◆南西諸島護る航空基地群
那覇基地航空祭からの帰路、機内から撮影した沖縄の基地風景を一つ。
航空法改正を受けて離陸着陸中の一部電子機器の使用が緩和されたことで、様々な写真を収める事が出来るようになりました。他方、沖縄へ何度か足を運んだのですが、雲中飛行や夜間飛行など旅客便、折角午前中の便を予約しても降雪で便変更を余儀なくされたりで撮影出来なかったのですが、このたび沖縄本島の航空基地を俯瞰風景として写真に収めることg出来ました。
那覇基地、今回の展開はこの那覇基地航空祭を撮影するためのものでしたが、航空自衛隊那覇基地として第83航空隊を主力とする南西方面航空混成団司令部が置かれ、南西諸島防空中枢を担うとともに海上自衛隊第5航空群が展開し南西諸島における洋上及び対潜哨戒を担う、加えて陸上自衛隊第15ヘリコプター隊が駐屯しています。
沖縄本島南部の基地で、遡れば海軍小禄飛行場を始まりとする基地で大戦中の基地がそのまま南西諸島防衛の拠点となっているのですが、加えてここは那覇空港、観光産業に大きく依存する沖縄県空の玄関口としての機能を担っています。さらに沖縄県警と海上保安庁も使用しており、日本屈指の過密空港といえるでしょう。
普天間飛行場、普天間基地。第一海兵航空団の航空部隊が展開しており、可動翼機と回転翼機に固定翼機が配備されています。沖縄における海兵隊最大の航空拠点であり、飛行場機能としては航空機40機程度が配備されている基地ですが、有事の際は300機程度の航空機を収容可能、とのこと。
普天間飛行場は宜野湾市の中央に位置し、市内の多くの面積を占有しているため名護市辺野古へ移転予定です。しかし、元々普天間は宜野湾市に含まれたのは1970年に北中城村の合併の際で、元々は宜野湾市の中央に普天間飛行場顔枯れていたのではなく、宜野湾市の町村合併で普天間飛行場を取り囲んだ、という経緯がありました。
嘉手納基地、日本最大というだけではなくアジア地域最大の空軍基地、スペースシャトル運用時代には北東アジア地域における緊急着陸飛行場にも指定されていました。米空軍第18航空団が展開していますが、F15戦闘機2飛行行隊を主力とするほか、E-3早期警戒機やKC135空中給油機などを装備しており、戦闘機数だけではこの航空団の実力ははかれません。
那覇空港を離陸を始め嘉手納基地が見えるようになるまで15分、かつて民主党が普天間移設計画を白紙撤回し混沌を生み出すまで、自民党は此処嘉手納基地以南までの米軍施設を全返還させる方針にて移設計画を進めていました。大きく旋回したとはいえ実質飛行機で15分もの距離まで沖縄の空の玄関那覇空港から米軍施設を返還しつつ、抑止力を維持させる細心の計画を進めていた、と、驚かされると共に、辺野古移設計画の混乱が全てを遅延し、再開しつつも白紙に戻しつつある現状を残念に思う次第です。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
那覇基地航空祭からの帰路、機内から撮影した沖縄の基地風景を一つ。
航空法改正を受けて離陸着陸中の一部電子機器の使用が緩和されたことで、様々な写真を収める事が出来るようになりました。他方、沖縄へ何度か足を運んだのですが、雲中飛行や夜間飛行など旅客便、折角午前中の便を予約しても降雪で便変更を余儀なくされたりで撮影出来なかったのですが、このたび沖縄本島の航空基地を俯瞰風景として写真に収めることg出来ました。
那覇基地、今回の展開はこの那覇基地航空祭を撮影するためのものでしたが、航空自衛隊那覇基地として第83航空隊を主力とする南西方面航空混成団司令部が置かれ、南西諸島防空中枢を担うとともに海上自衛隊第5航空群が展開し南西諸島における洋上及び対潜哨戒を担う、加えて陸上自衛隊第15ヘリコプター隊が駐屯しています。
沖縄本島南部の基地で、遡れば海軍小禄飛行場を始まりとする基地で大戦中の基地がそのまま南西諸島防衛の拠点となっているのですが、加えてここは那覇空港、観光産業に大きく依存する沖縄県空の玄関口としての機能を担っています。さらに沖縄県警と海上保安庁も使用しており、日本屈指の過密空港といえるでしょう。
普天間飛行場、普天間基地。第一海兵航空団の航空部隊が展開しており、可動翼機と回転翼機に固定翼機が配備されています。沖縄における海兵隊最大の航空拠点であり、飛行場機能としては航空機40機程度が配備されている基地ですが、有事の際は300機程度の航空機を収容可能、とのこと。
普天間飛行場は宜野湾市の中央に位置し、市内の多くの面積を占有しているため名護市辺野古へ移転予定です。しかし、元々普天間は宜野湾市に含まれたのは1970年に北中城村の合併の際で、元々は宜野湾市の中央に普天間飛行場顔枯れていたのではなく、宜野湾市の町村合併で普天間飛行場を取り囲んだ、という経緯がありました。
嘉手納基地、日本最大というだけではなくアジア地域最大の空軍基地、スペースシャトル運用時代には北東アジア地域における緊急着陸飛行場にも指定されていました。米空軍第18航空団が展開していますが、F15戦闘機2飛行行隊を主力とするほか、E-3早期警戒機やKC135空中給油機などを装備しており、戦闘機数だけではこの航空団の実力ははかれません。
那覇空港を離陸を始め嘉手納基地が見えるようになるまで15分、かつて民主党が普天間移設計画を白紙撤回し混沌を生み出すまで、自民党は此処嘉手納基地以南までの米軍施設を全返還させる方針にて移設計画を進めていました。大きく旋回したとはいえ実質飛行機で15分もの距離まで沖縄の空の玄関那覇空港から米軍施設を返還しつつ、抑止力を維持させる細心の計画を進めていた、と、驚かされると共に、辺野古移設計画の混乱が全てを遅延し、再開しつつも白紙に戻しつつある現状を残念に思う次第です。
北大路機関:はるな
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