トロイア戦争とは、大方ご存知ではあると思うが、「Weblio辞書」 に、〈ホメロスの叙事詩「イリアス」に描かれている戦争。古代ギリシアの半ば伝説的戦争。トロイアの王子に誘拐されたスパルタの王妃ヘレネを奪還するため、アガメムノンの率いるギリシア軍が包囲10年目に大きな木馬に兵を潜ませてトロイアに潜入し、これを陥落させたという。トロイア(Troia)は小アジアの北西部、トルコのヒッサルリクに位置し、トロイ、トロヤともい 。〉と解説している。
題名の一部に「トロイアの木馬」との文字を配せば、プーチンの企みが自ずと明らかになるはずである。
先ずクリミア自治共和国住民による3月16日のロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施され、90%以上の賛成可決と、それを受けてプーチンが翌3月17日、クリミア自治共和国を独 国として承認する大統領令に署名、翌3月18日にはクリミアをロシアに編入する条約に署名して、プーチン・ロシアはクリミアを手に入れた。
クリミアのロシア系は約60%。そこへ3月18日の投票前からロシアの伝統的な軍事社会集団「コサック」のメンバーが親ロシア派とその武装勢力を応援するために続々とクリミ ア入りしたという。
いわばコサックはプーチンによってクリミアに送り込まれたトロイアの木馬の兵士たちに当たる。巨大な木馬を造る手間を省き、直接送り込んで、内部から侵食してロシア化という征服を果たし、最終的にクリミア全体をロシアの現代版トロイアの木馬とした。
クリミア併合後も、ロシア系住民の多いウクライナ東部で親ロシア派がクリミアに習って、「国家としての自立」を問う住民投票の5月11日決行を目指している中、コサックたちは今度はその東部目指して続々と越境していったという。
親ロシア派が5月6日にネット上に公開した映像では、ロシアの旗を掲げたトラックにコサックの男たちが分乗し、市民に拍手で迎えられている様子が紹介されていたと、「NHK NEWS WEB」が伝えていた。
現代のトロイアの木馬はトラックとなった。しかも幌をつけて内部を隠すことなどはせずに、堂々と姿を曝して他国に侵入していく。
コサックたちが武器を取り、顔に覆面して親ロシア派武装勢力に早変わりしない保証はない。プーチンが直接命令を下さずとも、送り込みさえすれば、プーチンのウクライナ東部ロシア化の意を体して動くことになる。
プーチンは5月7日、ウクライナ東部の親ロシア派に対して、「連邦制の導入を求めるウクライナ東部の代表らに対し、5月11日に予定されている住民投票を延期するよう要請する」(NHK NEWS WEB)と呼びかけた。
連邦制の成就が独立成就へと向かい、ロシア編入へと向かう流れとなることはプーチンの4月の支持率が82%にのぼったことからも分かるように領土拡張を以って大国意識を満足させるロシア国民の意識と相互反映し合っているプーチンの旧ソ連時代が体現していた大国主義への回帰願望がそのように仕向けずには置かないだろうからである。
このことはプーチンのクリミア訪問が証明することになる。
だが、プーチンは一時的ではあっても、住民投票延期要請によってウクライナ東部のロシア化への流れを止めようとした。これはアメリカとEUの制裁がボディブローのようにジワジワと効いてきているところへ、4月17日(2014年)のスイス・ジュネーブで行われたウクライナとアメリカ、ロシア、EU外相級4者協議によるウクライナのすべての武装集団を武装解除し、政府庁舎等を占拠している建物などからの退去を求めるとした合意にも関わらず、ロシアが親ロシア派に対して何ら影響力を行使していないことに対して更に制裁強化に出たことに対する反応であろう。
プーチンの5月7日の延期要請に対して翌日の5月8日、新ロシア派から直ちに反応が返ってきた。
親ロシア派メンバー「投票の準備は整った。プーチン大統領は我々の友人だが司令官ではない。投票は必ず実施する」(NHK NEWS WEB)――
プーチンが影響力を行使すべく住民投票の延期を働きかけたが、断られて影響力行使を果たすことができなかったという形を取ったことになる。だが、これがアメリカやEUに対して責任を果たしているところを見せて顔向けできるようにするための延期要請だとしたら、責任を履行したと見せかけるアリバイ作りであり、アリバイ作りだと承知していたからこその親ロシア派の拒絶だとしたら、双方が示し合わせたヤラセの連携プレーということになる。
親ロシア派がプーチンの要請を断った5月8日の翌5月9日、プーチンはクリミア全体をトロイアの木馬とさせた我が領土クリミア入りを果たしている。
この訪問は第2次世界大戦で旧ソビエトがナチスドイツに勝利した記念日に合わせたものだというが、この点に関しても旧ソ連時代が体現していた大国主義への回帰願望を見て取ることができる。
プーチンは黒海艦隊の拠点であるセバストポリで軍事パレードに出席、市民や軍人、退役軍人を前にして演説している。
プーチン「2014年はクリミア市民がロシアと共に生きることを決定し、歴史の真実や祖先の記憶に忠実であることを確認した年として、我々国家全体の歴史に残るだろう。
多くの仕事が残っているが、困難は克服することができる。なぜなら我々は共にあり、一段と強くなったからだ」(ロイター)――
「歴史の真実や祖先の記憶に忠実である」とする欲求は旧ソ連時代の領土を記憶に置いた欲求であろう。その上でクリミアのロシア併合を「歴史の真実」であり「祖先の記憶に忠実」な偉業とした。いわばクリミアは歴史上、一貫してロシアの領土だったと主張している。プーチンは最初からクリミアをロシアの領土として欲していたのである。
だが、果たしてクリミアのロシア併合のみを「歴史の真実」とし、「祖先の記憶に忠実」な偉業としているのだろうか。旧ソ連時代の領土を記憶に置いた欲求である以上、そうではないことは確かだが、「2014年はクリミア市民がロシアと共に生きることを決定し」以下、「我々国家全体の歴史に残るだろう」までの言葉自体がウクライナ東部の親ロシア派や親ロシア派武装勢力、そこに紛れ込んでいるコサックたちをなお一層鼓舞し、彼らの愛国心をこの上なく熱くしたことは疑いを差し挟む余地がないことを考えると、彼ら自身の意志=彼らが果たそうとしている目的を元気づけ、确信させる言葉となったはずだから、プーチンの領土的野心=「歴史の真実や祖先の記憶に忠実であること」はクリミアにとどまらず、ロシアとなって手放すことになった旧ソ連時代の領土に向けた領土的野心となっているはずだ。
要するにプーチンの住民投票延期要請は影響力行使を見せかけるアリバイ作りだと看做されても仕方はあるまい。
プーチンの領土的野心は目的を果たしたクリミアを除いて、ウクライナのロシア住民が多数を占める地域、あるいはそれ以外の国の同様な地域に向けて様々な形でトロイアの木馬を送り込むに違いない。旧ソ連時代の領土を記憶に置いて「歴史の真実や祖先の記憶に忠実」であろうとする自らの領土的野心を充足させるために。
またそうすることによって偉大な大統領として高支持率を獲得でき、偉大な大統領として後世に記憶されることになる。
この点に於いて大日本帝国の偉大さを取り戻そうとし、そのような偉大さを否定することになる侵略戦争や従軍慰安婦といった日本の歴史の誤謬を認めることができない安倍晋三と極めて近親的な関係にある。だからこその信頼関係であり、お友だち関係なのだろう。
プーチンを徹底的に叩かなければ、ウクライナ問題、その他は解決しない。
生活の党PR
《5月9日小宮山泰子国会対策委員長 「国民投票法改正案」 衆議院本会議賛成討論 》
昨日5月9日、衆議院本会議にて生活の党を含む与野党7党共同で提案した「国民投票法改正案」の審議が行われ、討論に党を代表して小宮山泰子国対委員長が賛成の立場から登壇、 法案は賛
成多数で衆議院を通過、討論全文は党ホームページからご覧いただけます。 是非ご一読ください。
米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長ヘンリー・ストークス氏のベストセラー著書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)の中で日本軍による「南京大虐殺はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者の藤田裕行氏が書き加えていたことが5月8日明らかになったと、《南京虐殺否定を無断加筆 ベストセラーの翻訳者》(47NEWS/2014/05/08 19:00【共同通信】)が伝えている。
ヘンリー・ストークス氏(共同通信に対して)「後から付け加えられた。修正する必要がある」
藤田裕行氏(加筆を認めて)「2人の間で解釈に違いがあると思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」――
記事によると、同書はストークス氏が、第2次大戦はアジア諸国を欧米の植民地支配から解放する戦争だったと主張する内容で、「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった。それは中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」と記述されているという。
ヘンリー・ストークス氏「(なかったとは)そうは言えない。(この文章は)私のものでない。
(「大虐殺」より「事件」という表現が的確とした上で)非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」
