復興相高木毅は香典のカネは公費で支出するものとして出した、その可能性が高い公職選挙法違反疑惑

2015-11-10 08:56:16 | 政治


 役目上の活躍からではなく、過去の下着泥棒報道で話題の人となっていた復興相の高木毅(つよし・59)が代表を務める自民党支部と資金管理団体が公職選挙法で原則禁止している選挙区内での香典と供花(くげ)の支出を行い、政治資金収支報告書に記載していた、同法違反の疑いが持ち上がっていて、さらに話題に輪をかけている。

 香典に関しては支出の時期は2012年と2013年の2年間、福井県敦賀市等の高木毅の選挙区内の8人に合計16万円。

 就任早々、こうも話題にされるのも珍しい。

 11月6日の復興庁での記者会見で釈明しているというマスコミ報道を水先案内人として《復興庁の記者会見》のページにアクセスしてみた。  

 香典と週刊誌報道に言及している個所のみを拾い出してみる。

 高木毅「続きまして、私の政治資金収支報告書の件について御説明を申し上げます。私が代表を務めます政党支部と資金管理団体が選挙区内の人に香典などを支出していたと記載されていました。

 まず、香典の支出についてでございますけれども、これは私がそれぞれ亡くなられた方へ葬儀の日までに弔問に行き、私個人の私費で支出したもので法的に問題はないと考えております。それが収支報告書では政治団体の香典と誤って記載されておりますので、収支報告書を訂正することといたしております。

 次に枕花についてでありますけれども、今回、マスコミからの御指摘を受けまして、私も後援会から供花を出していたことを初めて知りました。これは後援会幹部やその奥様がお亡くなりになったので、後援会が御葬儀に際し、出したとのことでございます。名義も後援会ということでありました。組織が構成員のために弔意を示すことは人情であり、関係者に違法性の認識はなかったと思いますが、今後このようなことが起きないように、後援会関係者には事務所を通じて厳重に注意をさせていただいたところでございます。

 私からは以上でございます」

 質疑応答に入って、冒頭から香典の支出について問い質されている。

 記者「確認なんですけれども、政治資金の問題で、誤って記した香典の額、それから枕花の額、それぞれ教えていただけますか」

 高木毅「額につきましては8件16万だったかと思います。枕花については2件2万4千円でございます」

 記者「閣議の後に菅長官とお話をされていたと聞いたんですけれども、何を話されていたのか」

 高木毅「事実関係を報告させていただきました。それに、迷惑をかけていますので、おわびを申し上げてきました」

 記者「安倍総理とはお話はされたんですか」

 高木毅「安倍総理にもおわびは申し上げました、御迷惑をかけていますということで」
 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
 記者「香典の件についてお聞きしたいんですけれども、公職選挙法に抵触するおそれなどもあって、総理や長官にもお詫びをされたということだったんですが、今後の進退について改めてどのようなお考えですか」

 高木毅「違法性はないと考えておりますし、私とすればとにかく今は復興大臣としての職務を遂行することが責任だというふうに考えております」

 記者「確認なんですけれども、今日閣議後に会われた方は総理と長官ということでよろしいですか」

 高木毅「総理は本当に短時間でございまして、一言おわびだけ申し上げました」
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 記者「香典の話をさせてもらいますけれども、大臣、私費でお支払になったということですが、普通であれば私費で払ったら政治資金には載らないはずです。そうなると考えられるのは3つで、大臣が私費で払ったものを請求を求めたか、周りが配慮して政治資金に載せたか、それとも最初から私費と公費がごちゃごちゃになっていたかのいずれか、どうでしょうか」

 高木毅「3番目といっていいと思います。私の私費だったんですけれども、出してしまって記載したということだと思います」

 記者「もう一点お伺いしたいんですが、大臣は否定されておりますが、週刊誌報道があり、就任された後の官邸の会見でも原子力政策について地元と少し食い違うことがあって修正されましたけれども、更に様々なことが言われております。復興ということがどうも軽くなっているような気がしますが、それについて大臣は」

 高木毅「お騒がせして被災地の方、そしてまた世間の皆様方に御迷惑をかけていると思います。ただ、先ほど来申し上げているとおり、これまで1か月間、私は大臣としての職責は全うしてきたというふうに思いますし、これからもこういった一連のことで復興大臣としての職務に支障を来すことのないように全力で取り組んでいくと、ぜひ被災地の方々には御理解いただきたいというふうに思います」

 記者「今、質問がありましたが、週刊誌報道について改めてですが、これまでも会見で大臣が否定されているということは承知しているんですけれども、週刊誌に引き続き出ておりまして、その説明も虚偽なのではないか、窃盗と住居侵入についての説明も虚偽だというような指摘もあるんですけれども、それについてはどのようにお考えでしょうか」

 高木毅「同様でございます。そういったことはございません」

 ここで記者会見は打ち切りとなっている。

 以上、高木毅の発言から香典に関して分かったことは、全ての弔問に高木毅本人が出掛けたこと。一度も秘書を代理とさせていなかった。そして全てが私費からの支出であった。

 ではなぜ私費の支出が政治資金収支報告書に記載されてしまったかについては、記者が「大臣が私費で払ったものを請求を求めたか、周りが配慮して政治資金に載せたか、それとも最初から私費と公費がごちゃごちゃになっていたかのいずれか」と三択を求めると、3番目の「私費と公費がごちゃごちゃになっていた」ためだと答えている。

 以上のことからはっきりすることは、本人は選挙区内での香典の支出は私費に限定されていて、政党支部や資金管理団体から支出し、政治資金収支報告書に記載することは公職選挙法に触れるという知識はあった。だが、事務所の方で私費と公費をごちゃごちゃにしていた。

 最初の疑問は事務所は、あるいは秘書は高木毅本人が弔問に出掛けて私費で香典を支出したときの金額まで知り得たのだろう。1日のスケジュールの中に前以て弔問を入れておいたり、高木毅のお抱え運転手が運転する車で秘書同道で(秘書自身が運転手を兼ねているケースもある)弔問に出掛けたなら、香典を出したことは知り得るが、金額まで知り得ることはない。

 金額を知り得るには二つのケースがある。

 一つは香典袋に書く弔問者の名前を秘書に書かせ、中袋に金額を記入させていたとしたら、支出した金額を知ることができる。

 だが、政治家は自分でサインしたがるものである。芸能人と同様、芸能人のように崩しはしないが、自身のサインを通して自分を宣伝するためである。そのために多くの政治家は習字まで習う。

 高木本人は字が下手クソで、秘書に書かせたと仮定しよう。それで金額迄知り得ることができた。

 金額を知り得るもう一つのケースは事務所の机の引き出しに用意してある香典袋を秘書か事務員に出させて、それを受け取ってその場でカネを入れて自分でサインしていた場合、近くにいた者は金額を知り得ることになる。

 だが、どちらのケースであっても、カネそのものは高木毅本人の財布から出ているはずである。事務所の金庫から自分で出したか、秘書か誰かに出させたわけではあるまい。その時点で見ている者が誰であっても、公費か私費かの区別はつくはずである。

 例外的に事務所の金庫から出していたとしたら、高木毅は事務所のカネを香典の支出に振り向けた場合、記者会見の発言から公職選挙法に触れるという知識はあったことになるから、「立て替えて貰う」といった意味の言葉か、「後で返す」、あるいは「後で返しておく」といった意味の言葉を口にしていなければならないし、香典に支出した金額のカネを金庫に自身で戻した場合、秘書か誰かにそのことを告げなければならないし、秘書か事務所の職員に手渡した場合、そのカネが何のカネか、「香典で立て替えてもらったカネだから」といった説明をしなければならない。

 高木本人が香典の支出に関してこういった一連の経緯を踏んでいたなら、秘書、あるいは事務所の人間が香典の支出に関わる公職選挙法の禁止事項に詳しくなくても、自ずと私費と公費を区別しなければならないということを学習するはずである。

 だが、政治資金収支報告書に2012年と2013年の2年間で選挙区内の8人に合計16万円、つまり2年間で8件も事務所のカネから支出したとする記載を行った。

 秘書、あるいは事務所の人間が一連の経緯を踏んでいさえすれば学習するはずの知識を学習していなかったということは、一連の経緯を踏んでいなかった疑いが出てくる。

 要するに自分の財布から出さず、事務所の金庫から自分で出すか、周囲の誰かに出させるかしたが、その際、「立て替えて貰う」とも、「後で返す」、あるいは「後で返しておく」とも言わなかった。

 いわば香典のカネは公費で出すものとして出した。秘書、あるいは事務所の人間はこういった光景を見ていたために公費で出すものと認識して、政治資金収支報告書にその都度支出項目と金額を記載していった。

 こうとでも考えなければ、2年間に8件も記載し続けた理由を説明することはできない。

 政治資金収支報告書に記載しなかった香典の支出、正真正銘の高木本人の財布から出して済ませた香典の支出があるかどうか説明させるべきだろう。もしあったなら、なぜその支出を政治資金収支報告書に記載する過ちが起きなかったか、その理由を問い質すべきだろう。

 2年間で8件が全てだとしたら、厳密に私費という支出の体裁を取ったのかどうかを追及する以外にない。厳密に私費という形を取っていたなら、なぜ政治資金収支報告書に公費とする間違いが生じたのかと。

 高木は「一連のことで復興大臣としての職務に支障を来すことのないように全力で取り組んでいく」と言っているが、疑惑を晴らしてから口にすべきことである。 


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日ハムファイターズ広告「北海道は、開拓者の大地」の問題点は何か アイヌ民族は北方四島の返還を求めよ

2015-11-09 07:38:36 | 政治


 北海道・新千歳空港出発ロビーの鉄骨屋根から吊るした縦5.5メートル✕横2メートルの特大の垂れ幕型のプロ野球北海道日本ハムファイターズの広告が北海道の先住民であるアイヌ民族の、その先住民としての権利を害しているとしてアイヌ民族の最大組織「北海道アイヌ協会」(札幌市)が球団側に配慮を求める文書を提出する方針だということでマスコミを賑わしている。

 広告の絵柄はグラウンド上を横向きに歩いている栗山監督が顔のみ正面に向けたその顔を上からと右片面から囲むように縦3段に、

 「北海道は、

 開拓者の

 大地だ」
と大きな白文字で描かれている。

 これは4枚の内の1枚だそうで、要するにキャッチコピーが問題にされた。

 「47NEWS」記事が共同通信社の取材に対する日ハム関係者の発言を伝えている。  

 「解釈の相違であって、スポーツにおいて何事にもチャレンジし、道を切り開くという意味で使った」

 「開拓」という意味は既にご存知だろうが、「荒野を開いて田畑とする」という意味と「新分野を切り開く」という意味がある。

 「北海道は、開拓者の大地だ」と言うとき、その「大地」は所有物としての“物”を意味させることになる。いわば、「北海道はその大地を切り開いた者の所有物だ」という意味になる。

