■普天間問題でイラン切った日本
アメリカ提唱有志連合参加という選択肢の他にイギリス方式で自衛隊が独自にタンカー護衛を派遣するという選択肢もあるのですが、日本とイランの関係について。
ホルムズ海峡タンカー護衛有志連合へのアメリカの提唱に、日本が参加した場合は中東最大の親日国であるイランとの友好関係が破綻する、という意見がある様ですが、正直困惑しています、何故ならばイランの親日政策は九年前に破綻しており、その後も再構築できていません。安倍総理イラン訪問は一つの機会でしたが、その間にタンカー攻撃が起きた。この背景は。
2010年4月12日に実施された世界核安全保障サミットの席上において当時の鳩山総理が日本歴代総理として初めて、アメリカのイラン経済制裁支持を表明しました。当時のオバマ政権は現在のイラン核合意に至るイラン核開発阻止の枠組構築を目指していましたが、大平政権時代から麻生政権に至るまでの日本のイラン宥和案が一つの障壁となっていますが、これが一転へ。
鳩山政権のアメリカイラン制裁支持はイランのアフマディネジャッド政権に衝撃を与えると共に現在のイラン核合意へ妥協する事となりました。2010年にイランから考えれば日本はイランではなくアメリカ側からイラン経済制裁を行う国となり、そしてイラン核合意枠組構築後は、日本独自でのイラン宥和政策も執れなくなりました、国際関係が定着したということ。
オバマ大統領に鳩山政権は大平内閣以来のイラン支持、手のひらを返した背景は、単なる政権交代だけではありません、普天間問題がある。既に小泉内閣時代に決定した日米合意を突如反故とした普天間飛行場国外移設の鳩山政権在日米軍政策、そもそも国外は何処なのか、グアムかフィリピンか韓国かを明示せず海兵隊飛行場機能のみを遠隔地に移設する、当時日米関係は険悪な状態にあった。
イラン制裁支持の代償に普天間問題のアメリカ譲歩を願う、日本のイラン制裁はこんな構図でした。一方で当時の鳩山政権は2010年3月9日に当時の岡田外務大臣による日米密約公開の方針表明があり、要するにいったん決まった二国間合意であっても政権交代を理由に反故とする、現在の日韓関係の慰安婦問題や徴用工問題の蒸返しによる二国間不信に似た構図が当時の日米関係です。
オバマ政権からは鳩山政権の意図が意味不明で苦慮したでしょう、普天間とイランは無関係ですがそれ以前に、アメリカ海兵隊は水陸機動作戦を念頭に空中機動部隊との連携を念頭としており、日米合同演習でも繰り返しヘリコプターを参加させています、その中で海兵地上戦闘部隊を沖縄に残すが航空部隊を国外移転するのでは、工場と搬入口、駅と改札が遥か離れた状態であり、意味がありません。
ゲーツ国防長官は普天間問題の日本政府二転三転を前に鳩山政権イラン制裁参加の前年2009年10月21日に訪日したさい、日本政府の指針が定まらない中での協議に意味は無いとして当時の北澤防衛大臣との会食会を拒否しています。鳩山首相は2009年内普天間移設先画定を確約、関西国際空港やグアム移転検証と更にオバマ政権の神経を逆なでしました。
アメリカの不信感を払拭したい、その一連の流れにあって鳩山政権はしかし2009年内の普天間移設先画定には至らず、後方拠点としての普天間空白化は朝鮮半島有事における韓国安全保障問題へも影響するとして、今度は日韓関係にも悪影響を及ぼし始めます。そこで、アメリカ支持政策を以て移設先画定猶予を求める、その生贄にイランが差し出されました、日本が唐突にイラン制裁支持へ。
辺野古移設再決定は2010年5月28日に鳩山内閣が閣議決定、閣僚として反対した社会民主党党首を罷免した事で民主党社民党連立政権は瓦解しますが、6月2日に民主党両院議員総会において鳩山首相は辞意を表明しました。しかし、日本のイラン制裁アメリカ支持は続く民主党菅内閣でも継承され、オバマ政権は2010年7月1日、制裁強化を強化します。
オバマ政権の2010年7月1日イラン制裁は、金融及びエネルギー産業への制裁は革命防衛隊との取引企業への制裁や産油国でありながら石油精製施設の乏しいイランへのガソリン輸出禁止など、1979年イラン革命以降最も厳しい経済制裁となっています。これまでなかった分野の制裁着手という意味では、現在のトランプ政権によるイラン制裁よりも厳しい。