藤田裕行「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」
記事解説。〈だが同書中にその説明はなく、ストークス氏は「わけの分からない釈明だ」と批判した。
同書は昨年12月に発売、約10万部が売れた。ストークス氏単独の著書という体裁だが、大部分は同氏とのインタビューを基に藤田氏が日本語で書き下ろしたという。藤田氏は、日本の戦争責任を否定する立場。ストークス 氏に同書の詳細な内容を説明しておらず、日本語を十分に読めないストークス氏は、取材を受けるまで問題の部分を承知していなかった。〉――
翻訳者藤田裕行が、「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった。それは中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」と翻訳に当たらない自身の歴史観を無断加筆してストークス氏の歴史事実を歴史上から抹消している以上、「いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」との釈明は虚偽(ウソ)に加える虚偽(ウソ)に過ぎない。
「2人の間で解釈に違いがある」とか、「誤解が生じた」といった問題ではなく、この場に及んでウソにウソを重ねる二重のウソをついたに過ぎない。
記事は最後に関係者の話として、〈インタビューの録音テープを文書化したスタッフの1人は、南京大虐殺や従軍慰安婦に関するストークス氏の発言が「文脈と異なる形で引用され故意に無視された」として辞職した。〉と、翻訳書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』の中の南京大虐殺や従軍慰安婦に関する記述に於ける信頼性の欠落を伝えている。
日中戦争は1937年(昭和12年)7月に始まった。いわゆる南京大虐殺は日中戦争開始4カ月後の1937年(昭和12年)12月に起きている。
ヘンリー・ストークス氏は南京大虐殺に関する自身の歴史事実を述べている。《【南京虐殺否定を翻訳者が無断加筆】「私の文章ではない」とヘンリー・ストー クス氏》(MSN産経/2014.5.9 16:03)
ヘンリー・ストークス氏(「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった」という文章について)「そうは言えない。(この文章は)私のものではない。ただ私は『MASSACRE(大虐殺)』という言葉は好まない。その言葉は使うことができない。日本語だと使えるだろうが、英語だと恐ろしくぞっとする。『大虐殺』と呼べないにせよ、南京で何か非常に恐ろしい事件が起きたかと問われれば、答えはイエスだ。(問題の部分は)後から付け加えられた。修正する必要がある。私に告げずに挿入すべきでなかった」――
ストークス氏は「『大虐殺』と呼べないにせよ、南京で何か非常に恐ろしい事件が起きたかと問われれば、答えはイエスだ」と、事件の規模を伝えている。
「何か非常に恐ろしい事件が起きた」――
推察するに、あくまでも推察だが、ナチスのユダヤ人虐殺のように意図的に計画立てた、ナチス全体によるユダヤ人全体に対する整然とした集団的殺戮行為とまではいかないが、日本兵がお互いにいきり立っていて統制が取ることができない精神状態にあって、誰かが見境なく殺戮行為に出ると、他の兵士にたちまち感染して、混乱状態の中で暴徒化して見境なく殺戮を繰返すようになり、それが何日も続いたといった事件ということなのだろうか。
要するに1923年(大正12年)9月1日発生の関東大震災時の朝鮮人虐殺に似たことが起きたということなのだろうか。朝鮮人が震災の混乱に紛れて井戸に毒を投げ込んだといったデマに踊らされて朝鮮人ばかりか、中国人まで巻き込んで見境のない殺戮を繰返し、それが1周間も続いたという。殺された朝鮮人は数千人から、中国人の場合は数百人からとなっているが、人数がはっきりしないのは政府が正確な調査を行わず、事件の隠蔽を謀ったためだとされている。
朝鮮人の場合は、6千人という数字を挙げている記述もある。
いずれにしても、ヘンリー・ストークス氏は「南京で何か非常に恐ろしい事件が起きた」と、大虐殺とまで言えない殺戮の存在を自身の歴史事実としていたことになる。
だが、藤田裕行はそのようなヘンリー・ストークス氏の歴史事実をそのままに翻訳し、読者に知らせるべきを、相手が日本語を読めず、読み返しができないことをいいことに、「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった。それは中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」と自身の歴史事実に翻訳する、あるいは自身の歴史認識に添った翻訳を行う卑劣なゴマカシを働いた。
狡猾にもヘンリー・ストークス氏の歴史の事実を自身の歴史の事実にすり替えたとも言うことができる。
卑劣にもヘンリー・ストークス氏を騙しただけではなく、多くの日本人まで騙し、ヘンリー・ストークス氏の歴史の事実とは異なる虚偽情報で踊らせた。
ヘンリー・ストークス氏を騙したことは彼の人格を蔑ろにしたことを意味する。
何という卑劣なタチの悪さだろうか。
少々古い記事になるのかどうか分からないが、先月半ば、中国でのある裁判の判決を次の記事が伝えていた。
《中国「新公民運動」に厳 しい判決》(NHK NEWS WEB/2014年4月18日 15時55分)
昨年の中国で市民の政治への参加や社会の変革を訴える「新公民運動」と呼ばれる運動が広がりを見せ、政府高官の資産公開を求める街頭デモに参加した市民30人以上が逮捕されたり拘束され、このうち運動提唱の弁護士の丁家喜氏や、民主活動家の趙常青氏ら4人が公共の秩序を乱した罪に問われ、北京の裁判所が4月18日、懲役2年から3年半の実刑判決を言い渡したという。
記事は弁護士の話を伝えている。丁氏らは無罪を訴えたが、裁判では証人の申請が認められず、裁判所周辺は大量の警察官を動員、厳戒態勢が敷かれ、支援者が連行されたほか海外メディアも強制的に排除された。
いわば裁判自体を隠す必要があった。
当然、審理は法に則って十分に尽くされたとは言えない。政府高官の資産公開要求に応えた場合、不都合が生じるからこその逮捕・拘禁であって、その不都合によって判決ありきを前提としていることになるからだ。
「公共の秩序を乱した」とする罪状はデモによって商売を邪魔したとか、通行人の交通を妨げた、あるいは器物破損行為に出た、それらによって経済的混乱が生じたといった市民生活の秩序撹乱を意味するのではなく、資産公開した場合、市民の不充足感を刺激して世の中が騒然となり、政府批判が高まって、政府の権威が地に堕ちることによって生じるかもしれない社会秩序の様々な混乱を予想して先回りした「公共の秩序を乱した」の罪状なのだろう。
記事最後の解説。〈中国では腐敗のまん延や所得格差の拡大などを背景に、社会の変革を求める声が水面下で広がっていますが、習近平指導部は言論や思想の統制を強めていて、共産党の一党支配を揺るがしかねない動きを力で抑え込む姿勢を崩していません。〉――
「公共の秩序を乱した」とする罪状(報道機関によって名称が、 「民衆を扇動し公共の秩序を乱した」、あるいは、「公共秩序騒乱罪」等となっているが)で、一審懲役4年の判決を不服として上訴、上訴審が訴えを棄却、20134年4月11日に刑が確定した「新公民運動」の中心的人物である人権活動家、許志永氏の例がある。
許氏は反論する正式な機会さえ与えられなかったという。同氏の弁護士が電話取材で、許氏が「中国の法律の最後の尊厳が破壊された」と裁判官に主張したことを明らかにしたと、「ブルーバーグ」が伝えている。
この発言さえ、裁判長が遮る中で発したに違いない。
許志永氏の刑が確定したときジェン・サキ米国務省報道官が声明を出し、「深く失望した」とコメントしている。安倍政権は他国の人権問題に相変わらず物言わぬ人となっている。
この「公共の秩序を乱した」とする「公共秩序騒乱」が権力側が線引きし、内容を確定した“公共の秩序”であって、決して国民・市民の側に立った秩序ではないということである。裁判で反論を許す・許さないも公共の秩序のうちに入る。国民・市民の側に立った公共の秩序であるなら、反論が許されて当然の個人の権利であるが、許さないところに権力側の“公共の秩序”となっていることは明らかである。
いわば“公共”という名前を使いながら、国民・市民の権利や利益に立脚した“公共”ではなく、国家権力の権利や利益に立脚した“公共”の独占としている。
この構造は、断るまでもないことだが、“公共”なるものが国民・市民の所属にも、国家権力の所属にも、どちらにもなり得る曖昧さを内包していることを教えている。
だとするなら、政治権力の恣意的行使に対抗して、その権力を制限する方向性の原理を持たせた立憲主義に基づき、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を三原則とした日本国憲法では、それがどう改正されようとも、“公共”なるものが内包している曖昧さは排除されなければならないことになる。
もし“公共”なるものが国家権力側の権利や利益に立脚した規定となった場合、政治権力の恣意的行使の国民の側からの抑止という立憲主義の原理自体が否定されることになり、このことは少なくとも国民主権と基本的人権の尊重を阻害する危険性を抱えることになる。
だが、2012年4月27日に決定した「自民党憲法改正案」は「公益及び公の秩序」という文言で基本的人権に制約を加えている。
第三章 国民の権利及び義務
