◆鎮魂:戦争と平和の連環を考える
第二次世界大戦は1945年8月15日、日本がポツダム宣言受諾を公表し、漸くその終止符を打ちました。
第二次大戦において我が国は枢軸陣営に位置し、日本、ドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイとともに世界を相手に戦争を繰り広げました。特に我が国は、周辺に枢軸国の同盟軍が無く、中国大陸と太平洋で米軍、南方でイギリスやオランダ軍と戦い、最後にはソ連軍とも戦火を交えた、世界地図で見るだけで厳しい状況にあったことが分かります。
先の大戦がその他の戦争や武力紛争と異なる最大の点は、と問われれば、これは国際連合を基本的枠組みとする世界秩序を構成する重要な過程となった点で、特に国連憲章の理念が今日の国際公序を形成したところにあり、言い換えれば二つの国際秩序の試みが衝突した、という点が特異であり、ここに敗北した、という意味が大きかった、と言えるのかもしれません。
戦争のできない国、先の大戦の敗戦までは、我が国は戦争を遂行していたわけなのですが、戦後、特に今日我が国は戦争のできる国にならないように、という議論が広がっていることから、逆説的に戦争のできない国である、という事が見て取れます。すると、戦争が出来ない国が戦争が出来る国に侵略された場合はどうなるのか。
先の大戦で枢軸国の一陣を担い、そして戦い抜き敗戦を迎えた我が国ではありますが、これは即ち国際公序への挑戦を行った、という意味であることから史上初の国家への無条件降伏を停戦条件として突き付けられ、終戦と共に占領を経て、特に占領軍が国家の基本的法体系に干渉するハーグ陸戦条約への違反とも解釈されうる国家体制の変革を求められたという意味でも特殊でした。
ただ、我が国は終戦後68年、と繰り返されるように、68年という今日の世界では例外的に長い平和を享受することが出来たわけで、この間、占領時期は去り、不当な圧制なども主権回復後は無くなり、この点に基本的人権や国民福祉という観点からは価値を見いだせる部分は大きい、と言えるでしょう。
他方、平和というものが我が国において日常化されている反面、仮にこの平和を我が国が主体的に努力を行わなければ維持できなくなるというような状況に陥った際には、如何にして武力紛争を長期的に回避するのか、という努力の重要性を、安全保障上の観点から具体的に検討する能力を保持し続けているのか、という疑問が無いでもありません。
改めて述べるまでもなく、第二次大戦後我が国は帝国議会において連合国総司令部の協力をもとに作成された日本国憲法への憲法改正決議を経て、戦争放棄を主軸とした新憲法へ改憲を果たしました。この結果、憲法上は国家の交戦権と陸海空軍を放棄し、新しい国家再建の道を歩みました。
しかし、国際政治において、武力紛争の可能性は依然として残り、これに対し軍事力を背景とした交渉体系を予め放棄している我が国は、外交政策において採り得る選択肢を制限したことともなり、結果的に外交と防衛力の連環を求められる分野においては、第二次大戦後占領に主導権を採り、主権回復と共に同盟条約を締結したアメリカの支援下で検討せざるを得なくなりました。即ち、安全保障面での外交政策を自ら鎖国した、と言えるのかもしれません。
こうした歪な体制は、元来は連合国が日本の再武装を認めない代償に日本の平和を担保するという構図があり、同時に第二次大戦が終結すれば次の戦争は起きないであろうという一種の楽観論、連合国が世界秩序を構築するのだから、全ての国々が連合国に加盟すれば戦争は起きない、という基盤に依拠したものだった、ということにもなります。そして、その根幹が破綻し、日本は世界の求めに応じ防衛力として自衛隊を創設、今に至ります。
何よりも我が国は戦後経済的に奇跡的な復興を遂げ、国際経済や国際金融政策において非常に大きな地位を担ったほか、科学技術や学術研究においても世界有数の規模を有するに至りました。例えば経済面では中国に圧迫されているという意見もあるかもしれませんが、通貨が外貨に連動している中国は舞台に立つことも出来ず、基盤面では未だ比較できません。
