北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

令和三年-新年防衛論集:ポストコロナ時代の防衛安全保障(8)回帰か転換かポストコロナ時代

2021-01-09 20:00:26 | 北大路機関特別企画
■結果論として世界は変わる
 ポストコロナ時代の防衛という話題で8回目となりました今回は最終回としまして社会の変容等について考えてみましょう。

 ポストコロナの時代の防衛を展望しました本年の新年防衛論集、今回は最終回としまして防衛よりも広い視野に立ったポストコロナの時代を考えてみましょう。しかし、それよりも前に重要なのはワクチンの接種開始です。既にイギリスとアメリカでは昨年末より接種開始、フランスやイタリアにスペインが続き、イスラエルでは100万に既に接種完了した。

 日常を取り戻すには感染を終息させなければなりません、収束ではなく終息、政府による感染拡大終了宣言が必要です、その為には集団免疫を獲得する事が必要で、不可能を可能とするのは完成した新型コロナワクチンだ。世界には唯一スウェーデンが感染拡大放置にて集団免疫を目指しましたが膨大な死者と社会不安に景気後退を引き起こし失敗しました。

 ウィズコロナ時代からポストコロナ時代へ転換するには日本でのワクチン接種開始を前倒ししなければなりません、治療薬は無く感染力はインフルエンザをはるかに上回り、しかも致死率は2%、重篤患者を集中治療室で徹底的に延命した場合での致死率が2%ですので、ICU収容力を超えた医療崩壊が現実となった場合には、致死率は突沸するのが、現実だ。

 ワクチン接種以外に手は無く、この他の選択肢は都市封鎖による経済破綻の危機か、感染爆発と大量死者の容認で、これをやった国は経済崩壊は避けられたものの結局経済後退となるとともに大量死者を容認した政権批判は極右政党への支持という想定外の副作用を引き起こしました。結局のところ民主主義国家では、生命が大事という正論には勝てません。

 経済崩壊か政治的破綻か、それともワクチンか、政治は決断が求められるように考えます。一部には生命が過度に重視され過ぎているコロナ対策への批判もあるようですが、季節性インフルエンザのような規模に抑えられる確証がない、更にCOVID-19は致死率2%という、PSIインフルエンザパンデミック指数でいえばカテゴリー5という最高度の致死率である。

 季節性インフルエンザよりも感染力が高い事は、コロナ対策徹底の結果、無論予防接種の成果もありますが、季節性インフルエンザ罹患者の異常な低さが見て取れます、そして、仮に季節性インフルエンザのような致死率0.1%以下、千人罹患して死者が1名以下であれば、都市封鎖など大袈裟、と思われるでしょうが、2%とは50名に1名という致死率だ。

 制御できなくなった場合には取り返しがつかない、これがCOVID-19の脅威度です。一方、ワクチン接種は、抗体効力がどの程度持続するのかが未知数です、急がねばなりません。何故ならば緩慢なワクチン接種計画により長期間を要してワクチンを接種した場合は、初期接種対象者が集団免疫を獲得前に免疫が失われる懸念があり、いそがねばなりません。

 ポストコロナ時代、防衛を中心にみてきたがもうひとつ別視点、結局は先コロナ時代への日常の回帰と考えるのか、ポストコロナという新しい社会構造へ転換すると考えるのかで、見方は変わってくるように思うのですね。これは視点を変えれば先コロナ時代が労働環境や社会文化的価値観として最適であったのか、という意味にも繋がる訳なのですけれども。

 長期的に考えて、経済力を強化しなければ防衛についても成り立たないのですが、ポストコロナの時代を俯瞰しますと、転んでもただでは起きない、コロナから何か新しい転換点を見つけ出す事が必要です。少なくとも世界はポストコロナの世界において変革を遂げている事となるのでしょうから、新しい時代への順応が求められる事だけは確かでしょう。

 テレワークの普及。当たり前ですが脱炭素社会として温室効果ガス削減というものにまじめに取り組むならば、社会は1980年代以来取り組んだデジタル化とサービス産業化による製造業からの転換に進まなければなりません、そしてデジタル化はテレワークに必須であるとともに産業構造のクラウド化、政府の言うところでの地方創世とも連関する命題です。

 コロナ感染拡大の厳しかった諸国ほど、都市封鎖ロックダウンが徹底されたことでテレワークへの転換が進んだ、というよりも強いられました。結果論ですが、デジタル化と労働集約化という一見矛盾した状況から脱却する一つの選択肢となったのですね。ただ、これがコロナに追いつめられた応急的な措置なのか恒久的な変革なのかは未知数ではあるもの。

 日本のテレワーク化が通信回線の容量不足とコンピュータセキュリティの問題、また押印文化に厳しい現実を突きつけられています。一方、テレワークには、デジタル分野での外注を筆頭に脱地域性が大きな強みであり、東京一極集中、人口減少時代においてこれは人口流失、地方の急激な過疎化を意味する、この状況からの一種の打開策となるでしょう。

 VR拡張現実とテレワークを組み合わせることができれば、もちろんこれは一例で通信環境改善は前提ですが、地方中核都市はもちろん、地方拠点都市であっても東京首都圏と同一労働同一賃金原則のもとでの労働環境を確保出来る可能性はあります。そしてもう一つ、これは副次的なものですが、言語の問題、自動翻訳技術恩恵は対面よりもテレワークの方が大きいという点です。

 難しいのは、1990年代から本格的に導入した成果主義報酬制度、年功序列からの脱却が、成果主義ではなく減点主義という日本型の定着に帰結してしまい、合意形成の為の会議が異常に長い実情があります。成果主義の評価制度に定格を形成出来なかった点も一因ではあるのでしょうが、責任者の決断よりも会議に依る合意形成が労働時間を長期化させた。