(国民の責務)
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
(人としての尊重等)
第13条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない
(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
戦前の大日本帝国はその憲法で、臣民の權利義務を次のように定めている。
第二章 臣民權利義務
第二十二條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス
第二十八條 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス
基本的人権は「法律ノ範圍内」及び「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」の制限付きとなっている。
どちらも国家権力のサジ加減一つで、国家権力の権利や利益に立脚した法律を制定することができ、そのような法律に基づいて国家権力の権利や利益に立脚した「安寧秩序」の何たるかをつくり出して国民の基本的人権行為に制限を加えることができ、そのような制限内の制約を「臣民の義務」とすることができる。
実際にも「治安維持法」や「新聞紙法」、あるいは「出版法」といった国家権力側の権利・利益に立った各種法律を制定して、国民の集会や結社の自由、思想・言論の自由、信教の自由等々の基本的人権に厳しい制限を課した。
「自民党憲法改正案」が“公”(おおやけ)という言葉を使って、おおやけの利益・おおやけの秩序という意味で、さも社会全体の公共の利益や秩序を目的としているように見えて、その実、「公益及び公の秩序」が国民・市民の側に立った利益・秩序ではなく、国家権力の側に立った利益・秩序と早変わりしない保証はない曖昧さを常に宿命としていることになり、その危険性は大日本帝国憲法が前例を示しているし、中国に於ける国家権力の国民・市民の人権活動に対する「公共の秩序を乱した」とする罪状と刑確定が証明することになる。
この国家権力か、国民の基本的人権か、どちらを優先させることもできる曖昧さには国家権力の意志が込められているはずである。なぜなら、曖昧さは、そこに国家権力の顔を露わに見せることになったとき、立憲主義自体と日本国憲法の三原則をも否定することになるゆえに、憲法の性格上許されない曖昧さであるにも関わらず、許しているからである。
大体が安倍晋三は国家優先・国民従属の国家主義者である。その憲法観も国家優先の形を取ることは何の不思議もない必然であって、憲法が規定している国民主権が意味する憲法の主人公は国民であるとする国家との契約に反する非常に危険な思想と言わざるを得ない。
ヨーロッパ各国を歴訪中の安倍晋三が5月6日(2014年)午前(日本時間同日午後)、訪問中のパリでスロベニアのブラトゥシェク首相と会談、自らが掲げる 「積極的平和主義」に基づき、国際社会の平和と安定の確保のため積極的に貢献していく考えを伝えたと、5月6日付の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。
そして同日午後(日本時間6日夜)最後の訪問国ベルギーを訪れて、NATO理事会に出席、そこでの演説でも、「世界の平和と繁栄に強くコミットしてまいります」と発言している。
一方で安倍晋三は訪問国あちこちで、法の支配の重要性を訴えている。法の支配は平和と繁栄の礎となる。
国際社会の平和と安定の確保のための積極的な貢献と法の支配の重要性を言うなら、今年の6月で25年となる天安門事件で家族を亡くした遺族や民主化運動関係者が集会を開いて事件の真相究明や犠牲者への賠償を訴えたところ、公安当局に相次いで拘束されたということだが、平和とは単に戦争をしていない状態を言うのではなく、法の支配と基本的人権の保障のもと、各国それぞれの国民が人間らしく生きる様子をも平和と言うのだから、中国に対してその権状況を改めるように声を上げるべきだが、そのような平和には無関心を示している。
国民の平和ではない状況を無視して国が戦争をしていないことの平和の確立に努めることが、あるいは戦争をしないことの平和の確立に努めることが 「積極的平和主義」だとするなら、国民あっての国家でありながら、国民を置き去りにして国家のみを問題にすることになり、単なる形式主義の「積極的平和主義」に堕すことになる。
NATO本部での演説では、国際社会の平和と安定の確保への積極的な貢献と同時に「人間の安全保障」に基づいた女性の地位や権利、能力の向上に言及している。
発言の前後を変えて、先ず女性の地位や権利、能力の向上について。
安倍晋三「日本は、『人間の安全保障』の理念を重要視しています。
アジア諸国を始め、途上国の女性の能力向上や母子保健、女性の権利の保護・促進等の分野で、地に足のついた支援を実施しています。21世紀の今日に於いても、武力紛争に於いて多くの女性が心身にわたり癒やしがたい傷を負ってしまう事態が後を絶たないことは実に痛ましいことです」――
中国のみならず北朝鮮の女性だけではない、男性を加えた多くの国民が強制されている権状況や、あるいはイスラム国家に於ける女性の制限された地位が何らかの差別や抑圧の形を取ったとしても何も声を上げずに「人間の安全保障」を言うことができるのは、女性の地位や権利、能力に関わる自らの思想が体裁上のもので、ホンモノとはなっていないことの証拠以外の何ものでもない。
安倍晋三「カンボジア、ゴラン高原、ハイチ、そして南スーダン。さらには、インド洋でのテロとの闘い、イラクにおける復興支援。世界中で、冷戦終結後、5万人もの自衛隊員が、平和のために身を尽くしてきました。
国連PKOには、米国に次ぐ11%の財政負担を行っています。190の国と地域に、総額3000億ドル以上のODAを実施してきまし た。日本のODAは、今年で60周年。振り返れば、戦後貧しい頃から、アジアの友人をはじめ、世界に支援の手を差し伸べてきました。
そのような、揺るぎない平和国家としての歩みを礎に、日本はこれまで以上に、世界の平和と繁栄に強くコミットしてまいります。空の自由、海の自由といった『国際公共財』を守り抜くため、より積極的な役割を果たさなければならない、と考えています」――
そして次のような発言もしている。
安倍晋三「日本は、NATOの『必然のパートナー』である。ラスムセン事務総長は、このようにおっしゃいました。私も、心から賛同します」――
以上の発言は集団的自衛権の行使を既定事実とした上での発言であるはずである。
このことは憲法解釈変更の閣議決定に先立って策定する「政府方針」に自衛隊活動の地理的制約は盛り込まない方向としていることと対応し合っている。
安倍晋三は自衛隊の活動をPKO活動から本格的な軍事活動に格上げし、その活動範囲を世界に広げようと欲求している。このことを可能とする主たる手段が自衛隊活動の地理的制約を無制限とする集団的自衛権の行使であって、前後相呼応し合った措置であるはずである。
この事の象徴的は証明として、憲法9条が禁じる「他国による武力行使との一体化」に当たるとして従来制限されてきた国連決議に基づく多国籍軍への自衛隊支援活動を拡大する本格検討に入ったと伝えている記事、《多国籍軍支援の拡大検討、政府》(福島民報/2014/05/07 20:30)を挙げることができる。
記事は、〈集団的自衛権とは別の新たな憲法解釈見直しにつながる可能性があリ〉、〈自衛隊の海外活動に歯止めが効かなくなる懸念が強まるのは必至。政府、与党調整で論議を呼びそうだ。〉と解説している。
ここで問題となるのはかつて戦前の日本によって侵略を受けたアジア各国が抱いている日本の軍事大国化への懸念である。その懸念を払拭するために「国際社会の平和と安定の確保のための積極的な貢献」、あるいは「積極的平和主義」という繰返しのフェレーズが必要となる。
当然、安倍晋三はアジア各国の懸念払拭を期待してこれらのフレーズを使っていることになる。
もしそうでなければ、既に触れたように、平和とは単に戦争をしていない状態を言うのではなく、法の支配と基本的人権の保障のもと、人間らしく生きる様子をも平和と言うのだから、国民あっての国家という手前からも、あるいはNATO本部で演説したように「人間の安全保障」の観点からも、権国家の国民の権状況に厳しく対応すべきだが、見るべき対応を示していないのだから、安倍晋三は自衛隊の活動範囲を無制限に広げて日本の軍事的プレゼンスを世界中に拡大・確立しようとする一方、そのことによる周辺国の日本の軍事大国化懸念の払拭のために「平和」という言葉を用いているとしか見ることはできない。
ウソも100回言うと、そのウソを信じて事実と見せかけることができるようになるのと同じである。
安倍晋三が戦前の偉大な大日本帝国への復古――戦前の日本を取戻したい願望を持つ国家主義者であることから考えると、日本を経済大国で終わらせず、軍事大国の顔まで持たせたいと願っているはずであり、願いが叶って戦前の日本につながっていくのだから、軍事大国の顔を目くらませる「平和」の言葉となっていると見るべきである。
先進国としての責任を果たすために集団的自衛権を必要としても、国民主権の手前憲法改正の手続きを踏むべきだが、軍事大国になる必要まではない。
日韓の軍事情報共有が全く進んでいないと、3日前の記事――《足踏み続く情報共有=「覚書」具体論に入れず-日米韓》(時事ドットコム/2014/05/04-14:56)が伝えている。