菅内閣はイラン制裁路線を鳩山内閣から継承した、というよりも鳩山内閣末期の外国員献金問題や元秘書汚職問題と唐突な温室効果ガス25%削減や静観を続け過ぎ外国為替の混乱に失業率上昇や東アジア共同体構想と友愛ボートに子ども手当財源や出ない埋蔵金問題と社会保険庁改革の停滞に文科大臣政治資金キャバクラ問題等火消しで忙殺されていました、イラン制裁支持を忘れていたのかもしれません。
オバマ政権のイラン経済制裁はそのまま日本の支持を以て、他の中東諸国や西欧諸国と中東欧諸国の参加を促し、イラン経済は大打撃を受けます。続く野田内閣時代もイラン制裁は続き、政権を奪還した自民党連立政権は、民主党政権時代の日米合意を政権交代を理由に反故とする非常識は採りません、そして世界規模の制裁枠組は既に軌道に乗っている。その枠内でイランとの関係再構築を期しているのが現状だ。
イランは中東最大の親日国家である為にタンカー護衛のような摩擦は避けるべき、この意見が2010年に示されたのであれば、同意したでしょう。普天間とイランを軽々しくはかりにかけるべきではないと当時も。しかしイラン経済制裁が始って9年以上を経た現在は2019年です。9年、1941年の日米開戦時の日米関係と1950年の日米安全保障条約締結時の日米関係、喩えは変ですが九年とはこれくらいの長さ、日本とイランの関係は動いたといえますね。
コクカ-カレイジャス号襲撃事件、安倍総理がイラン歴訪の最中にホルムズ海峡のイラン革命防衛隊基地から15kmという近距離で日本タンカーが襲撃される事件が発生しました。非常に厳しい視点ですが、これが現在の日本イラン関係の縮図とも言えまして、31年のイラン支持政策を突如、普天間問題の人身御供に引き摺り出された影響は続いているのです。
ただ、タンカー襲撃事件にイランが関与していないのであれば、タンカー護衛枠組にイラン参加を、即ち賛同するかは別として、アメリカ第五艦隊隷下に日本と共にイランを誘致する選択肢はありました。ただ、イラン革命防衛隊はイギリスタンカーを救助するという名目で拿捕、漁船当て逃げ事件を事後に主張し瓦解した。状況は刻々悪化、日本タンカーの安全も保障はありません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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アメリカ提唱有志連合参加という選択肢の他にイギリス方式で自衛隊が独自にタンカー護衛を派遣するという選択肢もあるのですが、日本とイランの関係について。
ホルムズ海峡タンカー護衛有志連合へのアメリカの提唱に、日本が参加した場合は中東最大の親日国であるイランとの友好関係が破綻する、という意見がある様ですが、正直困惑しています、何故ならばイランの親日政策は九年前に破綻しており、その後も再構築できていません。安倍総理イラン訪問は一つの機会でしたが、その間にタンカー攻撃が起きた。この背景は。
2010年4月12日に実施された世界核安全保障サミットの席上において当時の鳩山総理が日本歴代総理として初めて、アメリカのイラン経済制裁支持を表明しました。当時のオバマ政権は現在のイラン核合意に至るイラン核開発阻止の枠組構築を目指していましたが、大平政権時代から麻生政権に至るまでの日本のイラン宥和案が一つの障壁となっていますが、これが一転へ。
鳩山政権のアメリカイラン制裁支持はイランのアフマディネジャッド政権に衝撃を与えると共に現在のイラン核合意へ妥協する事となりました。2010年にイランから考えれば日本はイランではなくアメリカ側からイラン経済制裁を行う国となり、そしてイラン核合意枠組構築後は、日本独自でのイラン宥和政策も執れなくなりました、国際関係が定着したということ。
オバマ大統領に鳩山政権は大平内閣以来のイラン支持、手のひらを返した背景は、単なる政権交代だけではありません、普天間問題がある。既に小泉内閣時代に決定した日米合意を突如反故とした普天間飛行場国外移設の鳩山政権在日米軍政策、そもそも国外は何処なのか、グアムかフィリピンか韓国かを明示せず海兵隊飛行場機能のみを遠隔地に移設する、当時日米関係は険悪な状態にあった。
イラン制裁支持の代償に普天間問題のアメリカ譲歩を願う、日本のイラン制裁はこんな構図でした。一方で当時の鳩山政権は2010年3月9日に当時の岡田外務大臣による日米密約公開の方針表明があり、要するにいったん決まった二国間合意であっても政権交代を理由に反故とする、現在の日韓関係の慰安婦問題や徴用工問題の蒸返しによる二国間不信に似た構図が当時の日米関係です。
