横浜を出港した艦隊は、木更津、横須賀と川崎より合流し、進路南へ、浦賀水道を単縦列にて航行していた。
2006年度自衛隊記念日観艦式は、護衛艦22隻、潜水艦4隻と各種支援艦艇14隻に海上保安庁より巡視船1隻、航空機28機が参加しており、これは原油高騰のあおりを受け航空機・艦艇二割が縮小された他、インド洋対テロ支援艦艇派遣や北朝鮮ミサイル・核実験の影響により過去と比してやや規模が縮減した印象は拭えない。これは、冷戦終結後の国際秩序が、テロリズムの脅威という共通基軸により画定しつつあり、この国際安全保障体制へ日本の関与の割合が増えたことを端的に示すものといえる。
横須賀を出航した補給艦“ときわ”、三隻ある“とわだ”型の2番艦で、満載排水量は12100㌧、インド洋対テロ支援任務の中枢というべき艦である。これより大型の“ましゅう”型補給艦2隻と併せ計5隻が海上自衛隊の補給艦であるが、この内一隻が観艦式に参加したということで、残る四隻は他の任務に就いていることを意味する。外洋任務に不可欠な艦隊補給艦であるが、現状の体制では、複合的な情勢変化への柔軟な対応能力付与の観点から将来的に不足が指摘されるかもしれない。
小生一行が乗艦する“あぶくま”は観艦式観閲艦艇の付属部隊に属し、この関係上本艦を先頭に出航した艦隊は浦賀水道において本艦を追い越してゆく。静岡県と神奈川県の天気予報に注視した結果、当日は曇りのち午後から雨という天気予報であったが、海は穏やかであり、護衛艦が珍しいのか鴎をはじめとする海鳥たちが艦隊の付近を乱舞し、乗艦者たちに好評であった。
海鳥の鳴き声とともに聞き覚えのあるエンジン音が耳に入り、空を探すとSH-60Kが飛来していた。厚木基地より飛来したSH-60K初号機で、報道のカメラマンを乗せているのだろうか盛んに艦隊上空を飛行していた。SH-60J哨戒ヘリはS-70シリーズ共通の欠点であった天井の低さから来る居住性の悪さが指摘されたが、天井と胴体容積を拡充したことでK型の居住性は大きく改善されているという。小生にも初号機は昨年厚木で見て以来の再会である。
右舷から護衛艦“まつゆき”が本艦を追い越す。護衛艦隊用汎用護衛艦として建造された“はつゆき”型護衛艦の9番艦で、フォークランド紛争の戦訓から船体をアルミ製から鋼製の改めた後期艦の一隻で、満載排水量は4200㌧、呉地方隊第22護衛隊に所属している。対空・対潜・対艦ミサイルを有しガスタービン推進、哨戒ヘリコプター搭載という今日の護衛艦隊汎用護衛艦の基礎を築いた本型は、現在新型艦の完成と共にヘリを下ろし地方隊の主力へとその任務の場を移している。
更に後方から右舷を“うみぎり”が追い越す。“あさぎり”型の最終艦である8番艦“うみぎり”は後期艦に属し、満載排水量4950㌧。“はつゆき”型の拡大改良型で、凌波性能を向上させるべく重心を低くし、ヘリ格納庫を拡大、必要に応じて2機を収容できるようにした他、OPS-14対空レーダーをフューズドアレイ方式のOPS-28D三次元レーダーに改めている。なお映画「ガメラ2」では松島湾においてガメラを捕捉している。
左舷から白波を蹴立てて“あぶくま”を追い越す“さみだれ”。“あさぎり”型を基にミサイルを垂直発射機(VLS)方式とし、ステルス性を盛り込んだ船体を採用している。更に航洋性を追求した結果、満載排水量は6200㌧へと大型化している。一方で自動化が進み、乗員は220名から165名へと縮減されている。高速用と巡航用に異なるメーカーのガスタービンエンジン(ロールスロイスとGE)を採用するという特異な設計でも知られる。
艦隊と反航し横須賀へ向かうアメリカ海軍ミサイル駆逐艦“カーティス・ウィルバー”、“アーレイバーク”級の4番艦でイージスシステムを搭載、満載排水量は8422㌧という大型のミサイル駆逐艦である。本級は初期のフライトⅠ型に属し、驚くべき点は、これだけで21隻、この他拡大型のフライトⅡ型7隻、ヘリを搭載し各種装備をコストダウンしたフライトⅡA型を24隻就役させている点で、アメリカ海軍の主力艦艇の地位を有している。
今回の観艦式において観閲艦となっているヘリコプター護衛艦“くらま”が追い抜く。海上自衛隊初のシステム艦として設計された“しらね”型の2番艦で、3機のヘリコプターを搭載可能、背負い式の5インチ砲が特徴の“くらま”は、佐世保の第二護衛隊群旗艦を務め、満載排水量は7200㌧、1981年に就役し、もっとも新しいヘリコプター護衛艦として知られており、2001年11月9日の第一次インド洋派遣艦隊の旗艦を務めるなど多くの任務においてその活躍は知られている。
やや離れたところにて航路警戒にあたるのは、海上自衛隊初の試験艦“くりはま”。満載排水量1100㌧の本艦の任務は魚雷やレーダーなどの各種装備の実験であるが、観艦式に際してはプレジャーボートや漁船などが艦隊に接近し衝突事故を起こすのを未然に防ぐ任務にあたる。1989年就役の老朽艦であり、近代化改修などの計画がない為、次の観艦式までには除籍されている可能性が高い艦艇である。甲板には観艦式を行っている旨を示した注意書きが載せられている。
浦賀水道を抜けたあたりでは、既に艦隊が集結していた。後方から訓練支援艦“てんりゅう”、試験艦“あすか”、掃海母艦“うらが”、潜水艦救難艦“ちはや”が低速(3~5ノットくらい)にて航行しているのを“あぶくま”が抜く。これら支援艦は、一見地味な印象を受けるが、逆に中小国海軍では正面装備に予算を割き、調達されない艦種であり、こうした艦艇を惜しげなく観艦式に出せることが、海上自衛隊の規模の大きさを端的に示している。
支援艦を追い抜いたところで、ヘリコプター護衛艦“くらま”と“ひえい”が展開していた。0730に乗艦し、横浜を出航したのが0750時、この時既に1100時を過ぎたあたり、いよいよ艦隊は観音崎を越え、東京湾と外洋をつなぐ浦賀水道から相模湾へ到達した。いよいよ観艦式である。
HARUNA
(本ブログの本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)