 テレワークを行う上で、日本型の合意形成への会議を続けるならば時差のある地域との会議は成立ちません、持ち帰って検討する的な即断できない状況がそのまま維持され、結果論として長時間労働の温床です。テレワークと相いれない文化として、2020年には判子決裁がやり玉に挙がりましたが、トップダウンよりも合意による責任分散も悪弊ではある。

 日本の国際競争力に英語力というものの箍がある、こうした視点は労働集約財的な産業構造ではそれほど問題になりませんでしたが、第三次産業においてはこの部分は、日本語圏内だけで外注先を模索するのか、英語圏を含めて外注を模索するのかという部分で大きな相違があります。これは日本国内で外注を受ける場合も含めて、という視点で考えたい。

 人口減少時代がそのまま人材不足に直結し、日本は低成長時代から脱却できない状況があります。一つの選択肢は大胆に移民を受け入れる事ですが、言語の壁がありますので、人員不足では無く人材不足という状況、日本国内で不足している高度人材、デジタルスキルを有して、且つ日本語に高度に対応、という人材はなかなか日本国内では確保できません。

 語学という部分では、専門教育のかなりの分野まで母国語にて対応出来ることは大きな意味があります、結果論ですが、日本語語彙の多さは様々な言語の邦訳に寄与していますし、現実問題として学術論文に占める日本語の地位は理系分野と文系分野でフランス語、ドイツ語に並ぶ水準にあります。しかし、英語から距離を置く論拠とはならない事も確かです。

 自動翻訳技術はかなり発達しましたが、音声の自動通訳には未だ日常会話の域をでるものではありません、しかし、オンラインではこの問題が幾分か解決し得るのですね。そして忘れてはならないのは時差でして、時差は難点のように見受けられるのですが、テレワークの労働集約を行うならば、こちらの就寝時間の間に進捗が期待できる利点ともなります。

 製造業から完全に脱却する選択肢は必要ありません、しかし、思い切った先端サービス産業に転換してゆかなければ、先端サービス産業の典型とされるGAFAとされるGoogleやAppleにFacebookとAmazonのような高付加価値産業は進まず、脱炭素社会が進む中で温室効果ガス排出権料だけを延々支払わされる未来しか待っていません。するともう一つ。

 オンライン教育について。テレワークと共にもう一つ重視する機会は、大学教育のオンライン化です。大学進学に併せて東京へ、という実例は多いようですが、東京での生活物価の地方との格差がかなり深刻な進学への障壁となっていまして、実際問題、奨学金という名の教育ローンと共に負担は大きくなっています。オンライン教育は打開策にならないか。

 大学教育における経済負担、大学教育は専門の取得が目的であり、義務教育とその延長線上の高等教育のような知識の集積だけが求められるものではありません、知識の集積は寧ろ専門学校の分野ともいえる。もちろん、オンライン教育は文系分野に限ります、まさか原子力工学科の学生の為に、大学が実験用原子炉を学生宅に宅配する訳にも行きますまい。

 理系のオンライン教育では、工学部土木科の学生アパートに毎週のように実習用建築資材が送られ続け途方に暮れたとか、体育講義では木造アパート故に可能な限り画面に従って運動を、と言われ、出来たのは手を振る事だけの体育だった、とか椿事は数多聞いたのが2020年のオンライン教育ではありました、しかし文系分野ほどオンラインには適している。

 大学教育の強化の為にも、例えば政府は電子書籍の電子図書館制度など、学生が必要とする専門書籍等について、年間一定期間に上限を加えた上で著作権法の柔軟運用を行う施策、大学図書館の利用柔軟性を高める等の措置を行うべきでしょう。これは電子複製に他ならない為、著者が不利益を被らないよう対象専門書籍等は慎重に確定すべきではありますが。

 大学教育のオンライン化は、サテライトキャンパスなどにおいて先コロナ時代より既に遠隔講義等が行われていますが、勿論対面講義を否定するものではないのですけれども、先進させ、また必要な専門図書への遠隔アクセスを担保する制度を構築する事で、専門領域の研究は容易となりますし、大学キャンパスに囚われないインターンシップも可能になる。

 留学についても、大学側が海外の提携校との間で思い切ったオンライン化の取り組みを行っているならば、学生に渡航費用の負担を省いたオンライン留学というものが可能だったのではないか、と。実際のところ、短期間の語学留学を除けば長期の専門分野の履修は、就職活動のインターンシップ等と重なる為に留学そのものが忌避される傾向があります。

 大学生というのは、一回生で基礎科目、二回生で専門領域を画定し、専門演習は三回生から、となりますのでインターンシップがここ20年間で就職活動において重視されるようになりますと、留学の期間、セメスター単位の留学は語学留学以外、専門分野の知見を広める為の留学は難しくなってしまうのですね。これが、オンラインならば両立し得るという。

 デジタル庁の職員募集が始りましたが、これも大学教育におけるオンライン教育常態化に思い切った施策を執るならば、いわば労働者や経営者が大学教育を受けるという一つの関門でオンラインに親和する機会となるため、世代交代というほどに社会のデジタル化を進める事となるでしょう。そして2000年代から模索を続けたグローバル人材を養成できよう。

 COVID-19という非常事態ではありましたが、オンライン講義による脱地域性により首都圏人材に偏重する産業構造を、前の安倍政権が提唱した一億総活躍社会と地方創生へ転換させ、テレワークにより世界規模の先端サービス業における外注体制を構築する踏み台と出来れば、日本型の、時間集約型の労働生産性から脱却できるかもしれません。これこそがポストコロナ時代に必要な変革と考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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