北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【7】衛生隊と施設部隊と戦車(2010-10-17)

2021-01-31 20:10:22 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■74式戦車の観閲行進へ前進
 観閲行進が進むと共に轟々と一際力強いエンジン音が響き独特の排気がこちらへ伝わってきます。

 中部方面衛生隊は本部と第104野外病院隊に第304救急車隊を基幹とする。師団衛生隊と方面衛生隊、ともに同じ衛生隊なのですが、師団衛生隊と方面衛生隊では規模が違いまして、"隊編成"は、偵察隊や衛生隊や特科隊や機動戦闘車隊、便利だが階梯がわかりにくい。

 第304救急車隊の1-1/2t救急車が2両の車列とともに。担架4本と血圧計や生体情報モニタおよび応急処置医薬材やAEDと人工呼吸器や脊椎固定器などを搭載し、二段ベッド4床など重傷者を5名、着席できる軽傷者ならば8名を同時に搬送でき、高規格救急車なみ。

 第104野外病院隊の野外手術システムが2両続く。コンテナ4基により手術車と手術準備車に滅菌車と衛生補給車を構成、段列地区での延命に資し、1セットで10名から15名の外科手術、開腹などの大規模な外科手術にも対応、術後は病院天幕野外病院へ収容します。

 中部方面会計隊が隊長太田久光1佐以下進む。隷下各駐屯地に会計隊を派遣していましたが、2015年に会計隊の大規模改編が実施され、地域ごとに会計隊が置かれ、拠点駐屯地から周辺駐屯地に派遣隊を置くという、ある意味、駐屯地と分屯地のような関係になった。

 会計隊は2010年当時豊川308,山口322,金沢336,久居337,姫路347,善通寺348,福知山349,海田市350,今津351,千僧352,出雲357,松山358,大久保397,信太山398,守山408,大津409,鯖江417,、和歌山418,高知419,日本原421,春日井426,八尾429,青野原434,徳島440が。

 予備自衛官部隊、予備自衛官2佐とともに車両は第37普通科連隊のもの。予備自衛官は元自衛官を対象に募集され年間5日間の訓練を持って技量を維持し、有事の際には臨時編成される駐屯地警備隊や後方警備連隊と弾薬輸送中隊などに臨時配属される、最後の予備だ。

 予備自衛官部隊はODの65式作業服に66式鉄帽という大時代的な装い。2002年より陸上自衛隊では予備自衛官補という自衛官経験のな人材への登用が開始され、2016年には海上自衛隊でも予備自衛官補制度が開始、極端な人材不足の状況に対応すべく苦慮している。

 第6施設群が群長小田英明1佐以下、大久保第4施設団隷下で豊川に駐屯。第4施設団は大久保に本部を置き、豊川第6施設群と大久保第7施設群及び直轄部隊より成り、大久保、豊川、富山、鯖江、和歌山、岐阜、出雲、三軒屋の駐屯地分屯地に隷下部隊を置いている。

 第372施設中隊の81式自走架橋柱、8施群隷下だが鯖江駐屯地に駐屯する。地区施設隊の流れを汲みまして、群隷下に本部管理中隊と本部及び第371施設中隊が豊川、第372施設中隊が鯖江、第402中隊が岐阜に置かれています、岐阜は守山駐屯地の岐阜分屯地のこと。

 第102施設機材隊の92式浮橋、第4施設団の直轄部隊で大久保に駐屯する。戦車も通行可能な幅4mの浮橋を最大104mに渡り二時間強で展開可能、104m以上の川幅にはもう1セットを展開する。また橋節を艀のように用い動力ボートでプッシャーパージ運用も可能だ。

 92式地雷原処理装置、地雷処理用ロケット2基を搭載しており、各4kgの爆薬を26個ワイヤーで通す爆導索をロケットにより投射し、一挙に爆破することで地雷も一緒に吹き飛ばし、地雷原に幅5mと全長100mの戦車用通路を啓開する。その爆発力は極めて大きい。

 92式地雷原処理装置。元々は師団施設に配備されていたが方面隊へ集約配備されたもので、75式装甲ドーザなど後継装備施設作業車の配備が予算不足により進まない事で苦肉の策だ。方面隊とは実質、諸外国並みの人員を持つ師団なのではないか、と心配してしまいますね。

 戦車部隊の観閲行進、第3戦車大隊の大隊長高木清光2佐を先頭に74式戦車が堂々の観閲行進を行う。高木大隊長は翌2011年に1佐へ昇進します。大隊長に1佐、第3戦車大隊は滋賀県を防衛警備管区とする部隊である為、災害派遣など地区司令の役割を担う為です。

 第3戦車大隊は創設が1954年の第3特車大隊と自衛隊創設当時まで遡る伝統ある戦車部隊です。第3特車大隊は自衛隊草創期の師団にあたる第3管区隊が師団制度導入により縮小改編された際、第3戦車大隊となりまして今日に至ります。ただ2021年に解体予定という。

 74式戦車は戦後第二世代戦車として設計され、105mm戦車砲と機動力を重視した設計です。第2世代戦車が設計された1960年代から1970年代は戦車を構成する打撃力と機動力に防御力の内、二つを満たすまでが技術的限界となっていました。74式は前者二つを選ぶ。

 第2世代戦車は防御力を当時の技術で充分保持したならば車体重量が大き過ぎ当時のエンジン技術ではイギリスのチーフテンのように満足な速度を発揮できません。機動力を重視しますと機関砲弾程度の耐弾性能を持つレオパルド1やAMX-30のようになってしまう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする