■冷戦期はるな後継艦の空母構想
日本DDH物語、第八回はどの水準まで検討されたかが未確認情報であったが故、扱いが難しいものですが、一つの視点として紹介する事としました。

護衛空母構想は海上警備隊時代から定期的に自衛隊防衛力整備構想へ再度姿を現せるものとなりました、とは前回の結びですが、シーレーン防衛への学術研究や部内研究会において、防衛計画へ反映されない範疇において様々な施策が提示されてきました。四月一日ですので、その中で一番凄い、空母計画案で一種ぶっ飛んだ試案の一つを紹介しましょう。

中曽根首相時代の論文に七個護衛隊群の必要性を提示したものがありました。護衛隊群は漸く護衛艦はつゆき型の量産が軌道に乗り、昭和70年代までにイージス艦、当時はエイジス艦、と記載されるものも多いのですが、その整備が具現化し、ミサイル護衛艦として導入されるイージス艦が基準排水量で実に6000tを超える事が確実となった時代のお話です。

当時ヘリコプター搭載護衛艦は新造時、はるな型が4700t、しらね型が5200t、でしたので、基準排水量で6000tを超えるミサイル護衛艦、その強力なミサイル護衛艦が護衛する護衛隊群旗艦は、より大型の水上戦闘艦となる可能性があった訳です。海上自衛隊の空母建造計画、しらね型護衛艦画定に至る全通飛行甲板型巡洋艦案や、巡洋艦隊構想等ありました。

イージス艦が防護する艦隊旗艦の方向性について、その上で航空母艦の建造研究、計画では無く研究ならば様々な視点が展開する事は可能なのですが、中曽根首相時代に資料が集められた装備に、フランスの将来空母計画、現在のシャルルドゴール級原子力空母があったと、されています。勿論、原子力空母導入の計画ではなく、単なる研究の可能性が高い。

はるな型護衛艦の後継に35000t型航空母艦、如何にも突飛に見えますが、当時の護衛艦は延命改修が行われなければ艦齢25年、この頃護衛艦はるな型はFRAM近代化改修が開始されていましたが、その先に、当時の経済成長が継続するならば、経済力から航空母艦を導入という流れは、必ずしも有り得ない、とは言いきれない背景があったかもしれません。

しかし、凄いのは護衛艦はるな型後継艦に非常に大型の航空母艦を構想すると共に、護衛隊群を七個まで増大させる必要性を並行して示していた為、見方によっては空母七隻を量産する、という必要性を提示していたとも見て取れます。艦載機だけで、F/A-18Cを導入するのか、国産FS-Xを搭載するのか、どの道にしても必要な装備は膨大となるでしょう。

七個護衛隊群の現実性ですが、海上自衛隊は第二次防衛力整備計画で第3護衛隊群を新編し、その後、石油危機の翌年に第4護衛隊群を新編しました。当時はイランイラク戦争に端を発するペルシャ湾タンカー無差別攻撃事案等が発生、現在ほど集団的自衛権行使の法的基盤が無い為、日本独自でシーレーンを守らねばならず、必要な防衛力は大きかった。

一方で、空母七隻となれば話は別で、それだけの人員増に対応できるかと問われれば、厳しいといわざるを得ません。また、当時のフランス時期空母計画は模索中、シャルルドゴールと艦名が冠せられたのは少しあとですが、続いて設計変更を要する多種多様な問題点が頻発しました。逆に空母構想の背景にはその非現実性を欠いたものが多いともいえる。

同時に、当時、レーガン政権時代にあって中曽根内閣は防衛力増大の要求を受けており、この要求への具体策として、極めて規模の大きな防衛力整備が研究の一つとして挙げられたのでしょうか。こうした施策は言い換えれば、集団的自衛縁論争に併せて、一国平和主義に基づく世界規模のシーレーン防衛の難しさを示す極論といえるのかもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
日本DDH物語、第八回はどの水準まで検討されたかが未確認情報であったが故、扱いが難しいものですが、一つの視点として紹介する事としました。

護衛空母構想は海上警備隊時代から定期的に自衛隊防衛力整備構想へ再度姿を現せるものとなりました、とは前回の結びですが、シーレーン防衛への学術研究や部内研究会において、防衛計画へ反映されない範疇において様々な施策が提示されてきました。四月一日ですので、その中で一番凄い、空母計画案で一種ぶっ飛んだ試案の一つを紹介しましょう。

中曽根首相時代の論文に七個護衛隊群の必要性を提示したものがありました。護衛隊群は漸く護衛艦はつゆき型の量産が軌道に乗り、昭和70年代までにイージス艦、当時はエイジス艦、と記載されるものも多いのですが、その整備が具現化し、ミサイル護衛艦として導入されるイージス艦が基準排水量で実に6000tを超える事が確実となった時代のお話です。

当時ヘリコプター搭載護衛艦は新造時、はるな型が4700t、しらね型が5200t、でしたので、基準排水量で6000tを超えるミサイル護衛艦、その強力なミサイル護衛艦が護衛する護衛隊群旗艦は、より大型の水上戦闘艦となる可能性があった訳です。海上自衛隊の空母建造計画、しらね型護衛艦画定に至る全通飛行甲板型巡洋艦案や、巡洋艦隊構想等ありました。

イージス艦が防護する艦隊旗艦の方向性について、その上で航空母艦の建造研究、計画では無く研究ならば様々な視点が展開する事は可能なのですが、中曽根首相時代に資料が集められた装備に、フランスの将来空母計画、現在のシャルルドゴール級原子力空母があったと、されています。勿論、原子力空母導入の計画ではなく、単なる研究の可能性が高い。

はるな型護衛艦の後継に35000t型航空母艦、如何にも突飛に見えますが、当時の護衛艦は延命改修が行われなければ艦齢25年、この頃護衛艦はるな型はFRAM近代化改修が開始されていましたが、その先に、当時の経済成長が継続するならば、経済力から航空母艦を導入という流れは、必ずしも有り得ない、とは言いきれない背景があったかもしれません。

しかし、凄いのは護衛艦はるな型後継艦に非常に大型の航空母艦を構想すると共に、護衛隊群を七個まで増大させる必要性を並行して示していた為、見方によっては空母七隻を量産する、という必要性を提示していたとも見て取れます。艦載機だけで、F/A-18Cを導入するのか、国産FS-Xを搭載するのか、どの道にしても必要な装備は膨大となるでしょう。

七個護衛隊群の現実性ですが、海上自衛隊は第二次防衛力整備計画で第3護衛隊群を新編し、その後、石油危機の翌年に第4護衛隊群を新編しました。当時はイランイラク戦争に端を発するペルシャ湾タンカー無差別攻撃事案等が発生、現在ほど集団的自衛権行使の法的基盤が無い為、日本独自でシーレーンを守らねばならず、必要な防衛力は大きかった。

一方で、空母七隻となれば話は別で、それだけの人員増に対応できるかと問われれば、厳しいといわざるを得ません。また、当時のフランス時期空母計画は模索中、シャルルドゴールと艦名が冠せられたのは少しあとですが、続いて設計変更を要する多種多様な問題点が頻発しました。逆に空母構想の背景にはその非現実性を欠いたものが多いともいえる。

同時に、当時、レーガン政権時代にあって中曽根内閣は防衛力増大の要求を受けており、この要求への具体策として、極めて規模の大きな防衛力整備が研究の一つとして挙げられたのでしょうか。こうした施策は言い換えれば、集団的自衛縁論争に併せて、一国平和主義に基づく世界規模のシーレーン防衛の難しさを示す極論といえるのかもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)