安倍昭恵の一営利団体に「私の肩書を自由に使って」は一個の女性としての自己を持たないことの何よりの証明

2017-05-21 12:52:57 | Weblog

 安倍晋三夫人安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院の名誉校長に就いていたが、アッキード疑惑勃発によって辞任、だが、過去を含めて、小学校、その他の20の団体やイベントの名誉会長等の肩書を持っていたと、2017年3月9日付「asahi.com」記事が伝えている。    

 その中の一つとして「鈴蘭(すずらん)会」(福岡市)を紹介している。森友学園の幼稚園に教材を売った一般社団法人だという。

 記事は次のように紹介している。

 〈鈴蘭会の広報担当者によると、昭恵氏は2007年に会の前身団体を視察し、漢文などを音読する「素読(そどく)」を体験した。「何かお手伝いはできないか」と昭恵氏から申し出があり、09年に会を発足した時に名誉会長になった。教材の売買には関与していないという。

 広報担当者によると、昭恵氏は「私の肩書を自由に使って」と話していたという。「昭恵氏は人気があり、色々なところで宣伝してくれる」〉――

 教材の売買には関与していなくても、肩書を自由に使っていいと言うことなら、教材の売買に利用されるだろうし、販売拡大のアイテムとして利用されないわけはない。
 
 「Wikipedia」は「一般社団法人」を次のように解説している。

 〈一般社団法人

 一般社団・財団法人法に基づいて一定の要件を満たしていれば設立できる法人で、事業目的に公益性がなくても構わない。原則として、株式会社等と同様に、全ての事業が課税対象となる。〉

 但し、〈法人税法施行令3条に規定する要件を満たす一般社団法人を「非営利型一般社団法人」といい、収益事業のみ課税され、非営利事業については非課税となる。〉

 鈴蘭会がどちらの一般社団法人か分からないが、ネットで調べてみると、漢文の素読会は有料で、一般人の場合の最高額は1万円となっている。支払は「事前決済」、前払いである。

 森友学園の幼稚園に教材を売り、漢文素読会が有料と言うことなら、法人税法施行令3条に規定する要件を満たす一般社団法人だったとしても、営利の部分がかなり占める団体ということになる。

 つまり安倍昭恵が首相夫人の「肩書を自由に使って」と言うことは、一見気さくなように見えて、実は営利に関しても肩書を利用させていることになる。

 例え本人は私人であっても、首相夫人なる肩書は主として夫の首相という肩書の恩恵を受けているのだから、そのような公人の肩書を本人ではない夫人が営利に自由に利用させることは果たして相応しい行為と言えるだろうか。

 また、「肩書を自由に使って」と言うことは安倍昭恵という存在を自由に使わせることを意味する。勿論、肉体と精神を備えた存在それ自体を使っていいということではなく、首相夫人という肩書を備えた一個の女性に対して人それぞれがイメージとして抱いている存在を、それは安倍昭恵の手から離れた存在であって、自由に使っていいということである。

 多くの人は権威主義に災いされて、首相夫人と聞いただけで立派な女性と思うだろうが、それはあくまでも実体としての安倍昭恵から離れたイメージ上の存在でしかない。

 例え本人は気づかなくても、それをも自分から自由に使うことを許していることになる。このことは私は私であるという自己同一性の欠如がもたらす気さくさであろう。

 私は私であるという自己同一性を持ち合わせていたら、決して「肩書を自由に使って」などとは言わないはずだ。

 更に言うと、「肩書を自由に使って」は例えどのように気さくに見えよううとも、自分を何様に置いていることことによって口にすることができる。首相夫人という肩書の価値を承知した上で、その価値を利用し、自身を売り込むという経緯を取る、その神経は首相夫人という肩書を持った自分自身に大きな価値を見い出していることになるからである。

 もし首相夫人という肩書を取ったら、自分は一般人に過ぎないという意識を有していたなら、「肩書を自由に使って」とは言わないだろうし、とても言うことはできない。肩書と自分という人間を切り離して、一般人としての自己は自己という態度を取ることになるだろう。

 あるいは首相夫人という肩書がなくても、一個の個人として優れて自律した人間であったなら、あるいは優れて自律した女性であったなら、夫から与えられた肩書など「自由に使って」などと言わずに自分という人間と一致させた肩書、あるいは自己を大切にするはずだ。

 安倍昭恵の首相夫人という肩書を利用したこの何様意識は以前「ブログ」に書いたが、ある女性がインタビューのために首相公邸の安倍昭恵を訪ねて待ち構えている部屋に入ったところ、6~7人は囲めそうな楕円形のテーブルの奥の席で、多分、来客が座る位置から最も遠い正面の席なのだろう、そのように距離を置くことにも現れていることだが、立ち上がりもせずに座ったまま迎えた何様意識と根は同じである。   

 その女性は〈来客に慣れた様子で「謁見(えっけん)」の趣だった。〉(asahi.com)と書いていて、安倍昭恵の何様意識を嗅ぎ取っていた。

 要するに何様意識にしても私は私であるという自己同一性の欠如の行き着く先としてある感覚であるはずである。一個の人間としての、あるいは一個の女性としての統一された自己を持たない。

 一個の人間としての、あるいは一個の女性としての統一された自己を持たないからこそ、やたらと名誉会長だ何だと引き受けることになる。あるいは引き受けた名誉会長だ何だで自分と言う人間を何様に表現しようとする。

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「総理の意向」文科省文書は暗黙的ながら事実だと萩生田光一と義家弘介が5月18日衆院農林水産委で答弁

2017-05-20 14:25:06 | Weblog


 安倍晋三がアメリカ留学以来「30年来の腹心の友」としている加計(かけ)孝太郎が経営する学校法人加計学園(岡山市)が愛媛県今治市に現在建設工事を急ピッチで進めている岡山理科大学獣医学部の開学(2018年4月予定)が安倍晋三の国家戦略特区を利用した便宜供与、政治的関与、口利きではないかと現在進行形でその疑惑がマスコミによって報じられ、世間に取り沙汰されている理由は2017年3月13日付「しんぶん赤旗」記事が詳しく伝えているが、簡単に取り上げてみる。        

 文科省と農水省は獣医師への社会的需要と獣医数のバランスを図るために大学獣医学部の新設を抑制する方針を取っていた。このことは日本獣医師会の意向にも添っているはずだ。

 要するに獣医師の需要に対して獣医師の供給過多になっていることからの抑制方針ということになる。

 この状況は今治市と愛媛県が小泉内閣が進めた構造改革特区に2007年から2014年にかけて獣医師養成系大学設置を15回に亘り提案したものの、いずれも採用されなかった事案にも現れている。

 今治市と愛媛県は2015年6月4日、第2次安倍政権が進めたアベノミクスの成長戦略の柱「国家戦略特区」に「国際水準の獣医学教育特区」を提案した。

 26日後の2015年6月30日、安倍内閣は「日本再興戦略」改定2015を閣議決定、「獣医師養成系大学・学部の新設検討」を盛り込む。

 半年後の2015年12月15日、国家戦略特区諮問会議で全国10番目の国家戦略特区に「広島県と愛媛県今治市」を決定。

 翌年、2016年11月9日、国家戦略特区諮問会議は「獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」とした。

 ネットで調べてみると、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を直ちに行う」ことの決定ということらしい。

 この決定に日本獣医師会会長藏内勇夫は「獣医学部新設の検証なき矛盾だらけの決定に怒り」と反対している。     

 日本獣医師会の反対姿勢は全国的に獣医師の需要に対して獣医師の供給過多という状況は変わっていないことを示しているはずだから、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域」が「広域的に獣医師が存在しない地域」とイコールしないことになって、決定の理由付けには無理があることになる。

 この点を取り上げただけでも、無理を押し通したということになる。

 この獣医学部は岡山市の加計学園経営岡山理科大学の学部として愛媛県今治市に新設される。今治市が獣医学部建設地として評価額約36億7500万円の市有地を加計学園に無償譲渡し、尚且つ大学建設の事業費約192億円の半分の96億円を負担するという大盤振舞いが分かって、安倍晋三と30年来の腹心の友だという加計学園理事長加計孝太郎との関係から、安倍晋三の国家戦略特区を利用した便宜供与、利益供与、口利きではないかとの疑惑が浮上し、安倍晋三は国会で追及を受けることになり、「加計学園から私に相談があったことや圧力が働いたということは一切ない」と答弁、「私はもし、働きかけて決めているんであれば、やっぱりそれは私、責任取りますよ、当たり前じゃないですか」と、責任を取るとまで言い切っている。

 ところが、朝日新聞が文科省が作成したとする安倍晋三の意向で首相官邸が主導した獣医学部の新設だとする文書を入手、2017年5月17日の朝刊で報じた。

 当然、その文書の真偽が問題となる。野党は国会で追及し、文科相の松野博一は調査を約束し、松野は5月19日、「該当する文書は確認できなかった」と調査結果を公表している。

 安倍晋三の国家戦略特区が獣医学部新設を認めるのも早ければ、新聞報道から三日目と調査も早かった。

 文科省の調査までが安倍晋三の指示を受けたものなのか、あるいは指示は受けなくても、安倍晋三の意向を忖度したものなのか、あるいは事実存在しなかったのかは文書の内容が事実かどうかにかかってくる。

 内容が事実なら、文書は存在し、調査は存在しないという答を出すために行われたことになる。

 朝日新聞が文書入手を公表した翌日の2017年5月18日の衆議院農林水産委員会で民進党議員宮崎岳志が文書の真偽を確認するために行った追及に対する文科副大臣義家弘介と安倍晋三の腰巾着官房副長官萩生田光一の答弁から、文書がホンモノかニセモノかを占ってみる。

 文書はA4判で8枚あるということだが、宮崎岳志が質問ごとに取り上げているその内容をマスコミ記事から取り上げることができる範囲で最初に纏めてみる。但しマスコミは切れ切れの紹介が多く、画像から文字起こししなければならない個所もあって、順序に間違いがあるかもしれないが、内容そのものに間違いはないと思う。【】内は文書の題名。

 【大臣ご確認事項に対する内閣府の回答】

 「(今治市獣医学部設置する時期)「最短距離で規制改革を前提としたプロセスを踏んでいる状況で、これは総理のご意向だと聞いている」

 【■■内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)】

 1.日時:平成28年9月26日(月)18:30~18:55
 2.対応者(内閣府)■■審議官、■■参事官(文科省)、■■課長、■■補佐
 3.概要*
  ○平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。これは官邸の最高レベルが言っていること。
  ○成田市ほど時間を掛けられない。これは官邸レベルが言っていること。(むしろもっと厳しいことを言っている)
  ○成田市の医学部新設の際には3省方針を作成したが、これは東北新設時に復興庁と方針を作成していたため、同じ形でやることになったもの。内閣府としては方針作成が必
   要だと考えていないが、文科省として審査する際の留意点を出す必要が有ることは理解

 【大臣ご確認事項に対する内閣府の回答】 

 〇設置の時期については、今治氏の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。
 〇規制緩和処置と大学設置審査は、独立の手続きであり、内閣規制緩和部分は担当しているが、大学設置審査は文部科学省。設置審査の所で不足の事態(平成30年開学が間に合
  わない場合はあり得る話。関係者が納得するのであれば内閣府は困らない
 〇「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので総理からの指示に見えるのでは無いか。平成30年4月は11月上中旬には本件を諮問会議にかける必要が
  あり、以前に官邸から「内閣」としてやろうとしていることを党の部会で議論するなと怒られたので、内閣府は質疑対応はするが、党内手続きについては文科省が政調(党
  政務調査会)と相談してやってほしい

 【10/4義家副大臣レク概要】

 ○義家大臣が『私が萩生田長官のところにちゃんと調整してくれと言いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ」
 ○(農林水産省が管轄すべき獣医学部定員の基礎となる獣医師の需給バランスについて)斎藤健農水副大臣「農水省が需給部分、ちゃんと責任を持ってくれないと困るよ、話し
  た際には何も聞いていない。やばい話じゃないか」

 【10/7萩生田副長官ご発言概要(取扱注意)】

 (文科省に対する発言)
 ○「平成30年4月は早い。無理だと思う」
 ○「学校ありきでやっているという誤解を招くので、無理をしない方がいい」
 ○「要するに加計学園が誰も文句が言えないような提案ができるかどうかだ」
 ○「獣医師会の農水省関係議員と協力が必要だ。私の方で整理しよう」
 ○「構想をブラッシュアップしないといけない」 (以上)

 どうも読んでも、安倍晋三の意向・指示で動き出した便宜供与、利益供与、口利きが功を奏した加計学園獣医学部国家戦略特区新設としか見えない。

 安倍晋三の腰巾着萩生田光一は最初は無理押しと見ていたようだが、積極姿勢に転じている。そこは安倍晋三の指導力・ご意向ということなのだろう、 

 上記「■■」の部分は隠し文字となっている。また、「成田市ほど時間を掛けられない」との記述は国際医療福祉大学が成田市と共同で提案した「国際医療学園都市構想」を構成する国家戦略特区事業の一つとして2017年4月に成田キャンパスに新設した医学部のように時間をかけることができない、急いで欲しいという意味なのだろう。

