◆歴史地震を想定外のまま放置するという現状
思い起こせば阪神淡路大震災は、歴史地震として過去に地震災害の兆候がありながらも想定外のまま対策なしに迎え、被害が拡大したものでした。
八重山地震は、これまでの特集で示したように非常に広範囲の被害を及ぼす地震として過去に発生しています。仮に今日、同規模の地震が派生した場合、先の八重山地震と異なり被害地域には人口密集地域が増大しているため、被害は、八重山諸島の人口が震災復興の失敗による飢餓も含め半減したという先の地震よりも広域化することは間違いありません。
歴史地震の再来、八重山地震においては考えられる被害は以下の通り。八重山諸島へ地震被害及び甚大な津波被害、沖縄本島へ津波被害、九州南部への津波被害、台湾北部へ津波被害と高層建築物へ長周期振動被害、中国沿岸部へ津波被害と高層建築物への長周期振動被害、こういったものが想定されるところです。
こうした被害そのものも恐ろしいものではありますが、何よりも恐ろしいのは八重山諸島における津波被害が過去の八重山地震で実際に甚大なものが発生している歴史がありながら、沖縄県庁が具体的な防災行政を放棄しており、八重山諸島における津波対策はもちろん、建築物に標高を明示する以外の対処想定や行動計画を行っていない、という事が大きい。
八重山地震の再来が現実となった場合、どの飛行場が津波被害から飛行場機能維持できるのか、自治体の防災機能はどの程度維持出来るのか、津波被害時の港湾機能復旧は自治体と協力企業により自己完結可能であるか否か、病院施設等の設備の高台移転への取り組みの度合い、など。
また、最大の被害をうける八重山諸島は我が国が中国政府より軍事的脅威を受けている尖閣諸島から170kmの距離にあり、この海域に災害派遣名目での大規模な部隊展開を行った際、災害派遣部隊に対し中国海空軍が尖閣諸島方面での挑発を行う可能性は無いのか、という点も考えねばなりません。
加えて、これは沖縄県の防災計画ではなく、日本政府としての対外的な立場の明示が必要となるのですが、台湾北部における津波被害が生じた場合に台北の中華民国政府より米政府へ要請があった場合、在沖米軍が台湾方面へ物資輸送や急患収容等を実施することとなりますが、日本政府として日米が協同する際に北京との調整を如何に行うのか、ということ。
無論、中国本土も沿岸部の福州や上海は津波被害を受け、南京には長周期振動被害が及ぶため、中国政府が四川地震の際のように断らなければ、米海軍が中国沿岸部での人道支援を受ける事となりますが、仮に在沖米軍や在日米軍の台湾方面での人道支援を中国軍が妨害した場合、緊張が高まることとなるでしょう。
幸い、南西諸島での大規模な防災訓練を実施した場合では、先の北朝鮮弾道ミサイル事案に際しての八重山諸島弾道ミサイル迎撃部隊前方展開時に中国政府は、ペトリオットPAC-3について、対航空機用のPAC-2に装填し換えればかなりの射程を有する装備の搬入に際しても理解を示しており、大規模な災害派遣演習を石垣島や宮古島で実施した際にも影響は考えられないところではあります。
しかし、地震災害を念頭に台湾への人道支援の枠組みを考えた場合、これは非常に中国の掲げる一つの中国という国是とは関わる事ではありますが、必要性の反面に大きすぎる政治的障壁を感じざるを得ないものでしょう。対して、過去の台湾中部地震等では各国援助の申し出を北京政府が干渉し中止させ、しかし一つの中国という政策に矛盾するように、北京として台北への必要な人道支援は実施しませんでした。
実は八重山地震とは、地震と津波による被害よりも、これが紛争の引き金と成る、即ち二次被害の方が大きいのではないか、という危惧を前回の掲載で示したところですが、こうした想定されている二次被害であっても政治的障壁から、防災上の想定外ではなく、政治的に想定外とせざるを得ないところが大きいと考えます。
理想としては、被災地の被害管区を明確に分け、自衛隊と中華民国軍に人民解放軍と米軍を多国間部隊に編入し、被災地の管轄権に応じ統合任務部隊を指揮することが望ましいのですが、沖縄での防災部隊で自衛隊が人民解放軍を隷下に置く、台湾で中華民国軍が人民解放軍の運用を統制する、という方式は、簡単にはできない問題があります。
しかしながら、予測不能な地震を契機として有事へ、というのも論理飛躍が大きすぎるのではないか、という視点はあり得るかもしれませんが実態はそうではありません。短期的には、奇襲の準備などは成り立たないものであるところですけれども、地震被害は長期化するものです。
例えば李氏朝鮮の世宗が大軍で対馬へ侵攻し数百の対馬領主に撃退された1419年応永の外冦は1361年の南海トラフ連動型地震である康安地震の被害が長期化し、1408年の紀伊地震により室町幕府の統治機構が麻痺している状況下で発生した我が国への侵略です、応永の外冦の要因は、倭寇への反撃という名目でしたが、倭寇の要因は室町幕府が震災により税収が悪化し、取締の能力が喪失したためでした。
幕末の安政大地震などは、1853年の黒船来航で中央集権や海防の在り方を再検討している翌年の1854年に安政東海地震が発生しその翌日に安政南海地震が発生、翌月に安政豊予海峡地震が発生、翌1855年に安政江戸地震が発生し、幕府の統治能力が弱まり、その後の混乱へと続きました。ほか、1923年の関東大震災による政情不安がその後の我が国対外政策へ影響した要素も無視することはできません。
もちろん、沖縄トラフ地震を過度に警戒する必要はありません。しかし、台湾と中国本土に日本が同時に被害に遭う可能性と、津波災害への対応と部隊集中の可能性を事前調整していない、この沖縄トラフ地震への準備が政治的に難しい障壁があるため、結果的に無防備の状態を維持しなければならない現状こそが、この歴史地震再来を考える上で最大の脅威です。
想定外と政治的にせざるを得ない実情はあっても、必要な措置は採らねばならない東日本大震災での教訓は活かされるべきでしょう。さて、今回で八重山地震と沖縄トラフ地震に関連しての想定は完結しますが、次回からは現在、南海トラフ連動地震と首都直下地震の脅威を最重要視している陰に隠れた、過去の災害についても考えてゆこうと思います。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)