■第9師団派遣隊青森空港帰国
任務完了による南スーダンPKO撤収が閣議決定された一件は既報にてお伝えしていますが、このほど部隊の撤収が開始されました。

自衛隊の南スーダンPKO部隊撤収が開始されました。青森第9師団の要員を中心に編成された自衛隊南スーダン派遣施設隊350名は第一陣が19日までに青森空港へ帰国する見通し、来月末までに派遣施設隊の全員が帰国を完了します。自衛隊はこれまでの南スーダンでの支援任務の成果を生かし、UNMISS司令部業務への要員派遣は継続するとのこと。

南スーダンジュバ市内のUNMISS司令部要員4名の派遣は継続されますが、インフラ整備、そして安全保障関連法整備に基づく宿営地共同防護や他国部隊救出を目的とした駆けつけ警護実施の待機は任務終了となりました。駆け付け警護は集団的自衛権行使となるため憲法違反、国連職員などの危機の際は見捨てるべきとの議論は昨年国会などで盛んでした。

南スーダンPKOは野田政権時代の2012年より開始、スーダンより独立を果たした新国家創造へUNMISS国連南スーダン支援団の一員として派遣されました。当初はスーダン政府との関係から情勢悪化の懸念があり、内陸部に位置し、万一の際の撤退が難しいのではないかとの懸念が想定されましたが、実状は別の問題へ展開しました、内戦の発生です。

国連南スーダンPKOは本来、スーダンから独立した新国家の建設支援を行う目的で派遣され、自衛隊PKO派遣部隊もインフラ整備を主軸とした施設科部隊による工兵任務を主眼として派遣されていますが、南スーダン新国家の主導権を巡る大統領と副大統領の政治闘争が2013年以降、戦車や攻撃ヘリコプターを用いた内戦状態へ発展、緊張が続いています。

自衛隊撤収の背景には、国連からの要請が工兵部隊から歩兵部隊へ転換した点が上げられます。当初自衛隊が派遣された当時、新国家建設に伴うインフラ整備の要請は、内戦とともに文民保護という更に重要な任務需要が生じており、地域防備部隊として機械化歩兵部隊など、人道危機へ即時直接に介入できる近接戦闘部隊の派遣を国連が求めるものでした。

社会インフラ整備は重要なことですが、社会インフラを利用する人々が内戦の飢餓に苦しみ、戦闘に巻き込まれる状況ではインフラ整備の必要性は高くありません。実のところ2013年の内戦発生の時点で、自衛隊の施設整備という任務需要は無くなっていたよう思えるのですが、政府もそして国連もこれほど内戦が長期化する事を予見できなかったのでしょう。

地域防護部隊派遣要請は2013年の南スーダン内戦とともに国連より繰り返されていたもので、自衛隊の活動地域は首都ジュバ近郊に限られていたため、散発的な衝突、反乱軍のT-72戦車が首都で攻撃に移り政府軍のMi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃でこれを撃破するという、衝突が僅かに数える程度でしたが、南部地域程、緊張していわけではありません。

この規模の部隊同士の交戦は衝突ではなく、戦闘といえるのかもしれません。実際問題、各国は日本の政府用語でいうところの衝突を戦闘と報じました。そしてスーダンとの国境地域では断続的な戦闘があり、韓国PKO部隊宿営地が孤立し弾薬不足に陥ったため自衛隊が弾薬を供給、またインド軍などPKO部隊要員の戦死者も出始めるに至りました。

国連平和維持活動とは日本がPKO協力法を制定した当時は、国連総会と国連事務局の所管で進められる任務でしたが、2002年の南スーダンPKO以降、安全保障理事会の法的拘束力を持つ安保理決議に基づきPKOが編成され派遣されています。このため、国連平和維持活動が開始された当時の国連軍とPKO部隊の明確な区分は、やや曖昧となっています。

このため、草創期のPKOでの主任務であった停戦監視のような紛争当事者とならない任務に加え、工兵任務という国家創造への関与、地域防護という紛争当事者への参画が含まれ、実のところ日本のPKO協力法では参加が難しいものとなっていた背景があり、そして、PKOの枠組を安全保障理事会の拘束力ある決議として派遣する施策、無理があるようにも。

日本の国連PKO参加ですが、実質的に南スーダン派遣施設隊の撤収を持って、派遣されている自衛隊要員はUNMISS司令部へ派遣されている4名のとなりました。国際貢献任務では、自衛隊の国際活動教育隊への留学生受け入れなどは1992年から続く自衛隊PKO参加のノウハウを教授することは非常に大きな国際貢献ですし、自衛隊以外の支援もあります。

国連主導ではありませんが、ソマリア沖海賊対処任務への護衛艦派遣と哨戒機派遣は、派遣規模では南スーダン派遣施設隊に比肩しえます。しかし、国連PKOへの部隊規模の参加が完了したことは事実で、政府は国際貢献への次の派遣を模索しているとのこと。ただ、現状のPKOが大きく変容した実状は、あまり深く認識されていないよう思えてなりません。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
任務完了による南スーダンPKO撤収が閣議決定された一件は既報にてお伝えしていますが、このほど部隊の撤収が開始されました。