 北海道を開拓したのは和人であって、北海道は日本人の所有物だという意味になる。

 但し北海道が未知の大地、未開の大地であったなら、「開拓者の大地だ」は開拓者にとって格好の開拓のターゲットだという意味になる。

 後者との関連から、この未知・未開を野球というスポーツが未だ取り入れられていない空間の意味、いわば野球という新しいスポーツを切り開く格好の空間という意味に譬えて、「スポーツ(野球)において何事にもチャレンジし、道を切り開くという意味」だと無理に解釈させることができないでもない。

 だが、野球というスポーツは北海道という大地に既に十分に浸透していて、新分野を切り開くという意味での開拓には当たらないし、「スポーツ(野球)において何事にもチャレンジし、道を切り開くという意味」を言葉通りに解釈すると、「スポーツ(野球)」そのものを対象としたチャレンジであり、「スポーツ(野球)」そのものに限った「道を切り開くという意味」であって、いくら日ハムファイターズが北海道を根拠地としていても、北海道を持ってきて、新分野でもない野球の「開拓者の大地だ」と意味させているとしたら、あるいは日ハムを北海道という大地に於ける野球の開拓者の位置に据え付けているとしたら、牽強付会に等しい。

 どう素直に読んでも、「北海道は、開拓者の大地だ」は開拓した和人の「大地だ」=所有物だの意味となる。

 日本人は北海道を未知の大地・未開の大地として開拓していった。だが、北海道を未知の大地・未開の大地としていたのは日本人の側であって、そこにはアイヌ民族が先住民として存在していて、アイヌ民族にとっては未知でも未開でもなく、既知の大地であった。

 アイヌ民族のその大地を日本人は優勢な武力と入植による人口の優勢によってアイヌ民族を北海道から駆逐していった。

 もし日ハムが宣伝文句に北海道と開拓という言葉を入れて、「スポーツにおいて何事にもチャレンジし、道を切り開くという意味」を持たせたかったなら、「北海道の大地で新たな地平へと開拓していく」、あるいは「北海道の大地で新たな地平へと切り開いていく」とでも書くべきだったろう。

 栗山監督の写真が開拓していく、あるいは切り開いていく主語は野球を知る者は日ハムの野球だと、その殆どが理解できるはずである。

 2008年〈平成20年〉6月6日、国会はアイヌ民族を「日本列島北部周辺、とりわけ北海道」の先住民だと認める国会決議を可決している。これは2007年9月13日の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が日本政府も賛成して採択されたことを受けた可決であった。 

 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は第28条1項で、〈先住民族は、彼・彼女らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、彼・彼女らの自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ公平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。〉と定めている。

 いわば北海道をアイヌの大地だと原状回復――北海道返還を求めることもできる。

 だが、北海道は既に多くの日本人が住んでいて、原状回復は困難な状況にある。千島列島もアイヌ民族が先住民であったのだから、北方四島のアイヌ民族への返還を求めて、現住ロシア人と共存のアイヌ国家を建国すべきではないだろうか。

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安倍晋三「1億総活躍社会」2017年度末40万人分保育施設整備の政府目標50万人分積み増しの大風呂敷

2015-11-08 10:03:16 | 政治

 
 安倍晋三が11月6日、《読売国際経済懇話会(YIES)》で講演、未だ途上だというのにアベノミクス3本の矢の成果を誇り、「1億総活躍社会」のスローガンのもと掲げた新3本の矢の実現に向けて大風呂敷を広げた。 

 新3本の矢とは2015年9月24日の自民党両院議員総会後の記者会見で述べていることをこの講演でも繰返したのだが、「希望を生み出す強い経済」を第1の矢、「夢を紡ぐ子育て支援」を第2の矢、「安心につながる社会保障」を第3の矢であると改めて紹介、それぞれの矢に対する目標とする中心の政策を記者会見では「ターゲット」とか、「旗」という言葉を使っていたが、ここでは「的」という言葉を使って告知している。

 第1の矢には第1の的「戦後最大のGDP600兆円」、第2の矢には第2の的「希望出生率1.8」、第3の矢には第3の的「介護離職ゼロ」といったふうに。

 本人は勿論、大風呂敷だとは思っていない。大風呂敷だという批判を承知していて、自信満々を示している。

 安倍晋三「この3つの『的』については、既に、『大風呂敷だ』とか、『実現できない』といった批判をいただいております。

 これもまた、20年近く続いたデフレによる自信喪失が、日本の中に蔓延している証左であると思います。3年前、私が、大胆な金融緩和を主張した時もそうでした。『デフレはどうやっても脱却できない。金融政策でも脱却できない』といった批判がありました。しかし、現実はどうでしょうか。私たちは、デフレ脱却に向けて、一歩ずつ確実に前進しています」――

 本人は大風呂敷ではないと信じていたとしても、アベノミクスを格差拡大に貢献させておきながら、第1の矢に「希望を生み出す強い経済」とネーミングした政策を掲げるその逆説性からして、既に大風呂敷であることを露わにしている。

 尤も拡大格差の底辺に位置する者が日本の政治や社会、そして自身の生活に希望を見い出すことができているとすることができるなら、アベノミクス関連の政策のネーミングに「希望」という言葉をどう入れようと、大風呂敷でも何でもないことになる。

 このブログでは第2の矢「夢を紡ぐ子育て支援」が的としている「希望出生率1.8」を実現させる政策手段の一つとしている待機児童ゼロとするための保育所の整備――平成29年末(2017年度末)までの5年間で現在のプランとしている40万人分の受け皿を50万人に増やす方針転換が、40万人でさえ大風呂敷と見えるのに如何に大風呂敷であるかを証明したいと思う。

 保育所整備について安倍晋三は次のように発言している。

 安倍晋三「第二の的は『希望出生率1.8』の実現です。そこに向かって『夢を紡ぐ子育て支援』という第二の矢を放ちます。

 『結婚したい』。『子どもが欲しい』。一人ひとりのこうした願いがすべて叶えられれば、それだけで出生率は1.8へと上昇します。これが『希望出生率1.8』の目標であり、2020年代半ばまでに実現しなければならないと考えています。

 私が、出生率を目標にするなどと申し上げると、すぐに、『産めよ、増やせよ』じゃないかという批判が出てまいります。これは平和安全法制の時もそうだったのですが、分かっていながら、あえて根拠のない不安を煽ろうと、レッテル貼りをする人たちがいます。

 しかし、あくまで『希望』出生率であって、結婚したくない人、産みたくない人にまで、国家が推奨しようというわけでは断じてありません。

 例えば、経済的な事情で、結婚や出産を躊躇している若者たちがいます。たしかに、結婚・出産で家族が増えれば、衣食住のコストが上がります。とりわけ、広い住まいに引っ越すことになれば、家賃はこれまでよりも高くなってしまう。

 ですから、新婚夫婦や、子育て世帯の皆さんには、公的賃貸住宅に優先的に入居できるようにすると同時に、家賃負担を大胆に軽減する取組を始めたいと考えています。

 妊娠・出産に要する負担の更なる軽減策も検討したい。子宝を願って、不妊治療を受ける皆さんへの支援も、一層拡充していく考えであります。

 子育てにやさしい社会を創らなければなりません。

 安倍政権になって、『待機児童ゼロ』という目標を掲げ、保育所の整備スピードは、これまでの2倍に加速しています。

 しかし、今年、待機児童は、前年より増えてしまった。安倍政権発足以来、女性の就業者が90万人以上増えたから、無理もないことであります。その意味で、うれしい悲鳴ではあるのですが、『待機児童ゼロ』は必ず成し遂げなければなりません。

 そのため、平成29年(2017年)末までの5年間で40万人分の保育の受け皿を整備する、としている現在のプランについて、更なる上積みを目指します。

 各自治体の本気度も高まっていて、既に計画を上回る見込みです。この勢いに、更に弾みをつけて、合計で少なくとも50万人分の保育の受け皿を整備したい。そのことによって「待機児童ゼロ」の達成を、確実なものとしたいと考えています」――

 2017年末まであと2年しか残されていない。

 当初のプラン、2012年(平成24年)から2017年(平成29年)までの5年間で収容人員を40万人分整備するには1年間に平均8万人ずつ、それを50万人にする場合は1年間に平均で10万人分ずつ整備しなければならない。

 これが如何に大風呂敷であるか、一つの統計が証明してくれる。文飾は当方。


保育所関連状況取りまとめ(厚労省/平成26年4月1日)  

厚生労働省では、このほど、平成26 年4月1日時点での保育所の定員や待機児童の状況を取りまとめましたので公表します。

○保育所定員は234万人
 増加数:平成25年4月→平成26年4月:4万7千人
 【参考】
  平成21年4月→平成22年4月→平成23年4月→平成24年4月→平成25年4月→平成26年4月
       (2.6 万人増)  (4.6 万人増)  (3.6 万人増)  (4.9 万人増)  (4.7 万人増)

○保育所を利用する児童の数は47,232人増加
 ・保育所利用児童数は2,266,813人で、前年から47,232人の増
 【参考】
  平成21年4月→平成22年4月→平成23年4月→平成24年4月→平成25年4月→平成26年4月
       (3.9 万人増)  (4.3 万人増)  (5.4 万人増)  (4.3 万人増)  (4.7 万人増)

 ・年齢区分別では、3歳未満が31,184人の増、3歳以上は16,048人の増となっている。

○待機児童数は21,371人で4年連続の減少(1,370人の減少)
 ・この1年間で待機児童数は1,370人減少した。
 ・待機児童のいる市区町村は、前年から2減少して338。
 ・100人以上増加したのは、世田谷区(225人増)、大田区(175人増)、熊本市(139人増)など6市区。一方、福岡市(695人減)、川崎市(376人減)、名古屋市(280人減)などの9市区町は100人以上減少した。

○特定市区町村は98市区町村
 ・特定市区町村(注)は前年から3減少し、98市区町村となった。
 注:50 人以上の待機児童がいて、児童福祉法で保育事業の供給体制の確保に関する計画を策定するよう義務付けられる市区町村。

 政府プランのスタート年である2012年(平成24年)から2014年(平成26年)4月までの2年間の保育所定員は各年共に5万人以下増、平均で4.8万に過ぎない。

 当初プランの5年間で40万人分の整備、年平均8万人分にも届かないし、それを50万人分、年平均10万人にするとなると、当初2年間それぞれで5万人分にも達していないのだから、不足分の皺寄せは後回しになって、計算してみると、2014年(平成26年)4月から2017年(平成29年)までの3年間で平均で各年13万4千人分の整備が求められることになって、現状の増加状況からどう公平に見ても、大風呂敷と言う以外表現しようがない。

 この大風呂敷は当然、「希望出生率1.8」の実現にも影響を与えることになる。影響すれば、講演の中で「少子高齢化に歯止めをかけることは、単なる社会政策ではありません。むしろ、究極の成長戦略であります」と言っていることも、「50年後も、『人口一億人』を維持する。これを、明確な国家目標として掲げます」と言っている目標も大風呂敷としかねない可能性が生じることになる。

