◆福井県の鉄道
奈良基地祭、大津駐屯地祭、新型インフルエンザ流行につき中止。代わりに行こうと考えた近江鉄道ミュージアム、同じ理由により公開中止。
そこで旧国鉄型が多数残る北陸本線、全廃された名鉄市内線の車両が頑張る福井鉄道を撮影するべく福井県に向かった。福井駅にて最初に驚かされたのは、食パン電車として親しまれている419系電車が二編成並んでいた。もともと、寝台電車として運用されていた583系、これは寝台急行きたぐに号で有名だが、その583系を普通電車用として改造したもの。春のパン祭だ。
北陸本線を代表する特急、485系雷鳥号。先頭車部分に前面展望が可能なよう改修を加えたパノラマグリーン車が先頭で、北陸本線を湖西線、そして東海道本線を経て大阪に向かうL特急。同じく大阪に向かうサンダーバード号、名古屋行しらさぎ号なども次々に到着、北陸本線特急の活気を感じた次第。
この福井駅では、北陸新幹線開業を見越した新幹線設備の整備も開始されていた。ただ、485系が新型の683系派生形に置き換えられ、他方、北陸新幹線の延長は現在、金沢以西の路線建設計画が未定であることから、スーパー特急方式でも十分なのでは、と思ったりもする。在来線の高速化を介して、日本の鉄道水準全般を高速化することは出来ないものだろうか。
413系電車。近郊型電車で、クロスシートを有し、デッキなどにより乗降に時間を要した急行型電車による通勤輸送を近代化する目的で導入された車両。導入開始は1986年と比較的新しい。寝台電車を改造した419系とくらべ、車内はクロスシートのみのすっきりした内装となっている。
福井駅を通過する485系回送電車と413系電車。413系電車は芦原温泉行きで、福井駅にて特急待ち合わせなど、かなり長い時間停車していた。485系電車は、大阪方面の先頭車に貫通扉を有する編成であった。なお、福井駅はこのように、完全シェルター方式の構造を採用しており、北陸地方の豪雪を想定した駅舎となっていた。
福井鉄道は、福井駅・田原町と武生駅を結ぶ路線距離21.4kmの福武線を運行する鉄道会社。もともと、他にも2路線が運行されていたのだが、赤字路線ということで、残念ながら廃線となり、福武線のみが生き残っている。写真は旧名鉄美濃町線用880形と旧名鉄岐阜市内線用800形電車。福井鉄道の塗装は、800形の名鉄時代と、やや共通点がある。
880系電車。美濃町線運行時代は、通常型のパンタグラフであったが、現在はシングルアーム式パンタグラフに改修されている。また、当時のスカーレット塗装から福井鉄道塗装に変更されたほか、名鉄時代は、600vの美濃町線から1500vの各務原線へ乗り入れるべく変圧器を搭載していたが、現在は取り外されているようだ。
800形、名鉄が部分低床車として2000年に導入して、2001年に鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。日本車両が開発した国産車両で、低床車としては日本でも初期の車両といえる。車両の中央部分が低床車となっており、車端部分は、従来の軌道車と同程度の高さとなっている。したがって、車内は斜面のようになっている。クロスシート車。
名鉄では、岐阜市内線・黒野線直通の急行運行についていた770系電車。名鉄が、岐阜市の支援を打診したものの受け入れられず、600v線を全廃したのが2005年。その後、名鉄が運行していた高性能車は、豊橋鉄道や福井鉄道に譲渡され、車両の老朽化に悩む地方私鉄の近代化に大きく貢献した。
200形。こちらは福井鉄道が1960年に急行用車両として導入した車両で、車内は、ボックス式クロスシートとロングシートを合わせたセミクロスシート車となっている。二両編成で運行され、導入当初は急行用車両として運行された。当時、国鉄北陸本線は普通電車の運行本数が少なく、北陸本線にほぼ並行する福井鉄道福武線では、よく活躍した。写真は、その初期塗装。
200形電車の福井鉄道塗装。写真の200形電車は、小さなトンネルのような構造物を潜っているが、これは積雪時に、重要な線路のポイント部分を防護するためのシェルターで、北陸本線などでも、同様に重要なポイントを防護するための構造物がみられる。北陸という積雪地ならではの配慮といえよう。
610形電車。名古屋市交通局名城線で運行されていた電車を二両編成として、福井鉄道で運行しているもの。ほかにもう一編成、名古屋の地下鉄から福井に場所を移して活躍している車両がある。路面電車や、同部分低床車と、従来型の電車を併用している鉄道であるが、元名鉄の譲渡車両が、今なお活躍するなど、興味深い鉄道線を見ることが出来た。
HARUNA
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