 同じく上記「東北新設時に復興庁と方針を作成していたため」とあるのは東北薬科大学が2016年4月に宮城県仙台市に医学部を新設を指し、新設と同じに大学名を東北医科薬科大学に改称している。

 宮崎岳志は文書の内容が身に覚えのある事実か否かの観点から単刀直入に問い質すことよりも文書がホンモノかニセモノかを確かめることを最初に置いた質問から入ったために義家弘介と萩生田光一にのらりくらりと逃げられることになった。

 もし身に覚えのある事実なら、明確に「事実ではない、何もかもデタラメだ、身に覚えがない」といった発言は後で事実が証明される無きにしもあらずの危険性に備えて難しいことになる。もし事実でないなら、明確に否定し、清廉潔白だと胸を張ることができる。

 答弁に於けるこのような態度の違いを読み取ることで文書の真偽を確かめ、なお追及していくという質疑に徹底すべきだったが、そうしなかった。

 宮崎岳志「平成28年9月26日に内閣府と文科省で討議を行ったということは事実ですか」

 文書題名【■■内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)】のことを聞いた。

 義家弘介「お答えさせて頂きます。先ず昨日と今日とで新聞に報道されている資料についてですが、現在時点で事実関係を確認しているところであります。また一連の議論の中で様々な調整、様々な議論が行われてきたというふうに思います」

 宮崎岳志「9月28日に内閣府と文科省で会議を持った持ったことがありますかという質問ですが、あればあったで、なしはなしで、このペーパーの真実は無関係にお答え頂ければ、いいのかなと思います」

 もし会議を持ったと答弁したなら、書いてあることが事実だと関連付けられる恐れから、まともに答えるはずはないことを予想しなければならないはずだが、予想できなかったようだ。

 義家弘介「あの、日程を確認しないと分かりません」

 宮崎岳志「日時は分からないけれども、ここ(新聞)に載っているようなメンバーで会議をこの限度で行っていたということはございますか」

 義家弘介「あの、正式な会議という形ではなくて、この期間で様々な調整、様々な話をしていたことは事実でございます」

 こういった調子の質疑応答が続く。

 宮崎岳志は文書に隠し文字となっている■■内閣府審議官が内閣府地方創生推進室次長藤原豊であるとどう突き止めたのか、参考人として出席を求めていて、質問の矛先を藤原豊に変える。

 宮崎岳志「藤原審議官には今日おいで頂いております。9月28日、この文書の真偽は兎も角としてですね、9月28日にこのような会議を持たれたんですか」

 藤原豊「お答え申し上げます。先ず報道で取り上げられていますこれらの文書につきましては文科省にも確認をしておりますが、定かでないということでございまして、内閣府としてお答えする立場にございません。

 ただ報道にあるような発言は昨年秋頃ということで、第1回目分科会、今治市分科会が開催されたということがありまして、関係各省とその進め方などにつきまして議論を行っておりました。ただその日程内容につきましては確認が取れておりません。

 内閣府として官邸の最高レベルとか、総理のご意向などと聞いていることは一切ございません。総理からそういった指示は一切ございません」

 一見、文書に書いてある事実を真正面から否定しているように見えるが、事実であるか事実でないかの文脈で話している以上、「先ず報道で取り上げられていますこれらの文書につきましては文科省にも確認をしておりますが、定かでないということでございまして」と、「定かでない」という言葉は出てこない。

 文書の存在を「定かでない」としながら、文書に書いてある事実を否定する矛盾を見せることになるからだ。

 また、文書に書いてある9月26日の会議を今治市分科会のことではないかと言い、その分科会を安倍晋三の意向伝達も指示も一切なかったことの関連付けに使っているが、公式の会議で便宜供与や政治的関与、口利きとなるような言葉を吐くはずはないのだから、役人らしい狡猾なゴマカシに過ぎない。

 「そのような文書は存在しません、書いてある内容は全て事実ではありません」と言い切って、初めて完璧な否定となる。だが、言い切っていない。

 宮崎岳志は藤原豊と二度遣り取りしてから、自分が狙い所としている芳しい答弁を得ることができないために文書題名(【10/7萩生田副長官ご発言概要(取扱注意)】)に登場している萩生田光一に質問を変えた。 

 宮崎岳志「萩生田副長官、10月7日、文科相側のスタッフと会ったことがありますか、ありませんか」

 萩生田光一「昨日の文書の中で(自分の名前の)メモがあったことは確認しましたけれども、この文書につきましては内容が精査されている最中でありますので、現時点ではコメントする立場にはないと思っています。内閣官房副長官として日々様々な省庁の担当者と頻繁に連絡を取り合っておりまして、この日に文科省の皆さんと会ったか会わなかったか確認をしてみないとよく分かりません」

 宮崎岳志が会ったか会わなかったかと聞くから、「確認してみないとわからない」という答弁が可能となる。書いてあることは事実かと聞いたなら、事実か事実でないかで答えなければならない。

 勿論、覚えていない、記憶にないと答えることはできるが、事実の否定ではない。事実だと判明した場合の立場を確保しておくための記憶の曖昧化はよく使われる手である。

 宮崎岳志「10月7日に会ったか会わなかったかと明確に通告文(質問通告)の中にも明記してあります。お調べ頂いていると思います。会ったか会わなかったか、お答えください」

 萩生田光一「私のですね、公式日程につきましては法令に則って一定期間の保存したのちは処分をしておりまして、実はこの委員会に出席するまでの間に確認はできておりません」
  
 宮崎岳志「今のは処分したという意味ですか、調べなかったという意味ですか」

 萩生田光一「昨日の報道があった時点でですね、あの日はどんな日だったのかと言うことは自分なりに手帳などを確認してみたのですが、確認は取れません」

 宮崎岳志はあくまでも会ったか、会わなかったに拘り、萩生田光一は最初からののらりくらりで質問の凌いでいく遣り取りが続いたが、宮崎岳志はやっとのことで気づいた。

 宮崎岳志「先程義家大臣も仰っておりますが、この文書が『ホンモノとも言えない、ニセモノとも言えない』、否定もしていないんですよ。まあ、義家大臣の方はお調べになって、そういうことだと思います。

 ニセモノだともホンモノだとも大臣には言えない、そういうことだと思います。何だか新しい文書が出てくる可能性がありますから、軽々にニセモノだと言ってしまって、ホンモノだということだと、ま、これは困ると言うことだと思います」

 そして10月7日の文部省側に対しての発言は事実かどうかをやっとのことで聞いた。萩生田光一は今までののらりくらりの態度を一変、より丁寧な答弁に変わった。

 宮崎岳志の方は文書が事実であった場合は相手は「新しい文書が出てくる可能性」との関係で「軽々にはニセモノだとは言えない」態度を取らざるを得ない立場にあることを睨んで、事実かどうかで押していき、その答弁から文書の真偽を読み取っていかなければならない。

 萩生田光一「日々各役所の皆さんと懸案事項について様々な意見交換をしておりますけれども、ま、本件についてですね、ここまで詳しい遣り取りをしたという記憶は私にはございません。

 (ふっと笑って)ひと通り見てみましたけども、あの、福岡6区の補選云々とかですね、あるいはその獣医師会の農水省関係議員と協力が必要だ、私の方で整理しようというような発言が記述にありましたけども、あの、大体我々のところへ、官邸にですね、最初に上がってくるのっていうのは各省の調整がついたものでありまして、それを途中でですね、私が引き取って私が調整しようという遣り取りは文部科学省に限らず通常はございませんので、おかしな話だと思って、昨日は読ませて頂いとところでございます」

 会見については「確認は取れていません」で逃げていた萩生田が会見で話したと文書に書いてある発言について具体的に答弁を始める変わりようを見せた。

 但し「ここまで詳しい遣り取りをしたという記憶は私にはございません」と言っているが、それなりに遣り取りをした記憶はあるということの証言に他ならない。

 そして「大体我々のところへ、官邸にですね、最初に上がってくるのっていうのは各省の調整がついたものでありまして、それを途中でですね、私が引き取って私が調整しようという遣り取りは文部科学省に限らず通常はございません」との答弁は特別の場合はあり得るということを意味していて、皆無ではないということを言っていることになる。

 文書を事実と認めれば、安倍晋三の便宜供与や政治的関与、口利きそのものを認めることになるために認めるわけにはいかないが、完全に否定した場合、宮崎岳志の指摘を受けて、後で事実だと証明された場合の無きにしもあらずの危険性に気づいて発言を変えることになった記憶の曖昧さという釈明であり、通常はないとした官房副長官の調整という釈明であろう。

 この釈明こそが文書が事実であることを物語っている。だが、宮崎岳志はこの物語っている事実を読み取ることができなかった。

 宮崎岳志「これ通常の扱いじゃないから、総理が関与しているんじゃないかという疑惑がずうっと言われてきたんだと、ま、こういうことだと思うんですが、萩生田長官の今の話によると、このペーパーを見ても、自分がこのような発言をした記憶は何もないし、自分とは関係ないと、この文書がホンモノかニセモノかまだ分からないとされていますが、もしホンモノだと確認されていても、自分としては記憶にない、そういう意味でしょうか」

 萩生田光一「文書の信憑性について疑問を持っているということがありまして、例えば本件については最高戦略で2年前からずうっと継続的にやってきたことでありますから、10月頃にですね、突然何か私が説明するということではありませんので、基本的には例えば前段の部分についてはですね、理解できる部分もあるんですけども、こういった一連の話を渡したしたかと聞かれれば、そういう記憶はないということでございます」

 「文書の信憑性について疑問を持っている」という発言こそが、文書が事実であることを物語って余りある。

 なぜなら、今まで繰返してきたように文書が事実であったなら、その事実に応えて安倍晋三の便宜供与や政治的関与、口利きをも事実としなければならない関係にあることから、完全否定で一刀両断しなければならないにも関わらず、完全否定した後で事実だと証明された場合の無きにしもあらずの危険性を想定して完全否定もできない代わりに一歩も二歩も下がった信憑性(信用の度合い)の問題としているからである。

 その上、もし文科省と農水省が獣医師がその需要に対して供給過多となっている状況にあることから獣医師の養成を抑制する方針を長年の間取っていたことに対して加計学園獣医学部新設がこの方針に反する政策だということを押さえていたなら、「10月頃にですね、突然何か私が説明するということではありません」という発言は意味を持たないことになるはずだが、萩生田自身は文書否定の意味を持たせている。

 萩生田光一官房副長官辺りが安倍晋三の意向を受けて、それを官邸の意向だとして動かなければならない立場にあったはずだ。

 宮崎岳志は質疑最初に義家弘介を問い質していたが、文書題名【10/4義家副大臣レク概要】について再度質問を振り向けた。

 宮崎岳志「この文書の中に10月4日というものがございます。【10/4義家副大臣レク概要】、ここで義家大臣が『私が萩生田長官のところにちゃんと調整してくれと言いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ』

 2個目が『斎藤副大臣に農水省が需給部分、ちゃんと責任を持ってくれないと困るよ、話した際には何も聞いていない。やばい話じゃないか』という反応があったとき、こういう文章です、10月4日にこの問題について役所の方々から義家大臣はレクを受けたでしょうか」

 「レクを受けたでしょうか」ではなく、「レクを受けたというのは事実ですか事実ではないですか」と問わなければならないはずだ。言葉自体の強さが違ってくる。言葉の強さは追及しようとする態度の強さに関係してくる。

 義家弘介「レクは随時受けておりますし、指示は随時出しております」

 「レクを受けたというのは事実ですか事実ではないですか」と問わないから、こういった答弁を許すことになる。

 宮崎岳志「10月4日にレクを受けたということで宜しいですね」

 義家弘介「あの10月4日のレクはあったかどうかは確認できておりませんが、私自身は担当部署からレクを受け、指示を出しているということであります」

 宮崎岳志「『確認できておりません』、確認してくださいという質問通告なんですから。確認したら、分からなかったという意味でなんしょうか。確認していないという意味なんでしょうか。どっちなんでしょうか」

 事実かどうかに絞った質問でないから、こういった堂々巡りに陥る。但し偶然が幸いして、事実かどうかを確認する金鉱脈にぶち当たるが、それが金鉱脈だとは気づかなかった。

 義家弘介「そもそもこの文書が事実の文書であるかどうか、分からないわけでありまして、事実であるかどうか分からない文書で仮に、じゃあ、私がこれを指示をしたとしましょう。

 しかし私自身、こういう指示をしました、これはこの文書で宜しいですねという決済さえしていないわけですね。つまり何月何日何時に何を言ったかということ、これ正式な、そもそも私が副大臣レクで私の発言だったとしても、正式な文書でも何でもないわけですね。

 仮に私がこう言ったとしても、様々な指示は、特にこういうときは連日のようにお話をして、連日のように指示を出しているところでございまして、この文書、あるいはこの指示に基づいてこのときレクがあったかどうかは、連日のようにほぼ連日のように話はしていたんで、あったかもしれないし、しかし一方なかったかもしれないし、この文書は正式な文書ではないということであります」
 
 支離滅裂な釈明となっている。

 義家からしたら、文書が事実ではないガセネタに過ぎない場合は完全否定しなければない立場にあるはずだが、完全否定ではなく、「そもそもこの文書が事実の文書であるかどうか、分からない」という言葉で事実は不明としていることは萩生田光一が「文書の信憑性について疑問を持っている」と言っていることと意味は同じで、完全否定できない状況に置かれている、いわば逆に文書が事実だからに他ならない。

 また、「正式な文書でも何でもない」からと言って、文書が事実ではないという証明とはならない。逆に正式な文書であったとしても、事実ではない、虚偽の文章というものもいくらでもある。

 「決済さえしていないわけですね」と言っているが、決済がないからと言って、文章が事実でない証明ともならない。

 卑しくも副大臣でありながら、答弁に合理性を持たせることができずに支離滅裂となっている点が文章が事実であることを証明することになる。

 ところが宮崎岳志の方も支離滅裂な質問をすることになった。

 宮崎岳志「文書の信憑性について確認したいから、質問しているんじゃないですか、私の方はね。

 ですから、10月4日はそういうことがあったんですかということを聞いていて、この文書の内容は本当ですかということは聞いていないですよ」

 宮崎岳志のこの発言に文書に書いてあることは事実か事実ではないかで押していく強い姿勢の不在を象徴的に表している。その結果として義家弘介も萩生田光一も本人が気づかなままに暗黙の内に文書がホンモノだと言っていることに気づかないことになった。

 当然のことだが、「該当する文書は確認できなかった」としている文科省の調査結果はまともに調査を行わずに出したインチキな答えとなる。

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テロ等準備罪:産経が言うようには野党追及の「一般人も捜査」は言葉遊びなのか、記事の方が言葉遊びなのか

2017-05-18 10:59:03 | Weblog

 「テロ等準備罪」とは組織的犯罪集団の構成員がテロその他の特定の犯罪の実行に関する計画を立て、その計画に基づいて実行の合意がなされ、合意に基づきテロその他の犯罪実行の準備行為がなされた段階で取締り・逮捕を可能とし、処罰することができる。

 警察側は犯罪実行の合意から犯罪実行の準備行為までのすべての段階を一貫して把握していなければならない。最悪、犯罪実行の準備行為の段階に至っていたとしても、武器や爆弾等の準備を把握することができなければ、テロその他の犯罪実行前に逮捕できない。

 これらを可能とするのは監視である。警察が疑わしい人物と接触して行う一般的な捜査ではないはずだ。殺人事件が起きてから、警察は第一段階として殺害された人物の関係者と接触して聞き取りや聞き込み等の捜査を行って疑わしい人物を特定し、その人物と接触して任意の事情聴取等の捜査をする。殺人犯は疑われたからと言って、逮捕を逃れるために殺人を元に戻すことはできない。

 例え取調べの段階か裁判の段階で巧妙に言い逃れて容疑事実を晴らしたとしても、殺人という事実そのものは元に戻すことはできない。その事実を巧妙に隠して容疑事実を晴らすこと自体は殺人事件の検挙率は95%程度、裁判での有罪率は99%程度だそうだから、一旦警察の取調べを受けたなら、至難の業ということになる。

 逃れるためにできることは逃亡か自殺くらいとなるが、殺意事件の時効が撤廃されている現在、逃亡完遂も至難の業となる。

 組織的犯罪集団が犯罪を計画し、合意を経た段階で犯罪集団の一員の誰であっても、警察の事情聴取等の接触を受ける形で捜査された場合、計画書や合意書が存在していたなら、先ずは証拠隠滅を謀って、計画と合意を元に戻すことも可能である。

 いわばなかったことにすることができる。

 武器や爆弾等を集めて犯罪実行の準備行為の段階に達していたとしても、犯罪集団の誰か一人でも警察の事情聴取等の接触を受ける形で捜査された場合、武器や爆弾等を集めてある現場を押さられなければ、それらを別の場所に隠すことで犯罪の計画そのものを元に戻すことも可能である。

 当然、警察は組織的犯罪集団がテロ等の犯罪を計画し、集団のメンバー全員がその計画に合意し、合意後に準備行為に移行する、それら各段階の各事実を把握するための疑わしい人物と接触して行う聞き込み等の一般的な捜査は犯罪事実を元に戻されてしまう危険性が生じるためにできないことになる。

 非接触型の盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の監視こそが組織的犯罪集団に気づかれず、知られず、犯罪実行の計画や合意、準備行為を掴む有力な捜査方法となる。
ことが可能となる。

 但し当然の勢いとして、警察が組織的犯罪集団と疑ったメンバーと交渉のあるメンバー以外の人物も盗聴、盗撮、張り込み等の監視の対象となる。メンバー以外の人物が果たして単なる一般人かどうかを判定するためにも監視は必要となるし、例え一般人と判定できたとしても、一般人が本人の知らないままに連絡役にされることなどザラにあることだから、一般人と判定後も犯罪集団の活動と無関係かどうかを識別するためには監視を続けなければならない。

 最初は尾行という監視から入って家族構成、勤務先、職業、思想傾向、過去の活動等々の身辺調査を知らない間に受けることになる。

 だが、政府側の国会答弁は一般人は捜査の対象外が決まり文句となっている。以下の新聞記事は政府側答弁に組みした内容となっているだけではなく、「一般人も捜査」だと野党が追及していることを「言葉遊び」だと一刀両断している。果たして矛盾はないだろうか。

 《【テロ等準備罪を考える】「一般人も捜査」は野党の「言葉遊び」》産経ニュース/2017.5.15 21:34)  

 一般人は捜査対象に100%ならないのか-。「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法の改正案をめぐり、野党が国会でこんな質問を繰り返している。テロ組織や暴力団など組織的犯罪集団に対象を限定しているものの、一般人に対する刑事告発の場合、「捜査しなければ、嫌疑があるかないか分からないのではないか」(民進党・逢坂誠二衆院議員)というのだ。
 これに対し、検察幹部の一人は「言葉遊びだ」と、ため息交じりで話す。告訴・告発が捜査機関に持ち込まれ受理されると、嫌疑の有無を確認することになる。嫌疑が不十分であったり、嫌疑が全くなかったりすれば、さまざまな事情を考慮して検察官が不起訴にし、具体的な嫌疑があれば、本格的な捜査に着手するという流れだ。

 検察幹部は「嫌疑があるかどうか確認するのも捜査と言うことがあるが、それは嫌疑を前提としないから実質的な捜査ではない」と指摘する。もし一般人がテロ等準備罪で告発されれば、一時的には被告発人として嫌疑の有無を確認することになる。だが、一般人である以上、それは容疑者としての捜査ではない。

 逮捕や家宅捜索などの強制捜査も捜査なら、嫌疑の有無を確認するだけでも捜査。同じ用語ではあるが、内容は全く別物だ。にもかかわらず、「一般人は捜査の対象外」とする政府見解に対し野党は、告発された場合は「捜査対象になるではないか」と主張して「言葉遊び」をしているのだ。

 テロ等準備罪は「組織的犯罪集団であることの立証ハードルは高く、指揮命令系統や任務分担の立証をしなければならない」(法務省幹部)ほど構成要件が厳格化されている。一般的な社会生活を送る国民の中に、そのような集団に所属し、かつ任務を分担されている人がいたとして、「何らかの嫌疑がある段階で、一般の人ではないと考える」(盛山正仁法務副大臣)のはごく自然のことである。(大竹直樹)

 ここで言っている「被告発人」とは警察に対して告発を受けた容疑者ということになる。

 検察幹部「嫌疑があるかどうか確認するのも捜査と言うことがあるが、それは嫌疑を前提としないから実質的な捜査ではない」

 「嫌疑」とは「犯罪の事実があるのではないかという疑い」を言う。一般の人から、「あの人は何人かの人と集まって何か悪巧みを働いているのではないのか」と警察に訴えがあったとする。

 検察幹部が言っていることは、訴えを受けた警察は犯罪の事実を前提とした、いわば特定の犯罪を行った、あるいは行おうとしている容疑者(警察に犯罪の疑いをかけられた者)としての捜査ではなく、犯罪の事実の有無を確認する、いわば特定の犯罪を行った、あるいは行おうとしている容疑者とし得るかどうかの取調べだから、「実質的な捜査」ではなく、過去形・未来刑の犯罪の有無を確認できた段階以降、「実質的な捜査」となると言っていることになる。

 このような経緯を以って「一般人である以上、それは容疑者としての捜査ではない」と言っているのだろう。

 但しこの経緯は一般人に限らないはずだ。ある集団を構成しているからと言って、そのメンバーを最初から特定の犯罪を計画し、メンバーが相互に合意している、あるいは準備行為を行っていると決めつけて容疑者の境遇に置き、最初から「実質的な捜査」を開始できるものではないはずだ。

 計画と合意、準備行為の確認から入らなければならない。

 だが、上記記事が「テロ等準備罪」の文脈での内容となっている以上、一般人であろうと組織的犯罪集団であろうと、テロ等の特定の犯罪を行おうとしている容疑者か否かを確認するだけであっても、接触型の聞き込み等の事情聴取といった一般的な捜査は証拠隠滅の危険性が生じるために用いることができず、非接触型の盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の監視の対象としなければならないことになる。

 となると、〈逮捕や家宅捜索などの強制捜査も捜査なら、嫌疑の有無を確認するだけでも捜査。同じ用語ではあるが、内容は全く別物〉であろうとなかろうと、非接触型の監視が容疑者か否かを分けることになるという一点に於いては何ら変わらないことになる。

 当然、〈一般人は捜査の対象外」とする政府見解に対し野党は、告発された場合は「捜査対象になるではないか」と主張して「言葉遊び」をしている〉という非難は当たらない。

 記事が法務省幹部の声を伝えて、「指揮命令系統や任務分担の立証をしなければならない」ゆえにテロ等準備罪は「組織的犯罪集団であることの立証ハードルは高く」と言っていることは、立証が非接触型の監視に依拠することになるから、当然中の当然だが、だからと言って、繰返しになるが、織的犯罪集団と疑ったメンバーと交渉のあるメンバー以外の人物が一般人だと分かったとしても、織的犯罪集団から知らない間にどこでどのような役目を担わされるか、あるいは担わされているか分からないゆえに犯罪集団と無縁の純粋な一般人だと明確に判明するまでの間は非接触型の監視を免除できない点は同じであるはずだ。

 となると、〈一般的な社会生活を送る国民の中に、そのような集団に所属し、かつ任務を分担されている人がいたとして、「何らかの嫌疑がある段階で、一般の人ではないと考える」(盛山正仁法務副大臣)〉、いわば一般人か犯罪集団のメンバーかの区別がついたとしても、区別がつくまでは盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の非接触型の監視から入って家族構成、勤務先、職業、思想傾向、過去の活動等々の身辺調査を知らない間に受けることになる点についても変わりはないことになる。

 検察官部にしてもこの記事にしても、テロ等準備罪立証の重要要件である監視を抜きに野党の国会追及を捜査の違いを論って「言葉遊び」だと非難する。どちらが「言葉遊び」なのだろうか。

 立証のハードルが高いこととテロ等の重大犯罪を実行前に取り締まることができずに発生させてしまった場合の非難を恐れて、警察は“疑わしきは罰せず”ならぬ、無闇矢鱈と“疑わしきは監視”へと走りかねない。監視社会出現の予感がする。

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安倍晋三の「読売新聞を読め」は一応成功しているが、自民憲法改正案が国家主義を纏っていることに変化なし

2017-05-16 09:11:06 | Weblog

 安倍晋三が憲法記念日の2017年5月3日都内開催の「公開憲法フォーラム」に憲法9条の1項と2項は手を付けずに合憲性を示すために自衛隊を明文化する内容のビデオメッセージを送った。

 そのことは同日付読売新聞朝刊にも安倍晋三のインタビュー記事として載ったということである。自衛隊明記については9条1項、2項の後に9条の2を設けて、そこに書き込むということが述べられているらしい。

 2017年5月8日の衆院予算委員会で民進党議員長妻昭がその真意について質問すると、安倍晋三は自民党総裁として述べたもので内閣総理大臣として述べたものではないとの趣旨で答弁を拒否し、挙句の果てに「自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読して頂いていいと思います」と答弁、野党は安倍晋三のこの態度を国会軽視だと問題視した。

 安倍晋三はビデオメッセージで次のように述べている。

 先ず、「憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是」だと言い、「その歴史的使命を果たしたい」なといったことを前置きしてから、自衛隊について「災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしてい」て、「国民の信頼は9割を超えてい」ること、だが、「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在して」いることなどを理由に挙げて、「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」(「日経電子版」)という憲法改正の考え方を示し、施行時期を五輪・パラリンピックが開催される2020年に置いた。  

 自衛隊に対する「国民の信頼は9割を超えている」と言っていることについて2017年5月5日の当「ブログ」に、〈その9割の多くは災害救助活動の自衛隊についてであって、戦争する自衛隊に対してではない〉と書いて、その根拠として世論調査を挙げた。         

 世論調査は国内外の災害救助活動に対する期待値は高いが、戦争に関係する質問項目についての回答はおしなべて低い数値となっている。

 だが、自身の憲法改正の考え方を示すとき、災害救助の点で広く市民権を得ている自衛隊に言及し、施行時期を国民の多くが心待ちしている2020年の東京オリンピック・パラリンピックに置いたのは9条自衛隊明記に対する国民の抵抗感を薄めて、自身の改正意思を受け入れやすくする狙いからだろう。

 高等教育の無償化を憲法に盛り込むとしたことも、憲法改正に対する国民の抵抗を薄める役目を持たせていたはずだ。なぜなら、9条を如何に扱うかが焦点であって、高等教育の無償化は焦点を微妙にずらす効能なきにしもあらずだからだ。

 9条の1項と2項に手を付けないというのも同じく国民の抵抗を薄める狙いからの提案であるはずだ。なぜなら、自民党憲法改正草案は9条の1項の戦争放棄(「国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」)は現憲法のままだが、現憲法2項の戦力不保持と交戦権の否認は削除し、自衛権の発動を認め、9条の2を付け足して、国防軍の創設を謳っている。

 国防軍を用いた自衛権の発動による戦争が9条1項の「武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」戦争放棄とどう考えても整合性を持ち得るとは思えないが、そこに整合性を置くことができるのは戦争放棄はタテマエで、実際は自衛権の発動を優先させることにしているからだろ。

 その第一歩が安倍晋三の新安保法制による集団的自衛権の行使容認であり、最小限の武力行使を付与した自衛隊の海外派遣であったはずだ。

 だが、9条1項と2項に手を付けなくても、9条の2を設けて自衛隊を明文化することに成功すれば、自衛隊が憲法違反だと誰もが言うことができない状態にすることができて、憲法に例え国防軍の創設を謳わずとも、新安保法制で如何ようにも自衛隊を駆使できる。

 要するに自衛憲法改正草案が9条1項の戦争放棄は手を付けずに2項を削除、自衛権の発動を認め、国防軍の創設を謳っている9条に関わる憲法改正の考え方と安倍晋三の9条1項と2項は手を付けずに9条2を設けて自衛隊の合憲性を明文化する9条に関わる憲法改正の考え方とは軌を一にしていることになる。

 そしてこの安倍晋三のビデオメッセージと新聞インタビューで発信した9条改正の考え方が一応成功していることは安倍発言後の新聞の世論調査に現れている。

 「読売新聞」の5月12日~14日世論調査。    

 「自衛隊の根拠規定を追加する考えに賛成か否か」

 「賛成」53%
 「反対」35%

 「施行時期2020年とすることについて」

 「賛成」47%
 「反対」38%

 「産経・FNN合同世論調査」の5月13、14日実施の世論調査   

 「自衛隊の明文化」

 「賛成」55・4%
 「反対」36・0%

 「施行時期2020年とすることについて」

 「評価する」46・9%
 「評価しない」46・9%

 「NHK」の5月12日~14日世論調査。

 「憲法を改正して2020年の施行を目指す意向についての評価」

 「大いに評価する」10%
 「ある程度評価する」34%
 「あまり評価しない」25%
 「まったく評価しない」20%

 「自衛隊明記についての賛否」
 
 「賛成」32%
 「反対」20%
 「どちらとも言えない」41%

 これ以前の各新聞の戦争放棄や戦力不保持を明記した憲法9条改正についての賛否を問う世論調査では賛成に対して反対が上回る傾向にあったが、安倍晋三の9条の1項と2項は手を付けずに9条に2を設けて自衛隊を明文化する改正案を示してからの上に示した世論調査は反対が賛成を上回っている。

 安倍晋三が自民党総裁として憲法改正の考え方をビデオメセージと新聞インタビューで示し、国会では総理大臣の立場からの発言ではないからと答弁を拒否したことは一応成功していると見なければならない。

 だとしても、自民党憲法改正案は「前文」で、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と規定している。

 以前にもブログに何度か書いたが、「戴く」という言葉はそれが地位上の存在に対して言うとき、「崇め(あが)仕える」という意味を持つ。

 自民党憲法改正草案は「第1章天皇 第1条」で、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定して、天皇を「元首」の地位に置いているが、国民主権と言いながら、この「元首」は国民が天皇を「戴く」(=「崇め(あが)仕える」)関係、天皇を上に置き、国民を下に置いた「元首」と言うことになる。

 例え改正憲法で現憲法通りに国民主権を謳い、基本的人権の保障を謳っていたとしても、自民党や保守の面々が憲法の背後に見えない形で天皇と国民を上下の関係に置き、そのような考えに基づいて改正した憲法ということになら、国民主権も基本的人権も憲法が保障する形式ではなく、天皇が保障する形式を取ることになる。

 天皇に対するこのような存在形式は戦前の大日本帝国憲法に於ける天皇の存在形式を限りなく薄めているが、考えている上下関係は本質のところでさして変わりはない。

 天皇を特別な存在として国家を代表させ、国民の上に置く考え方は個人よりも国家を上に置く国家主義の考え方に他ならない。

 安倍晋三が狙う改正憲法が自民党憲法改正草案通りの前文と天皇元首の形を取るところまでいかなくても、安倍晋三自身が天皇主義者であり、国家主義者であることに変わりはないから、その改正憲法が国家主義ばかりか、天皇主義を纏った憲法となることを必然視しなければならない。

 単に9条1項と2項を手を付けずに9条に2を設けて自衛隊を明文化するだけでは片付かない安倍晋三の憲法改正意思だということに他ならない。

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第1次安倍内閣構想、麻生内閣下導入のふるさと納税は所詮アベノミクス連動の格差拡大アイテム

2017-05-15 11:27:38 | 政治

 ふるさと納税は第1次安倍内閣下(2006年9月26日~2007年9月26)で構想され、「所得税法等の一部を改正する法律案」が第1次安倍内閣後継の福田内閣下(2007年9月26日~2008年9月24日)の2008年1月23日に国会に提出され、4月30日に可決・成立し、同日公布・施行されたが、ふるさと納税に関わる部分は麻生内閣下(2008年9月24日~2009年9月16 )の2009年4月1日施行。但し2008年1 月1 日以降に支出された寄附金については適用を受けた。

 「総務省 ふるさと納税ポータルサイト よくわかる ふるさと納税」  
 〈「納税」という言葉がついているふるさと納税。

 実際には、都道府県、市区町村への「寄附」です。

 一般的に自治体に寄附をした場合には、確定申告を行うことで、その寄附金額の一部が所得税及び住民税から控除されます。ですが、ふるさと納税では原則として自己負担額の2,000円を除いた全額が控除の対象となります。〉

 ふるさと納税は総務省のサイトにこのように紹介されている。

 実際には「所得税の控除」に関わる計算や住民税(基本分)に関わる計算があり、その計算では全額が控除対象とならないが、特例分としての住民税の計算を加えると、〈原則として自己負担額の2,000円を除いた全額が控除の対象〉となる仕組みだという。

 こういうことだと思う。所得税と住民税それぞれの納税額が2000円以上となる場合は確定申告という面倒を厭わずにまめったくふるさと納税として特定の地方自治体に寄付をすれば、納税額から2000円を差し引いた全額が控除の対象となる。

 ふるさと納税した納税者は規定の全額が控除の対象となるばかりか、納税という形で寄付した自治体から謝礼として返礼品を受け取ることができる。その土地土地の水産物や農産物等の名産品であったり、あるいはその土地の大手製造業が製造する有名品であったり、その土地の有名品ではなくても、返礼品として利用する自治体もある。

 例えば静岡県磐田市はヤマハ株式会社がヤマハ発動機と電子楽器等の製造工場を、河合楽器がピアノ製造工場を抱えている地の利を生かして、10万円以上のふるさと納税に対してヤマハエレキギターを、70万円前後以上の寄付に対してヤマハの各種バイクを、120万円以上の寄付に対してカワイアップライトピアノといった具合の返礼の仕組みで寄付を募っている。

 納税者側からしたら、高額の物で欲しいものがあったなら、カネを使わずして手に入れることができる。

 あるいは多額納税者の場合は寄付をする自治体を幾つかに振り分けて寄付することで、その数の自治体からその土地の農水産品、その他の特産品を手に入れることができ、節税だけではなく、その分の生活費をカネを使わずして節約することができる。

 中には手に入れた高額な返礼品をネットや中古品販売店に新品として持ち込んで、実際の価格に遜色ないカネで売りさばくケースもあるというし、返礼品が商品券の場合は金券ショップで何割引きかで売り捌く例もあるという。

 ふるさと納税がこういった仕組みで利用することができること自体が既にカネがカネを生む、高額所得者により有利な錬金術の構造となっている。

 平成26年1月1日から12月31日までの1年間の「平成27年調査」による所得税と市県民税免除の100万円未満の世帯は6.4%。2015年の国勢調査に於ける日本の世帯数5340万世帯でその6.4%は約342万世帯、2016年の1世帯平均人数は2.49人となっているから、約852万人がふるさと納税というカネがカネを生む錬金術の場外に置かれていることになる。     

 場外に置かれずとも、所得が低くなるに比例して、手に入れることができる節税を含めた生活費節約の機会と機会に応じた節約金額が少なくなることになる。

 高額所得者になる程にカネがカネを生む錬金術の恩恵に浴し、その一方で浴すことのない大勢の人間がいる。

 この格差はふるさと納税が、アベノミクス自体が格差ミクスとなっていることに連動した格差拡大のアイテムに過ぎないということであろう。

 各自治体がふるさと納税を高額な物で釣る競争に走って過熱化し、返礼品の金額が高くなり過ぎたことで総務省が既に2016年4月に「資産性の高いものや高額な返礼品」などを自粛するよう通知を出していたが、一旦競争に参戦すると、加熱状態だと分かっていても、競争から抜けた場合の寄附金額が減ることを恐れて、なかなか抜けることができなくて、総務省の通知はさして効果はなかったのだろう、総務省が今度は返礼品の額を寄付金額の3割以下に抑えるよう要請する方針を検討し始めたとマスコミが伝えていた。

 例え返礼品を寄附金額の3割に抑えたとしても、カネを持っている者たちが返礼品の種類と金額を見比べて納税先の自治体を幾つにも振り分けて、それぞれに決めた金額別に寄付をする遣り方で錬金術にせっせと励みさえすれが、ふるさと納税が自己負担額の2,000円を除いた全額が控除の対象となる仕組みとなっている以上、高額所得者程節税の金額が大きくなるばかりか、返礼品が生活費節約の恩恵を与えるカネがカネを生む錬金術の構造を取ることに変わりはない。

 当然、カネを持っている者たちは錬金術にせっせと励むに違いないし、せっせと励みたくなる性格のふるさと納税となっている。

 大体からしてふるさと納税は各自治体間の税源の偏在是正とふるさと納税による寄付金を地方創生の手段とすることなどを目的として設けられたと言うことだが、返礼品の種類や金額によって寄付が多く集まる自治体と集まらない自治体の格差が生じているという。

 一説によると、ふるさと納税の多い自治体と少ない自治体とでは年間最大70億円もの税収格差が生じているという。

 かくしてふるさと納税はアベノミクスは格差ミスクの時代にふさわしく、格差拡大のアイテムであり続ける。

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安倍晋三の自民総裁としての憲法改正発言だからと国会答弁拒否は党の議論をコントロールするための高等戦術

2017-05-14 11:55:02 | Weblog

 高等戦術かどうかは事の経緯を見れば一目瞭然となる。 

 先ず事の発端は安倍晋三が憲法記念日の2017年5月3日都内開催の「公開憲法フォーラム」に送った自身の憲法改正案を示すビデオメッセージと同日付読売新聞朝刊に載った安倍晋三の同じ憲法改正に関わるインタビュー記事。

 内容は憲法9条の1項と2項は手を付けずに3項に合憲性を示すために自衛隊を明記するというもの。

 次に5月3日と共に5月4、5、6、7と休日に合わせて国会は審議未開催で、5月8日の衆院予算委員会で民進党議員の長妻昭が安倍晋三に対して説明を求めた。 

  長妻昭「次に自衛隊についての問題ですが、私は唐突感があったわけですけれども、2020年までに新憲法施行と、いうふうに仰ったわけですけれども、これの真意を教えて頂ければと」

  安倍晋三「私はあの、この場には内閣総理大臣として立っているわけでございまして、えー、予算委委員会はですね、政府に対する質疑という形で議論が行われる場であろうと、こう思うわけでありますが、各党が憲法について議論する場が設けられているのは、これは憲法審査会であろうと、このように考えているわけでありまして、ま、そこでご議論頂きたいと、こう思う次第であります。

 で、一方で私が今回第19回の『公開憲法フォーラム』に於けるビデオメッセージ等を通じて自民党総裁としてのですね、憲法改正についての考えを公にしたしたもので、国会に於ける政党間の議論を活性化するもので、ま、ございます」

 要するに自民党総裁としての憲法改正の考え方であって、総理大臣としての憲法改正の考え方ではないから、国会での質疑に応じることはできないと答弁拒否に出た。

 長妻昭が繰返し説明を求めたが、安倍晋三は同じ答弁の繰返しで応じない姿勢を崩さなかったが、長妻昭がなお食い下がると、業を煮やしたのか、長妻昭に同じ質問を諦めわせるためなのか、次のように答弁して、却って油に火を注ぐ結果となった。