 問題点は他にもある。「待機児童ゼロ」のための保育所の整備にしても後から追っかけて辻褄を合わせる追っかけ政策であるが、結婚率を上げて出生率を上げる人口政策――「希望出生率1.8」にしても、貧困ゆえに結婚できないでいる若者――安倍晋三の言葉を借りると、「経済的な事情で、結婚や出産を躊躇している若者」をその主な対象とするのは当然だとしても、「公的賃貸住宅優先的入居」とか、「家賃負担の大胆軽減」、「妊娠・出産負担軽減策」等々、国や自治体が後からの手当で賄う追っかけ政策――対処療法となっていて、貧困をなくす、あるいは年収格差や生涯賃金格差を是正して誰もが結婚や出産にチャレンジできる公平な社会を提供して、国や自治体があとから追っかけなくても済むという原因療法となっていないことである。

 国や自治体の補助がなければ満足に結婚も出産も、さらにはそれなりの生活を老後までを通して送ることができない「1億総活躍社会」とは、その逆説性からして、どのような社会だと言うのだろうか。

 裏返して言うと、国や自治体の補助があればそれ相応の満足度で結婚も出産も、さらにはそれなりの生活を老後までを通して送ることができる「1億総活躍社会」とは、その他者依存性・非自律性からして、何を意味する社会だと言うのだろうか。

 安倍晋三は「1億総活躍」のスローガンを掲げて、人口政策達成のために後者の社会を目指している。これは格差の結果値として導き出されている後者であることは断るまでもない。

 格差是正に政治のエネルギーを最大限に注がずに後追いの政策で逆説性・他者依存性・非自律性を社会の仕組みとする。

 当然、「希望出生率1.8」の実現にしても、「人口一億人維持」の実現にしても、格差是正が大きな意味を持つことになる。是正ができなければ、大風呂敷となる危険性は増大することになるだろう。

 大風呂敷に向かいかねない仕組みを招く政策こそが大風呂敷でなければならないが、必要とする肝心の政策が大風呂敷となっていて、必要としない政策が大風呂敷ではない実現の確実性を備えている。

 この逆説性も如何ともし難い。

 安倍晋三講演の最後の発言。

 安倍晋三「本日は、3年前申し上げたことが次々と実現している。その御報告をすることができました。是非、次回のこの場所におきましては、『一億総活躍』の成果を、たっぷりと説明をさせていただきまして、今の時点での批判がいかに間違っていたかということを証明させていただきたいと思います。そのタイミングを選んで、どうか声をかけていただきたいと思います。

 本日は、御清聴ありがとうございました」

 この何も疑わない溢れんばかりのたっぷりな自身は素晴らしい。格差が眼中にないから、満々の自信を示すことができる。

 この講演でも、「正社員に限った有効求人倍率も、2004年の統計開始以来、最高の水準になっています」、「1年前と比べて、正規雇用は21万人増加しています」、「大手企業の冬のボーナスは平均で91万円を超え過去最高を更新しました」と、非正規社員、あるいは中小企業の正社員を視野に置かない発言をしていたが、格差が眼中にないからこそのこれらの自身の成果に向けた発言であって、こういった格差抜きが講演最後の発言でも現れているように自信の源泉となっている。

 いずれにしても、自身はいくら大風呂敷ではない、レッテル貼りだと否定しても、安倍晋三は国家主義者である。国家の発展だけに目を向けて各種格差を問題外としたなら、国民、特に中低所得層の国民にとっては、自分たちに向けられる政策の多くが大風呂敷の政策となる確率は高くなるはずである。


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11月1日「日曜討論」沖縄基地問題、森本敏は普天間海兵隊の具体的必要性に触れないゴマカシを見せていた

2015-11-07 10:14:00 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《小沢一郎氏“こわもて”封印 学生と交流プログラム》日刊スポーツ/11月
            5日)

     小沢代表がベトナムとの草の根交流をスタートしたことについて報じています。
     その中で小沢代表は「今春、ベトナムを訪問した際に、おもてなしを受けたことを踏ま
     え、個人の立場でも恩返しを決意」と述べています。是非ご一読ください。

      《11月5日 ベトナム大学生を招へい、日越草の根交流を推進、小沢代表》

     小沢一郎代表は11月5日、日越交流プロジェクトで来日したベトナム大学生と引率教
     員らを歓迎するために駐日ベトナム大使館の協力を得て、同館内で歓迎レセプション
     を開催し挨拶しました。歓迎レセプションのニュースをホームページに掲載しました
     。是非ご一読ください。    

 2015年11月1日のNHK日曜討論は「普天間基地移設計画をめぐる動き」と題して普天間の辺野古移設問題を取り扱っていた。その中で沖縄を抑止力の地理的要件とする場合、普天間を基地としている海兵隊はその要件を満たす存在足り得るのかという議論があったが、元防衛省で拓殖大学の特任教授だとかいう森本敏はアメリカの軍事政策上の沖縄の必要性を言うのみで、普天間の海兵隊に関しての必要性に関しては答えずじまいであった。

 取り上げる発言者は沖縄国際大学非常勤講師兼フリーライターの屋良朝博氏と森本敏、そして国際政治学者であり、成蹊大学法学部教授の遠藤誠治氏。

 島田解説委員「菅官房長官が先週グアムに行って沖縄(の普天間基地)から(4000人の海兵隊の)移転がスムーズに進むように後押ししたということですが、今回の政府の動き、どうですか」
 
 屋良朝博「なぜ沖縄に基地が集中するかということは、国防上必要である。その根拠は何かと言うと、地理的な要件であると。すぐ対応できる場所にあるということですけども、沖縄の米軍基地は大部分が海兵隊なんですね。

 負担の多くが海兵隊の駐留によってもたらされているということなんですね。1万9千人の中の9千人がグアムやオーストラリアやハワイになどに分散配置される。そしたら半分ぐらいになってしまう。

 海兵隊、今の兵力で抑止力はこれだけで、半分になって抑止力は低下するかというような議論というのは余り意味がないことであって、9千人浮かすことができるなら、後の1万をどこかに動かしても全然問題はない、軍事的には。

 なぜかと言うと、彼らは輸送手段を持っていない。長崎県の佐世保にある強襲揚陸艦で動くか、あるいは大型輸送機を本土から持ってこなければいけない。だから、地理的優勢と言うのは実に作られた概念というか、あんまり具体性がない」――

 アメリカ海兵隊は米映画などで最初に上陸作戦を敢行する部隊のイメージがあるが、「Wikipedia」から具体的な役割を拾い出すと、アメリカ海兵隊は陸海空軍の全機能を備えているが、その主たる役目は本土の防衛が任務に含まれない外征専門部隊であって、前線投入部隊としての役目と緊急展開部隊の役目を担っていて、それを専門性としているということらしい。

 と言うことは、沖縄の海兵隊は沖縄防衛と言うよりも、有事発生の際に有事を発生させた外国に有事を断ち切るために緊急性を持って投入・展開される部隊と言うことになる。

 あるいは有事発生を予測して、予測させる外国にその有事を前以て断ち切るために先制攻撃の形で緊急性を持って投入・展開される部隊と言うことになる。

 このことを頭に入れておくと、沖縄の海兵隊が輸送手段を持たず、投入・展開のための移動に自衛隊・民間共同使用の米海軍佐世保基地から強襲揚陸艦を沖縄まで回送するか、米本土から大型輸送機を沖縄まで飛行させなければ移動自体ができないということなら、沖縄の海兵隊自体を佐世保に駐留させておいても、あるいは米本土に駐留させておいても、沖縄の海兵隊としての役目は損なわれないことになる。

 森本敏「海兵隊というのは沖縄にある1万9千人を分散するのだけども、これは海兵隊が持っている機能というのは冷戦が終わってから相当変わって、ハワイから見て、前方日本、沖縄、グアム、それからオーストラリアの北部、東南アジア等、面で抑止をし、海洋へ出てくる東シナ海、南シナ海に対して柔軟に兵力を振り向けられるようにリバランスという政策の中で分散配備しているということなんで」

 島田解説委員「いわゆる米軍再編と言われる大きな転換のことなんですね」

 森本敏「そうなんですね。だから、沖縄になくてもいいということではなくて、(海兵隊員がグアム等への移動によって)減るから、抑止力が減るんではなくて、面で抑止していくんです。

 どこにでも兵力を動かして、集中して、投入できるっていう態勢を取ろうとして、今再編を行っていると言うことです」

 森本の説明通りに「ハワイから見て、前方日本、沖縄」のそれぞれに海兵隊を配備して、それぞれに面を構成する一つとして抑止力を担わせていたとしても、沖縄の海兵隊が沖縄防衛を目的として沖縄に駐留しているわけではなく、外征専門で前線投入の緊急展開部隊の役目を担っている性格と、自力では移動手段を持たず、移動に他基地の輸送手段を必要としていることから沖縄に配備している意味がないのではないのかという屋良朝博氏の指摘に直接答えずに、いわば普天間の海兵隊の具体的必要性には触れずに米軍の再編計画が沖縄を面の一つとして必要としているという説明したに過ぎない。

 具体的必要性を説明し得て始めて、普天間の辺野古移設の必要性の正当性を得ることができる。

 そうである以上、屋良朝博氏の指摘に特に気をつけなかったでは済まない。屋良朝博氏の指摘に面の抑止を持ち出すゴマカシを働いたと見るしかない。

 屋良朝博氏の指摘を国際政治学者・成蹊大学法学部教授の遠藤誠治氏も同じ文脈で指摘し、前者の指摘を補強している。

 遠藤誠治氏「グアムへの一部移転で抑止力が減るわけではないと今森本さんがおっしゃったが、分散配備することによって面でカバーすると。これは今のアメリカがやっていることで、であるなら、益々沖縄でなければならない地理的必要性は低下していくと思いますね。

 加えて、海兵隊が直接抑止力となっているわけではなくて、アメリカがこの地域に存在していることの象徴として海兵隊がある。であれば、具体的に必要な抑止力は嘉手納の方ですし、今沖縄県は嘉手納の問題は全く提起していない。沖縄県民も嘉手納を返せとは言っていないわけですね。

 ですから、沖縄県でも抑止力の維持、オーケーですよ。但し海兵隊はこの地に於ける抑止力に関係ないでしょう。関係ないのにまるでこれが唯一第一の各抑止力の根源だという議論でここに起き続けることはおかしい。

 ですから、沖縄の声というのはかなりニュアンスに富んでいて、日本政府の安全保障政策に反対しているわけではなくて、その実現の仕方がおかしいという議論を立てている。

 そう理解すべきだと思います」――

 森本が言うように「ハワイから見て、前方日本、沖縄、グアム、それからオーストラリアの北部、東南アジア等、面で抑止をし、海洋へ出てくる東シナ海、南シナ海に対して柔軟に兵力を振り向けられるようにリバランスという政策の中で」の「分散配備」であったとしても、そういった米軍のリバランス政策からではなく、海兵隊の任務の性格、その専門性からして沖縄でなければならないという納得いく説明を果たし得なければ、やはり辺野古移設の正当性を得ることはできない。

 今までは沖縄の地理的優位性を掲げて海兵隊は沖縄でなければなららないという論理で普天間の辺野古移設を言い立ててきた。それがグアムやハワイ、オーストラリアに分散配備する。