記事はその理由を、〈背景には、衰える気配のない反日世論と、日米韓の防衛協力強化に神経をとがらせる中国を気にせざるを得ない韓国の事情がある。〉と書いているが、韓国内の反日世論にしても、韓国の中国への気兼ねにしてもも、元々の原因は言わずと知れた安倍晋三の靖国参拝と従軍慰安婦や日本の戦前の戦争が侵略戦争か否かに関わる歴史認識である。
安倍晋三の靖国参拝と歴史認識が韓国の朴政権をして中国に接近させしめ、韓中が歴史認識で連携、対日共同戦線を構築させることとなった。その象徴が日本植民地下の初代韓国統監伊藤博文を中国黒竜江省ハルビン駅で1909年に暗殺した朝鮮独立運動家・安重根の、パク・クネ韓国大統領による暗殺現場への2013年6月の石碑建設要請に対して中国側が石碑ではなく、暗殺現場ハルビン駅への2014年1月の大々的な安重根記念館の開設と入口付近への安重根の胸像設置で応えた中国側の対応であろう。
安倍政権が安重根は犯罪者・テロリストとしていることに対する韓中のこの連携である。
この韓中歴史認識での対日共同戦線は韓国の中国への経済的接近という形も取ることになっている。
そしてその結果、日韓の軍事情報共有にも悪影響を与えているというわけである。
日韓の軍事情報共有は主として北朝鮮の軍事的動向を把握することを目的としている。それが思うように進ままない足踏み状態にある。
先ず、韓日軍事情報共有の取り決めを目的とした「韓日軍事情報包括保護協定」が韓国側の与野党の反発で署名が見送られて、韓国政府は国会の関与を必要としない日米韓による覚書(MOU)の締結を模索することにした。
4月17日(2014年)夜、米バージニア州の韓国軍関係者の自宅で行われた米韓日3カ国の防衛当局高官協議の初日。韓国側は「覚書(MOU)」を正式な議題とせず、非公式な席での意見交換にとどめることに拘ったという。
いわば韓日の軍事情報共有に消極的な態度を示したことになる。
北朝鮮の軍事動向に対する中心的な把握対象は日米韓に直接的な脅威を与える危険性のあるミサイル発射であり、記事は、〈情報共有の最大の目的は、北朝鮮の弾道ミサイルへの対応で連携を深めることだ。〉と書いている。
記事によると、先ず北朝鮮がミサイルを発射すると、米国の早期警戒衛星(SEW)が直ちにキャッチして、その情報を即座に日本に送信。自衛隊のイージス艦がミサイルを追尾し、迎撃ミサイルで破壊する手順を踏む。
但し発射直後の加速段階では、自衛隊のレーダーでミサイルの動向を把握するのは困難とされていて、ある程度の飛距離を経ないとレーダーで補足することはできない。いわば米国の早期警戒衛星(SEW)が自衛隊に発射情報を送信しても、自衛隊のレーダーが北朝鮮のミサイルを直ちに補足することが不可能で、そのミサイルを追尾する段階に至るまでに空白の時間が生じ、それが時間のズレとなって現れる。
当然、迎撃ミサイル破壊のボタンを押す最終段階に至るまでのコンピューター計算に時間のズレが順次先送りされる危険性が生じない保証はないことになる。
日本射程内の中距離ミサイル発射の場合、追尾可能な時間は発射から数十秒と記事は書いている。数十秒が20秒後なのか、30秒後なのか正確には分からないが、〈着弾まで10分もなく、この程度の「空白」でも対応の遅れを招きかねない。〉と警告している。
この時間的な「空白」は日本の防衛能力自体の無視できない“空白”となって現れているはずだ。
空白を埋める最善の方法は北朝鮮に近い位置に配したレーダーによって加速段階のミサイル捕捉可能な韓国の追尾能力を日米のミサイル防衛 (MD) 網に取り込むことだと記事は解説しているが、だからこその日韓軍事情報共有への日米による要請なのだが、在日米軍基地への攻撃を懸念する米国が情報共有のための具体策を講じるよう韓国に強く求めているものの、記事が最初に触れていたように韓国内の反日世論と中国への気兼ねから、韓国政府の動きが鈍いままになっている。
別の「時事ドットコム」記事が、〈米韓は既に情報協定を結んでいるが、米国は韓国の情報を第三国である日本には原則として提供できない〉制約があって、その関係から韓国側が日米韓の間で融通し合う軍事情報の取り扱いについて定める「軍事情報保護の覚書」(MOU))を検討中と伝えているが、検討主体の韓国自体の覚書締結に積極的ではない原因が安倍晋三の靖国神社参拝や歴史認識にあるということである。
東海地震や東南海地震等が、例え30年間に80何%とかの発生確率となっていたとしても、いつ発生するか分からないとする、あるいは明日発生してもおかしくはないとする危機管理で地震対策を講じていなければならないように、国民の生命・財産を守るためにも北朝鮮がいつミサイルを日本に向けて発射するか分からないとする、あるいは明日発射してもおかしくはないとする危機管理で防衛体制を築いていなければならない状況下にあるのに対して、安倍晋三の靖国参拝や歴史認識が日本の防衛の“空白”を演出、成果としている。
安倍晋三は自身の倒錯的な成果に気づいているのだろうか。外国を訪問してアベノミスクを誇っていれば済む問題ではない。
歴史修正主義者・国家主義者安倍晋三がNHKに送り込んだ東京裁判と南京虐殺否定歴史認識者百田尚樹が5月3日、都内開催の公開憲法フォーラムに出席した。安倍晋三のお友達である。その発言は基本のところで安倍晋三と共通思想で成り立っていると見るべきで、安倍晋三の声と聞いても、それ程外れてはいないのではないだろうか。
《憲法フォーラム出席の百田尚樹氏 「護憲植え付けたのは朝日」「NHKにややこしいのがいる」》(MSN産経/2014.5.3 20:52)
百田尚樹「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植えつけたのは朝日新聞だ。憲法とは世界の状況や生活様式の変化によって変えていくものだ」
記事は、〈改憲に慎重な 朝日新聞を重ねて批判した。〉と解説しているから、これが初めての朝日批判ではないことが分かる。
百田尚樹の歴史認識発言を理由にケネディ駐日米大使がNHKの取材を拒否したと共同通信が報じたことに関しての発言。
百田尚樹「大嘘だ。NHKの中にややこしいのがいる。そういうのが共同の記者に語ったらしい」――
後段の発言を可能とした情報はNHKの内部の人物からか、NHKの内部の人物に通じている人物から受け取ったことになるが、どちらにしても最初の情報源はNHK内部の人物ということになる。
但し「語ったらしい」と推測となっているから、噂程度の間接情報といったところではないだろうか。
百田尚樹は「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植え付けたのは朝日新聞だ」と批判しているが、日本国憲法に対してどのような立場を取ろうと、どのような思想を持とうと、
思想・信条・信教・言論の自由である。ましてや朝日新聞に於いても。
つまり、「世界の状況や生活様式の変化」に関わらず、変える必要がないと考える言論も存在してもいいし、その言論を批判したり否定したりすることは、これまた思想・信条・信教・言論の自由ではあるが、そのような言論を持つこと自体を禁じようとするのは、思想・信条・信教・言論の自由という観点から、決して許されることではない。
百田尚樹は「考えを植えつけた」と言うことで、思想・信条・信教・言論の自由の権利に反して朝日新聞の報道機関としての存在性を否定的に把えている。
これは露骨な言論の自由の抑圧とまではいかなくても、少なくとも言論の自由を抑えつけようとする欲求を働かせた精神の発動と見て取ることができる。
別の言葉でこのことを証明しよう。
基本的人権の一つとして保障されている言論の自由とは自身が表明したいと思う自身の思想・良心・信条等を誰の妨げも許さずに表明する自由を指す以上、自身の言論を共鳴者を求めて他者に植えつけようとする行為に他ならない。
このことをしなければ、自身の思想・良心・信条等を表明することにはならないし、表明自体が意味を失う。特に報道機関に於いてはこのことが最重要の役割となる。
勿論、強制的な植えつけは他者が持つ言論の自由を損ない、抑圧することになるゆえに許されない。
いわば基本的人権の一つとして保障された言論の自由に則って自身の言論を共鳴者を求めて他者に植えつけようとした場合、それが心理的にも物理的にも強制力を伴わない限り、どれ程に植えつけ、共鳴者をどれ程に獲得できるかは、その言論をどのように受け入れるか、相手次第の判断にかかっているということであり、その判断とは、言論の自由が保障している自身の思想・良心・信条等の表明との兼ね合いで決める、極めて自律的な心的作用であり、そうでなければならないということである。
言葉を言い替えるなら、言論の自由が保障した範囲内の言論の植えつけは偏に相手の判断・責任にかかっているということになる。
戦前の日本を考えてみよう。軍部・政府は国民に軍国主義を植えつけ、天皇の絶対性を植えつけ、天皇と国家への無条件の奉仕を植えつけた。そして国民はそれらの植えつけに無条件に進んで従った。
無残にも戦争に負け、悲惨なまでの多くの犠牲者と国土の荒廃を改めて目の当たりにしたとき、国民の多くは国に騙された、軍部に騙されたと声を上げた。騙された国民自身の判断・責任は自らに問うことをしなかった。問うことをしなかったからこそ、非難の矛先を軍部と国にのみ向けることができた。
『昭和史』(有斐閣)P249~P250に次のような記述がある。
伊丹万作「“騙す人”だけでは戦争にならない。“騙される人”があってこそ戦争になったのである。この意味で、騙されること自体一つの悪である。騙されるということは知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるものである」――
