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【京都幕間旅情】清水寺,春夜間特別拝観(前篇)春の京都宵闇彩る幻想的な観桜と信仰の燈火

2017-04-12 20:02:31 | 写真
■音羽山清水寺春の夜間特別拝観
 音羽山清水寺、京都春の風物詩のひとつ、夜間特別拝観が9日まで拝観者を迎えました。遅咲きの桜花と観桜には少し早い情景ですが、ご覧いただければ幸い。

 清水寺、1200年の歴史を伝える京都を代表する寺院です。今回は春の夜間特別拝観の様子を紹介しましょう。さて山門を観て横には馬駐があり、かつてはこの場所に夜間特別拝観の受付がありましたが、仁王門をへて清水寺の境内は今年広く参拝者を招いています。

 西門、極楽浄土は西方にあるとの言い伝え故に西門は荘厳美麗の場所なのですが、既に補修工事が始まっています。清水寺は江戸時代まで参拝者が参拝の後、宿坊に宿を取ることができまして、西門には夢殿として参拝者が宿坊に際し朝最初に足を運んだ場所という。

 夢殿、この西門のとなりに在ります伽藍は清水寺が江戸時代に宿坊を行っていた時代、朝最初に参拝者が見た夢を夢殿にて伝え、そこから夢見の意味する事を問うた占いを願い出ることができました。このため西門は江戸時代まで、この清水寺を代表する参詣の場であったとも。

 三重塔、階段を上りまして右手にみえる仏塔です。三重塔は31m、日本でもっとも高い三重塔ですが最初の塔は応仁の乱で炎上、江戸時代に再建されまして知性を司る来日如来を安置しています。朱色の仏塔は昭和末期に創建当時の朱色の彩色を再現し今に至ります。

 極彩色の仏塔を観ますと、半世紀ぶりに行われる工事の喧騒を眺めつつも、これからはじまる復元工事にも期待が高まるのは当方だけでしょうか。三重塔は幾重の屋根が上に行くほど大きな構造物や図柄となり、遠近法を考慮した設計となり、威厳を今日に伝えます。

 本堂は三重塔に奥まり、いよいよ奥へと進むわけです。手前の田村堂、お堂は江戸時代や平安時代には参拝者に開放されており、寺の開祖を祀ったお堂です。清水寺は開祖を田村堂としていますが、この由来は坂之上田村麿が山中、鹿狩りを行ったさいに由来がある。

 延鎮正人に坂上田村麻呂は鹿の殺傷をとがめられ、この鹿を弔ったことから清水寺が始まったとのこと、これは清水寺の始まりですが、最初の征夷大将軍坂之上田村麿が開祖として今日にも崇敬を集めているわけですね。隣に鹿間塚として鹿狩りの鹿も祀られている。

 寺を代表するのは崖の上の本堂、この本堂は国宝で、清水寺といえば本堂を示すものといえるかもしれません。正面は36m、高さ18mという建物です。本堂は崖にせり出した舞台が代表的な形状、清水の舞台から飛び降りる、という語原で、これはご存知の通り。

 本堂と清水の舞台は本尊への雅楽や舞をおこなうための舞台として位置づけられています。50年に一度の大修復が行われているところではありますが、半世紀に一度しか見る事のできない貴重な情景です、今ならば夜景の雰囲気がいつもと違う本殿を拝めるでしょう。

 本堂の修復が進む様子、半世紀に一度の修理は檜皮蕗の屋根を張り替えるというもの。本堂におさめられるのは十一面千手菩薩が祀られています。祈る手の上にはさらに小さな仏像、33の姿に変化し人々を救うとされます。本尊はもう一つ奥に秘仏として納められる。

 半世紀に一度の修復故に少々往事の本堂の姿をみるには時を置く必要がありますけれども、半世紀に一度しか拝むことができない修復の姿を参詣していると考えるならば、これはちょっと何かの縁を感じることができるやもしれませんね。よい視点から考えてみましょう。

 奥の院、本堂のさらに先にあります。延鎮正人由来の建物で、清水寺の舞台と本堂よりも、この奥の院からお寺は始まりました。本堂の桧一枚の大舞台を望見できる本堂と、そして奥の院、この奥の院にも舞台があります。絶景、奥の院から望む本堂の様子はほぼすべて。

北大路機関:はるな くらま
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