こうした地位を担った我が国は、少なくとも世界政治、特に安全保障面に責任を持つことが求められているわけなのですが、これが憲法上難しく、外交面でも前述の通り採り得る選択肢を自ら狭めていることから、却って軍事面が絡む我が国周辺の問題を複雑化させています。仮に軍事力を背景とした外交政策を展開できるのならば、こうはならないのでしょうが。
結果、戦争が出来ない国日本、という世界でも特異な国に対し、周辺の普通の国が例えば我が国離島を軍事力で奪取する強硬手段を、自衛権が発動出来る状況下に追い込まれるまで、対応をできないという事になり、いわば予防外交と抑止力の中間に或る、武力紛争回避最後の手段をとれないことになっていることも意味し、これは却って戦争を誘発するのではないか、という危惧を抱かないでも、ないところ。
これでは爆発するまで決定的な対応を採れず、自衛権発動は国土が戦場となる状況を意味するため局地戦を越えて一挙に本土決戦を行わなければならない、という、いわば日本の戦争を認めない平和主義とは、一旦破綻すれば非常に大きな戦争に展開する可能性を内包しており、それならば、自衛権や防衛に関する政策を修正したほうが、結果的には人死には少なくなるのではないでしょうか。
加えて我が国土は海洋に面した火山性弧状列島に位置し、大陸外縁部の入り口大陸沿岸の防備にも攻撃拠点にもなり得るという、どうしても地政学的に衝突する位置にあるほか、国土は地震災害や津波災害と火山災害から切っても切り離せない位置にあるため、最大限の国富と技術力を常時蓄積しておかねば国民は生き延びることが難しく、好むと好まざるとを問わず、国家は大きくなってしまいます。
第二次大戦の敗戦は、こうした意味で大きな変革を我が国強いて、しかし、この変革の背景にあった国際秩序の規範性が不十分であったことから、望む方向へ展開されなかった反面、我が国は安全保障上の脆弱性と歪な構造を抱えたまま、今日に至り、結果として基本となる平和への姿勢が我が国が望まずとも悪い方向へ至っている、というものがどうしても皮肉なものだと感じずにはいられないところです。
ただ、一つ考えるのは、我が国は枢軸の一員として先の大戦を戦い抜きましたが、第二次上海事変の時点まで、枢軸国の中核となるドイツは中華民国との関係を深めており、日中全面戦争展開の背景にもドイツ軍事顧問団の影響がありました。これは言い換えれば、中国の敗走を以てドイツが中国を見限り、我が国への接近を強化したわけなのですが。
この一本の分かれ道において、ドイツの接近を我が国が拒否し、中国とドイツの関係性を維持する方向で我が国が国際政治を展開したのであれば、日中で常任理事国と旧枢軸国という位置関係は逆転していたのかもしれません。枢軸国中国に対し、我が国はアメリカの支援下で、という構図もあり得たわけなのです。
このように考えると、我が国の敗戦国としての位置づけというものは一考の余地があるのではないでしょうか。もちろん、先の戦争を正当化する立場をとるわけではありません、仮に先の戦争を正当化する方に対し、先の大戦が良かったというならば、準備出来次第同じことをもう一度やるべきか、と問うたならば、やはり回答は否なのですから。しかし、先の敗戦をことさら重大視しすぎる立場にも、少々一考の余地は無い物でしょうか。
戦争が出来ない国が戦争が出来る国に侵略された場合はどうなるのか。先ほどの問いは、普通に考えれば、戦争が出来ない国とは自国を防衛できない国であるので、蹂躙されるに任せるだけなのでしょうから、結果戦争は起きない、一方的な併合があるのみなのではあるのでしょうが、防衛力があり制度上戦争が出来ない国、というのは前例がありません。ただ、これを我が国に当てはめた場合、いわゆる識者を含め問うてみても、そんなことは起きえないの一点張りのみで、論理的な回答はありませんでした。
もっとも、先の大戦には東南アジア諸国においても首脳からは一言物事を言いたい分野はあるようですが、対して現在進行形で我が国の隣国からその主権を脅かされている事象に対し手を殊更一層大きな声で一言述べたい状況下にもあり、この分野についても、単に先の大戦への敗戦の反省から不関与と無視を貫く、という姿勢は、逆に平和への冒涜になるのではないか、こう危惧もする次第です。
北大路機関