要するに国民の判断の欠如とそれ故の付和雷同の罪を問い質している。
伊丹万作が映画の脚本家であったことは知っていたが、その他は映画監督、俳優、エッセイスト、挿絵画家であると、「Wikipedia」に書いてある。
言論の自由が保障した範囲内の言論の植えつけを許容するか、許容しないかは偏にその言論を受けた相手側の判断・責任にかかっているにも関わらず、百田尚樹は「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植えつけたのは朝日新聞だ」と犯人視しているが、植えつけられた側の判断・責任は問わずに無罪放免して、植えつけた側の朝日新聞のみを、トンチキな筋違いも甚だしく誤認逮捕して冤罪の俎上に乗せようとしている。
朝日新聞に対するこのトンチキは筋違いからも、報道機関が持つ言論の自由を抑えつけようとする欲求意志を見て取ることができる。
このような欲求意志を持った人間がNHKの経営委員を務めている。このような人物を安倍晋三はNHKに送り込んだ。
もし百田尚樹が合理的判断をしたいなら、朝日新聞が植えつけたと犯人視するよりも、植えつけられた国民をこそ、非難すべきだろう。
子供の数が減り続けている。これは既に日本社会に於ける見慣れた風景となっているが、あるいは既に当たり前の風景となっているが、そのような報道に接すると、改めて政治の社会構成能力というものを考えさせられる。政治に於ける社会的構成は主として社会保障政策にかかっている。雇用政策にしても、広い意味で社会保障に関係していく。
《15歳未満の子ども33年 連続減》(NHK NEWS WEB /2014年5月4日 17時06分)
総務省の推計による4 月1日 現在の15歳未満の子どもの数の統計である。
男子が836万人、女子797万人、合計1633万人。
この1633万人は比較可能な昭和25年(1950年)以降で、最も少なかった去年より16万人少なく、昭和57年から33年連続の減少だそうだ。
33年前と言うと、1980年に当たる。1980年は自民党大平内閣の時代である。
総人口に占める子どもの割合にしても、去年を0.1ポイント下回る最低の12.8%となり、昭和50年から40年連続の低下。
2012年と比較の2013年10月1日現在の都道府県別の子どもの数はプラスは東京都と沖縄県のみ、その他は横ばいか減少 、最多減の大阪府は1万4000人の減少となっている。
都道府県別の子どもの割合の最高は沖縄県の17.6%、最低は秋田県の10.9%。
記事は総務相の発言を伝えている。
総務省「出産適齢期の女性の数が減り続けているため、1人の女性が産む子どもの数が大幅に増えないかぎり、今後も子どもの数の減少に歯止めはかからない見通しだ」――
当たり前のことを言っている。
出産適齢期女性の減少は子供の数が減り続けていることの因果関係としてある現象であって、相互関連し合った政治的・社会的課題であるはずだ。15歳未満の子どもの数が昭和57年から33年連続の減少ということは、33年前とそれ以降の10年間前後に生まれた子どもは出産適齢期にかかっているはずで、そのような元となる子どもの減少傾向につながっている出産適齢期女性の減少ということであろう。
また、出産適齢期の女性であっても、結婚しない女性の増加、あるいは結婚していても子どもを産まない女性の増加という社会的傾向、産んだとしても、子供の数を制限する女性の増加がという社会的現象が子どもの減少へとつながって、最終的に出産適齢期女性の減少と子ども人口の減少を相互連鎖することになっているということであろう。
現在の若者が置かれている所得が低くなるに従って未婚率が高くなるという社会的環境も子ども人口の減少に影響しているはずだ。
この記事は触れていないが、総人口に占める子どもの割合12.8%は比較可能な昭和25年(1950年)以降から計算すると、1300万人以上の減少を示していて、人口4千万人以上の30カ国の中でも最低水準だと、「MSN産経」記事 は伝えている。
子ども人口減が先進国に関しては世界的傾向ということなら、先進国の政治が子ども人口に関しておしなべて無力ということになるが、だからと言っ て、日本の政治の無力が許されるわけではない。無力という事実を事実として受け止め、自覚していなければ無力に流されることになるし、実際にも流されてきたということを示しているはずだ。
小泉内閣で総務相を務めていた竹中平蔵が2005年12月22日閣 議後記者会見で日本の政治の無力に言及している。
竹中平蔵「日本が人口減少社会になっていくのは実は30年前に分かっていた。残念ながら30年間、我々の社会は有効な手段を準備できなかった。
(有効な手を打てなかった理由)要因は多岐に亘る。経済、住居、所得の環境、教育のあり方、男女共同参画の問題」(朝日新聞/2005年12月22日 朝刊『人口減 産めぬ現実』)
政治が無力だったのは30年間だけではなかった。発言から約8年半近く、現在も引き続いて無力であった。
記事解説。〈合計特殊出生率は1970年半ば以降、人口を維持するのに必要とされる2・1を割り続けている。これが続けば自然減を迎えることは百も承知だったわけだ。
・・・・・・・
35年と半生を縛る多額の住宅ローン、仕事と子育てを両立しにくい社会。それに年金や医療などの将来不安がのしかかる・・・・・。とても安心して子どもを産める環境にはない。〉――
政治が色々と手を打っているにも関わらず、竹中平蔵が指摘している取り巻く環境は2005年当時と殆ど変わっていない。変わらない環境下での貧困の広範囲化と進行、非婚率の上昇、子ども人口の現象、この現象を受けた全体人口の減少等々、社会の内実は悪化方向に向かっている。
このような社会の内実にも関わらず、安倍晋三は日本の自然風景と社会制度を日本が誇ることのできる日本人の優れた文化として掲げている。
2013年3月15日のTPP交渉参加決定記者会見。
安倍晋三「最も大切な国益とは何か。日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化。その中から生まれた世界に誇る国民皆 保険制度を基礎とした社会保障制度。これらの国柄を私は断固として守ります」――
2日後3月17日 の自民党大会。
安倍晋三「国益とは麗しい日本の国柄だ。日本は古代より朝早く起きて田畑を耕し、病気の人が出ればみんなでコメを持ち寄って助け合った。ここから生まれた国民皆保険制度は断固として守る」――
いくら日本の国柄が麗しく、それを守ることが国益であり、「麗しい日本の国柄」から生まれた「世界に誇る国民皆保険制度」を日本の優れた制度として断固守ると国民に約束したとしても、 経済的格差とか貧困化、子ども人口減少、高齢化、若者の非婚化等々、矛盾した内実を日本の社会が抱えている以上、日本の国柄を麗しいとする、その実態は麗しいと言っていることとは程遠く、遥かに貧弱な国柄となっているはずで、「麗しい日本の国柄」 は日本という国を美しく表装する単なる表紙に過ぎないことになる。
いわば内容の貧弱さを隠して書物の表紙だけを美しく見せて、「素晴らしい書物」だ、「素晴らしい書物だ」と宣伝するようなことを安倍晋三は言っていることになる。
言っていることと中身の違いは国民皆保険制度についても言うことができる。
制度自体は皆保険制度となっているが、保険料が支払うことができずに無保険者となり、病気治療の際には資格証明証を発行して貰う世帯数が 2006年で約35所帯、一所帯平均の人数は2人弱であることから、約70万人が無保険者状態となっているということ、支払遅延を含めた保険料滞納世帯は480万世帯で、1千万人近くにのぼって、市町村国保の被保険者数約4800万人に対して約2割が無保険者予備軍だという記述をインターネット上で見つけたが、若者の貧困化が進行状況にあることから無保険者や保険料滞納者はさらに増えていると見なければならない。
皆保険の内実がこのように綻んだ状態にあるということは、「世界に誇る国民皆保険制度を基礎とした社会保障制度」だと誇ること自体、綻びある発言ということになる。
安倍晋三は他にも機会あるごとに日本の皆保険を誇っている。
消費税増税決定発表記者会見(2013年10月1日)
安倍晋三「半世紀ほど前の本日、10月1日、東海道新幹線は開業しました。そして、その10日後、東京オリンピックが開会されました。頑張る人は報われる、皆がそう信じていた時代です。その少し前、国民皆保険、皆年金が実現をしました。今に 続く世界に冠たる社会保障制度の礎が築かれた時代であります」――
第186回国会施政方針演説(2014年1月24日)
安倍晋三「消費税率引上げによる税収は、全額、社会保障の充実・安定化に充てます。世界に冠たる国民皆保険、皆年金をしっかり次世代に引き渡してまいります」――
2015年度予算成立記者会見(2014年3月20日)
安倍晋三 「消費税率の引上げ分を年金財政の安定のために使います。お年寄りが住み慣れた地域で生活できるよう、医療・介護を充実します。子供たちを始め、難病で苦しむ人たちへの対策を強化します。待機児童をなくし、安心して子育てできる日本をつくってまいります。私たちの社会保障を充実し、そして安定する。そして世界に冠たる国民皆保険、皆年金をしっかり次世代に引き渡していく」――
要するに国民皆保険制度とそれを基礎とした日本の社会保障制度保障を完全無欠と看做すことで、それらの制度を「麗しい日本の国柄」として包み込み、そのことを前提とした発言となっていて、社会が矛盾した内実を曝している事実が制度の綻びを伝えているにも関わらず、そのような側面は一切度外視して、「世界に誇る」、あるいは「世界に冠たる」と表紙だけを美しく見せている。
