茨城県教育委員長谷川智恵子氏の「出生前診断で分かった場合の障害者は生まない方がいい」発言の問題点

2015-11-22 10:08:54 | 政治


 2015年11月18日に開かれた茨城県の教育方針を決める「平成27年度第3回茨城県総合教育会議」での教育委員の発言が11月19日付辺りのマスコミに取り上げられて問題視されていた。

 知事から会議の最後に自由意見を求められた際の発言だそうで、発言の主は東京の画廊の副社長とかの長谷川智恵子氏。どのような発言をしたのか、その発言に対して橋下茨城県知事がどう応じたのか、マスコミ各紙から拾ってみる。文飾は当方。

 先ず「NHK NEWS WEB」記事。 

 長谷川智恵子氏(特別支援学校を視察したことに触れて)「多くの障害のある子どもたちがいて驚いた。妊娠初期に障害の有無が分かるようにならないのでしょうか。4か月を過ぎると堕せないですから。生まれてきてからでは本当に大変です」

 橋下知事「障害の有無が事前に分かって、中絶したい人が中絶できる機会を増やしたらどうかという意味だと思う。悪いことではない」

 次に「毎日jp」記事。

 長谷川智恵子氏(特別支援学校を視察したことに触れて)「物凄い人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」

 橋下知事「堕胎(だたい)がいいのかどうかっていう倫理的な問題まで入ってくる」

 長谷川智恵子氏「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です。 茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」

 11月19日の長谷川智恵子氏に対する「毎日jp」の取材。

 長谷川智恵子氏「早めに判断できる機会があれば、親もさまざまな準備ができるという趣旨。障害を認めないわけではない。言葉が足らなかった」

 11月19日の「NHK NEWS WEB」記事。

 長谷川智恵子氏(19日夕方)「障害のある方やご家族を含め、数多くの方々に多大なる苦痛を与えたことに心からおわびを申し上げますとともに発言を撤回します。障害のある方を差別する気持ちで述べたものではありません」

 橋下知事(11月19日夜)「長谷川氏の発言は障害児の将来を心配したものだったと考えているが、本人から撤回したいという連絡があった。私自身も福祉行政には力を入れてきたところで、私の発言が障害のある方々や関係者に苦痛を与えたとすれば誠に遺憾であり、誤解を与えないように発言を撤回します」――

 発言のどこに問題があるのか、既に同じような指摘が出ていて、重複、もしくは後追いになるかもしれないが私自身なりに考えてみることにする。

 長谷川智恵子氏は「大変」という言葉を使っている。最初の「NHK NEWS WEB」記事が伝えた氏の発言。「多くの障害のある子どもたちがいて驚いた。妊娠初期に障害の有無が分かるようにならないのでしょうか。4か月を過ぎると堕せないですから。生まれてきてからでは本当に大変です」――

 この「大変」は障害児を抱えることになった親の立場で言った「大変」なのだろうか。

 「毎日jp」記事になると、「(特別支援学校では)物凄い人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」と、特別支援学校向けの予算の額の「大変」さについて言っている。

 間に橋下知事の発言を挟んで続けた「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です。茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」と口にした「生まれてきてからでは本当に大変です」の「大変」はやはり掛かり過ぎると見ている予算額を指した言葉であって、予算額の大きさを理由にその減額に言及したのであった、親の「大変」につていの発言でないことを理解しなければならない。

 減額の内には「物凄い人数の方が従事している」その人件費の削減も頭に入れていたはずだ。企業が自社利益を上げるための主要な手段の一つとして人件費カットを常道としているが、そのために非正規社員をなるべく多く採用するのだが、長谷川智恵子氏は人件費に関わる企業の論理を持ち出してもいたことになる。

 いわば特別支援学校が採用している職員の減員も含めて、その経営に必要な予算を減額する必要があるが、そのためには学校が預かっている障害児そのものの数を減らさなければならないから、出生前診断で障害があると分かったら中絶すべきだと、主張したことになる。

 当然、「茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいな」の「そういうこと」とは主として特別支援学校の職員の減員や中絶による障害児出産の抑制を指していることになる。

 勿論、予算執行の効率性の観点から行政の側から特別支援学校の職員の減員を求める言及はできるが、後者の障害児を出産するか中絶するかは親の決めることであって、行政が決めることではないし、決めることのできない中絶のススメを説いて障害児出産数の抑制に応じた職員の減員を求める予算執行の効率性については行政と言えどもタッチはできないはずだ。

 こうに見てくると、「毎日jp」の取材に対しての氏の発言、「早めに判断できる機会があれば、親も様々な準備ができるという趣旨。障害を認めないわけではない。言葉が足らなかった」とする釈明は後付けの弁解に過ぎないことになるが、最初の発言がマスコミに批判的な文脈で取り上げられただけではなく、ネット上でも様々に批判を受けて後付けの弁解を迫られながらも、「親も様々な準備ができる」と、その「様々」の中に中絶をなおも含めている。

 この行政の側からの許されない口出しがあくまでも予算執行の効率性に立った思いであればいいが、優生学に基づいた選別の思想からの思いだとしたら、見過ごすことのできない問題となる。

 後者の思いが予算執行の効率性の形を取るということもあり得る。

 いずれにしても、「中絶可能な期間内に障害者か否かが診断できるなら、障害者の場合は生まない方がいい、この世に送り出さない方がいい」と、個人的な選択の問題を行政が決定したい意思・欲求を見せて進言したのである。

 
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