 地理的優位性の沖縄オンリーは虚構に過ぎなかった。今度は野球の守備のように面を用いた抑止を掲げ始めた。面の一つに沖縄を入れたとしても、それを以て沖縄に海兵隊を入れることは専門性が異なるゆえに、野球選手の中にサッカー選手を入れるようなもので、入れることの正当な理由とすることはできない。佐世保であっても構わないわけである。

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夫婦別姓はそれを望む女性の世界を広げる可能性の問題であり、女性の人権に深く関わっている

2015-11-06 08:59:33 | 政治


 11月4日、夫婦別姓を認めない民法の規定は憲法違反か否かで争われた上告審の弁論が最高裁判所大法廷で開かれたと同11月4日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 原告は東京、その他在住の男女5人。憲法違反か否かで争うのだから被告は国。別の記事に最高裁は初めての憲法判断の際には15人の判事による大法廷で審理を行うと書いてあった。

 原告側「夫婦がどちらの名字を選んだか調べた結果によると、96%の夫婦が夫の名字を選んでいて、男女差別を生み出している。改正の動きを見せない国会には期待できず、最高裁判所が救済して欲しい」

 被告側「原告が主張している『名字の変更を強制されない権利』は憲法で国民に保障された権利だということはできない。民法の規定は夫婦どちらかの名字を選ぶというもので、差別ではない」

 国側の主張の「どちらかの名字を選ぶ」という民法の規定とは、「どちらかの名字を選べ」という規定ということであって、「どちらの名字も選べる」という規定ではないのだから、「どちらの名字も選べるようにすべきだ」とする原告側からしたら差別に該当することになって、「選べるか、選べないか」で争うのはさして意味はなく、原告側は選べないことの不当性と被告側は選べないことの正当性で争わなければならないはずだ。

 記事は、〈最高裁は、早ければ年内にも判決を言い渡す見通しで、家族の在り方に関わる明治時代からの規定について、どのような判断を示すか注目されます。〉と解説している。

 そして夫婦別姓を求める動きが社会に広がってきていることの背景を伝えている。女性の社会進出の拡大に伴って結婚して名字が変わることで仕事上のキャリアが途切れる問題の発生。

 但し多くの企業がこの問題に対応、仕事上で旧姓の使用を認めている企業の割合が64.5%と12年前の30.6%に比べ2倍余りに増えたと、財団法人「労務行政研究所」の調査を伝えている。

 このことが却って災いして法律を改正してまで夫婦別姓の制度を導入する必要はないという意見が出てきているという。

 つまり仕事上は旧姓、一般的な社会生活では夫の姓とする両刀使い・使い分けで結構ではないか、民法を変えることはないのではないかということなのだろう。

 結構毛だらけ、猫灰だらけだが、記事はそれでは困るよという事例も伝えている。

 身分証として使われる運転免許証や住民基本台帳カード、健康保険証は戸籍名しか認められていないために身分証の提示が必要な銀行の口座の名義は新しい名字を使用しなければならず、仕事で旧姓を使用していると振込み等を巡ってトラブルになる場合もあること。こうした不都合を避けるために籍を入れない「事実婚」を選択するケースが生じているが、法律上の夫婦ではないために所得税や相続税の控除が適用されないほか、パートナーの生命保険の受取人として認められない不都合も覚悟しなければならないこと、様々な障害があるらしい。

 そして記事は最後に内閣府の1996年・2001年の世論調査を引き合いに出して2012年の結果を伝えている。

 今の法律を
 「改めても構わない」35.5%
 「改める必要はない」36.4%

 「旧姓を通称として使えるよう改めるのはかまわない」22%台~25%台(毎回、ほぼ同じ割合)

 年代別2012年調査

 20代~50代
 「改めてもかまわない」40%台
 「改める必要はない」20%台

 60代で逆転

 70代以上
 「改めてもかまわない」20.1%
 「改める必要はない」58.3%

 男女別2012年調査

 男性
 「改めてもかまわない」35.5%
 「改める必要はない」39.7%

 女性
 「改めてもかまわない」35.5%
 「改める必要はない」33.7%

 このNHK記事では触れていないが、子どもの側の反応や親が察した子どもの反応に基づいた反対意見もある。

 安倍晋三と歴史修正主義者として兄弟の契りを結んでいるのではないかと疑いたくなる産経新聞の阿比留瑠比が子供の視点を持ち出して、夫婦別姓に反対のニュアンスで記事を書いている。

 《【阿比留瑠比の極言御免】日経、朝日のコラムに異議あり 夫婦別姓論議に欠ける子供の視点》(産経ニュース/2015.11.5 12:00)   

 〈夫婦別姓論議でいつも気になるのが、当事者である子供の視点の欠落だ。〉

 こう言って、2001年の民間団体の中高生対象のアンケート結果を子供の視点の一例に出している。

 両親が別姓となった場合
 
 「嫌だと思う」41・6%
 「変な感じがする」24・8%
 「うれしい」2・2%

 次いで2012年20歳以上成人対象の内閣府世論調査からの結果値を参考に挙げている。

 夫婦の名字が違うことについて

 「子供にとって好ましくない影響があると思う」67・1%
 「影響はないと思う」28・4%

 要するに子どもへの悪影響を通した反対意思表明となっている。

 だが、このような子どもへの否定的影響が結果としかねない家族の一体感喪失への懸念は親が子どもにどう伝えるか、親の教育にかかっているはずだ。子どもを教育できる覚悟がなければ、民法が改正されたとしても、夫婦別姓を選択すべきではない。

 また学校の教師も民法が改正された場合、保護者の中に夫婦別姓を選択する家庭が生じることに備えて児童・生徒に対して同姓と別姓の違いが出ること、法律が認めることになったから別姓を選択する家庭が出てくるという法律上の正当性の面からだけではなく、人権の側面からの正当性をも伝えることをしなければならないことになる。

 〈選択的夫婦別氏制度の法制化について、「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない」、「一夫一婦制の婚姻制度を破壊」と反対している。2014年の調査で選択的夫婦別姓制度導入に改めて反対している。〉と「Wikipedia」が紹介している自民党政調会長の右翼稲田朋美は2015年2月19日の記者会見でも夫婦別姓について発言している。  
 
 稲田朋美「党内には色んな議論があります。私も女性が活躍するという意味において、通称使用ができるように後押しをするということは凄く重要だと思います。一方で、党内には夫婦別姓には戸籍上、子供と、お父さん・お母さんが、別姓になるというのは、家族の一体感にとってどうなのかという意見もあります。私は、冒頭言いましたように憲法上・憲法解釈というのは最高裁の専権ですから、その判断を待ちたいと思います」

 今回の最高裁の判断を待つ姿勢を示しているが、ホンネは「家族の崩壊」、「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」、「家族の一体感喪失」を常日頃からの思想としていて夫婦別姓に反対している。

 では夫婦同姓であれば、「家族の崩壊」も「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」も「家族の一体感喪失」も、起こり得ない、あり得ない現象だとでも言うのだろうか。

 同姓で一夫一婦制を装っていても、夫が外に愛人をつくり、あるいは妻が夫以外の男と交際しているということもある。守っているのは単に一夫一婦制というハコモノに過ぎない制度のみである。

 家庭内別居とか家庭内離婚かと言われている夫婦の形は一夫一婦制を名ばかりの制度に貶めているはずだ。

 阿比留瑠比が挙げている子どもへの悪影響からの夫婦別姓否定的評価にしても、稲田朋美が挙げている拒絶の理由にしても、夫の妻に対するコミュニケーションの取り方、妻の夫に対するコミュニケーションの取り方、両親それぞれの子どもに対するコミュニケーションの取り方とそれに応える子どもの両親それぞれに対するコミュニケーションの取り方が解決してくれる障害であるはずだ。

 夫婦間のコミュニケーションには当然、夫婦生活も入る。

 夫婦間の日常的に良好なコミュニケーションが両親の子どもへの良好なコミュニケーションに繋がっていき、子どもはそれに応えることになる。

 このようなコミュニケーションの関係が崩れたとき、「家族の崩壊」や「家族の一体感喪失」を招く隙をつくることになって、一夫一婦制を形だけのものにしかねないことになる。

 夫婦同姓の家族でもこのような否定的姿を取ることもあるのだから、本質的には夫婦別姓を直接的原因とする否定的な姿というわけではない。稲田朋美にしても阿比留瑠比にしても、視野を広く持つべきだろう。

 確かNHKのニュースだと思ったが、あるいは記憶違いかもしれないが、「生まれてきたときから名乗ってきた自分の姓を夫の姓に変えてしまうのは自分を失うような気がする」といった女性の声を伝えていた。

 自身の姓と名前を自分であること――自己存在性のアイデンティティーの主たる一つとしていて、それを出発点として自己を成り立たせている部分が人間、男女それぞれの意識の中に多かれ少なかれ存在する。

 だが、結婚してもその多くが名字を変えることのない男性はそのようなアイデンティティーを苦労もなく連続させ、守ることができる。一方結婚によって名字を変えさせられる女性の内、そのようなアイデンティティーの意識が強い場合は自己喪失感を募らせることになり、苦痛となって跳ね返ってくる。

 それを抑圧しろとするのは人間が人間らしく生きる権利とされているその女性の人権に深く関わってくることになる。

 つまり、夫婦別姓は人権問題でもある。

 2カ月程前の当「ブログ」に、安倍晋三が言う〈“女性が輝く社会の実現”にしても、「指導的地位に女性が占める割合30%」にしても、「女性の社会進出」、あるいは「女性の活躍」にしても、男性及び日本の社会が自らに巣食わせている権威主義性に対する意識改革を前提としなければならないが、全ては女性の生き方の多様化・女性の価値観の多様化という可能性の問題に突き当たる。〉と書いたが、夫婦別姓はそれを望む女性の世界(=可能性)を広げることであり、広げてこそ、社会の一員としての対等な正当性を感じ取ることができるのだから、この面からも夫婦別姓は人権問題だと言うことができる。

 例えそれが人権問題であっても、社会的少数者である場合は切り捨ててもいいということにはならない。 

 男性の場合にしても、それを許すかどうかは、人権という問題をどう把えているかの意識や感覚がどの程度かに帰着することになる。

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高村正彦は沖縄基地化を既成事実とした自民政治の甘えを「沖縄米基地依存は日本国民の県民への甘え」と言う

2015-11-05 09:04:00 | 政治


 自民党副総裁の高村正彦が那覇市での自民党員向けのセミナーで公演した発言を「asahi.com」――《「日本国民全体が沖縄県民に甘えている」自民・高村氏》(2015年11月3日17時45分)が伝えている。

 全文を引用してみる。

 高村正彦「日米同盟の一番の基礎は日米安全保障条約だ。条約上日本が米国に基地を提供することは義務だ。米国はいざという時の日本の防衛義務がある。違った義務を持っている。基地提供義務については、沖縄に基地面積で70%以上の負担をしてもらっている。感謝しなければいけないし、申し訳ないと思っている。日本国民全体が、沖縄県民に長いこと甘えてしまっている。これから少しでも基地負担を減らす。沖縄以外の所で引き受ける。そういう覚悟が日本全体に必要だ。