オバマ政権からは鳩山政権の意図が意味不明で苦慮したでしょう、普天間とイランは無関係ですがそれ以前に、アメリカ海兵隊は水陸機動作戦を念頭に空中機動部隊との連携を念頭としており、日米合同演習でも繰り返しヘリコプターを参加させています、その中で海兵地上戦闘部隊を沖縄に残すが航空部隊を国外移転するのでは、工場と搬入口、駅と改札が遥か離れた状態であり、意味がありません。
ゲーツ国防長官は普天間問題の日本政府二転三転を前に鳩山政権イラン制裁参加の前年2009年10月21日に訪日したさい、日本政府の指針が定まらない中での協議に意味は無いとして当時の北澤防衛大臣との会食会を拒否しています。鳩山首相は2009年内普天間移設先画定を確約、関西国際空港やグアム移転検証と更にオバマ政権の神経を逆なでしました。
アメリカの不信感を払拭したい、その一連の流れにあって鳩山政権はしかし2009年内の普天間移設先画定には至らず、後方拠点としての普天間空白化は朝鮮半島有事における韓国安全保障問題へも影響するとして、今度は日韓関係にも悪影響を及ぼし始めます。そこで、アメリカ支持政策を以て移設先画定猶予を求める、その生贄にイランが差し出されました、日本が唐突にイラン制裁支持へ。
辺野古移設再決定は2010年5月28日に鳩山内閣が閣議決定、閣僚として反対した社会民主党党首を罷免した事で民主党社民党連立政権は瓦解しますが、6月2日に民主党両院議員総会において鳩山首相は辞意を表明しました。しかし、日本のイラン制裁アメリカ支持は続く民主党菅内閣でも継承され、オバマ政権は2010年7月1日、制裁強化を強化します。
オバマ政権の2010年7月1日イラン制裁は、金融及びエネルギー産業への制裁は革命防衛隊との取引企業への制裁や産油国でありながら石油精製施設の乏しいイランへのガソリン輸出禁止など、1979年イラン革命以降最も厳しい経済制裁となっています。これまでなかった分野の制裁着手という意味では、現在のトランプ政権によるイラン制裁よりも厳しい。
菅内閣はイラン制裁路線を鳩山内閣から継承した、というよりも鳩山内閣末期の外国員献金問題や元秘書汚職問題と唐突な温室効果ガス25%削減や静観を続け過ぎ外国為替の混乱に失業率上昇や東アジア共同体構想と友愛ボートに子ども手当財源や出ない埋蔵金問題と社会保険庁改革の停滞に文科大臣政治資金キャバクラ問題等火消しで忙殺されていました、イラン制裁支持を忘れていたのかもしれません。
オバマ政権のイラン経済制裁はそのまま日本の支持を以て、他の中東諸国や西欧諸国と中東欧諸国の参加を促し、イラン経済は大打撃を受けます。続く野田内閣時代もイラン制裁は続き、政権を奪還した自民党連立政権は、民主党政権時代の日米合意を政権交代を理由に反故とする非常識は採りません、そして世界規模の制裁枠組は既に軌道に乗っている。その枠内でイランとの関係再構築を期しているのが現状だ。
イランは中東最大の親日国家である為にタンカー護衛のような摩擦は避けるべき、この意見が2010年に示されたのであれば、同意したでしょう。普天間とイランを軽々しくはかりにかけるべきではないと当時も。しかしイラン経済制裁が始って9年以上を経た現在は2019年です。9年、1941年の日米開戦時の日米関係と1950年の日米安全保障条約締結時の日米関係、喩えは変ですが九年とはこれくらいの長さ、日本とイランの関係は動いたといえますね。
コクカ-カレイジャス号襲撃事件、安倍総理がイラン歴訪の最中にホルムズ海峡のイラン革命防衛隊基地から15kmという近距離で日本タンカーが襲撃される事件が発生しました。非常に厳しい視点ですが、これが現在の日本イラン関係の縮図とも言えまして、31年のイラン支持政策を突如、普天間問題の人身御供に引き摺り出された影響は続いているのです。
ただ、タンカー襲撃事件にイランが関与していないのであれば、タンカー護衛枠組にイラン参加を、即ち賛同するかは別として、アメリカ第五艦隊隷下に日本と共にイランを誘致する選択肢はありました。ただ、イラン革命防衛隊はイギリスタンカーを救助するという名目で拿捕、漁船当て逃げ事件を事後に主張し瓦解した。状況は刻々悪化、日本タンカーの安全も保障はありません。
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