北大路機関

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【G7X撮影速報】富士学校開校65周年富士駐屯地祭,令和初の七夕に開校祭(2019-07-07)

2019-07-08 20:03:20 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■迫力!富士学校祭二〇一九
 日曜日即ち昨日に富士学校祭へ行って参りました、懸念された荒天は開校祭の気迫に圧されたか早朝の小雨は曇天経て晴れ間へ、迫力の行事が来校者に示されています。

 日本全国に学校祭は数多ありますがこの富士学校程戦車が並ぶ学校祭は無いでしょう、次点は陸上自衛隊幹部候補生学校祭というところでしょうか。富士地区、東富士演習場と北富士演習場が並ぶこの一帯は首都防衛無言の鎮めというべき機械化部隊の一大拠点である。

 富士学校祭、今年度も行って参りました。例年混雑が凄い印象ですが、今年度の開校祭は開門前の行列こそ凄かったものの、荒天予報の影響か開門後の来場者はそれほど伸びず、観閲行進の時間帯では十年ほど前の富士学校祭を思い出す程度に余裕ある人口密度でした。

 機甲教導連隊、駒門駐屯地創設記念行事にて本邦初公開となりました連隊ですが従来の戦車教導隊伝統の中隊マークは連隊マークのシートが上から被せられていました、第4中隊と偵察中隊は完全に書き換え、戦闘中隊も張り替えではなく塗り替えとなっていましたね。

 自衛隊行事と云えば混雑、という富士学校祭ですが、自衛隊駐屯地が集まる富士地区にあって富士駐屯地は最も御殿場駅から遠く、本年は余り混雑しなかった背景には、静岡県への荒天予報があり、夜明け前に進出する方々程、近所の方が赴くのを断念したのでは、と。

 学校長高田祐一陸将の巡閲、富士学校は本年の改編で情報教導隊を新編、更に隷下の富士教導団も戦車教導隊と偵察教導隊を再編し新たに東部方面隊隷下東部方面混成団第1機甲教育隊を統合し、機甲教導連隊を新編、第2戦車連隊以来の戦車連隊新編となっています。

 富士学校創設の主旨は普通科と機甲科と特科、旧軍でいうところの歩兵科と戦車と砲兵科を統合運用せねば現代陸上戦闘へ対応できない、という視点に基づきます。そして多次元統合防衛力という戦域の多次元化へ自衛隊がどの様に対応するか、その研究の重責を担う。

 旗の敬礼を以て高田校長へ敬礼、一斉に中隊旗が旗風を巻き起こすこの瞬間は式典を象徴する情景の一つといえるでしょう。富士学校の改編は上記情報教導隊や教導団改編に留まらず昨年に諸職種協同センターを開講し、更に総合火力教育訓練センターを開講、と続く。

 自衛隊有数の機械化部隊である富士教導団ですが、富士駐屯地より戦車教導隊が駒門駐屯地へ移駐した上で機甲教導連隊となり、参加戦車は少なくなった。重ねて定員増無しの水陸機動団や即応機動連隊等の新部隊編成が自衛隊全体に影響を与えているのではないか。

 機甲教導連隊新編は、既存部隊の集約統合による再編の結果とはいえ、1981年の第7師団戦車連隊創設や、上富良野の第2戦車連隊の1995年新編に続く、24年ぶりの戦車連隊誕生でもあり、併せて本州に戦車連隊が置かれたのは第二次世界大戦後初の事でもあります。

 情報教導隊の新装備、スキャンイーグル無人偵察機が見えます。今年度の富士学校祭は何かある、と言われていたのですが新編の機甲教導連隊にばかり注目していたところを砂漠迷彩を思い起こす装備が妙に目立ち、撮影位置を陣地変換したところに気付いたという。

 観閲行進準備の号令、今回の撮影位置は富士駐屯地の斜面と呼ばれる行事の定番撮影位置を少し上段に近い位置、下段ですと戦車を見上げる迫力の構図となりますが、晴天の日には直射日光、雨天となれば豪雨直撃となる難点がありましたので、この位置を選びました。

 富士教導団旗を先頭に観閲行進が始まります、そして観閲行進の先頭は情報教導隊、情報教導隊は正確には富士学校隷下ではなく小平駐屯地の情報学校隷下に置かれているのですが、富士教導団旗に続いて参加しています、諸職種協同センターとの関係なのでしょうか。

 情報教導隊の観閲行進、今回の記念行事で初公開となりましたスキャンイーグル無人偵察機がこの観閲行進にも参加しています。実物は実物大模型よりも若干小さく感じ、胴体部分は79式対舟艇対戦車誘導弾と同程度、という印象、全体的な印象では軽量で安価そう。