 安倍晋三「あの、繰返しを言うんですが、私はここは内閣総理大臣として立っており、いわば私は答弁する義務はなく、内閣総理大臣として義務を負っているわけでございます。自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読して頂いて(激しいヤジ)、いいと(思います)、自民党・・・・・・、ちょっと静かに、静かに、静かにして頂かないとですね。

 それはそこ(読売新聞)に、いわば党総裁としての考え方はそこで知って頂きたい。ここ(国会)で党総裁としての考え方は縷々述べるべきではないというのが私の考え方でありますから、そこは是非、そこ(読売新聞)で、いわば自民党総裁としては知って頂きたいと。あるいはまたビデオで、これはビデオで述べているわけでございます」

 ビデオを見ようと、読売新聞のインタビュー記事を熟読しようと、自衛隊に対する考え方や憲法9条に対する思いが安倍晋三と異なる側からしたら、それが正しい考え方なのかと追及し、説明を求めなければならない。

 異なるとする考え方に共通の考えを持つのは何も国会議員だけではなく、国民の中にも多く存在する。異なる考えの国会議員は共通の考えを持つ国民の意思を代弁して説明を求める責任も有する。

 いわば安倍晋三は国会という場で説明することが考えが異なる側のみならず、国民に対する説明となって、一国のリーダーとしての説明責任を果たし得る。大体が国会は与野党議員の質問に応じる場であると同時に国民に対する説明の場でもある。

 例え自民党総裁としての発言であったとしても、同一人物である総理大臣と憲法改正についての考え方が異なるというわけではないから、自民党総裁になり代わって説明しても不都合は生じない。

 だが、質問議員に対する説明に応じないだけではなく、国民に対する説明責任にも応じないのは自民党総裁になり代わって説明した場合に安倍晋三の中に不都合な事情が生じることになるからで、それを避けるための拒否姿勢と見なければならない。

 余程の不都合な事情であるのは長妻昭が衆院予算委で安倍晋三に説明を求めた日の翌日の2017年5月9日の参院予算委で民進党代表の蓮舫が同じ質問で迫ったにも関わらず、衆院予算委のときと同じ答弁に終止したことからも窺うことができる。

 蓮舫と安倍晋三の遣り取りを「産経ニュース」が伝えているから、そこから関係個所を引用してみる。    

 蓮舫「総理・総裁は同一人格であり、考えは同じです。読売新聞では一方的に気持ちよく改憲の思いを話して、国会では話さない。なぜ使い分けるのですか。なぜたった一つの読売新聞だけで答えて、国会議員も国民も総裁の僕の考えを聞きたいんだったら、読売新聞を熟読してくれ。国会を何だと思ってるんでしょうか」

 安倍晋三「既にですね、縷々ご説明させていただいたところでございますが、ここに立っているのはですね、内閣総理大臣として立っているわけでございます。一方私は自民党の総裁という役割を担っているということは、ご承知の通りなんだろうと。いわば内閣として…(ヤジ)あの、今、少しおとなしく」

 山本委員長「静粛に願います!」

 安倍晋三「おとなしくしていただけないとですね」

 山本委員長「答弁中だから! 静粛に願います」

 安倍晋三「冷静な議論ができないと、こう思うわけですが。よろしいですか皆さん。そこでですね、そこでまさにこれは憲法審査会において各党各会派が提案を持ち寄ってそこで議論を深めていくべきだろうと思います。そこに持っていく、私の基本的な考え方を述べたものであって、自民党の草案とは違うわけでありますから、自民党の今までとの草案との違いも含めてですね、党で議論をしていただきたいと。こういう思いで述べたわけであります」

 蓮舫「政府与党一体の議院内閣制で、総理・総裁を使い分けるというのはあまりにも私は二枚舌だと思っています。自民党総裁として語ったというのならば、なぜ取材を首相の執務室、首相官邸で受けたんですか」

 安倍晋三「それはですね、首相としてですね、日々対応しなければいけないことが起こるわけでありますから、それはそういうことが当然あるわけであります。党の役員に、自民党の総裁室ではなくて、総理執務室で会うこともあるということでございまして、どうか蓮舫議員にもこういうことではなくて、外形的なところではなくてですね、中身についてぜひ党の案をですね。(ヤジ)党の案についてですね」

 山本委員長「答弁中です」

 安倍晋三「皆さん、そんなエキサイトしないで。今、みなさんそんなエキサイトしないでですね、今、私は答弁の最中なんですから、最後まで聞いて、批判があれば質問の形で批判していただければと、こう思うわけでありまして、よろしいですか?議論するのであれば、皆さんの案をですね、憲法審査会に出していただいて、と、私は従来ずーっと申し上げているわけでありまして、そこでご議論をいただきたいと。

 これですね、国民の皆さん、ずーっと皆さんが並んで私にヤジを浴びせているわけでありまして。これはですね、こんなにですね皆さん、そんなにエキサイトするよりもですね、私が申し上げた通り、これから自民党として、憲法審査会に提出をする、憲法調査会に自民党として提出をする中身について議論をするわけでございます。ですから、御党におかれましてもですね、どうか中身について議論をしていただき、憲法審査会に考えをまとめて提出していただきたいと、思っているところでございます」(以上)

 蓮舫は「総理・総裁は同一人格であり、考えは同じです」と言っているが、役目が異なれば、役目上の人格は必ずしも「同一人格」というわけではない。役目、役目に応じた人格を発揮することになる。

 会社経営者が家庭では優しい父親としての人格を見せていても、会社では暴君一辺倒の人格を見せると言うこともあり得る。

 但し憲法に関する考え方は国家という大枠に関することだから、同じでなければならない。役目が違うからと言って、国家の把え方が違うとなったなら、頭の中に二つの国家を存在させていることになる。

 蓮舫は5月8日の衆院予算委員会での長妻昭と同じく、あくまでも自民党総裁としての憲法の考え方であっても、総裁と総理大臣を使い分けて国会で説明しないのはおかしいとする追及に拘り続けた。

 安倍晋三は5月8日の衆院予算委員会でもそうだったが、総理大臣としての憲法の考え方については国会で答える義務はないとする一方で、ここでも憲法に関する議論は憲法審査会で行うべきだとする主張に終始した。

 と言うことは、国会で質問議員に対する説明に応じた場合に、あるいは質問議員に対する説明を通して国民に対する説明責任にも応じた場合に生じる不都合な事情とは、応じることが憲法審査会の議論に何らかの影響が及ぶ懸念と見なければならない。

 安倍晋三は自民党総裁として発信した憲法改正の考え方と憲法審査会の議論との関係について次のように答弁している。

 安倍晋三「これ(憲法に関する議論)は憲法審査会において各党各会派が提案を持ち寄ってそこで議論を深めていくべきだろうと思います。そこに持っていく、私の基本的な考え方を述べたものであって、自民党の草案とは違うわけでありますから、自民党の今までとの草案との違いも含めてですね、党で議論をしていただきたいと。こういう思いで述べたわけであります」

 言っていることは、自民党の憲法改正草案と安倍晋三自身の憲法改正の基本的な考え方とは違うから、その違いを含めて双方を自民党で議論して纏めて貰いたいという思いで自民党総裁として憲法改正の考え方をビデオメッセージと読売新聞のインタビューで述べたわけだという意味になる。

 勿論、各党が改正案を纏めた後に憲法審査会が控えているのだから、各党が纏めた考えを叩き台として与野党が議論し合って、最終的に改正案を決定するというプロセスを踏むことになる。

 但しである、衆議院憲法審査会は50人の委員で組織され、自民党が31名、民進党が10名、公明が4名、共産が2名、維新が2名、社民が1名で、自民党だけで既に圧倒的多数を占めるばかりか、与党の片割れ公明と憲法改正に熱心な維新を加えると、話にならないくらいの勢力図となる。

 参議院憲法審査会は45人で構成され、各党何名ずつかわざわざ数えなかったが、勢力図の傾向は変わらないだろう。基本的には自民党の改正案が賛成多数で通ることになる。

 と言うことは、憲法審査会で議論することになる自民党改正案に安倍晋三が自民党総裁としてビデオメッセージと読売新聞のインタビューで述べた憲法改正に関わる案が含まれるかどうかにかかってくる。

 そのための第一歩がビデオメッセージと読売新聞のインタビューと言うことだったのだろう。

 安倍晋三2017年5月12日午後、党憲法改正推進本部の保岡興治本部長と党本部で会談して、9条への自衛隊の根拠規定明記や教育無償化等の検討を含めて衆参両院の憲法審査会に提案する自民党案の取り纏めを急ぐよう指示したと2017年5月12日付「時事ドットコム」記事が伝えている。  

 これが憲法審査会で議論することになる自民党改正案に自身の改正の考え方を含めるための第二歩と言うことなのだろう。

 ここにビデオメッセージや新聞インタビューで発信するのはなく、保岡興治と会談して伝えれば済むことではないかという疑問が生じるが、譲ることのできない儼然とした決意、あるいは意思表示であることを見せる必要から、憲法の考え方は総理大臣と変わりはないことは誰もが暗黙の了解事項としていることを前提に自民党総裁名で公にしたということであろう。

 自民党憲法改正草案は9条の1項の戦争放棄は現憲法のままだが、現憲法2項の戦力不保持と交戦権の否認は削除し、自衛権の発動を認め、9条の2として、国防軍の創設を謳っている。安倍晋三は自衛隊という名とその歴史に拘っているようだ。

 国防軍創設となった場合、自衛隊は国防軍の前身として扱われることになり、自衛隊の歴史が断ち切られることになる。

 安倍晋三の思惑で憲法改正に持っていくための第一歩以降第二歩に持っていくまでの間にその思惑を誰がどう批判しようと、思惑のまま維持できるが、下手に批判に応じて発言した場合、思惑が変質して受け取られたり、思惑に矛盾が生じて綻びたりする危険性が生じて、そうなった場合、憲法審査会での自民党案に思惑通りに潜り込ませることに支障が生じかねないことになる。

 どのような小さな危険性でも避ける最大の安全運転は憲法審査会に自身の思惑をそっくりそのままに自民党案として持ち込むことにあるはずだ。

 いわば自民党総裁としての発言であって、総理大臣としての発言ではないからと国会での答弁を拒否したことは、それが国民に対する説明責任の不履行となったとしても、自身の改正の思惑を憲法審査会に自民党の改正案として持ち込んで議論させるよう、前以ってコントロールするための高等戦術だったはずだ。

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安倍晋三の「世界女性サミット」挨拶は経済政策限定の「女性が輝く社会」、真の女性解放宣言とはなっていない

2017-05-13 12:30:54 | 政治

 安倍晋三が2017年5月11日に都内開催の「グローバル・サミット・オブ・ウィメン2017」(世界女性サミット)開会式に出席、スピーチ首相官邸/2017年5月11日)している      

 先ず安倍晋三は「グローバル・ウィメンズ・リーダーシップ・アワード2017」なる名の賞を貰っている。開催国の首相ということで、首相であれば貰えるという名誉賞的なものだろうが、安倍晋三に限っては違うようだ。
 
 それは非の打ち所が一点もない見事なスピーチに現れている。スピーチを聞くか、読みさえすれば、安倍晋三こそが「グローバル・ウィメンズ・リーダーシップ・アワード2017」なる賞に相応しい人物だと思うに違いない。その栄光はハリウッドのアカデミー賞主演賞を受けた俳優に与えられる栄光以上のものがあるに違いない。

 見事なスピーチは安倍晋三の着々と成果を上げている女性政策に裏打ちされている。成果を裏打ちしないスピーチはいくら美しい言葉を並べ立てようと、空疎な響きしか与えることができない。

 では、安倍晋三の女性政策に裏打ちされたスピーチの素晴らしい個所を羅列してみる。

 「アベノミクスは、ウィメノミクス。安倍政権が目指す全ての女性が輝く社会は、あらゆる人が様々な制約を乗り越えて自分らしく活躍できる社会です」

 要するに男女区別なく「あらゆる人が様々な制約を乗り越えて自分らしく活躍できる社会」実現の要件は「全ての女性が輝く社会」だと意義づけている。

 「安倍政権の4年で女性の就業者数は150万人増えました。第一子が生まれた後も働き続ける女性の割合が、初めて5割を超えました。上場企業の女性役員も倍増しました。先ほど申し上げましたように上場企業は少なくとも1人の女性を役員にするように、企業の皆さんにお願いをしております。この女性の役員は、必ずしも日本人でなくても結構でございます。どうかここにいる皆さん、私がと思う方は立候補していただきたいと、このように思います」  

 「4年で女性の就業者数は150万人の増加」。その殆どが非正規雇用だなどと、その実態を暴き立てることはしないが、「上場企業の女性役員倍増」は「上場企業は少なくとも1人の女性を役員にするように、企業の皆さんにお願いをしております」と言っているように“官製役員”、いわば企業自身の自律性に則った女性の役員登用ではなく、政府要請という他律性に頼った登用である点を留意しなければならない。