 さはさりながら、当面の問題として何が一番大事と言ったら、普天間(飛行場)の危険除去だ。現実的な可能性として辺野古移設しかない。その点をよく理解頂きたい。

 日本政府が長年検討して、これしかないんだと。私たちの政権だけではない。『最低でも県外』と言った政権でもできなかった。私たちも沖縄県の負担軽減を少しでもしたいと思ってやっているが、現実の問題として、普天間の危険除去、沖縄全体の基地負担の軽減のためには、辺野古移設しかない。実際検討してみるとそれしかないということを、ご理解頂ければと思う」――

 2013年3月末現在で全国の米軍専用施設の、全国土0.6%の沖縄県比率は73.8%だという。99.4%の日本本土に米軍専用施設は22.2%のみ。

 もう一つ統計がある。沖縄が本土復帰した1972年以降40年経過の2012年時点で、本土では約59%に当たる約1万1600ヘクタールが返還されたが、沖縄県で返還されたのは約18%の約5000ヘクタールにとどまる。

 沖縄は日本が1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ平和条約でアメリカの占領から解かれた後も米軍の施政権下に置かれて、沖縄の占領当時から始まっていた沖縄を米軍の基地の島として集約的に集中させる沖縄基地化がほぼそのままの状態で現在に引き継がれてきたことによる沖縄県の米軍専用施設の対全国比73.8%という高い占有率であり、返還率の本土と比較した低い確率と言うことになる。

 つまり沖縄基地化が本土返還後もさして変わらぬ姿で続いていることになる。

 沖縄が先ずこういった状況にあることを念頭に置かなければならない。

 高村正彦は沖縄のこういった状況に対して「日本国民全体が、沖縄県民に長いこと甘えてしまっている」と言っている。

 果たして日本国民の問題だろうか。日本の政治が、と言うよりも、戦後ほぼ一貫して独裁政治状態を続けてきた自民党政治が1972年の沖縄本土復帰以降も米軍の沖縄基地化を既成事実として受け止め、ほぼそのままに放置した“甘え”が沖縄米軍基地の現状と言うことであろう。

 このことは続けて発言した言葉からも証明することができる。「これから少しでも基地負担を減らす。沖縄以外の所で引き受ける。そういう覚悟が日本全体に必要だ」と言っているが、沖縄の本土復帰、沖縄返還時に示さなければならなかった覚悟であったはずである。

 だが、その覚悟を戦後を通じて具体化することなく、「これから」の覚悟とする。

 これは政治の怠慢以外に何を示すというのだろうか。

 米軍の沖縄基地化を既成事実として甘え、沖縄の基地を本土で引き受ける覚悟を示すことができないままに現在に至ってしまった。

 その上、「当面の問題として何が一番大事と言ったら、普天間(飛行場)の危険除去だ。現実的な可能性として辺野古移設しかない」からと、あるいは「現実の問題として、普天間の危険除去、沖縄全体の基地負担の軽減のためには、辺野古移設しかない。実際検討してみるとそれしかない」からと、今まで示しておかなければならなかった覚悟抜きの「現実的な可能性」や「現実問題」を理由に沖縄になお甘えようとしている。

 沖縄基地化の既成事実化をなお推進する何重もの甘え以外の何ものでもない。

 ここで自民党政治が既成事実化への甘えをキッパリと断ち切らなければ、いつまでも米軍基地を沖縄に依存する甘えの恒久化へと進むに違いない。基地の島としての姿を沖縄は持ち続けることになる。

 高村正彦はつまるところ、米軍基地を沖縄以外の本土で引き受ける覚悟を言いつつ、普天間を辺野古に押し付けることで沖縄基地化を既成事実化する甘えと甘えの恒久化を口にしたに過ぎない。

 日本の安全保障を口実としてはいるが、自分たち自民党政治の立場だけしか考えないから、実際に自分が何を言ったのか気づきもしないだろう。

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安倍晋三の日中韓首脳会談後の共同記者会見で「3カ国の協力プロセスが正常化させることができた」の独善性

2015-11-04 09:06:07 | 政治


 安倍晋三は韓国を訪れて、11月1日は午後2時過ぎから約3年半振り開催の日中韓首脳会談、その後に共同記者発表、日中首脳会談、日中韓首脳晩餐会と予定をこなし、翌11月2日は午前中に日韓首脳会談に臨み、帰国している。

 《日中韓首脳共同記者会見》の冒頭、次のように切り出している。 

 安倍晋三「アンニョンハシムニカ。皆さんこんにちは。

日本と韓国と中国は、お互いに隣国であります。隣国であるがゆえに、難しい問題もありますが、だからこそ私は、かねてから首脳レベルの会談を行い、話し合いを進めていくべきであると繰り返し述べてまいりました」

 自分だけいい子になっていることに気づかない。この独善性も問題だが、隣国であることだけが理由の難しい関係ではない。安倍晋三の独善的な歴史認識が関係をこじらせている側面もあることに目を向けることができない。

 安倍晋三「日本、韓国、中国の3カ国は、地域の平和と繁栄、さらには国際社会の安定に大きな責任を共有しています。世界が直面する様々な課題について、協力してその責任を果たしていくことが期待されます。

 3年半ぶりに開かれた本日のサミットを通じ、日韓中の3カ国による協力プロセスを正常化させることができたことは大変大きな成果であります」――

 日中韓首脳会談後、共同宣言の発表が行われている。首相官邸HPにアクセスして検索してみたが、辿り着くことができなかった。

 「3か国協力は、3年半ぶりに開催された今次サミットで完全に回復した。歴史を直視し、未来に向かうとの精神の下、関連する諸課題に適切に対処すること、また2国間関係を改善し、3か国協力を強化するために協力することで一致した」(NHK NEWS WEB)といった内容らしい。

 共同宣言には当事国に権利・義務の関係が生じ、条約と同じ法的効力を持つものと当事国がその行為について説明するにとどまり、国際的な約束にならないものがあるということだが、今回の共同宣言はNHKが伝えている内容自体からして取り決めに関するものではないし、日中韓首脳会談開催が予定された時点で今年3月の日中韓3カ国外相会議後の共同記者発表を踏まえた内容とすることで3カ国で調整していたとNHKが伝えていたから、当事国に権利・義務の関係が生じる前者の共同宣言ではなく、どちらかと言うと、その行為について説明する後者に当たるものであると同時に友好的な雰囲気で首脳会談を行うことができたことと、その友好的雰囲気が今後の友好関係の持続性を演出する体裁を取った共同宣言であろう。

 共同宣言がそういった形式を取ったのは日韓間に関しては従軍慰安婦や靖国神社参拝等の歴史認識問題と竹島の領有権問題を抱えているし、日中間には、日本は存在しないとしているが、現実的には存在している尖閣諸島の領有権問題や中国の人工島の構築による国際法に基づく航行の自由を妨げる問題を抱えていて、どちら共に簡単には解きほぐすことのできない、友好関係に横槍を入れる重大な障害となっているからであるはずだ。

 にも関わらず、安倍晋三は共同宣言の趣旨のままに「日韓中の3カ国による協力プロセスを正常化させることができた」と事は簡単であったかのように完了形で言うことができる。

 この楽天的と言うか、単細胞と言うか、このような発想に於ける独善性は見事である。

 独善的発想であることは翌11月2日の日韓首脳会談後にパク大統領の安倍晋三に対する扱いが証明することになる。

 中国の李克強首相に対しては個別の夕食会を設定していながら、日韓首脳会談後の共同記者会見はなし、さらに合意事項等を明記した共同文書の発表もなく、首脳同士の食事会も開かれなかったと「YOMIURI ONLINE」が伝えている。 

 日中韓首脳会談を受けた3カ国共同宣言が「歴史を直視し」と歴史認識問題に触れている以上、日中韓首脳会談で歴史認識問題でも議論されている。だが、次の日の日韓首脳会談で日韓間に横たわる歴史認識問題に限ってより突っ込んだ議論がされ、安倍晋三の歴史認識に失望して、そのことへの怒りから共同記者会見や共同文書の発表もなく、首脳同士の食事会も設定されなかったとしても、あるいは日中韓首脳会談後のこれらの決定であったとしても、安倍晋三は中国に対しても同じだが、韓国に対しても特に歴史認識に関わる諸問題で自らの歴史認識を省みて事は簡単には解決できないことを感覚的にも判断していなければならなかったはずだ。

 判断できなければ、相手国の歴史認識に対してのどのような配慮も生まれない。自身の歴史認識を押し通せば全てが片付く問題なら構わないが、決してそうではないからだ。

 当然、日中韓3カ国がそういった関係性に現在のところある以上、首脳会談をどう開こうと、共同宣言で何を言おうと、それらで見せることになる友好関係は表面上の演出として装う部分が少なくないことを認識して、それなりの言葉を選ばなければならないはずだが、李克強中国首相とパク・クネ韓国大統領が共に控えている日中韓首脳共同記者会見の場で「日韓中の3カ国による協力プロセスを正常化させることができた」と、さも関係正常化を完了させることができたかのように言うことができた。

 これを以て如何に安倍晋三なる政治家が独りよがりであるか、その独善性を指摘しないわけにはいかない。

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安倍晋三は日中首脳会談で実際に中国人工島構築に懸念とその海域への米艦船航行の支持を伝えたのだろうか

2015-11-03 12:50:44 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《11月2日小沢代表談話 「強固な日韓関係こそ東アジア、世界平和の要」》 

     小沢一郎代表が「強固な日韓関係こそ東アジア、世界平和の要」と題する談話を発
     表。その中で将来、対馬海峡にトンネルを掘って、日韓両国が高速鉄道などで結ば
     れる日を実現すべきと提案。是非ご一読・拡散を。

 安倍晋三は2015年11月2日の李克強首相との日中首脳会談で南シナ海の人工島問題について次のように発言したという。

 安倍晋三「諸懸案について率直に意見交換した。主張すべき点は当然、主張した。具体的に何を議論したかは中国側との関係があるので今申し上げることはできない」(日経電子版)  

 「主張すべき点は当然、主張した」――

 官房長官の菅義偉は2015年10月27日午前の記者会見で、米の航行について、「米国の作戦の一つ一つにコメントは控えたい」と述べて、支持表明を避けた。

 翌210月28日午前の記者会見では支持を表明してる。

 菅義偉「我が国として支持する。南シナ海に於ける大規模な埋め立てや拠点構築など、現状を変更し緊張を高める一方的な行動は、国際社会共通の懸念だ。
 
 開かれた、自由で平和な海を守るため、国際社会が連携していくことが重要だ。米軍の行動はこうした取り組みと軌を一にするものだ」(時事ドットコム

 このような明確な支持の表明は当然、安倍晋三と意思統一を図って行ったと言うことでなければならない。

 と言うことは、「主張すべき点は当然、主張した」と言うことは、「南シナ海に於ける大規模な埋め立てや拠点構築など、現状を変更し緊張を高める一方的な行動は、国際社会共通の懸念だ。開かれた、自由で平和な海を守るため、国際社会が連携していくことが重要だ。米軍の行動はこうした取り組みと軌を一にするものであるし、日本としては米国の行動を支持し、中国は人工島の構築を直ちに中止すべきだ」といった趣旨の発言でなければならないし、そういった趣旨の発言で「主張すべき点は当然、主張した」ということになる。