 普通科教導連隊の観閲行進、連隊旗を先頭に進む。連隊旗の白地が不思議な風情を醸し出しています。この観閲行進が始まる頃、所謂正面斜面撮影地は例年人口過密地域となるのですが、本年は冒頭に示しました通り、混雑はそれ程ではなく若干の余裕さえありました。

 89式装甲戦闘車、後継装備の研究が噂される装備です。結局北部方面隊の各師団に一個連隊が回る計画でしたが、冷戦終結により第一線へは3個中隊分で量産終了、生産数はMLRSよりも少なかった。いっそMLRSと共通車体のM-2装甲戦闘車を配備した方が良かったか。

 軽装甲機動車の第2中隊、安価で使いやすいという装備は自衛隊の国際貢献任務本格化の時期に間に合った装備で非正規戦闘での突発状況から、軽対戦車誘導弾や機関銃の機動用装備として時代の需要に合致した装備でした。後続するのは高機動車化の第3中隊です。

 96式装輪装甲車、装甲は薄いですが兎に角小型で安価でした。過去形なのは後継車両を開発した小松製作所が要求仕様書に無い理由で不採用となった事で防衛産業撤退を発表した為です。小型でなければ平時の訓練移動さえ支障が大きく、個人的に成功した設計と思う。

 重迫撃砲中隊、装備する120mmRT重迫撃砲は直掩火力である105mm軽砲を置き換えた装備です。もっともこれが通用するのは射程のみ、今後は対砲兵戦や第一線の錯綜地形での運用を考えますと迫撃砲は指揮情報中隊と組み合わせ、運用すべきなのかもしれません。

 特科教導隊、JMPQ-P13対迫レーダーが観閲行進に参加していました。遠隔操縦システムFFOS等、特科部隊と云えば視程外の目標との戦いが基本であり、情報RMAと包括された軍事機構の情報優位への概念は遡れば砲兵部隊の情報処理と情報共有が基点にあります。

 富士教導団の観閲行進ではさり気なく新装備が参加する事も多く、一瞬一瞬が気を抜けないのですが、EOS-7Dにて自由に撮影しつつ、本記事の撮影はG3Xを三脚上に装着しまして定点撮影、つまり適当に撮りました。それでも十分撮影、カメラ機器技術の進歩は凄い。

 FH-70榴弾砲、自走榴弾砲並の火力を持つ自走榴弾砲並の費用を有する欧州製火砲、本土特科火力近代化の切り札として実に479門もの多数が配備されましたFH-70ですが、順次廃止が進み、現在は後継砲として方面隊単位で装備する火力戦闘車の試験が進んでいます。

 特科教導隊第3中隊の99式自走榴弾砲、射程40kmの52口径自走榴弾砲です。しかし注目したいのは中隊長が乗車する82式指揮通信車で特科教導隊は昨年度まで96式装輪装甲車を中隊本部が装備しており相次ぐ即応機動連隊新編に96式装輪装甲車を掻き集めた為か。

 99式自走榴弾砲、52口径砲です。射程については各国砲兵動向に鑑み、延伸弾等の新型砲弾により50km程度まで延伸し得ると考えます。自動装填装置を備える本装備、コンクリート製秘匿掩砲所に格納するならば、島嶼防衛に驚くべき威力を発揮するように思います。

 203mm自走榴弾砲、軍団砲兵用火砲として開発されたアメリカ製重砲は90kgもの砲弾を30km先へ投射します。99式自走榴弾砲と異なりこの203mm自走榴弾砲はC-2輸送機へ搭載可能、実のところ戦略機動性が高い火砲です。現在はMLRSへ置き換えが完了直前だ。

 MLRS,多連装ロケットシステムの略称です。ソ連の戦車軍団を一挙に屠る軍団直轄広域同時制圧火力として開発されたもので陸上自衛隊は91両を導入しましたが、クラスター弾全廃条約締結と共に射程70kmのM-31GPS誘導ロケットへ換装、一種の地対地ミサイルへ。

 12式地対艦誘導弾、九州沖縄防衛の切り札的装備となっています。しかし富士での一同の素朴な疑問は何故映画シンゴジラにてこのミサイルを撃たなかったのか、富士から由比ヶ浜は十分射程内なのに、というものが多少多かったようにも。それ程にこれは射程が長い。

 島嶼部防衛滑空弾、という新装備が開発されます。新防衛大綱によれば2個大隊が九州沖縄へ配備されるようですが、射程が大きく極超音速の誘導弾となるもよう。実用化されたならば、地対艦誘導弾システムとの統合運用はどのように展開するのか、興味深いですね。