 なぜなら企業の自律性(他からの支配や助力を受けずに自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する性質のこと)は構成員個々の自律性の上に成り立つからだ。

 と言うことは、企業の個々の従業員が自律性を獲得していないことになる。このことは日本の労働生産性が主要7か国中の最下位ということと無関係ではない。他からの支配や助力を受けずに自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する自律性なくして個々の生産性を上げることはできないゆえに、全体の生産性も上がらない。

 男女関係なく自律性なき集団内の他律性に頼った女性登用であり、相互に自律性という力学が働いていなければ、生き生きとした真の労働を望むことはできない、それゆえの生産性の低さでもあるはずだ。

 自律性の対義語である他律性は自分の意志によるのではなく、他からの命令や束縛によって行動する性質のことを言う。これは地位が上の者や力ある者に下が従う権威主義性とほぼ同義と成す。

 だから、企業が政府の要請に従う構造が生まれるのだが、この権威主義性は日本人の場合は否応もなしに男女間にも働いていて、男を上に見、女を下に見る、それぞれの地位と力に格差を置く男性上位・女性下位の構造を取っている。戦前程ではなくなったものの男尊女卑の名残として残っている男女格差である。   

 つまり「上場企業の女性役員倍増」も、「上場企業女性役員最低限1人」も、日本社会全体がこのような権威主義性を磁場としている以上、数字のみを誇ってはいられない実態を見なければならないが、安倍晋三は後で、「いくら女性が頑張っても男性の意識が変わらなければ、女性の活躍にも限界があります」とは言っているものの、実際には日本人が抱えている権威主義性にまでは気づいていないようだ。

 もし気づいていたなら、権威主義性を忌避し、自律性を重んじる立場から、政府が企業に賃上げを要請する官製賃上げにいつまでも頼ることはせずに、こういったことは情けないことだとして、企業の主体性を求めたはずだ。

 勿論賃上げだけではなく、女性の役員登用も同じ構造を取らなければならない。

 日本が「世界で最も成功した社会主義国」と言われるのは国家を中央集権的に民間の上に置き、民間を国家の下に置く権威主義性が有効に機能したからだろう。

 安倍晋三はこの後で「女性の活躍が進むことで社会がより良くなる」と言っているが、権威主義性を取っ払わないことには、女性自身が自律的に求めていく社会進出ではなく、政策という名の強制に頼った女性の社会進出がいつまでも続くことになる。

 だが、こういったことはお構いなしに安倍晋三は話を進めていく。

 「私は、保守的な政党の中にあっても、その中でも保守派に分類をされております。その私が本気になって女性活躍の推進を始めました。これはもう日本の女性活躍の流れは後戻りしていかないことの証明ではないかと思っています。このように、安心していただいていいんだろうと思います。もしかすると今回の受賞は、そのことが、保守的な政党の中で保守派の私が取り組んだことに対する賞をいただいたのではないかなと思っております」

 そして、「待機児童ゼロを目指す」とか、「2013年には保育の受皿の整備を加速するため、2017年度末までの整備目標を40万人分とする」、「子育て世代の女性の就業率は加速的に増え、昨年には約72%に達した」、男性産休を「国家公務員の男性は、全員5日以上取得するよう強力に推進する」等々、数字を上げて自らの政策をアピールしている。

 安倍晋三はスピーチの最初の方で、「グローバル・サミット・オブ・ウィメン」の創設者であり、代表でありアイリーン・ナティビダッド女史を紹介しているが、ネットで調べてみると、彼女は現在68歳、フィリピン出身で米国籍を獲得、フィリピン系アメリカ人であり、ロングアイランド大学を経て、コロンビア大学大学院を卒業、1990年に「グローバル・サミット・オブ・ウィメン」を創設、専門はフェミニズム運動家となっている。

 日本では男女間の権威主義性のみならず、非白人系との間にも民族的な権威主義性を血としているから、もし彼女が日本の国籍を獲得、日本の大学や大学院に学んでフェミニズム運動をスタートさせたとしても、世界規模の運動に発展させる環境を与えてくれなかったかもしれない。

 このことは大学の研究の場に於ける徒弟制度に嫌気が差して、自由な研究の場を求めてアメリカ等の大学に留学、あるいは教授や助教授の職を得る日本の研究者が跡を絶たないことが一つの証明となる。

 勿論、大学でも男女格差が存在していることは2017年5月11日付の「asahi.com」記事が日本の大学の女性研究者はほかの条件が同じでも男性より教授に昇進できる確率が2~5割低いと文部科学省の科学技術・学術政策研究所の調査を伝えていることからも分かる。

 「フェニズム」とは「Wikipedia」に、「性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し、女性解放を主張する思想・運動などの総称」と解説されている。

 性差別廃止も女性の権利拡張も、いわば女性解放はそれを実現させるためには男女の意識の中から男性上位・女性下位の権威主義性の払拭からスタートしなければならない。そして安倍晋三が言っている男女区別なく「あらゆる人が様々な制約を乗り越えて自分らしく活躍できる社会」は「全ての女性が輝く社会」の実現によって到達でき、そのような社会を「安倍政権が目指す」としている以上、安倍晋三は日本人の権威主義性の払拭を出発点とした、いわば男性上位・女性下位の男女格差を取り払った性差別廃止や女性の権利拡張等の女性解放の文脈で女性の社会進出を推し進めて「全ての女性が輝く社会」を実現させ、そのことが男女区別なく「あらゆる人が様々な制約を乗り越えて自分らしく活躍できる社会」になるというプロセスを取らなければならない。

 果たして安倍晋三はそのような社会実現に向けて言行一致させているのだろうか。

 安倍晋三は2015年2月18日の参院本会議で同性婚と事実婚について答弁している。文飾は当方。

 安倍晋三「同性カップルの保護と憲法24条との関係についてのお尋ねがありました。

 憲法24条は、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定めており、現行憲法の下では、同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されておりません。同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家族の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要するものと考えております。

 事実婚に対する法的保護についてお尋ねがありました。

 我が国においては、法律婚を尊重する意識が国民の間に幅広く浸透しております。事実婚にどのような法的保護を与えるべきかは、このような国民意識を踏まえつつ、それぞれの法律の趣旨や目的等に照らして検討すべきであり、これを一概に論ずるのは相当でないと考えております」

 同性婚に関しては、「我が国の家族の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要するものと考えております」という文言で伝統的な家族制度を優先させる考え方を示して同性婚を排除し、事実婚に関しては、「法律婚を尊重する意識が国民の間に幅広く浸透しております」という文言でやはり伝統的な家族制度優先の考え方を示して、事実婚の制度化を排除している。

 憲法への自衛隊明記の改正には熱心でも、女性解放の観点から憲法に同性婚をはっきりと明記する改正にも、事実婚をはっきりと明記する改正にも一切意欲を見せていない。

 安倍晋三はまた2010月の月刊誌「WiLL」(ワック)での対談で「夫婦別姓は家族の解体を意味する。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという左翼的かつ共産主義のドグマだ」と述べたとネットで紹介されていて、やはり日本の伝統的な家族制度を優先させる男女意識を露骨にしている。

 要するに安倍晋三の5月11日の「グローバル・サミット・オブ・ウィメン2017」の開会式スピーチは日本人の権威主義性の払拭と連動させた形で男女格差を取り払った性差別廃止や女性の権利拡張等の女性解放の文脈で女性の社会進出を語っているわけではない。

 この答は最初から分かっていたことだが、「アベノミクスは、ウィメノミクス」と言っているところにある。「アベノミクス」はつまるところ、経済回復政策である。当然、「アベノミクスは、ウィメノミクス」と等式の関係に置いている以上、「ウィメノミクス」も経済政策に過ぎない。確認のためにネットで調べたら、「女性の社会進出が経済を成長させるという考え」だと「Weblio辞書」に出ていた。

 つまり安倍晋三はスピーチを「ウィメノミクス」の文脈で行っていた。経済回復の線上で述べた「女性が輝く社会」であり、「4年で女性の就業者数は150万人増えました」、あるいは「保育の受皿の整備」その他その他に過ぎないということである。

 経済の回復に役立てるための経済政策の観点からの女性の社会進出「女性が輝く社会」だから、そのような社会から同性婚や事実婚、夫婦別姓を望む男女を排除していても、女性が社会に輝くことによって男女区別なく「あらゆる人が様々な制約を乗り越えて自分らしく活躍できる社会」が実現できるとする壮大な絵を描いたとしても、何に一つ矛盾を感じないで済む。

 一見、非の打ち所が一点もない見事なスピーチに見えても、その程度の発言で、真の女性解放の宣言となっていない以上、「いくら女性が頑張っても男性の意識が変わらなければ、女性の活躍にも限界があります」と言っていることにしても、安倍晋三の姿勢が影響することになる政策も初めから限界を抱えていることになる。

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安倍晋三も森喜朗も役目上の必要が言わせている「国民の生命・財産を守る」二人の師弟愛

2017-05-12 10:49:46 | 政治

 この記事のテーマと関係ないが、安倍晋三が5月8日の衆院予算委員会で民進党議員長妻昭が安倍晋三の憲法の考え方を問い質したのに対して直接には答えずに、「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてあり、それを熟読していただいてもいいのだろう」と答弁したことが野党の反発を招いた。

 民進党が政府側に真意を説明するよう求めたのに対して5月11日開催の衆議院議院運営委員会の理事会に安倍晋三の腰巾着官房副長官の萩生田光一が出席、説明したという。

 萩生田光一「安倍総理大臣の答弁は、総理大臣として出席する国会審議の場で、自民党の総裁として一政党の考えを示すのを控えたいという趣旨であり、国会を軽視するものではない」(NHK NEWS WEB2017年5月11日 13時56分)    

 昨日のブログにも書いたが、要するに自身の現憲法の9条1項、2項はそのままに3項に自衛隊を明記するという憲法改正の考え方は自民党総裁としてビデオメッセージと読売新聞のインタビューで発信したのであって、総理大臣として発信したものではないから、国会での質問に応じることができなかったのであって、国会軽視ではないとの解釈となる。

 自民党総裁としての安倍晋三と総理大臣としての安倍晋三が憲法改正の考え方に違いがあるならいい。違いはないはずだから、例え自民党総裁として発信した憲法改正の考え方であっても、それがどのような考え方であるかの説明は国民に対する政策説明の大きな機会となっている国会での質疑を総理大臣である安倍晋三が引き受けなければならなかったはずだ。

 要するに自民党総裁としての安倍晋三と総理大臣としての安倍晋三が憲法改正の考え方が同じであるにも関わらず、自民党総裁として発信した憲法改正の考え方だからと野党の質問に答えないことによって国民に対する説明責任を放棄した。

 この対応は国会軽視と言うだけではなく、国会を軽視することによって国民に対する説明責任まで軽視した、二重の軽視に当たって、その責任は重い。

 大体が同じである考え方を自民党総裁として発信した考え方であって、総理大臣として発信した考え方ではないと違いを設けること自体がどこか狂っている。

 このどこか狂っている安倍晋三が2017年5月10日京都市の京都迎賓館で行われたラグビーの2019年ワールドカップ(W杯)日本大会の組み合わせ抽選会に出席、次のように挨拶したと2017年5月10日付「朝日デジタル」記事が伝えている。   

 安倍晋三「ラガーマンに求められるのは、品位と情熱、規律と尊重、そして結束。これらすべてを備えることができれば、おそらく政治家として完璧でしょう。しかし私自身、これがなかなか難しい。

 だからこそ、ここにいらっしゃる偉大なラガーマン、森喜朗先生(日本ラグビーフットボール協会名誉会長)を、私は師と仰いで参りました。まあ、最近彼の本(『遺書 東京五輪への覚悟』)は少し、評判を呼んでいるわけでありますが」

 安倍晋三は森喜朗先生を「偉大なラガーマン」と持ち上げ、政治の「師と仰いで参りました」と、二人を師弟の関係に置いている。

 2005年の衆議院選挙で当時首相だった小泉純一郎の力に与って森派は橋本派を抜き、党内第一派閥へと躍り出ている。小泉の跡を受け継いで首相となった安倍晋三は森派最大派閥の恩恵を大いに受けた首相就任だったはずで、師とし仰ぐ要因の一つとなったはずだ。

 いずれにしても安倍晋三から見た森喜朗先生はラガーマンに求められる「品位と情熱、規律と尊重、そして結束」を持ち合わせた偉大な人格者ということになる。

 森喜朗先生は2000年4月5日に首相に就任。僅か1年余りの2001年4月26日に辞任している。

 この辞任は周知の事実となっているが、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船えひめ丸事故が原因している。

 えひめ丸事故について「Wikipedia」は次のように解説している。

 〈2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が発生した。森は第一報が入ったときゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。衝突により日本人が多数海に投げ出されたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森は第二報のあとの第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされた。国会でも採り上げられ、詳細が議事録に残っている。〉

 死亡者は教員5人、生徒4人である。森喜朗先生は事故の報告を受けながら、沈没した練習船の教師・生徒の安否を気遣うことなく、また相手が米海軍の原子力潜水艦であり、加害と被害の関係に応じて日米安全保障問題に影響する可能性もありながら、第一報後、1時間以上もプレーを続けていた。