社会保障制度政策に問題があるからこそ、あるいは政策に無力であるからこその社会の諸矛盾として噴き出し、存在することになっている様々な内実であるはずである。
だが、社会の内実を直視する本心を持たないためにそれを無視して、「日本の世界に冠たる社会保障制度」と表紙だけ美しく見せることができるということは、明らかにウソの情報のタレ流しに当たるはずだ。
あるいは逆に社会の内実を直視する本心を持っていたとしても、持っていながら「日本の世界に冠たる社会保障制度」と誇大宣伝できるとしたら、意図的に社会の矛盾した内実を隠していることになって、やはり同じくウソの情報を国民に垂れ流していることになる。
どちらにしても、安倍晋三は自身に都合のいい情報のみを発信し、都合の悪い情報は気づかないか無視するかするご都合主義者にできているようだ。
騙されてはいけない。
安倍晋三は北方四島日本返還の対ロ政策としてプーチンとの信頼関係構築から入った。プーチン側の日露信頼関係構築の条件は日本の対露経済協力の推進であり、安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築のためにロシアに対する経済協力を強力に推し進めた。
安倍晋三はプーチンと第1次安倍政権任期1年の間に3回、第2次政権でこれまで5回、計8回も首脳会談を行っている。これは異例な回数であろう。安倍晋三は北方四島返還はプーチンとの信頼関係構築が絶対条件だと看做していることになる。
西欧各国首脳がロシアの人権状況に忌避反応を示し、抗議の意思表示として2014年2月7日のソチ・オリンピック開会式をボイコットしたのに対して安倍晋三はプーチンとの信頼関係を取り、先進国では唯一出席している。
習近平中国国家主席も出席したが、中国はロシアと権国家同士の属性としてある人権に無感覚からの出席であって、安倍晋三は権国家の首脳のような振舞いで出席したのである。
安倍晋三のこの振舞いはウクライナの主権と国土の一体性を力を用いた現状変更相当の、3月18日(2014年)のロシアによるクリミア併合でも発揮されることとなった。アメリカとEU各国がロシアへの経済制裁に走ったのに対して日本は最初にビザ発行手続き簡略化協議の凍結、開始予定の投資協定締結交渉の凍結、次にロシア政府関係者ら計23人に対するビザ発給の当面停止といった、経済制裁とは言えない痛くも痒くもない制裁であったのだから、口でどう言おうと、暗黙的にはクリミアのロシア併合を権国家のように認めていることになる。
安倍晋三はやはりプーチンとの信頼関係を取ったのである。
ロシアは日本の痛くも痒くもないはずの制裁に対して報復制裁の可能性に言及したが、北方領土を人質に取っていることを前提とした日本側の弱みにつけ込んでソチオリンピック開会式の二匹目のドジョウを狙い、あわよくば米欧日連携の一角を崩すことで一泡吹かせようという魂胆なのだろう。
例え日本の対露制裁が及び腰のものであっても、プーチンとの信頼関係優先のためにその及び腰の制裁まで引っ込めるたなら、ロシアの信頼を獲ち得ても、世界の信頼を失うことになる。
3月18日のクリミアのロシア併合から43日後の4月30日に発表した独立系世論調査機関レバダセンターが行った世論調査でプーチンの4月の支持率は82%にのぼったという。
《「プーチン支持」82% 強硬策で急上昇》(TOKYO Web/2014年5月2日 朝刊)
この82%はウクライナ南部クリミア半島の併合宣言で11ポイントも急上昇した前月3月よりさらに2ポイント上がった数字だという。
クリミア併合前は13ポイント低かったことになる。〈支持率は2012年5月の大統領復帰後、60%台で推移。大統領1、2期目や首相時代と比べれば低めだった。〉と記事は解説している。
いわばロシア国民はクリミアのロシア併合を熱狂的に受入れ、併合に力を発揮したプーチンをロシアにふさわしい指導者として熱狂的に受入れた。
この熱狂的なプーチンへの同調性はどこから来ているのだろうか。
記事は書いている。〈国際社会の非難をよそにプーチン氏が強硬路線を続ける背景には、高揚した愛国心を求心力維持に利用する思惑もあるとみられる。〉――
領土拡張を歓迎し、喜ぶ精神が多くのロシア国民を支配していて、その精神がプーチン支持率となって跳ね返った。
領土拡張とは拡張した領土に対するロシアの影響力の対外的拡大を意味する。これらの経緯を歓迎する風潮はロシア国家の現在ある状況からの大国化と把える考えによって成り立っているはずだ。
と言うことは、ロシア国民の多くは領土拡張とその領土に対する影響力拡大をロシアの大国化と把えて自分たちが持つ大国意識を満たすことになり、そのことが愛国心高揚の原因一つとなっていることになる。
このことを証明する一つの事実を記事は伝えている。
〈大統領一期目から通して最高の支持率だったのは首相時代の2008年9月の88%で、グルジア紛争の直後。〉――
グルジア紛争とは、インターネット情報を借用して説明すると、2008年8月7日、グルジアからの独立を主張する同国北部の南オセチアをグルジア軍が攻撃。 翌8日、ロシア軍が反撃してグルジアに侵攻。ロシア軍は、やはり独立を求めていた西部のアブハジアにもロシア人保護の目的で介入。ロシアは南オセチア とアブハジアの独立を承認、グルジアはロシアとの外交関係を断絶した。日本や欧米など殆どの国は両地域の独立を認めていない。〉(朝日新聞 朝刊/ 2014-02-07 )
ロシアは南オセチア とアブハジアを併合したわけでなないが、確実に対外的な影響力を拡大した。領土拡張と影響力拡大を以って大国意識を満たす愛国心からしたら、南オセチアとアブハジアをロシアの領土みたいなものだと見ているかもしれない。
だとしても、領土拡張と影響力拡大に基づいたロシア国民の大国意識に根ざす愛国心とプーチンの支持率との関係は危険な側面を持つ。逆の力学が働いたとき、いわば領土縮小と、それと共に縮小した領土に対する影響力が減損したとき、ロシア国民の多くの愛国心が傷つけられ、プーチンの支持率低下を招く関係を取ることになるからである。
プーチンはロシア国民の人気と支持を維持して偉大な指導者として君臨し続けるために、あるいは引退しても、偉大な指導者であったことを記憶させておくために自国民の大国意識に根ざした愛国心を損なわないよう、政治的な制約を自らに課すことになるが、元々プーチン自体の米国とそれぞれの影響力で世界を二分していた当時の旧ソ連時代の大国主義への回帰願望が言われている。
安倍晋三にしても、大日本帝国という戦前の大国主義への回帰願望を露わにしているが、二人が信頼関係を築いてお互いに信頼し合うことができているということは歴史認識に関わる類似性が二人を近づける磁石のような働きをしているのかもしれない。
プーチンの旧ソ連時代の大国主義への回帰願望に関しては昨年の次の記事が伝えている。《「労働英雄」復活 プーチン氏 国民統合へ「ソ連回帰」》(TOKYO Web/2013年5月3日 朝刊)
2013年5月1日メーデーの日、プーチンは旧ソ連時代の勲章を復活した、経済や芸術での功績を讃える「労働英雄」勲章を、その初めてとなる授与式で5人に授与したという。
プーチン「ロシアの歴史と伝統、道徳観を高め、国民をまとめる」――
この「労働英雄」勲章は2013年3月下旬、プーチン支持拡大を図る運動体「全ロシア国民戦線」の会議で提案され、その日のうちにプーチンが大統領令に署名して復活させた勲章だという。
「歴史と伝統、道徳観」というキーワードは安倍晋三自身も頻繁に使っているし、2006年に「教育勅語が謳い上げている『目指すべき教育のあり方』が、決して間違ったものではなかった」と寄稿した文章で戦前の日本の歴史の肯定を通して戦前回帰の願望を示している。
『教育勅語』は教育を通して守るべき道徳を国民に課し、そのような道徳を植えつけて従順なさしめた国民に最終的に天皇と国家への奉仕を義務づける国民統治の役目を担った、時代錯誤の装置以外の何ものでもない。
さらに記事はプーチンの旧ソ連時代への回帰願望について書いている。
〈プーチン氏は最近、ソ連時代の軍事教練を含む体育の授業復活を提案。「若者に間違った考えを抱かせないよう、矛盾のない歴史教科書」の作成や、ソ連時代の小中学生の制服を復活させる意向も示している。〉――
このような動きと発言にしても、安倍晋三が示しても不思議はない符合を感じ取ることができる。
プーチンがこのように旧ソ連の全体像を模範とした大国主義に取り憑かれている以上、その全体像の中に旧ソ連時代の領土面積も入っているだろうから、偉大な指導者としての地位を守るためにもロシア国民の領土拡張と影響力拡大に基づいた大国意識に根ざす愛国心と響き合わせることになる。
2013年9月のロシア全土で1600人のロシア国民を対象に行った世論調査。7カ月前の世論調査である。《「クリール諸島はロシア」74% ロシアの民間世論調査》(MSN産経/2013.9.11 13:52)
ロシア国民の74%が北方四島はロシアに帰属していると見ている。
第2次大戦後ドイツから旧ソ連に編入された西部の飛び地、カリーニングラード州については、85%がロシアに属すると答えた。
但し、〈連崩壊後に独立派との武装闘争が続いた南部のチェチェン共和国をロシアと考える市民は39%にとどまり、係争地により市民の意識が大きく異なっていることが浮き彫りになった。〉と解説している。
だとしても、今回のクリミアのロシア併合で熱狂的に高まったロシア国民の大国主義的愛国心は北方四島に対する帰属意識をなおのこと高めずにはおかないはずだ。