 教育支援施設隊の観閲行進、81式自走架橋柱と91式戦車橋が続行します。戦闘工兵の任務を担う部隊ですが、これとは別に陸上自衛隊には施設学校に施設教導隊が置かれています。戦闘工兵と建設工兵が在りますが、戦闘工兵は諸職種に不可欠で、此処にも置かれている。

 施設作業車、73式牽引車の車体を応用し戦闘工兵装備として開発されました、自動作業機能等優れた性能を有するのですが取得費用の大きさが在り、前型75式装甲ドーザを置き換える程生産できていません。戦闘工兵装備の予算難による不足、陸上自衛隊の弱点である。

 機甲教導連隊の観閲行進が連隊旗を先頭に始る。16式機動戦闘車は陸上自衛隊最新の機動砲です。連隊本部車両ではなく戦闘中隊の車両により観閲行進が始まる、連隊本部や大隊本部と中隊本部には戦車が配備されていたものですが、これも戦車縮小の趨勢なのやも。

 16式機動戦闘車、元々は87式偵察警戒車後継車両を見込んで開発されたともいう、その視点では良好な装備と云えますが74式戦車を置き換えるには装甲が薄すぎる、ただ車幅は貨物列車に積載できる程度に小型化出来ている。この装備、今後の展開を慎重に見極めたい。

 偵察中隊の87式偵察警戒車、本車は82式指揮通信車と化学防護車と共に合計350両が量産されていますが、そろそろ老朽化というものを認識せねばなりません。一時期は軽装甲機動車派生の軽偵察車が検討されていましたが、偵察は戦車が向いている様にも思えます。

 機甲教導連隊本部車両の96式装輪装甲車、そして本部管理中隊の施設作業小隊へ配備されている92式地雷原処理車、元々は教育支援施設隊に配備されていたものですが連隊創設により管理替えとなったもよう。もう一声、施設作業車も管理替えした方が良かったですね。

 16式機動戦闘車、昨年は戦車教導隊第4中隊へ配備されていましたが機甲教導連隊新編と共に新たに戦闘中隊が新編されました、中隊名は機動戦闘車中隊や騎兵中隊等諸説入り乱れていましたが、戦闘中隊、ということでした。戦車駆逐をも担う105mm砲が勇ましい。

 10式戦車、自衛隊が誇る戦車、世界の戦車が第三世代後半となれば防御力偏重に70t規模となり身動きが大戦中の重戦車の如く戦術機動性と戦略機動性を削いだ中に防御力と軽量化をロボット化により車内容積を局限化し両立した44tという新世代戦車を目指すもの。

 10式戦車、前型の90式戦車が50tと本州九州では重すぎると判断され本州へ配備できる程度に軽量化し開発されたものの、結局北海道集中配備されるという。長期展望が苦手なのは旧軍以来の悪弊か。個人的には新しい偵察戦闘大隊に10式の戦車中隊を置くべきと思う。

 90式戦車、自衛隊が冷戦時代に北海道にソ連軍戦車上陸という現実的脅威を前に、複合装甲によりだ打撃力と防御力を両立させ自動装填装置や目標自動追尾装置の採用と特に打撃力を重視した戦車、現在の陸上自衛隊では最大勢力を構成する文字通りの主力戦車です。

 90式戦車、開発から間もなく30年となりますが戦術ネットワークシステムの追加搭載が進み第一線級の性能を維持しています。もっともこの車輛のアンテナはそうではないようですが。一方生産初期の車両は徐々に定格性能を発揮出来ない、という話も時々側聞します。

 74式戦車、核戦争の現実性が高い時代に873両と戦後最も生産された戦車でソ連のT-62戦車とT-72戦車を撃破する事を主眼に開発され、油圧式懸架装置にて地形に身を潜め105mm戦車砲をレーザー測距と弾道コンピュータ用い正確に命中させる事を第一とする。

 第一機械化大隊、自衛隊版たけし城とも呼ばれる部隊訓練評価支援隊隷下に仮設敵役を担う。前はT-74こと74式戦車を装備していましたが今年度から90式戦車を装備、通称T-90と呼ぶと紛らわしいですが、戦車中隊に2個装甲中隊を有する理想的な編成の部隊です。

 仮設敵部隊は只でさえ手強いのに90式戦車を装備しては無敵といえる。当初案では10式戦車を装備させる案が在りましたが、誰も勝てない、として90式に落ち着いたともいう。この角度では分り難いですが三色迷彩を採用、もう一個大隊を北方に置く案もありとの噂も聞こえてきますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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