 要するに森喜朗先生が「国民の生命・財産を守る」という言葉を口したとしても、単に役目上の必要が言わせる「国民の生命・財産を守る」に過ぎない。

 常に日頃から真にそういう思いでいたなら、早々にゴルフを引き上げたはずだ。

 ラガーマンとして求められる「品位と情熱、規律と尊重」を持ち合わせていたなら、ゴルフをしているどころの騒ぎではなかったはずだ。

 安倍晋三が言っている中で森喜朗先生が持ち合わていたのは「結束」ぐらいのものだったろう。説明するまでもなく、派閥の「結束」である。

 安倍晋三にしても役目上の必要が言わせている「国民の生命・財産を守る」の言葉となっている。

 何度かブログに書いたが、2014年8月20日、昨夜から降り続いていた雨が午前3時すぎから局地的な記録的短時間豪雨となって広島市の安佐北区や安佐南区などを襲い、土砂災害を引き起こして災害関連死3名含む77名の死者を出した。

 政府は8月20日午前4時0分に首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置。情報収集に当たっている。

 その日、安倍晋三は夏休みで、山梨県鳴沢村の別荘にいた。夜中だからと言っても、最低限、情報連絡室の設置をお付きの秘書官には連絡してあったはずだ。

 午前3時過ぎから各地域から土砂崩れと洪水、土石流の通報が広島市消防局に入っていた。

 この情報も最低限、別荘滞在の安倍晋三のお付きの秘書官には刻々と連絡していたはずだ。連絡していなければ、「国民の生命・財産を守る」危機管理に外れる。

 広島市消防局が8月20日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃、心肺停止の状態で発見されたと発表している。

 午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まり、発見されたのが約2時間後の午前5時15分頃。心肺停止の状態と言っても、然程の時間がかからない内に死と判断されることになる。

 《「心肺停止」と「死亡」の違い》違いがわかる事典)なるサイトに次のような記述がある。    

 〈心肺停止とは、心臓も呼吸(肺の動き)も停止した状態。心音と呼吸の有無の確認でわかるため、誰でも心肺停止の判断は可能である。

 心肺停止状態であっても、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)、人工呼吸などで蘇生する可能性があるため、死亡状態とはいえない。

 ただし、心臓が停止し脳に血液が行かなくなると、4~5分程度で脳は回復不可能な障害を受けるため、心肺停止状態になったら迅速な救命措置が必要となる。
  日本では、心肺停止(心停止と呼吸停止)のほかに、脈拍停止と瞳孔散大の4つを確認し、医師が死亡を宣言しなければ「死亡」とはならず、医師以外の者が死亡を宣言することはできない。

 事故や災害などで、明らかに死亡している人が発見された場合であっても、警察や消防では死亡の宣言ができない。


 ニュースで伝えられる「心肺停止の状態」は、死亡しているだろうけれども、まだ医師の診断ができていない状態というのがほとんどである。

 海外では、日本と同じ手順で死亡が確定するとは限らない。

 そのため、日本のメディアが「心肺停止」と伝える状態を、海外のメディアでは「死亡」と伝えられていることも多い。〉――

 心肺停止で発見された子どもは正確な時間は分からないが、医師の診断がなければ死亡を確認できないのだから、病院に搬送された後だろう、その後死亡が確認されたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 いわば午前5時15分頃に心肺停止の状態で発見された時点で、その子供を残酷なことだが、最初の死者と判断しなければならなかった。
 
 この約2時間後の7時22分に安倍晋三は別荘を発ち、富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に午前7時26分に到着、ゴルフを開始している。

 車でだろう、4分で到着する近い距離にゴルフ場があるのはゴルフを楽しむために近くに別荘を設けたに違いない。

 安倍晋三が2時間近くゴルフを愉しんでからゴルフを中止したのは午前9時19分。別荘に戻ってから、首相官邸に戻り、危機管理センターの情報連絡室に入っている。

 多くの死者を出した翌日の8月21日午前9時前、防災担当相の古屋圭司が広島市安佐南区の被災地域を訪れ、囲み取材に応じている。文飾は当方。

 記者>「総理が指示後にゴルフを始めたことについて野党から批判の声が上がっているが初動については」

 古屋「それは全く批判は当たらないと思います。というのは私もこの状況を聞きまして、携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って、初めて連絡が不明者がいると出たのが6時十何分ですね。

 それは常に官邸にも総理秘書官経由で報告をいたしておりまして、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います」

 「携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って」いた。内閣府の幹部は安倍晋三と同行してゴルフをしていたのだろうか、それとも危機管理上の連絡個所としていたということなのだろう。

 いずれにしても携帯電話で秘書官には連絡していた。

 古屋は「最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とか」と言っているが、広島市消防局が子ども1人が心肺停止の状態で発見と発表したのは8月20日午前5時15分頃であり、程なくして死亡が確認されている。だが、古屋は最初の死亡確認は「8時37分とか8分とか」だと3時間遅れにしている。

 古屋がウソをついていることは自衛隊の災害派遣が証明してくれる。

 広島県が広島市内で土砂災害が発生し、人命救助が必要だとして広島県海田(かいた)市駐屯の陸上自衛隊に災害派遣を要請したのは8月20日午前6時半で、県知事から要請を受けた部隊は直ちに防衛省に連絡、出動の許可を取る。当然、防衛省から官邸の情報連絡室に連絡が入ったはずであるし、広島県からも自衛隊に対して派遣を要請したという連絡が入ったはずである。

 なぜなら、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した8月20日4時0分時点で広島県や広島市に設置したことの連絡を入れているはずだからだ。連絡を入れていなければ、どのような情報招集もできない。

 更には気象庁とも連絡を取り合っていたはずだ。

 防衛省のサイトでも「要請の概要」は「人命救助(行方不明者捜索)」となっている、

 要請理由が人命救助である以上、6時半以降の時点で犠牲者が出る可能性を想定した危機管理対応下の自衛隊派遣でなければならない。

 首相官邸の危機管理センターに設置した情報連絡室がありとあらゆる情報網を使って広島県や広島市と緊密に情報を連絡し合っていたなら、記録的な短時間豪雨に見舞われた広島市安佐北区や安佐南区がどういう状況になっていたか、住民がどういう状況に置かれていたか、刻々と情報招集できていたはずだ。

 だが、安倍晋三は広島県が自衛隊に災害派遣要請した午後6時半から1時間後の7時半近くにゴルフ場に出かけて、「国民の生命・財産を守る」役目を午前9時20分までの約2時間近くのゴルフの愉しみに変えた。

 「国民の生命・財産を守る」役目の軽視どころか、放棄以外の何ものでもない。

 当然、安倍晋三にしても「国民の生命・財産を守る」と口にするのは役目上の必要が言わせている言葉に過ぎない。

 情報連絡室を与っていた古屋圭司は安倍晋三の対応を何の問題もなかったと擁護したのは安倍晋三の「国民の生命・財産を守る」役目の放棄に加担したことになる。役目の放棄の共犯者となった。

 安倍晋三にしても森喜朗先生にしても「国民の生命・財産を守る」を役目上の必要から口にしている同類として固い師弟愛で結ばれていたとしても不思議はない。

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安倍晋三の「憲法改正の考え方は読売新聞に書いてある、熟読しろ」の余りの傲慢さ、その独裁者根性

2017-05-11 12:20:30 | 政治

 安倍晋三が2017年5月8日の衆院予算委で2017年2017年5月3日都内開催の「公開憲法フォーラム」に送ったビデオメッセージが伝えている自身の憲法改正に関わる具体的な考え方について民進党議員の長妻昭が問い質していく過程で、「自民党総裁としての憲法の考え方は読売新聞に書いてあるから、是非それを熟読して欲しい」と述べたと報道していたから、どういうことかと質疑の動画をダウンロードして文字に起こしてみた。

 安倍晋三は「憲法の議論は憲法審査会で行うべきだ」を持論としている。この質疑でもこの持論を展開、長妻昭の質問に答えない姿勢を維持した結果、読売新聞のインタビューで話した自身の憲法改正に関わる一文を熟読しろという展開になった。

 ご存知だと思うが、憲法審査会は総理大臣は出席しない。ネットで調べたのだが、衆議院の憲法審査会は50人の委員で組織、参議院の憲法審査会は45人の委員で組織されて運営されている。

 質疑の要点だけを記載してみる。先ず長妻昭は安倍晋三が「公開憲法フォーラム」に送った、日本国憲法第9条の1項2項は現状のままに第3項に自衛隊を明記し、東京オリンピック・パラリンピックの開催年の2020年までを改正時期とするとの趣旨のビデオメッセージについて取り上げる。

 長妻昭「次に自衛隊についての問題ですが、私は唐突感があったわけですけれども、2020年までに新憲法施行と、いうふうに仰ったわけですけれども、これの真偽を教えて頂ければと」

 安倍晋三「私はあの、この場には内閣総理大臣として立っているわけでございまして、えー、予算委委員会はですね、政府に対する質疑という形で議論が行われる場であろうと、こう思うわけでありますが、各党が憲法について議論する場が設けられているのは、これは憲法審査会であろうと、このように考えているわけでありまして、ま、そこでご議論頂きたいと、こう思う次第であります。

 で、一方で私が今回第19回の「公開憲法フォーラム」に於けるビデオメッセージ等を通じて自民党総裁としてのですね、憲法改正についての考えを公にしたしたもので、国会に於ける政党間の議論を活性化するもので、ま、ございます。

 えー、御党の細野議員も建設的な提案をされているところでありますが、大いに国会両院の憲法審査会に於いて各党間でですね、是非議論を頂きたい、こう考えるところでございます」

 この手の答弁は憲法の改正問題が起きるたびに安倍晋三が繰返してきた同じ文言である。2013年4月22日の参院予算委を例に挙げてみる。

 安倍晋三「繰り返しになりますが、私はここに内閣総理大臣として立っているわけでありまして、自民党のまだ改正されていない憲法についてここで解釈をする立場ではないということははっきりと申し上げておきたいと、このように思います」

 長妻昭は衆議院議員で参議院議員ではないが、安倍晋三のこのような答弁は共同体験しなければならない立場にあるばかりか、長妻自身が似たような経験をしているはずである。

 長妻昭は2016年10月3日の衆院予算委員会で安倍晋三に対して自民党憲法改正草案の基本的人権に関わる新しい規定が人権をより制約する内容になっていないか問い質した。

 安倍晋三「私は総理大臣として内閣として提出をする法案については責任を持ってお答えしなければならない立場でございます。その場所場所でですね、しっかりと議論することが求められているわけでございます」

 要するに自民党憲法改正案が閣議決定されて法案として国会に提出されたなら、内閣総理大臣として個々の質問に答弁しなければならないが、現状はそこまで行っていないから、質問されても答える立場にはない、自民党案にとどまっているのだから、憲法審査会で議論してくれと要求して、長妻昭がいくら自民党憲法改正草案の条項について質問しようと、憲法審査会で議論してくれの一点張りで答弁回避の姿勢に終始した。

 このような経験を生かすことができずに長妻昭は「何で国会でおっしゃらないのか」とか、記憶違いなのか、「予算委員会で自民党憲法改正素案について相当こみいった議論を総理も答えられていた」とか言って食い下がるが、その甲斐もなく同じ答弁しか返ってこなかった。

 安倍晋三「いよいよですね、いよいよ、これは、えー、憲法審査会に於いて議論が、おー、佳境に入っていくときを迎えているわけでございます。えー、まさに憲法について議論する場は本来憲法審査会の場であろうと、こう思います。

 先程申し上げましたビデオメッセージはまさに総裁と断っている。自由民主党総裁としてお話をして頂いているところでございますが、この場に立っているのは、先程長妻委員がご承知のように自民党総裁として立っているのではなくて、えー、私が質問にお答えする義務を負っているのは内閣総理大臣であるところを以ってですね、答弁を、お答えをするといったところからもですね、この場に於きましては内閣総理大臣としての責任に於ける答弁に限定させて頂いているところであります。

 他方です、どうぞ憲法審査会に於いて活発な議論をして頂いたら如何でしょうかということを申し上げたいわけでございます」

 長妻昭は納得せず、総理が国会で説明するのが筋ではないかといったことを言ったあと、ビデオメッセージが頭ごなしな急なことで、憲法審査会の与党の幹事も首を傾げていると言った後、肝心な疑問を述べている。

 長妻昭「かつて総理がですね、96条について改正すると、バーンとぶち上げて、ご存知だったと思いますが、そのとき憲法審査会が折角与野党で積み上げてきたのに、そこで非常に混乱しを来して、議論が遅れたという、これ悪い前例もあるわけでございまして、一切ここでおっしゃらずに、そして報道やビデオではどんどん発言をされるということでは、非常に違和感を感じる」

 日本国憲法96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」と規定している。

 安倍晋三は第1次安倍内閣の2007年5月14日に国民投票法(正式名=「日本国憲法の改正手続に関する法律」)を成立させて、96条の投票の「過半数の賛成」を国民投票法で「有効投票の過半数の賛成」に変えて、より通しやすくしている。