いわば北方四島の帰属を占うのはプーチンと安倍晋三との信頼関係ではなく、プーチン自身の、国民のそれからも強い影響を受ける旧ソ連の全体像を理想像とした大国主義ということになって、少なくとも安倍晋三から見て固い絆にまで発展していると見ているプーチンとの信頼関係は無力化を孕んでいることになり、信頼とは反対の逆説的な意味を帯びることになる。
生活の党PR
『憲法記念日にあたって』談話
平成26年5月3日 生活の党代表 小沢一郎
本日、日本国憲法は施行から67年を迎えました。 生活の党は、憲法とは、国家以前の普遍的理念である「基本的人権の尊重」を貫徹するために統治権を制約する、いわゆる国家権力を縛るものであるという立憲主義の考え方を基本にしています。
また、憲法は、国家のあり方や国法秩序の基本を定める最高法規として安定性が求められる性質のものであります。したがって、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という憲法の四大原則は引き続き堅持すべきであります。
しかし安倍政権は、戦後一貫した集団的自衛権に関する憲法解釈を、いとも簡単に一内閣の権限のみで変更しようとしています。憲法9条の解釈は、戦後から現在までの長年にわたる国会審議において、国会と政府の共同作業によって練り上げられてきたものであり、国会審議を経ることもなく、一内閣が行う閣議決定によって軽々に変更が許されるものではありません。
生活の党は、憲法9条が容認している自衛権の行使は、我が国が直接攻撃を受けた場合及び周辺事態法にいう日本の安全が脅かされる場合において、同盟国である米国と共同で攻撃に対処するような場合に限られるものと考えます。これ以外の、日本に直接関係のない紛争のために、自衛隊が同盟国の軍事行動に参加することは、歯止めなき自衛権の拡大につながりかねないものであって、現行憲法9条は全くこれを許していないと考えます。
一方で、憲法は、国民の生命や財産、人権を守るために定められ、平和な暮らしを実現するための共同体のルールとして国民が定めたものなので、四大原則を守りつつも、時代や環境の変化に応じて必要があれば改正すべき点は改正すべきです。
生活の党は、国民がより幸せに、より安全に生活でき、日本が世界平和に貢献するためのルール作りをめざし、国民とともに積極的に議論して参ります。
安倍晋三は4月29日(2014年)にヨーロッパ6カ国訪問の旅に飛び立ったが、2カ国目の英国で5月1日午前(日本時間同日午後)、ウェストミンスター寺院にある「無名戦士の墓」を訪れて、花輪を手向けたという。
《安倍首相:「無名戦士の墓」に花輪 英寺院を訪問》(毎日jp/2014年05月01日 21時23分)
記事は、無名戦士の墓は第1次世界大戦の戦死者の墓で、海外首脳の多くも訪英に合わせて訪れると解説した上で、日本政府筋の発言を伝えている。
日本政府筋「ナショナリストだというイメージ が欧州にも広がっているが、その払拭(ふっしょく)につながる」――
コワモテのその筋の者ヤクザがそのイメージ払拭につながるからと、教会に出かけてキリスト像の前で胸に十字を切るようなものではないか。イメージをどう演出しようと、精神の本質が変わらなければ、ナショナリスト(国家主義者)はナショナリスト(国家主義者)である。
記事は5日に訪れるフランスでも無名戦士の墓を訪れると、その予定を伝えている。
確かにナショナリスト(国家主義者)のイメージ払拭の企みもあるだろうが、自身の靖国神社参拝正当化を目的とした無名戦士の墓参拝であり、正当化を通したナショナリスト(国家主義者)とされていることのイメージ払拭であるはずだ。
これまでの安倍晋三の発言からすると、「国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして尊崇の念を表す靖国参拝はアーリントン墓地に大統領が行って献花し、哀悼するのと同じで、世界のリーダーは誰でも行っている共通の姿だ」とする趣旨の論法と、「国のために命を投げ打って戦い、その命を国のために捧げた戦死者を悼むと同時に二度と戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの平和の誓いのための靖国神社参拝でもある」とする趣旨の論法で自身の靖国神社参拝を正当化している。
要するに靖国神社参拝は何も戦前の大日本帝国国家を正当化したり美化したりするナショナリズムからの参拝ではない、純粋に戦死者を悼む参拝であり、平和への祈りでもあるというわけである。
安倍晋三の「国のために」と言う言葉には、戦前のように「お」をつけて、「お国のために」とした方が安倍晋三にはふさわしい。この「お」は辞書によると、「おほみ」→「おほん」→「おん」→「お」と変化した「お」であって、「おほみ」(大御)とは、「主として神・天皇に関する語に付いて、最大級の尊敬を表す」( Weblio古語辞典)としている。
例えば現代読みで「おおみこころ」と読ませている「大御心」とは天皇の心を言い、「大御歌」(おおみうた)は天皇の和歌、「大御門」(おおみかど)は皇居の門、「大御神」(おおみかみ)は神の敬称、つまり戦前の天皇を指す。
戦前の日本国民は天皇を統治者とする日本国全体を最大級に尊敬・畏怖して「お国」と言い、そのように言うことで国家を最大限に上に置き、国民を遥か下に置く国家と国民の関係を築いていた。
そのような関係に置かれた国民が、天皇への絶対随順をを説いた『国体の本義』や国家奉仕を義務づけ、それを以て国民道徳のバイブルとなっていた『教育勅語』等によって洗脳されていた手前もあって、兵士となったとき、当然、「お国」は兵士自身が自らの尊い命を捧げる自己犠牲の対象と看做し、自己奉仕の対象として、戦前日本国家を一身に体現して「お国のために」戦い、戦死し、靖国神社に祀られた。
いわば「お国のために」と何かを行うことは国家を体現して国のために尽くすことに他ならない。
その尽力が命の犠牲を求めたなら、命を捧げる。
当然、戦前の日本国家、即ち大日本帝国国家を体現した戦没者に尊崇の念を表す参拝は参拝者自身が精神的に戦没者を通して大日本帝国国家を体現する行為となる。
「お国のために戦って、尊い命を捧げたのだ」と思う瞬間、参拝者は否応もなしに大日本帝国国家を体現しているのである。
そのように体現することが即ち、戦前日本国家の肯定となり、その国家が仕掛けた侵略戦争の肯定、美化となる。
戦没者の死の肯定・美化は戦前日本国家とその戦争の肯定・美化を等式としてのみ成り立つ。
だが、安倍晋三は自身の心にあるこの等式を公には決して認めようとはしない。認めたら、自身の地位が危うくなることを知っている。
安倍晋三がいくら外国を訪問して、その国の無名戦士の墓や身元が分かっている戦没兵士の墓を参ろうと、外国の首脳たちが靖国神社をお返しの参拝の対象とはしないのは、この等式に気づいているからだろう。
もしこの等式に気づかず、考えもしないまま、靖国神社を参拝した場合の中国や韓国の批判が煩わしいという理由だけで靖国神社をお返しの参拝の対象としないのなら、国の戦争を戦って死んだことの重要性を自国では認めて、日本では認めない二重基準を演じることになる。
侵略戦争を戦った戦死者であることを知っているからこそ、そこに二重基準を置くことになっているはずだ。
安倍晋三がアメリカを訪問するとき、米国の歴代戦争の死者を祀ってあるアーリントン墓地を訪れて献花し、哀悼を捧げているのに対して、2013年10月3日、日本を訪れていた米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は身元不明の戦没者や民間人犠牲者の遺骨が納めてある国立施設の千鳥ケ淵墓苑を訪れ、献花した。
安倍晋三のアーリントン墓地参拝のお返しの参拝対象として、安倍晋三が日本に於ける戦死者の墓地として正統性を置いている靖国神社ではなく、千鳥ケ淵墓苑を選んだということをである。
いわば両閣僚の千鳥ケ淵墓苑参拝は靖国神社を日本に於ける戦死者の墓地として正統性を置いていないということを意味する。
4月23日(2014年)夕刻訪日のオバマ大統領は24日、靖国神社ではなく、戦没者が存在しない明治神宮を参拝して、安倍晋三のアーリントン墓地参拝のお返しとした。
日本側が安倍晋三の同行を打診したところ、断ったという。マスコミは歴史認識問題に敏感な、次の訪問国韓国を刺激しないよう配慮したと見られると報じているが、同行してオバマ大統領と安倍晋三が並んで頭を下げ、手を叩いていたなら、例え戦没者が存在しなくても、戦前の日本を肯定する歴史認識を担っている安倍晋三と日本の神社で同じ空間に並び立つことになり、安倍晋三の歴史認識への親近感を疑われかねないことを恐れたからではないだろうか。
なぜなら、日本の神社はかつては神道を通して日本の国民の精神と、その精神の中にある日本の歴史(特に神話と一体化した建国の歴史)と深く関わっているからだ。
オバマ大統領は日本の次に訪問した韓国での4月25日のパク・クネ韓国大統領との共同記者会見で、慰安婦の問題について、「甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う」(NHK NEWS WEB)と、安倍晋三及び日本国民の歴史認識に警告を発している。
安倍晋三の歴史認識と一線を画している姿がこの発言に現れている。
ではなぜオバマ大統領は靖国神社に変わる参拝場所を明治神宮にしたかと言うと、ケリー国務長官やヘーゲル国防長官と同じ千鳥ケ淵墓苑としたなら、靖国神社に対する拒絶感が突出することになって、米側にとって訪日の第一目的であった大事なTPP交渉を控えていた手前、遠慮が働いたということではないだろうか。
