安倍晋三が11月26日、首相官邸で「第3回一億総活躍国民会議」なる麗々しい名前の、あるいは仰々しい名前の会議を開いた。出席閣僚や有識者の議論を受けて、最後に挨拶しているが、その言葉も素晴らしい。
安倍晋三の演説文・挨拶言葉のスピーチライター、日経BP社『日経ビジネス』記者出身の内閣官房参与谷口智彦氏の言葉を創り出す能力が如何に優れているかがよく分かる。
2015年9月24日に自民党本部での記者会見で「一億総活躍社会」を打ち出した時は使っていなかった「包摂」なる言葉を美しい使い方で用いている。
安倍晋三「全ての人が包摂される社会、つまり、『一億総活躍社会』が実現できれば、安心感が醸成され、将来の見通しが確かになり、消費の底上げ、投資の拡大にもつながります。さらに、一人ひとりの多様な能力が十分に発揮され、多様性が認められる社会を実現できれば、新たなアイディアによるイノベーションの創出を通じて、生産性が向上し、経済成長を加速することが期待されます」――
「一億総活躍社会」の説明としてなかなか見事な表現である。挨拶の冒頭近くで「APECの議題が包摂性と成長についての議題になっていたところもございまして」と紹介しているから、その議題からの思いつきで急遽取り入れたのかもしれない。
但し「活躍」は至って主体的・自律的な性格を帯びているが、「包摂」は主体と従属、あるいは自律と従属の関係性の中で生じる行為であって、ここでは国民を包摂される従属の側に置いた意味で言っている。
いわば「全ての人が包摂される社会」と「一億総活躍社会」とは似て非なる社会である。
多様性の発揮にしても、イノベーションの創出にしても、生産性の向上にしても、主体性と自律性を欠かすことのできない資質としなければならないのだから、「一億総活躍社会」を言うなら、国民全体が主体的・自律的に活躍できる社会的条件を整えなければならない。
それゆえに「一億総活躍社会」とは「格差ゼロ社会」でなければならないと兼々言ってきているが、カネがないために高校進学を諦める等々、格差が活躍できる社会的条件を奪う大きな要因となっている。
にも関わらず、安倍晋三のここでの挨拶でも格差に対する視点のない発言のみとなっている。この点についてスピーチライターの谷口智彦が書き入れてなかったという言い訳は許されない。安倍晋三自身が気づいて書き加えなければならないからだ。どの演説でも、どの挨拶でも、格差への視点を欠いている。
格差への視点を欠いていることは次の発言に象徴的に現れている。
安倍晋三「我々は『三本の矢』の政策によって、経済を成長させ、そして多くの民間企業は収益を上げ、その収益を設備投資と賃金上昇に振り向ける。そのことによって、消費が上向き、また経済が成長するという、経済の好循環を我々は創り出すことができたわけでございますが、このアベノミクスの第二ステージにおきましては、正に子育てや社会保障の基盤を強化し、そして、それが更に経済を強くするという『成長と分配の好循環』を構築をしていきたい。こう考えております。今まで、ともすれば成長か分配か、どちらを重視するんだという議論が何年も何年も積み重ねられてきたわけであります。そうした論争に終止符を打ちまして、『一億総活躍社会』とはつまり、『成長と分配の好循環』を生み出していく新たな経済社会システムの提案であります」――
「三本の矢」の政策によって「消費が上向き、また経済が成長するという、経済の好循環を我々は創り出すことができたわけでございます」と完了形で言ってのけているが、消費が上向いているのは上位所得層のみであって、大多数を占める下位所得層の消費は決して上向いていない。9月(2015年)の家庭の消費支出は物価の変動を除いた実質で2014年9月から0.4%下回って2カ月ぶりの減少となっている。
アベノミクスは未だ途上と言うよりも、失敗を指摘する声が出始めている。
格差が存在し続けるなら、「成長と分配の好循環」は偏った形式を取り、現在と同様に「成長と分配」は上位所得層のみに向かい続けることになる。
安倍晋三の挨拶の中では取り上げていないが、希望出生率1.8や介護離職ゼロなどの達成に向けて保育と介護の受け皿をそれぞれ新たに50万人分拡充することなどを盛り込んだ緊急対策を取りまとめたと、《NHK NEWS WEB》記事が伝えている。
希望出生率1.8実現の対策として次のような政策を掲げたという。
平成29年度末(2017年末)までに保育所などの保育サービスの受け皿の50万人分の新たな拡充
不妊治療への助成の拡充
3世代同居のための住宅建設支援等々
これらの政策は9月24日に自民党本部での記者会見で打ち上げた「一億総活躍社会」の政策に対応している。
安倍晋三「(新しい)第二の矢は、『夢』を紡ぐ『子育て支援』であります。
そのターゲットは、希望出生率1.8の実現です。
多くの方が『子どもを持ちたい』と願いながらも、経済的な理由などで実現できない残念な現実があります。
待機児童ゼロを実現する。幼児教育の無償化も更に拡大する。三世代の同居や近居を促し、大家族で支え合うことも応援したいと思います。さらに、多子世帯への重点的な支援も行い、子育てに優しい社会を創り上げてまいります。
