■京都は紅葉の季節
秋ですねえ、とそろそろ冬の足音が聞こえつつあることを無視し、想う季節である。というのも、やはり椛が紅く彩づかねば秋を感じることが出来ないのは小生だけであろうか。
閑話休題、百万遍の方にある大学に所用があり、ついでに古書店街と、近傍にある銀閣寺をひとつ観ていこうかとPCバックにカメラと書籍を詰め込む若干の余裕を持たせ、鴨川を渡った。小生研究科のある共同研究室からは色づいた衣笠山を望むことが出来、自室からは紅い比叡山を望見できる。空を仰げば蒼穹の青空はどこまでも続いている、蒼と紅のシンメトリー、それは紅葉を写真に収めるには絶好の日和であることを示していた。
銀閣寺、正しくは東山慈照寺というが、室町幕府第八代将軍足利義政により1482年に建立された臨済宗相国寺派の禅寺にあたり、隠栖生活を送るべく、祖父足利義満の金閣寺に倣い、東山に造営したのがその始まりとされ、またこの後に培われた東山文化の発祥地となった。昭和初期に焼失した金閣寺が再建後重要文化財指定を受けたのに対し、銀閣寺は国宝指定を受け、多くの拝観者とともに今日の京都に佇んでいる。
今出川通りをひたすら大文字の送り火に向けて足を進めれば、鴨川を越え、東大路通りを越え、そして白川通りに達する。そこには銀閣寺にいたる哲学の道が続き、そこをたどれば目指す銀閣寺に至る。小生は203系統バスを銀閣寺前にて降車、そのまま徒歩にて向かった。哲学の道を歩いても混んでいるし専門は軍備管理論、義より利と割り切り、車道側の歩道を歩いて向かった。哲学の道と銀閣寺道の分岐点を登り、そして総門へ入場券を買った。
天下一の庭園といわれる銀閣寺の庭園は、四季折々を表わす木々や池水が巧みに並び、銀沙灘といわれる白砂が波型と富士を模った山形を為している。その向こう、観音殿は銀閣ともいわれ、国宝。書院風の一層と潮音閣の二層よりなる。二層には唐様仏殿様式を象り、その頂点に鳳凰は観音菩薩を祀る観音殿を護り続けている。やや逆光で恐縮だが、これは1400時頃の撮影で、午前中ならば順光にての撮影が可能であろう。
東求堂、足利義政の持仏堂として用いられた建物で入母屋造りの一層建造物。檜皮葺き書院造としては日本最古のもので、観音殿と同じく国宝指定を受けている。裏に草庵茶室の源流となった四畳半間取りの茶室があり、堂は二間の仏間より成っている。左隣には本堂が見え、池大雅や与謝蕪村、富岡鉄斎の多くの襖絵が並ぶ。池に写る東求堂と椛のコントラストが美しいが、やはり早朝一番に入場していればさらに青空との対比をお送りできたと思ったのだが写真はみての通り。
展望所とはいっても見晴らしの良い開けたところで、十分ほどで着くのだが、との途中でお茶の井がある。これは金閣寺にもあるものだが、残念ながらお手入れ中のオジさんがおり、撮影は断念。背後には月待山と大文字送り火の山がそびえる。紅葉の時期にあっても、竹林はかわらず、逆に新鮮な印象を与える。
展望所からの眺望、錦鏡池、銀閣、銀沙灘、宝処関、本堂、東求堂がみえ、向こうには吉田山が望見できる。その向こうには京都大学と更に京都市街が広がる。
本堂の向こうにはもう一つの池と、前述の茶室が並ぶ特別公開区画である。更にその区画には弄清亭や書院が並ぶ。鮮やかな紅い木々が季節を示す、この時期ならではの写真となっている。
眼下に銀閣寺全景と京都市の彩づき、展望所にて季節を堪能すると、紅葉の木々の木立を、その狭間からの木漏れ日とともに下山の途につく。
紅いといっても様々な色を楽しむことが出来、常緑樹や黄色く彩りを添える銀杏が趣きを増す。帰路、洗月泉という場所があり、これが見えればいよいよ冒頭に挙げた錦鏡池と銀閣という光景に出会うこととなる。
観音殿を見上げる。もの静かな趣きながらその頂点に鳳凰がやや霞んでいるがみることができる。
銀閣寺が紅葉の時期と並び、その形容を変えるのは、この他に雪の日が挙げられる。それは白という景色が全てを覆う特別な日である。しかし、京都市は積雪がすぐに溶けてしまうことが経験上多く、積雪とともにカメラを準備していても10㌢の積雪が溶けてしまうこともしばしばだ。
そして参道というか、銀閣寺道から百万遍へ再び。今度は古書店を目指し。しかし、探した高坂正尭先生の本は、というよりも品揃え薄い!店も減ってる!神保町はもとより、名古屋の鶴舞古書店街にも劣る!ううむ、ここの傍には東西を二分する学閥体系の拠点があるのだが、此処の連中はどこで資料を探すのだろうか。名古屋か東京だろうか。
さてさて、本記事を以て北大路機関ブログは掲載写真1000を超えました。これからもよろしくお願い致します。
HARUNA
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