いずれにしても安倍晋三は自身の外国での戦没者墓地参拝に対して外国首脳が靖国神社をお返しの参拝の対象としない意味を早急に悟るべきだろう。
生活の党PR
《生活の党機関紙第13号(5月1日付) 》
【内容】
9人の生活の党議員の思いが官僚の壁を乗り越え被災地の復興を前進
達増拓也岩手県知事党本部を来訪
第186回国会活動報告。
元静岡大学教授・税理士 湖東京至、鈴木克昌代表代行・幹事長、第85回メーデー挨拶等
安倍晋三が4月29日(2014年)昼、ドイツを最初の国とするヨーロッパ6カ国訪問に出るために政府専用機で羽田空港を飛び発った。安倍晋三お得意の訪問外交である。記者会見等、発言の機会があるたびに何カ国訪問した、首脳会談を何回したと誇る程にも安倍晋三、お得意の訪問外交となっている。
回数がスラッと口から出てくるのだから、しっかりと頭に記憶しているに違いないが、その記憶は首相執務室か私宅書斎の黒板か何かの常に目に入る場所に訪問国と何カ国目かを書いて置いて、いつでも間違いなく口にすることができるように準備している成果の賜物に思えて仕方がない。
いずれにしても安倍晋三は自身の外交上の存在感をアピールする道具立て、あるいは装置として何カ国訪問した、首脳会談を何回したといった数字的積み重ねに拘っていることは間違いない。だから、時間があると、海外に足を伸ばす。
昨年(2013年)は確か「地球儀を俯瞰する外交だ」と称して、25カ国を訪問したそうだ。そして今年2014年に入って1月早々の7日、訪日のエルドアン・トルコ首相と首脳会談を行っている。
これも外国首脳と会談した回数の内に指折り数えているはずで、そして1月9日から15日までの7日間の日程で中東のオマーンとコートジボワール、モザンビーク、エチオピアのアフリカ3か国、合計4カ国を訪問し、1月末にはインドを訪問、2月にはソチでプーチンと会談等々、既に30回を超えているはずで、今年末には昨年の25回から計算すると、50回を優に超えて、60回近い数字か、あるいは60回を超えた数字を順次頭に入れていくことになるに違いない。
安倍晋三は今回の欧州6カ国訪問に先立ち、羽田空港で記者団に発言している。
安倍晋三「欧州は世界における世論形成に大きな影響力があり、欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化したい」(時事ドットコム)――
「日本の発信力を強化したい」云々――
発信力強化を自らの実績として目的とするなら、それは訪問国数や首脳会談数で決まるわけではないことは承知していなければならないはずだが、これらの回数を自らの実績としてアピールしている自身の矛盾には気づかないようだ。
ドイツの有力紙が書面で遣り取りした安倍晋三に対するインタビュー記事を4月29日に報じ、それを同じ4月29日に、《首相 独紙で「原発簡単にやめられない」》(NHK NEWS WEB/2014年4 月29日 22 時32分)が報じている。
先ず、ドイツが全廃を決めた原子力発電所について、双方を取り巻く環境の違いを指摘し「日本は島国で隣国からの電力の輸入が難しく、豊富な石炭に恵まれるドイツと状況が異なる。そう簡単に『原発はもうやめた』と言うわけにはいかない」と述べたという。
ドイツの豊富な石炭に代わる日本の豊富な太陽光、風力、波力等々の再生可能エネルギーという発想はないらしい。勿論、後者は電気料金という形でコストが高くつく。だが、後者が地球温暖化防止にかけなければならない膨大なコストや地球温暖化による高潮浸水被害を受けているマリアナ諸島やカロリン諸島、マーシャル諸島等の太平洋諸島の高潮浸水被害に対して支払っている日本の高額な援助を、例え少額ずつではあっても、順次差し引いていくと考えた場合、あるいは原発が事故を起こさなくても、常に万が一のシビアアクシデント発生を想定して住民避難のために費やさねければならないカネと時間を省くことになると考えた場合、差し引きしたコストはかなり減額され、そこに安心というプラスアルファを加えることができる。
安倍晋三は企業に負担を強いる電気料金だけで電力供給を考えているとしたら、電力に関わる発信力は大したことはないと看做さざるを得ない。
次に、「日本とドイツの中小企業の橋渡しをしたい」と述べて、高い技術力を持つ日独双方の中小企業が提携するなど、両国の経済分野での関係強化に意欲を示したという。
成功したなら、日本の中小企業の技術力に関わる発信力は海外に広がることになるが、安倍晋三は単に仲立ち役を果たすだけのことで、政治家として持つ外交上の発信力が高まるわけではない。
“発信力がある”とは、言葉を単に発することではなく、発した言葉の内容が見るべき事柄を成す力を持っていて、実際に成して初めてその存在が証明される力のことを言うはずだ。
記事は最後に中国、韓国との関係についての安倍晋三の考えを伝えている。
安倍晋三「困難な課題もあるが、課題があるからこそ、前提条件を付すことなく、率直に話し合うべきだ」――
この最後の発言は安倍晋三の常套句となっている。
2013年6月、安倍晋三はイギリス・北アイルランドのロックアーンで開催の2013年6月17・18日G8サミット出席後、6月19日、イギリス・ロンドンで講演している。
安倍晋三「(中国との関係について)何か問題があったとしても話し合いを続けていけることが大切だ。私は常に対話のドアは開いているし、習近平主席といつでも首脳会談をする用意はある」(NHK NEWS WEB)――
言っている趣旨は全く同じである。
安倍晋三は日本時間の2013年9月27日未明、国連総会に出席、一般討論演説を行っている。
安倍晋三「戦略的互恵関係の原点に立ち戻って日中関係を発展させていきたい。何か問題があるからと言って対話のドアをすべて閉じてしまうのではなく、課題があるからこそ、首脳レベルも含めて話し合うべきだ。私の対話のドアは常にオープンであり、中国側にも同様の姿勢を期待したい」(NHK NEWS WEB)――
これ以外にも同じ趣旨の発言を繰返している。
だが、すべての発言が相手に対する話し合うことの要請と自身は常にその用意があると伝えるだけのことで終わっている。勿論、外務当局や首相補佐官を派遣して首脳会談の働きかけを行っているようだが、実現させることができないでいる。
この経緯は安倍晋三自身の言葉の発信力の脆弱性を証明しているはずだ。日中、あるいは日韓にしても同じだが、首脳会談開催実現を成すだけの言葉の力を持ち得ていない。単に言うだけで終わっているからだ。
終わっているから、同じ趣旨の発言を繰返すことになる。
この安倍晋三の発信力の脆弱性は中国の海洋進出の動きにに対しての「力による現状変更の試みは許されない」とする発言や、普遍的価値観を訴える発言にも見ることができる。既に耳にタコができる程にも聞き飽きた常套句となっているが、常套句で終わっていることが既に発信力の脆弱性を物語っていることになるのだが、今回のヨーロッパ6カ国訪問の最初の訪問国ドイツでの日独首脳会談でも、同じ言葉を発信している。
安倍晋三「力による現状変更の試みは許されず、国際秩序や法の支配が尊重されるべきだ」(MSN産経)――
4月4日(2014年)の訪日したオバマ大統領との首脳会談でも発言している。
安倍晋三「力による現状変更の試みを継続しており、強固な日米同盟とアメリカのアジアへの強いコミットメントを示すことが重要だ」(NHK NEWS WEB)――
アメリカの軍事力に頼った対中国忌避感であって、自身の発信力に頼った対中関係改善の模索とはなっていない。そのような模索ではないから、単に中国の悪口を言い振らすために外国を繰返し訪問しているだけのことになる。
これでは発信力以前の問題となる。
「国際秩序や法の支配が尊重されるべきだ」と言っているが、これはかねてから常套句としている価値観外交の一節に過ぎない。
2012年12月26日に2度めの首相に就任してから、翌2013年1月28日の第183回国会所信表明演説。
安倍晋三「外交は単に周辺諸国との二国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開していくのが基本であります」(首相官邸HP)――
民主義国家として当然の立脚点だが、求められていることは「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」を共有していない中国や北朝鮮に対して自身の立脚点と同じ土俵に立たせることであって、自分だけが立脚すればいいわけではなく、また元々共有している各国首脳と共有を確認し合うだけでは誰にもできることであって、あくまでも共有していない国家体制に共有へと少しでも近づけさせ得て初めて自らの言葉が発信力を持つことになる。
だが、共有する各国を誰もが入館を拒まれることはない公共施設を訪れるように拒まれることなく訪問しては、そこに存在しない中国相手に遠くからお互いが共有している価値を確認し合うのみで終わっている。
お互いが好きな歌が一致していて、では、その歌を歌いましょうと一緒に歌って、心地よさを感じ合うようにである。
安倍晋三は同じ言葉を繰返すことを得意としていて、外国訪問の際に繰返す機会を得て、相手からも受入れられて心地よさを感じては自らの外交能力の高さを誇るかもしれないが、相手としては共有している手前当然のことであって、繰返すだけで中国との間に生じている事態が何ら変化がないということは、変化がないどころか、少しずつ悪化しているということは、言葉の発信力に見るべき効果を持たないことの証明としかならない。
安倍晋三は日本の中小企業の技術の発信力を海外に広めることよりも先ずは自身の外交上の発信力に磨きをかけ、その強化に努めるべきだろう。期待はできないが。