『子どもが欲しい』と願い、不妊治療を受ける。そうした皆さんも是非支援したい。『結婚したい』と願う若者の、背中を押すような政策も、打っていきたい。誰もが、結婚や出産の希望を叶えることができる社会を、創り上げていかなければなりません。
そうすれば、今1.4程度に落ち込んでいる出生率を、1.8まで回復できる。そして、家族を持つことの素晴らしさが、「実感」として広がっていけば、子どもを望む人たちがもっと増えることで、人口が安定する「出生率2.08」も十分視野に入ってくる。少子化の流れに「終止符」を打つことができる、と考えています」――
「多くの方が『子どもを持ちたい』と願いながらも、経済的な理由などで実現できない残念な現実があります」と言っているが、子どもを持つには一般的には結婚を前提としなければならない。
あるいは一般的ではないが、同棲・同居といった共同生活という形式を前提としなければならない。
だが、結婚という正式な形式であろうと、共同生活という形式であろうと、一人の生活が手一杯で、こういった更にもう一人を加える生活すら経済的理由(=低所得という理由)から選択できない多くの若者と、そういった若者が年齢を重ねた3~40代の男性・女性が多く存在する。
当然、「『結婚したい』と願う若者の、背中を押すような政策も、打っていきたい」としている以上、貧困対策としての格差是正策をストレートに打ち出さなければならないはずだが、殆どの演説・挨拶で言及すらしていない。
経済的な格差是正を実現してこそ、偏らない「成長と分配の好循環」の実現に繋がっていき、「一億総活躍社会」が近づく。
だが、貧困や格差への視点を欠いた安倍晋三のアベノミクス、「一億総活躍社会」となっている。
麻生太郎は首相だった時代の2009年8月23日夜、都内開催の学生主催イベント「ちょっと聞いていい会」で結婚についての失言をやらかして、内閣支持率をさらに失うことになった。
学生「結婚するのにまずお金が必要で、若者にその結婚するだけのお金がないから結婚が進まないで、その結果、少子化が進むと思うんですが」
麻生太郎「カネがねえから結婚できねえとかいう話だったけど、そりゃカネがねえで結婚しない方がいい。まずね(会場笑)。そりゃ、オレもそう思う。そりゃ、うかつにそんなことはしない方がいい。
で、金がオレはない方じゃなかった。だけど結婚は遅かったから。オレ43まで結婚してないからね。だから、あの、早い、あるからする、ないからしないというものでもない。これは人それぞれだと思うから。だから、うかつには言えないところだと思うけれども、ある程度生活をしていけるというものがないと、やっぱり自信がない。それで女性から見ても、旦那をみてやっぱり尊敬する、やっぱりしっかり働いている、というか尊敬の対象になる。日本では。日本ではね。
したがって、きちっとした仕事を持って、きちっとした稼ぎをやっているということは、やっぱり結婚をして女性が生活をずっとしていくにあたって、相手の、男性から女性に対しての、女性から男性に対しての両方だよ。両方がやっぱり尊敬の念が持てるか持てないかというのがすごく大きいと思うね。
それで、稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、余程のなんか相手でないとなかなか難しいんじゃないかなあという感じがするんで、稼げるようになった上で結婚した方がいいというんでは、オレもまったくそう」――
学生の質問は政治的に解決を必要とする社会的に根本的な問題を含んでいた。だが、麻生太郎はその解決に応えようとするどのような意思も示しもしない。但し一面の真理を突いていた。
男は稼ぎがないと女性から尊敬の対象とならないというのは一面の真理を成しているが、「稼げるようになった上で結婚した方がいい」、つまり、「カネがねえで結婚しない方がいい」という結論は、政治の話をする大学生の集会で一国の首相でありながら、単なる俗な世間話のレベルで若者の未婚問題や未婚が一因となっていると見ている少子化問題に応じたに過ぎない。
この発言でさらに不人気となり、結局は2009年8月の衆院選で民主党に手痛い敗北を喫して自民党政権を失うことになる歴史を踏むことになった。
安倍晋三もこの発言で麻生太郎が散々叩かれ、自民党政権を手放すことになった歴史を承知していたはずだ。
もし安倍晋三が麻生太郎の「カネがねえで結婚しない方がいい」を教訓としていたなら、いくら国民の在り様よりも国家の在り様を重視し、後者により価値を置く国家主義者であっても、アベノミクスや「一億総活躍社会」の実現を成功させるためには否応もなしに格差や貧困問題にも目を向けて「格差ゼロ社会」の実現に努めるはずだが、教訓としていないらしく、格差と貧困問題にストレートに目を向けることは一度もない。
と言うことは、国民の在り様よりも国家の在り様を重視し、後者により価値を置く国家主義者の立ち位置をそのままにして「一億総活躍社会」の実現を物語っていることになる。
「成長と分配の好循環」を例え現在以上に活気づけることができたとしても、現在と同様に上位所得層がほぼ独占することになるだろう。