030年代ゼロ」についての適否の回答を得ていることになる。

 その適否に添った閣議決定があってもよさそうだが、ないことの矛盾を橋下徹は考えもしないのだろうか。

 野田首相な11月30日午後からの日本記者クラブ主催の各党党首討論会で次のように発言している。

 野田首相「民主党政権は、2030年代に原発稼働ゼロを目指すために政策資源を総動員するという大きな方向性を閣議決定した」(NHK NEWS WEB

 しかし行政組織を使うことができる以上、方向性の閣議決定だけでは済まないはずだ。

 ここには橋下徹にしろ、野田首相にしろ、発言とあるべき実態との間に矛盾が存在することになる。

 また、橋下徹が少し前に言った「普天間の県外移設なんていうのも、政治家言うのは簡単なんだけども、じゃあ具体的なプランあったかというと、ないわけです」と言ったこととも矛盾することになる。

 当時の民主党は鳩山内閣を持っていて、行政組織を使える状況にありながら、普天間県外移設の完遂可能な工程表をなぜ作らせることができなかったのだろうか。

 アメリカの意向を受けて外務官僚が鳩山首相の県外移設の足を引っ張ったということが断念の理由だと巷間言われているが、それが実際の理由であろうとなかろうと、政治家の方向性の提示に対して行政組織の制度設計・工程表作成は常に完璧ではないということになる。

 もし鳩山首相の県外移設の方向性自体が間違っていたということなら、行政官僚は早い時期に修正に動いてよさそうなものだが、県外断念、県内移設日米合意まで鳩山内閣発足から9ヶ月もかかっている。

 政治家の方向性も間違うことがあり、行政官僚の制度設計・工程表作成も間違いがあるからこそ、日本の国がかくまでに低迷することになったはずだ。

 だとすると、政治家が方向性の提示、行政官僚は制度設計・工程表作成だと、その役割分担がさも絶対的であるかのように声高に言うのは、選挙時、国民が選択の基準を失うばかりか、国民に対してその役割分担が正しい政治のプロセスだと思わせる一種の情報操作に当たることになる。

 政治家が可能な限り各政策の方向性を間違わないためには、あるいは自らが提示した方向性に対して責任を負うためには政治家自身が各政策に対して何らかの実現性の根拠、何らかの結果に対する根拠、いわば国益や国民益につながる可能性の根拠を先見性として持ち得た上で、それらの根拠を国民に説明する責任を負うことが必要条件となるはずで、そのような必要条件を満たすことによって方向性の間違いを可能な限り正したり、責任の所在を明確にすることになるばかりか、国民に対しても政策選択の的確な基準を与えることが可能となるはずだ。

 政治家は方向性の提示、行政官僚は制度設計・工程表作成と役割分担が決まっていると割り切るだけでは、少なくとも国会質疑に於ける野党の政府に対する追及は不可能となる。

 何しろ野党は内閣を持たず、行政組織を使うことができないのだから、行政組織を使った制度設計・工程表の正否の判断はできないことになるからだ。

 政治家とその周りの取り巻きのブレーンだけで政策プランが作れないということなら、野党は行政組織を使った内閣の政策プランとの比較すらできない。

 橋下徹は歯切れよく早口に次から次へと言葉を繰り出すから、尤もらしげに聞こえるが、かなり矛盾したこと、妥当性のないことを平気で口にしている。

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