 このような趣旨の発言のどこが「具体的に何を議論したかは中国側との関係があるのでいま申し上げることはできない」と言うことなのだろうか。

 そもそもからして「中国側との関係」を持ち出して、自身の発言を隠すということは中国側から日中首脳会談について何らかの条件をつけられ、その条件を呑んだことを意味する。

 どういった条件なのだろうか。

 条件なしなら、中国に対してどのような「主張」を行ったのか、米国の行動に対する支持をどう伝えたのか、日本国民にのみではなく、米国の行動を支持する全ての外国の首脳とその国の国民に対して日本の首相が米国の行動についてどのような支持表明をしたのかは知らせるべき情報であろう。

 知らせてこそ、菅義偉が言っている“国際社会との連携”の具体的証しとなる。

 だが、具体的な証しを示すどころか、逆に「中国側との関係」を理由に「具体的に何を議論したか」の情報を隠した。

 と言うことは、“国際社会との連携”よりも「中国側との関係」を優先させたことになる。
 
 民主党政権時代の2010年10月4日、アジア欧州会議(ASEM)首脳会合がベルギーのブリュッセルで開催された。この1カ月前の2010年9月7日、尖閣諸島沖の日本の領海内で不法操業を行っていた中国漁船を海上保安庁の巡視船が取締りを行おうとした際、逃亡を謀ったため追尾中、中国漁船に体当たりを受けてその船長を公務執行妨害で逮捕・取調べを行ったことに中国が反発、船長の即時釈放を求めると共に報復措置なのだろう、2010年9月21日、旧日本軍の遺棄化学兵器廃棄処理関連工事の現地調査のために中国入りしていた準大手ゼネコン「フジタ」の日本人社員4人を「軍事管理区に無許可で立ち入り、軍事対象を動画撮影した」との理由で身柄を拘束し、日中関係が極度に険悪化していた。

 こういった状況下で菅政権は中国との関係修復に動き、同じくASEMに出席していた温家宝中国首相と25分という短い時間だったが、10月4日夜、首脳会談を開くことができた。

 日本側はこの会談を首脳会合のワーキングディナーの後、廊下で偶然出会って、「やあ、やあ」と声をかけて始めた会談だと説明していたが、2010年10月6日付「asahi.com」記事は日本側が前以て水面下で働きかけ、中国に求めた末の偶然を装った会談だと伝えている。 

 会談実現で中国側が持ち出した条件はASEM全体会合で行う両首脳の演説で「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」ことだったという。

 その条件通りに10月4日夕の首脳会合では菅首相、温首相共に尖閣諸島問題には触れずにスピーチを終え、その後のワーキングディナー2時間経過後に偶然を装った首脳会談が開かれた。

 菅無能はここで次のような発言をしたことを自身の口から述べている。 

 菅無能「大体同じ方向に歩いていたんですが、『やあ、ちょっと座りましょうか』という感じで、割と自然に普通に話ができました。・・・・温家宝さんの方から原則的な話があったもんですから、私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」(あさひテレビ)――

 首脳会合のスピーチでは尖閣問題には触れないという中国側の条件を呑んでおいて、果たして温家宝との会談で自身が言っているように触れたのだろうか。

 「asahi.com」の誤報という見方もできる。

 だが、中国当局に拘束された「フジタ」の4人の社員のうち3人が釈放されたのは2010年9月30日で、残る1人が釈放されたのは2010年10月9日である。10月4日夜の菅・温家宝会談の際は残る1人が未だ拘束中であった。

 菅無能が温家宝との会談でこの1人の釈放を求めなかったことが4日後の10月6日衆議院本会議での各党代表質問に対する答弁で明らかになった。

 谷垣禎一「フジタ社員の残る一名の釈放についても中国側に毅然として臨むべきでありましたが、ASEMの立ち話において、温家宝首相に当然強く働きかけたのでしょうか。総理の具体的な説明を求めます」

 菅無能「先ほど申し上げましたように、ASEMにおきまして、温家宝首相との間で、まず、私を含め、日本の基本的な立場、先ほど来申し上げておりますように、尖閣諸島が我が国固有の領土であって、それは歴史的にも国際的にも認められたところで、領土問題は存在しないということを申し上げ、また、温家宝首相の方からも、首相としての立場が表明された後に、現在の状況について、好ましい状況ではないという認識、さらには、6月に私が総理に就任した折に主席ともお会いをしたときに、戦略的互恵関係について進展させるというその原点に戻ってこれからの両国関係をさらに進めていこうという点、また、ハイレベルの政治的な政治家の交渉あるいは民間の交流についても、そうしたことについて意見の一致を見たということは、既に申し上げたとおりであります。

 また、フジタの社員の問題については、私と温家宝総理との話と並行して、我が国として、この1名の身柄の安全確保と早急な釈放を求めて現在も交渉を進めているところであることを申し上げておきます」――

 要するに直接要求はしなかった。政府として外交ルートを通じて「1名の身柄の安全確保と早急な釈放を求めて現在も交渉」中であることを答弁したのみであった。

 尖閣諸島の領有権問題は継続させていかなければならない問題であって、継続させてはいけない差し迫った問題は日本国民の生命の安全であって、「フジタ」の残る1人の釈放であり、この釈放を肝心の首脳会談では触れなかった。

 つまり日本国民の生命の安全を脇に置いて尖閣諸島の領有権を双方共に主張し合ったことになる。

 いくら菅無能が無能であっても、これでは一国のリーダーとして整合性を見い出すことはできない。

 釈放問題にも触れなかったが、尖閣諸島問題にも触れなかったとすることによって、より整合性を見ることができる。いわば「asahi.com」記事が伝えるように会談開催の条件として中国側が要求したASEM全体会合での両首脳のスピーチでは「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」とする約束に添って温家宝との会談でも尖閣諸島の問題もフジタの残る1人の釈放に関しても話題にしなかったとすることによって説明がつく。

 今回の日中韓首脳会談について菅義偉は10月11日のNHK「日曜討論」で、「最終調整の段階だ。開催する方向で努力している」と発言している。安倍晋三が「中国側との関係」を言って隠した発言が中国の南シナ海の人工島問題である以上、日中首脳会談を行うについての調整の段階で中国側が中国の南シナ海の人工島構築と、その海域への米海軍イージス駆逐艦航行に触れないことを条件として出し、安倍晋三が日中首脳会談開催という実績をつくるためにその条件を呑んだ可能性は高い。

 つまり、「主張すべき点は当然、主張した」は事実ではなく、実際には中国の人工島問題に関して何の懸念も反対も、さらに米海軍イージス駆逐艦の人工島海域への航行に対する支持も何もかも伝えていなかったのではないかということである。

 そうとでもしなければ、「中国側との関係」を持ち出す必要性はどこにもない。

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学校でのイジメ防止対策は個人性の無視(=シカト)は人間の自然な心理として許されるとする教育から始める

2015-11-02 07:48:17 | 教育


 2015年7月5日、岩手県矢巾町の中2男子生徒が自殺を仄めかすサインを出していながら、学校は気づかずに列車に飛び込ませて死なせてしまった事件を受けて文部科学省が実態調査を遣り直すよう全国の学校に求めたところ、昨年度確認されたイジメは18万8000件余りに上り、調査を遣り直す前に比べて3万件近く増えたことが分かったとネット記事が伝えていた、

 文科省がこのような調査を指示したのは自殺した中2男子生徒の学校が教育委員会にイジメゼロの報告をしていたためで、認知されないままのイジメが他に存在することを疑ってのことだという。

 結果、3万件も増えた。

 「いじめ防止対策推進法」は2013年6月21日に与野党の議員立法によって国会で可決・成立し、同2013年6月28日公布、2013年年9月28日に施行されている。

 法律の成立から1週間後の公布はそれだけ緊急性を要していたからに違いない。

 法律は各自治体だけではなく、勿論、学校に対してもイジメ防止の対策を求めている。第4章第22条は、〈当該学校におけるいじめの防止等に関する措置を実効的に行うため、当該学校の複数の教職員、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者その他の関係者により構成されるいじめの防止等の対策のための組織を置くものとする。〉と規定している。

 法律の「いじめ防止対策推進」の名前通りにイジメの予防措置を指示している。

 だが、今回文科省が求めた調査の遣り直しの結果は多くの学校がイジメの予防ではなく、イジメの顕在化を待って対策を講じるイジメ防止とは名ばかりの構造となっていることを露わにしている。

 しかもイジメが起きていながら、満足に認知できていなかった状況をも露わにした。

 クラス担任が、あるいは教科担任がクラスの全員を前にして教壇に立っていながら、クラスの誰かが誰かを陰でイジメていて、授業中であっても一方が抑圧的な支配者としての心理を維持し、一方が理不尽に支配される者として鬱屈した心理を抱えていなければならない両者の力関係が働いていることに気づかずにいる。

 要するに学校のイジメ防止は事後処理法の構造を取っている。

 文科省は「いじめの定義」を次のように定めている。

 〈「いじめ」とは、

 「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」
とする。

 なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

 「一定の人間関係のある者」とは、学校の内外を問わず、例えば、同じ学校・学級や部活動の者、当該児童生徒が関わっている仲間や集団(グループ)など、当該児童生徒と何らかの人間関係のある者を指す。

  「攻撃」とは、「仲間はずれ」や「集団による無視」など直接的にかかわるものではないが、心理的な圧迫などで相手に苦痛を与えるものも含む。

 「物理的な攻撃」とは、身体的な攻撃のほか、金品をたかられたり、隠されたりすることなどを意味する。 〉――

 イジメの場合の攻撃はイジメる側とイジメられる側の間に上下の力関係が必要となるが、イジメの発端をつくるイジメの首謀者は自身を反撃を受けない安全地帯に置く必要性から上下の力関係を確実にするために、そのことがイジメを確実にすることになるが、その多くが仲間を1人以上引き入れて多数に恃む構造を取る。

 イジメる対象者が2人とか、3人の場合、それ以上の数の仲間を組んで、イジメという攻撃を確実にする。

 つまり、そういったことができる卑怯な性格、あるいは卑劣な性格、さらには狡い性格を有していなければ、イジメの首謀者足り得ない。

 イジメの首謀者がイジメを確実に成功させ、イジメによって自己実現を図るために引き込んだ仲間がイジメに積極的に加担、首謀者の指示以上にイジメを働く者は多くの場合、それなりに主体性を持ったイジメ同調者であって、首謀者を恐れて仕方なく仲間となり、首謀者の指示の範囲を超えないイジメで終える者は主体性を持ち得ないイジメ同調者だと類別できる。

 となると、イジメに関して主体性を持とうと持たなかろうと、仲間に誘い込まれそうになった段階で仲間となることを拒否できるそれ相応の意思――自律性の育みが集団を組むことを阻む力となり得ることになる。