自衛隊の南スーダンPKO部隊撤収が開始されました。青森第9師団の要員を中心に編成された自衛隊南スーダン派遣施設隊350名は第一陣が19日までに青森空港へ帰国する見通し、来月末までに派遣施設隊の全員が帰国を完了します。自衛隊はこれまでの南スーダンでの支援任務の成果を生かし、UNMISS司令部業務への要員派遣は継続するとのこと。

南スーダンジュバ市内のUNMISS司令部要員4名の派遣は継続されますが、インフラ整備、そして安全保障関連法整備に基づく宿営地共同防護や他国部隊救出を目的とした駆けつけ警護実施の待機は任務終了となりました。駆け付け警護は集団的自衛権行使となるため憲法違反、国連職員などの危機の際は見捨てるべきとの議論は昨年国会などで盛んでした。

南スーダンPKOは野田政権時代の2012年より開始、スーダンより独立を果たした新国家創造へUNMISS国連南スーダン支援団の一員として派遣されました。当初はスーダン政府との関係から情勢悪化の懸念があり、内陸部に位置し、万一の際の撤退が難しいのではないかとの懸念が想定されましたが、実状は別の問題へ展開しました、内戦の発生です。

国連南スーダンPKOは本来、スーダンから独立した新国家の建設支援を行う目的で派遣され、自衛隊PKO派遣部隊もインフラ整備を主軸とした施設科部隊による工兵任務を主眼として派遣されていますが、南スーダン新国家の主導権を巡る大統領と副大統領の政治闘争が2013年以降、戦車や攻撃ヘリコプターを用いた内戦状態へ発展、緊張が続いています。

自衛隊撤収の背景には、国連からの要請が工兵部隊から歩兵部隊へ転換した点が上げられます。当初自衛隊が派遣された当時、新国家建設に伴うインフラ整備の要請は、内戦とともに文民保護という更に重要な任務需要が生じており、地域防備部隊として機械化歩兵部隊など、人道危機へ即時直接に介入できる近接戦闘部隊の派遣を国連が求めるものでした。

社会インフラ整備は重要なことですが、社会インフラを利用する人々が内戦の飢餓に苦しみ、戦闘に巻き込まれる状況ではインフラ整備の必要性は高くありません。実のところ2013年の内戦発生の時点で、自衛隊の施設整備という任務需要は無くなっていたよう思えるのですが、政府もそして国連もこれほど内戦が長期化する事を予見できなかったのでしょう。

地域防護部隊派遣要請は2013年の南スーダン内戦とともに国連より繰り返されていたもので、自衛隊の活動地域は首都ジュバ近郊に限られていたため、散発的な衝突、反乱軍のT-72戦車が首都で攻撃に移り政府軍のMi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃でこれを撃破するという、衝突が僅かに数える程度でしたが、南部地域程、緊張していわけではありません。

この規模の部隊同士の交戦は衝突ではなく、戦闘といえるのかもしれません。実際問題、各国は日本の政府用語でいうところの衝突を戦闘と報じました。そしてスーダンとの国境地域では断続的な戦闘があり、韓国PKO部隊宿営地が孤立し弾薬不足に陥ったため自衛隊が弾薬を供給、またインド軍などPKO部隊要員の戦死者も出始めるに至りました。

国連平和維持活動とは日本がPKO協力法を制定した当時は、国連総会と国連事務局の所管で進められる任務でしたが、2002年の南スーダンPKO以降、安全保障理事会の法的拘束力を持つ安保理決議に基づきPKOが編成され派遣されています。このため、国連平和維持活動が開始された当時の国連軍とPKO部隊の明確な区分は、やや曖昧となっています。

このため、草創期のPKOでの主任務であった停戦監視のような紛争当事者とならない任務に加え、工兵任務という国家創造への関与、地域防護という紛争当事者への参画が含まれ、実のところ日本のPKO協力法では参加が難しいものとなっていた背景があり、そして、PKOの枠組を安全保障理事会の拘束力ある決議として派遣する施策、無理があるようにも。

日本の国連PKO参加ですが、実質的に南スーダン派遣施設隊の撤収を持って、派遣されている自衛隊要員はUNMISS司令部へ派遣されている4名のとなりました。国際貢献任務では、自衛隊の国際活動教育隊への留学生受け入れなどは1992年から続く自衛隊PKO参加のノウハウを教授することは非常に大きな国際貢献ですし、自衛隊以外の支援もあります。

国連主導ではありませんが、ソマリア沖海賊対処任務への護衛艦派遣と哨戒機派遣は、派遣規模では南スーダン派遣施設隊に比肩しえます。しかし、国連PKOへの部隊規模の参加が完了したことは事実で、政府は国際貢献への次の派遣を模索しているとのこと。ただ、現状のPKOが大きく変容した実状は、あまり深く認識されていないよう思えてなりません。
北大路機関:はるな くらま
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