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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

在比米軍復活を要望、フィリピン政府が旧クラーク米軍基地・旧スービック米軍基地提供打診

2013-08-17 22:46:43 | 国際・政治

◆抑え切れぬ中国の軍事圧力への対処を主眼か

 時事通信などの報道によればフィリピン政府は、1992年に閉鎖された在比米軍基地の米軍提供と駐留を要望し、米比両政府間で調整に入った、とのこと。

Img_2571 在比米軍基地としてフィリピンが提供を協議しているのは、マニラにほど近く、南シナ海より展開に有利なルソン島に或るクラーク旧米空軍基地、そして同じくルソン島に或るスービック旧米海軍基地で、特にクラーク空軍基地は第二次大戦以前からの米軍基地だったものの米軍撤退後は特別経済区域として再開発され、再度の基地化は不可能である、と考えられていたため、この対応には驚かされました。また、在比米軍はフィリピン側の要望もあり撤退したのに対し、風向きが悪化するや再度駐留を求める日和見の姿勢にも驚かされました。

Img_7167 1992年のピナツボ火山噴火により、在比米軍は基地機能を喪失し全面撤退に追い込まれましたが、在比米軍はクラーク空軍基地の一個戦闘航空団、スービック海軍基地の空母二隻を中心とする大規模な部隊が展開し、極東地域へにらみを利かせていました。しかし、ピナツボ火山は火山爆発指数8という最大規模の噴火にあり、クラーク空軍基地は全ての地震計が破損し機能を喪失、スービック湾へも艦艇の運用が不可能なほどの火山灰が降り積もり、その代替基地を確保する姿勢をフィリピン政府が見せなかったことから撤退に至りました。

Img_2844 幸いにして米軍は湾岸戦争後の兵力調整期にあり、在比米軍の主力は一応の見通しがあり、加えて在比米軍部隊を在日米軍基地が収容する姿勢を見せたため、北東アジア地域における米軍のポテンシャルを維持し、在比米軍撤退の影響を最小限とすることが出来ました。蛇足ながら、今やミニストップで全国的に楽しめるようになったアジアンアイススイーツであるハロハロは、その昔は首都圏の一部や愛知県のリトルワールドでしか知られていませんでしたが、在比米軍家族が横須賀へ持ち込み、一般化した、という事例の背景にピナツボ火山噴火と在比米軍撤退があったりしています。

Img_7051 しかし、在比米軍撤退の影響は即座に生じました。それは1993年に発覚したフィリピン領ミスチーフ環礁の中国軍による占拠事案です。もともとフィリピンは国内の共産ゲリラ対処に主眼を置き、一定規模の海兵隊を保有していましたが、海軍力と空軍力は非常に限定的で米軍の抑止力に大きく依存していたのです。数少ない戦闘機はピナツボ火山噴火により損傷し、軽戦闘機が僅かに数機が残る程度、海軍は第二次大戦中に建造され、海上自衛隊創設当時に米軍より供与された旧式艦を米軍返還後に再供与されたものを修理し動かしていたほど。

Img_659_2 こうした十分な対抗手段を持たなかったフィリピン軍は索敵手段や哨戒手段さえも有さず、結果、ミスチーフ環礁の占拠事案は日本の商船が航行中、フィリピン領内に中国軍が駐留している様子を偶然発見し、不審に思いフィリピン政府に問い合わせたことでようやく気付いた、というほどです。これを契機に、フィリピン政府は外交手段での中国軍退去を求めますが如何とも出来ず、加えて南沙諸島におけるフィリピンが領有権を主張する海域へも中国艦艇が遊弋するようになり、外冦力での打診が降下を奏しない以上、打つ手が無くなった状況となりました。

Img_0155a フィリピン政府は、これを契機に、アメリカ製初期型F-16戦闘機の導入や韓国製超音速軽攻撃機の導入の模索を行い、近年はアメリカ沿岸警備隊用中古外洋カッターの導入や南米からの欧州製中古フリゲイトの導入を行い防衛力を強化するとともに、2002年からは本格的に米比合同演習の再開を行い、日本へも経済支援の一環としての巡視船無償供与などを打診してきました。しかし、こうした水準の対おうでは中国の軍事的圧力を抑え込むには限界があります、簡単な話ではありません。

Img_7751 在比米軍の再駐留要請は、フィリピン軍では中国軍の圧力を抑えることが現実的に難しくなったため、アメリカへ要請した、という構図です。フィリピン政府が米軍依存の防衛体制を構築し、加えて在比米軍撤退後にも十分な防衛努力を払わなかったため国土の一部を中国軍に占拠され、二十年を経ても打開策を得ることが叶わず、改めて米軍の抑止力を以てフィリピンの防衛を計ろう、という姿勢です。ただ、基地を米軍へ提供したとしても、駐留経費などを負担するフィリピンの財政余力は無く、往年と比して非常に小規模となるでしょう。

Img_1754 他方、鳩山内閣時代に普天間基地国外移転が検討された際、東宝では非常に突飛な案ではあるが、国外移転であれば台湾有事への介入を前提とするならば、台湾に地理的に近いフィリピン北部の旧米軍基地へ在沖米軍部隊を移転させるほか方法はない、という提案を行っています。スービック湾へ両用戦艦艇部隊の一部を移転させ、海兵地上戦部隊の中でも海兵遠征群と海兵航空部隊を移駐させる、日本国が居であれば、まさか台湾本島へ駐留させるわけにもいきませんので、フィリピンを提案したことを思い出します。

Iimg_6660_1 無論、日本より外に米軍を移駐する場合の経費や、航空優勢確保のための空軍部隊を何処に駐留させるのか、両用戦艦艇部隊を移駐させた場合にその護衛の水上戦闘艦部隊をどうするのか、など真剣に考えれば非常に現実味は低かったものだったと認めますが、当時としてはクラーク空軍基地跡地が再開発されていたため再利用は不可能だ、と考えられていたことを挙げますと、時代の変化とともにそこまで安全保障情勢が厳しくなっていることを認識せざるを得ない、というべきでしょうか。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (6)
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