 直接的な身体的攻撃ではない、「仲間はずれ」や「集団による無視」といった集団性を取った心理的な攻撃はイジメとなって許されないが、ここから集団性を剥いだ個人性の無視、個人的に友達とはならない関係性は学校社会だけではなく、大人の社会にも存在する自然な人間性としてある関係であって、学校は集団性と個人性を厳格に区別して、前者はイジメとして許されないが、後者は人間の自然な心理として許されるということを明確に伝えることからイジメの防止に取り掛かるべきではないだろうか

 つまり、決して集団性を取ってはならないことを厳重な条件とすることになる。誰かを仲間に引き込む形で、「アイツを無視してやろう」とか、「アイツとは友達にならないようにしよう」と仲間外れにすることを申し合わせて、申し合わせた通りのことを仲間と共に行うことは集団性を取ることになって許されない禁止行為とする。

 もし口を利きたくなければ、自分だけで口を利かないようにして、仲間を誘って同じことをさせるようなことは決してするなと。

 逆に仲間に誘い込まれようとしても、誘い込まれれば集団性を取ったイジメになるから、断らなければならないということを教える。

 このように集団性と個人性の無視(=シカト)の違いを通してイジメに於ける集団性と個人性の区別を学習させることで集団性に陥らずに個人性を維持する自律性育成の教育とし、そこからイジメ防止対策を行っていく。

 この提案が役立つかどうか分からないが、イジメが顕在化してから手を打つ対処療法から抜け出て、前以てイジメが発生することを防ぐ原因療法をそろそろ見い出さなければならないのではないだろうか。


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安倍晋三の「1億総活躍社会」がチャレンジ可能な社会が意味なら、脱学歴主義・人物本位主義が実現の条件

2015-11-01 10:56:48 | Weblog


 安倍内閣の「一億総活躍第1回国民会議」が2015年10月29日、首相官邸で開催され、事務局説明や有識者メンバーの発言後、総括の意味でだろう、それらを引き取って行った安倍晋三の発言が首相官邸HPに載っている。  

 例の如くに中身を問わずにデフレ脱却迄もう一歩だといった成果話を冒頭に置いているが、次の発言も同じく中身を問わないまま口にしている。

 安倍晋三「正社員の、正規の有効求人倍率についても、統計を取り始めてから最高になっています。もう我々はこれでいいとは全く思っていませんし、まだ道半ばだろうと思っています。この流れを更に加速し、日本経済を上昇気流に乗せてまいります。その上で、これまで様々な取組が行われていたものの、なかなか成果が出なかった少子高齢化という我が国の構造的課題に、今私たちは成長できるという自信を取り戻しつつある今こそ、真正面から取り組むべきだと、我々は判断したのです」――

 要するに正社員の有効求人倍率は過去最高だからさらに努力すると言っている。非正規社員は眼中に置かない、どうでもいいといっているのと同じである。

 2015年9月の有効求人倍率1.24倍で、平成4年(1992年)1月以来の高い水準だそうだが、《正社員有効求人倍率》(ハローワーク情報サイト~ハロワのいろは~)によると、2015年9月の正社員の有効求人倍率は0.78倍(前年同月比+0.9倍・前月比+0.03倍)となっている。  

 正規社員の求人倍率は増加傾向にあるものの、0.78倍を許しているのは、《一般職業紹介状況(平成27年9月分)》(厚労省職業安定局)が2015年9月月間有効求職者数1,924,584人に対して月間有効求人数が2,402,077人だと伝えているように求職者数が77493人上回っているからではあるが、実質的な内容としては正社員を希望しながら、100人のうち22人が正社員を望むことができない窮屈な雇用状況にあることになるということは一つの社会的矛盾であり、安倍晋三はその矛盾に目を向けずに単に正規の有効求人倍率の数字のみを誇ったことになる。 

 また2014年民間企業正社員平均年収478万円、非正規雇用170万円、その格差が前年比+1%・金額+3万円の308万円であるということも、社員身分によって生じている大いなる矛盾そのものだが、そのことにもお構いなしの安倍晋三の正社員の有効求人倍率のみで経済の好状況を描く単細胞な非合理性を思う存分に発揮している。

 一国のリーダーとして、こういったことも大いなる矛盾を示していることになる。

 安倍晋三「私の地元、山口県の長門市に、歌人金子みすずさんがいますが、彼女の有名な歌に『鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい』という歌があるわけですが、正に十人十色でありまして、それぞれの特色があって、それぞれの希望が叶い、それぞれが生き甲斐を持てる社会を私は創りたい。そう思っています。若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、また難病を持っている方も、あらゆる方々、例えば一度大きな失敗をした人もそうですが、みんなが活躍できる社会を創るために、それを阻むあらゆる制約を取り除いていきたい。こう考えています。

 そうした思いから、『一億総活躍社会』の実現という目標を掲げさせていただきました」――

 要するに「一億総活躍社会」をチャレンジ可能な社会だと意味させ、そのような社会の構築を謳っている。

 ここで安倍晋三が第1次安倍内閣で「再チャレンジ政策」を掲げていたことを思い出して、パソコン内を調べてみた。

 2006年9月26日の第1次安倍内閣発足を3カ月遡る2006年6月5日の当ブログでその「再チャレンジ政策」を取り上げていた。

 改めて施した文飾と段落と誤字の訂正以外はそのままにここに再掲してみる。


 《マッチポンプな安倍晋三の「再チャレンジ政策」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 〈もっとスケールの大きい政策を展開できないのか

 安倍晋三が力を入れる「再チャレンジ」政策を後押しする「『再チャレンジ支援議員連盟』の設立総会が2日、自民党本部で開かれた。出席した国会議員は安倍氏周辺の予想を上回る94人」(06年6月3日『朝日』朝刊)だと言う。

 〝議員連盟設立〟に名を借りた9月総裁選に向けた安倍支持派の旗揚げということらしい。再チャレンジ政策とは安倍官房長官が議長を務める政府の「再チャレンジ推進会議」が掲げる政策のことで、5月30日の会合で纏めたその中間報告の柱となる政策を同じ記事から見てみると、

【人生の複線化政策】

 ①働き方の複線化

 ▽新卒一括採用システムの見直し(国家公務員中途採用の拡大)
 ▽正規・非正規労働者間の均衡処遇(有期労働契約を巡るルールの明確化、社会保険の適用拡大)

 ②学び方の複線化

 ▽大学等で社会人の「学びの見直し」の推進(専門職大学院や実践的コース・講座の開設支援)
 ▽地域の情報窓口の構築
 ▽ITを利用した生涯学習推進体制の構築

 ③暮らし方の複線化
 ▽U・Iターンの再チャレンジ支援(農林漁業就業支援)
 ▽職・住提供支援(人材登録・研修事業の創設)
 ▽地域の創意工夫支援のための枠組み構築

【個別の支援策】

  個人保証に過度に依存しない融資の推進(枠組みの創設、金融機関に説明徹底の要請、再チャレンジプランナーの創設)

 ――等を目標として掲げている。

 「複線化」に関わる各コースはスローガンとしては感動を誘う美しい言葉の羅列となってはいるが、本質的な問題を把えて社会全体の矛盾を狙い撃ちするようなスケールの大きさは感じさせず、逆にこれはといったところを拾い出して並べただけのスケールの小ささしか見えないが、それは安倍晋三のスケールの小ささが自然と滲み出した因果性からの政策結果なのだろうか。

 「国家公務員中途採用の拡大」とは、国家公務員3種採用(受験資格高卒程度以上)に関して毎年100人程度の30~40歳のフリーターや子育てが一段落した主婦らを対象とした採用枠を新設して就労機会の提供を図るということらしいが、そのことだけにとどまる「新卒一括採用システムの見直し」だとしたら、例え民間にも同じことを要求したとしても、余りにも限定的に過ぎる。

 「U・Iターンの再チャレンジ支援(農林漁業就業支援)」とは、定年になった団塊世代や若者の就農漁業支援を眼目としているとのことだが、既に過疎の農漁村が試みている地域振興策に国のカネで便乗するだけのことを「U・Iターンの再チャレンジ支援」と立派に名づけたとしたら、その割には内容が見劣りがする。

 「再チャレンジ」政策の推進によって、「フリーターの数を03年のピーク時(217万人)から10年には2割減の約170万人に減らすことや、女性と60歳以上の高齢者の雇用を15年までの10年間で185万人増やすことなどを目標に掲げ」(「毎日新聞」インターネット記事:06年5月30日20時52分)ていて結構づくめの政策となっているが、「パートへの厚生年金の加入拡大やパートの正規社員への転換制度導入などは、政府が過去に法改正を検討したが業界からの反発で見送った経緯があり、実現までには曲折も予想される」(同)と警告している。

 「業界からの反発」は人件費の高騰が企業経営へのマイナス要因に撥ね返ることへの拒絶反応からなのはいうまでもない。フリーターの存在にしても、その人件費の安さが企業経営のメリットとなっている。いわば需要と供給の市場原理に成り立っているフリーターの存在でもある。今後とも景気回復基調が続いて就職環境が改善されたとしても、人件費抑制の流れが賃金は横ばいのままフリーターをパートや派遣社員と名前を変えて存続させないとも限らないし、政府の「見送った」前科からすると、企業側の抵抗をどれ程無効として社会の流れとすることができるか、具体化は曖昧な限りである。

 小泉首相が中・韓の強硬な反対にも関わらず靖国神社参拝を強行したことを受けて、安倍晋三が「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と、「国のために戦った」ことがアジア各国に悲劇をもたらしたことを棚に上げて宣言した以上、良し悪しは別として靖国問題がアジア政策に直接関係するということだけではなく、自身も「リーダー」を目指していることへの整合性を持たせるためにも9月の総裁選に向けた政策争点に加えるべきだろう。それを「靖国問題は総裁選の争点とすべきではない」という立場を取っているのは、総理・総裁になった場合の自らの行動を自分で縛ることになる単なる都合からだろう。

 そういった安倍晋三の自己の主義・主張の便宜的な軌道修正のカメレオン性から窺うとしたら、小泉構造改革の継承者であることを任じてポスト小泉を狙っている関係から小泉構造改革の一大成果である〝社会格差〟を韜晦して受け継ぐ価値あるものとしなければならない立場上、「再チャレンジ」という名の〝新たな政策〟(是正策ではない。是正としたら、〝継承〟ではなく、断絶と新規を意味することになる)を打ち出さざるを得ず、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」と急遽機会平等論者を装った辻褄合わせと疑えないことはない。

 その疑いが濃厚だからこそ、「再チャレンジ」政策の項目それぞれがスケールが小さく纏まった形でしか出てこなかったということではないだろうか。
  
 「機会の平等」を妨げている本質的な原因の一つに学歴主義の社会的なのさばりがあるのは誰も否定できまい。「人事院は2・3種採用職員の幹部登用を推進しており、04年度で本省課長などへの登用実績は計40機関、129人となっている」(『国家公務員3種にフリーター枠検討』東京新聞・06年6月4日)と努力していることを示しているが、「2・3種採用職員」は公務員全体で最多人数を占めているはずであるにも関わらず、たったの「40機関、129人」の「登用実績」である。1都1道2府43県の47地方自治体で割ると、1自治体で平均3人弱の割合にしかならない、しかも「本省課長」止まりの学歴主義の障壁状況を示している。