 もしより通しやすくするために憲法審査会の議論に影響を与えるために、いわばを遠隔操作による心理的なリードを意図して96条改正をぶち上げたとすると、今回のビデオメッセージも柳の下の同じ効果を狙った心理作戦の疑いも出てくる。

 その疑いを安倍晋三にぶっつけて、安倍晋三が否定しようが、あるいは答えまいが、その狙いを印象づける作戦の方が効果があったはずだ。

 ところが参考人として呼んでいる内閣法制局長官横畠裕介に「違憲」と答えるはずはないのに「自衛隊は違憲か」とバカな質問をしたのに対して横畠から自衛隊の成り立ちから新安保法制による新3要件付与まで説明されて、「合憲」という当たり前の答弁をされたにも関わらず、憲法の条文に自衛隊を明記したら、「今と全く変わらないということでいいんですね」とバカな質問の続きをした。

 安倍晋三たち保守派の政治家が勝手に解釈して自衛隊合憲説を打ち立てているに過ぎない。対して憲法学者の殆どが違憲説を打ち出しているのだが、安倍晋三たちの合憲説を可能としているのは自衛隊が国民の間で市民権を得ているからだろう。

 憲法に自衛隊を明記に成功したら、自衛隊は違憲だと憲法学者にしても誰にしても言うことはできなくなる上に既に憲法9条は主権国家に与えられている自衛権まで禁止してはいないとする説を流布させているのだから、「今と全く変わらない」ということはない。

 横畠裕介「憲法の改正を巡るご議論だと思いますが、憲法改正につきましては、まあ、国民、特に国会に於けるご議論に待ちたいと思います」

 長妻昭はなおも食い下がる。

 長妻昭「そうすると我々は何も判断できないですよね。どういうことを考えられて、そうなっているのか、一体。憲法審査会も何も話がないと。

 じゃあ、一般論で聞きましよう。憲法9条に自衛隊を1項、2項を維持したまま、自衛隊をきちっと位置づけると言うよな考え方を条文に仮に入れると、どういうふうに変わるのか、変わらないのか、あるいは条文の書き方によって変化するのか、その辺はどうでございますか」

 安倍晋三に問い質して答えさせるべき質問を関係のない横畠裕介に尋ねている。

 横畠裕介「まさに国会でご議論すべきことではないかと思います」

 軽くいなされて終わりである。長妻昭は安倍晋三にこそ答弁させる手を考えるべきだったが、考えないままに横畠が取り憑く島がなかったものだから、仕方なく再び同じような質問を安倍晋三に問うことになり、同じ答弁をされるという同じ結果を招くことになった。

 安倍晋三「あの、繰返しを言うんですが、私はここは内閣総理大臣として立っており、いわば私は答弁する義務はなく、内閣総理大臣として義務を負っているわけでございます。自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読して頂いて(激しいヤジ)、いいと(思います)、自民党・・・・・・、ちょっと静かに、静かに、静かにして頂かないとですね」

 暫くヤジに邪魔されて、短い言葉を続けていたが、再び前と同じ答弁を続ける。

 安倍晋三「それはそこ(読売新聞)に、いわば党総裁としての考え方はそこで知って頂きたい。ここ(国会)で党総裁としての考え方は縷々述べるべきではないというのが私の考え方でありますから、そこは是非、そこで、いわば自民党総裁としては知って頂きたいと。あるいはまたビデオで、これはビデオで述べているわけでございます」

 安倍晋三は憲法改正の自身の考え方をビデオや読売新聞のインタビューで述べたのは自民党総裁としてであって、内閣総理大臣としてではない。だから、国会の場で議員の質問に答える責任はないという態度を取っている。

 確かに同じ人間が司っていたとしても、一政党の長と言う立場、あるいは役職と、一国の長という立場、あるいは役職は異なる。人格も異なるだろう。

 家庭では父親で、一般人としては会社の経営者の場合、父親という人格と経営者としての人格は自ずと違ってくるようにである。家庭で妻や子どもたちに会社経営者としての人格を発揮されたら、息が苦しくなるに違いない

 だからと言って、自民党総裁として発言した政策を内閣総理大臣として説明しなくてもいいという論理は成り立たない。なぜなら、憲法観そのものは立場や役職を違えても、同じ人間が務めている以上、立場や役職に影響を受けて違ってくるということはないからである。

 あるいは立場や役職に応じて違ってくる人格に応じて憲法観も違ってくるということはないからである。

 自民党総裁として発信した憲法改正の考え方を内閣総理大臣として議論する義務を負っていないとすることが正しいとし、しかも憲法審査会に出席して質問を受けるわけではないから、国民に対する説明責任は誰が負うのだろうか。安倍晋三の論理からすると、国民に対してもビデを見ろ、読売新聞を読めということになる。

 ビデオにしろ、新聞のインタビューにしろ、言っていることに疑問を持てば、当然説明を求める。だが、自民党総裁として発信した考え方に関しては内閣総理大臣は答弁する義務を負わないと疑問を解く説明の機会を設けないのだから、このことの絶対的な正当化は言っていることに疑問を持つな、言っているなりに受け入れろいうことになって、安倍晋三は自らを独裁者の立場に立たせていることになる。

 安倍晋三は自分では気づかない内に傲慢な人間と化している。思い上がりも甚だしい。

 憲法とは国家権力を含めた国家の基本的な存在法であると同時に国民の基本的な存在法だと私自身は考えている。内閣や国会の規定、三権分立等は国家の基本的な存在のあり方を決めていて、思想・信教の自由、表現の自由、報道の自由も国民一人ひとりの基本的な存在のあり方の規定そのものである。

 いわば憲法の改正が国家及び国民の基本的な存在に関わる事柄でありながら、自民党総裁と総理大臣を使い分けて、長妻昭や予算委員会の委員たちに言葉を発信しているだけではなく、国民にも同時にその発言を発信をしているにも関わらず、国民に対する説明責任まで放棄しているのだから、その傲慢さは計り知れない。

 あくまでも自民党総裁として発信した考え方は内閣総理大臣として答える義務を有しないを通すとしたら、その場合に生じることになる傲慢さ、独裁根性を免れるためには自民党総裁として記者会見を開くなりして、ビデオでや新聞のインタビューで発信した自身の憲法についての考え方を説明し、その説明を以って国民に対する説明責任に代えるべきだろう。

 そうする考えもない。傲慢さ、独裁者根性はとどまるところを知らない。

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安倍晋三の「復興は安倍内閣の最重要課題」なる決まり文句は使い慣れしてオオカミ少年化していないか

2017-05-10 10:15:38 | 政治

 2017年5月8日衆院予算委での共産党議員宮本岳志への答弁でも、「安倍内閣の最重要課題」なる決まり文句を使っていた。

 宮本岳志「安倍内閣の災害からの復興に対する基本姿勢について伺いたいと思います。総理は今村前復興相の『大震災は東北で、あっちの方でよかった』などという暴言について、『任命責任がある』、こうお認めになりました。

 それで端的に総理にお伺いするのですが、今村発言の何が問題だと総理はお考えなのですか」

 安倍晋三「いわば今村発言の中に於いてですね、えー、大変な被害を受けた東北の皆様方のですね、心情、お気持を傷つける発言があったということを意味することであります。

 その中に於いてですね、私からも今村大臣がその発言を行った会場、オー、懇親会とは別の会場でありましたが、その同じ会に於いてですね、謝罪をしたということでございます」

 宮本岳志「今村大臣の暴言はですね、今回、初めてではないんです。4月4日に原発事故で避難を受けている被災者が故郷に帰れないのは本人の責任、判断だと、こういう発言を致しました。

 しかし総理はそのときは庇ったんですね。今年3月の政府主催の東日本大震災の追悼式典で総理ご自身がですよ、『原発事故』という言葉を一切お使いになりませんでした。そればかりか、犠牲となった方々の慰霊塔の前で、『復興は着実に進展している』と、こう言い切りました。

 総理、あなた自身の復興に取り組む姿勢にこそ、私は問題があると思いますが、如何ですか」

 安倍晋三「安倍政権に於きましては東日本大震災からの復興を内閣の最重要課題としてですね、取り組んできたところであります。その際、現場主義を徹底していく。そして被災者の皆様の気持に、心に寄り添っていく方針でですね、復興に取り組んできたところでございます。

 今後共ですね、一つ一つ結果を出していくことによって信頼を回復してまいりたいと思います」

 宮本岳志「全く分かっていないと言わざるを得ません。そもそもあなた方は人を見ていないと私は言いたいと思います。人数や被害額など数字をいくら見ていてもダメなんですね。そういうふうに見ているから、そういうふうになる。

 東大日本大震災からの復興には三っつの重大問題があると私は思っています。一つは依然として元の生活に戻れない多くの人が残されているということ。二つはその人々の心が大きく傷つけられ、決して癒えていないということ。そして三っつはですね、まさに収束しない原発事故ですよ。

 なぜその一言を(追悼式典で)一言言ってないのですか。総理の姿勢自身が問われているとはっきりと申し上げておきたいと思います」

 ここから昨日当ブログで取り上げた森友学園に対する質問に移る。

 安倍晋三は復興大臣や復興に関係する省庁の副大臣や政務官が何か問題を起こすたびに「東日本大震災からの復興を内閣の最重要課題であり」と言い、「現場主義を徹底」を言い、「皆様の心に寄り添っていく」と言う。

 既に紋切り型の決まり文句となっている。

 震災関連では他に復興推進会議でも安倍晋三は「東日本大震災からの復興は内閣の最重要課題だ」と同じ発言をしている。

 被災地視察のときも、「東日本大震災からの復興は、安倍政権発足以来の最重要課題であります。いまだに多くの方々が様々な困難に直面している中、一日たりとも停滞は許されません。今回の、私にとって34回目の被災地訪問を吉野復興大臣とともに行いました。現場主義を徹底していく。そして被災地の皆様の心に寄り添っていく。この方針の下に、しっかりと一つ一つ結果を出していくことで信頼を回復していきたいと考えています」と、今村前復興大臣実質罷免後の207年5月2日の宮城県下訪問でも述べている。

 震災に関係なくても、「教育の改革、再生が必要であり、これを私の内閣の最重要課題にしている」、「農業の活力を取り戻す、農業の活性化、これは安倍内閣の最重要課題の一つであるということを申し上げておきたいと思います」

 あるいは「地方の創生は、安倍内閣の最重要課題であります」と言い、「拉致問題は安倍内閣の最重要課題です。拉致問題の解決なくして日朝関係の改善はありません」と、「最重要課題」を各政策に決まり文句として適宜散りばめている。

 懸命に取り組んでいるという姿勢を示すための使い勝手のよい便利な言葉となっているのかもしれない。だが、姿勢を示す便利な言葉だからと言って使い過ぎると、政策そのものが進まない場合、オオカミ少年が発する言葉のように言葉自体の信用を失い、その言葉を口にする人間自体の信用も失う。

 農業の活性化にしても、地方創生にしても、教育の再生しても安倍晋三の言葉通りには進んでいない。復興に関しては既に6年経過という年数の割には未だ取り残されている被災者や地域が存在する。

 安倍晋三はオオカミ少年化しつつあるのではないだろうか。

 宮本岳志は「今村発言の何が問題だと総理はお考えなのですか」と尋ねた。

 対して安倍晋三は「大変な被害を受けた東北の皆様方のですね、心情、お気持を傷つける発言があったということを意味することであります」と答えたのみである。

 今村雅弘は次のように失言した。

 「社会資本などの毀損も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北でですね、あっちの方だったから良かったんで、これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になると思っています」

 と言うことは、今村発言の何よりの問題点は国家財政の損得の視点から東大日本大震災という巨大な自然災害を眺めていて、その眺めの中に様々な苦難を強いられている被災者の姿を入れていなかったことである。

 あるいは国家財政の損得ばかり見ていて、被災者を見ていなかった。

 だから、「これは、まだ東北でですね、あっちの方だったから良かったんで」と言うことができた。

 インフラの復興のみではなく、精神的な立ち直りをも含めた被災者の生活の復興を担う大臣でありながら、東大日本大震災という巨大な自然災害を被災者を脇に置いて国家財政の損得の視点からのみ眺めていたということは単に安倍晋三が言うように被災者の「心情、お気持を傷つける発言があった」だけで片付けるのは余りにも酷薄過ぎる。

 このようにいとも簡単に酷薄な片付けようをしていながら、復興は「内閣の最重要課題だ」、「現場主義を徹底していく」、「被災者の心に寄り添っていく」とさも懸命に取り組んでいる、あるいは取り組んでいくかのような発言をする。

 この乖離と被災地視察が復興が進んでいる場所をより好みしていること、記者会見や国会答弁では決まり文句を口にするだけで、詳しく分析した復興が進んでいる分野、進んでない分野を自らの言葉として国民への説明としていないこと、さらに決まり文句としている「内閣の最重要課題だ」、「現場主義を徹底していく」、「被災者の心に寄り添っていく」を余りにも使い慣れさせていることから見ても、オオカミ少年化しているように思える。

 オオカミ少年化に対応して決まり文句自体が信用を失い、決まり文句を口にする人間自体の信用も失っていく。

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