 安倍晋三の「再チャレンジ政策」が小泉構造改革の矛盾の韜晦を狙ったものではないとするなら、またそのスケールの小ささから脱するためにも、誰が受験しようとも国家公務員3種採用(受験資格高卒程度以上)に関しては受験者の学力は試験そのもので問えばいいのだから、受験資格を“高卒程度以上”とせずに、“中卒以上”と明確に規定すべきだろう。“中卒以上”とすることが“脱学歴”の宣言となって、学歴とは無関係の本人の努力とチャレンジ精神が基本的な採用基準と化し、そのことが社会全体の学歴主義の払拭に影響しないことはないだろうからである。

 いわば“学歴主義”という本質の部分を変えることによって、学歴主義が生産してきた社会全体の格差、その矛盾を是正していくスケールの大きさこそが求められる改革ではないだろうか。

 当然、国家公務員1種・2種試験に関しても、受験資格は“学卒”とせずに、“中卒以上”とすべきで、本人の努力とチャレンジ精神に任せるべきだろう。そのような試験制度改革は採用基準がゆくゆくは学歴主義から人物本位に向かう流れをつくり出さないではおかない。霞ヶ関の国家公務員の場合、新人研修(初任者研修)というそもそものスタートラインで「機会の平等」は与えられず、キャリアとノンキャリアで明確に分けらているそうだが、そういった慣習も不純とされ、是正に向かわざるを得ない。

 学歴主義から人物本位への流れは、現在も色濃く残る男女差別の是正をも巻き込まずに済むまい。学歴の上下に関係せず、また男女の性別に関係せず、すべての人間を同じスタートラインに立たせることが真の「機会の平等」の実現を可能とする。スタートラインを違えて、「機会の平等」は存在しない。いわば「機会の平等」は学歴主義・男女差別の否定から入らなければ意味を成さない。

 【個別の支援策】として、「塾に通えず機会不平等となるおそれのある母子家庭や生活保護世帯の子供たちには、教職を目指す大学生や教員OBが放課後や週末に勉強を教える『寺子屋』を作る」(「毎日新聞)インターネット記事・06年5月30日:20時52分)といった趣旨に関しても、学歴主義は親の、あるいはさらにその上の親族の学歴も心理的に採用基準にプラスされる傾向を持っていることから、一時的な「機会の不平等」の修正にとどまらせないためにも、学歴主義や男女差別自体の排除なくして「寺小屋」は最終段階に至ってまで機能するといったことはないのではないか。
 
 学歴主義・男女差別(=人物本位の否定)は、日本の衆議院議員の女性進出率が昨年9月の総選挙史上最多の43人が当選したにも関わらす、世界的に低い位置にあるという事実、05年に男女均等法成立20年を迎えながら、同じ正社員でも男女の賃金格差は徐々に縮んではいるが、先進国の中では縮小度が鈍く、依然として3割以上、働く女性の3割を占めるパートの場合は男性正社員の4割台でほぼ横ばいが続いている状況(05.6.28『朝日』朝刊)、日本の大手6行の女性役員はゼロ(05.11.12.『朝日』朝刊)という現況等が示す社会格差を依然として生産し続けているファクターとなっているのである。殆どの先進国で禁止されている〝間接差別〟の横行という状況も学歴主義・男女差別(=人物本位の否定)が影響していないことはない社会格差の一つであろう。

 『日本の大手6行・女性役員はゼロ・米団体、世界50行調査』の記事全文を見てみると、「女性の経営参画を支援する米団体CWDIが世界の大手銀行50行の取締役の性別を調べたところ、対象となった日本の5行と農林中央金庫を合わせた取締役58人の中に女性はゼロで、少なくとも1人は女性のいる銀行が7割(35行)に達する世界の状況と差が大きいことが分かった。11日に公表する。

 05年6月時点の調査で、50行の本店所在地は14カ国に亘る。国別で見ると、女性役員がいないのは2行で、計43人が全員男性だったイタリアと日本の2カ国だけだった。

 女性役員ゼロの15行のうち、資産量で上位5行中4行が邦銀。みずほ、三菱東京(現三菱UFJ)。三井住友、各グループ持ち株会社だった。

 取締役中の女性比率が最も高いのは、スウェーデンのノルデア36・4%(11人中4人)、アジアからは中国銀行が30・8%(13人中4人)で4位、中国建設銀行が15・4%(13人中2人)で14位だった。米国はシティグループ、バンク・オブ・アメリカが各3人いるなど、対象の6行すべてに女性役員がいた」

 世界でゼロは日本とイタリアだけというのは何と名誉なことだろう。ノーベル賞ものではないか。

 小泉構造改革以来急速に拡大した各種格差是正の対策として、基本のところで深く影響している日本社会に日本の歴史・伝統・文化として巣食っている学歴主義や男女差別と真っ向から向き合ったのではない、必要と思われる事柄を個別に拾い集めたようにしか見えない「再チャレンジ」政策の項目の数々から判断できることは、安倍晋三の「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」を趣旨とする「再チャレンジ」政策は、「自分でマッチを擦って火をつけておいて自分で消火ポンプで消す意」の和製語である〝マッチポンプ〟に過ぎない印象しか出てこない。

 自らも幹事長、次いで官房長官として加わった小泉構造改革が日本社会の格差をマッチを擦って火をつけたように拡大させたのだから、責任が及ばないうちに慌ててポンプを持ち出して自分たちがつけた火の消火に当たり、格差拡大の責任は取らないまま、単なる後始末でしかない是正を後始末と思わせないで手柄とするといったところではないだろうか。

 小泉首相に金魚のフン並みにべったりと引っ付いて格差社会を共につくり出しておきながら、格差社会に取り残された者に「再チャレンジの手を差しのべる」とは、まさしく自分で火をつけておいて自分で消火ポンプを持ち出して消して、その手柄で次の総理・総裁の地位という大きな利益を得ようと言うのだから、まさしく虫がいいマッチポンプとしか評しようがない。

 出生率の減少も学歴主義・男女差別とそれらの延長にある賃金差別が子育てに必要な資金を十分に投入できない状況(私設保育所の保育料が高すぎるために頼りとしている公立の保育所の空きがなくて、子どもを産めないといった状況等)を受けた結果性ということもあるに違いない。

 格差の本質に潜んでいる学歴主義・男女差別に手をつけない格差の是正は、単に格差の表面を取り繕うに過ぎない。安倍晋三はそれをやろうとしている。その程度の政治家でしかないからだろう。「再チャレンジ支援議員連盟」の設立総会に94人も集まったとニンマリしている程度なのだから。

 「再チャレンジ」政策を第1次安倍内閣の主要政策とし、その具体策の一つとして「正規・非正規労働者間の均衡処遇(有期労働契約を巡るルールの明確化、社会保険の適用拡大)」を打ち出しながら、非正規労働者が増え続け、その増加に応じて両者間の年収格差・生涯賃金格差も増大している。

 にも関わらず、「1億総活躍社会」を大々的に掲げ、「それぞれの希望が叶い、それぞれが生き甲斐を持てる社会を私は創りたい」と「一億総活躍第1回国民会議」で恥ずかしげも後ろめたさもなく言うことができる。

 しかも「格差是正」という言葉を一言も使わないのは卑怯である。そのことが念頭にないとしたら、非正規の少ない給与の中での活躍で十分だと言っていることになるし、活躍にも格差をつけていることになる。

 次の政策、「U・Iターンの再チャレンジ支援」(農林漁業就業支援)と「「地域の創意工夫支援のための枠組み構築」」は現在推し進めている「地方創生」と重なる。

 第1次安倍内閣が2007年9月26日迄1年間しか続かなかったとしても、第2次安倍内閣は2012年12月26日に発足して約3年近くになる。しかも首相を離れていた間、自身の政策を練り直していたというから、より確実な政策に作り変えていたはずだ。だが、今以て明確に成果とすることができないでいる。

 こう見てくると、「1億総活躍社会」とは「再チャレンジ」政策が未達成ゆえの、今風の表現をも加えたその焼き直しに見えてくる。

 だとしても、「1億総活躍社会」を「若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、また難病を持っている方も、あらゆる方々」が「生き甲斐を持てる」真にチャレンジ可能な社会の構築を目指しているなら、ブログで書いているように国家公務員試験だろうと民間企業試験だろうと、受験資格に学歴を置かずに全て中卒以上と規定して、学歴主義から人物本位主義への転換を図るべきだろう。

 勿論、この人物本位主義は当然のこと、男女の性別に於いても同じ条件としなければならない。

 企業側は現在でも人物本位を採用基準としていると言うだろうが、あくまでも大学卒の枠を設けて、あるいは高校卒の枠を設けて、その枠の中での人物本位となっている。

 東大卒という枠を設けたその中での人物本位であって、どの段階で卒業しようと一緒くたにした中での人物本位ではない。

 記事の中で「日本の大手6行は女性役員はゼロ」と言うことを他記事を参考に書いたが、最近テレビで見たバラエティ番組だったか、「アメリカの警察官は巡査から始めて署長になる人もいる」と言っていたのを思い出して、ネットで調べてみた。

 番組で言っていた発言に出会うことはできなかったが、「Wikipedia」で次の記述を見つけた。

 〈実力主義の慣習は法執行機関でも例外でなく、日本の警察のキャリア制度のようなものは存在せず(アメリカでは州が一国に相当し、自治体職員と連邦捜査官は全く別の存在)、全ての法執行官は巡査など最下級の階級から職業人生を始め、能力のある者が「警察長」「局長」などの最上位階級まで上り詰める。2013年現在のニューヨーク市警察の警察長であるフィリップ・バンクス三世は1986年に採用され、81分署の巡査からその経歴を始め今日に至る。また2015年現在のロサンゼルス市警察の警察長であるチャーリー・ベックも、2年間のロサンゼルス市警察予備警察勤務(ボランティア)を経て1977年に巡査に任じられ、同市警察で経歴を重ねて今日に至っている。

 終身雇用が基本の日本の警察官と異なり、より良い雇用条件や栄達を求めて他組織へ転職する法執行官も珍しくない。アメリカの法執行官向けウェブマガジンなどには、様々な機関の職員募集広告が掲載されている。同誌でみると、巡査級だけでなく、巡査部長級以上の管理職級を募集する機関も多い。大学以上の高等教育機関で犯罪学・犯罪心理学等の専門教育を受けていれば、より良い転職先を求めることもできる。警察本部長級であれば、経営学や法学などの学位や法執行官の高級幹部課程が履修済みであることなど、かなり高等な条件が定められている。日本と同じような警察官採用試験もあるが、頻度は組織によって大きな差があり、年一回程度のところから、ニューヨーク市警察のように平日は毎日のように実施する機関まで幅広い。〉――

 この紹介にある昇進に関わる職場環境は誰もがチャレンジ可能な人物本位で成り立っているということであろう。人物本位主義を基本とするなら、受験資格も学歴で差別を設けずに義務教育以上を求めずとしなければ、人物本位主義との整合性を失う。

 もし人物本位主義が実現できなければ、「1億総活躍社会」の実現も満足な形を見ないに違いない。チャレンジに関しても、格差の壁を放置したままにすることになるからだ。

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