■古刹で考える未来
未来への展望と云えば大阪関西万博なのかもしれませんがわたしはこういう古刹でこそ考えがまとまったりします。
寂光院でここまでアニメーションについて考えるとは思わなかったのですが、素晴らしい毛氈と目の前に本堂、放火され再建されたというも尾ですが来年で本堂再建から20年という風月を経て質感が情緒を醸すように至った堂宇を前に、思想が広がる。
POMERA,愛用していた100が遂に不具合を起こすようになり、買い置きのPOMER200を使い始めましたが、若干重く大きくはなったもののバッテリー駆動、数日に一回充電しますとほぼほぼ丸一日、執筆に活用してそん色ないという性能は気に入った。
執筆という視座からは、ふと思ったときにどこか座るところがあれば長文を作成できてしまうのは嬉しいところ。まあ、長時間居座られては寺院の方にも迷惑かもしれないので、混雑してきますと当方も空気を読むことは吝かではないのだけれど、も。
AIとアニメーション、これからはAI生成画とアニメーションの問題が、調和できるのか著作権の問題で対立するのか、という分水嶺が、そう遠くない将来、場合によっては次の政権交代くらいまでに深刻な問題として取り上げられるのではないか、と。
画像生成、そう画像生成、結局現在の生成AIは既存の写真や絵画や作品などから人口学習して出力しているものなので、現時点で既に倒錯問題が生じている、恐らく古い作品で、AI学習利用を禁止する、と明示されていない作品や著作物が狙われる段階だ。
JR西日本の車内広告に広告募集としてAI生成の写真や風景や、これは同じか、あとは水墨画などをそのまま張り付けていますが、あれはどこからか訴訟の対象とならないか、過払い金訴訟のように大手弁護士事務所の訴訟対象となるのは近いように思います。
著作権、すると、今後考え得るのはキャラクターデザインをアニメーターが体系化して、いわばデジタルツインのように肖像権を持つキャラクターを一人ひとりアニメーター個人の人物、もしくは小説などの原作者が持ち、世界を形成するようなるのでは。
街路や背景などは、これは京都アニメーションの現地取材方式ではないのだけれども、個々人が撮影した写真などをもとに人口学習させた、個々人にカスタマイズされたAI人口学習アルゴリズムを構築して、著作権上の問題を回避する時代となるのではないか。
クリエイターとアニメーターの融合というような時代がそう遠くない時代に到来するのではないか、と思うのです。無論、大手アニメーター、というよりも中小を含めて、これでは存続できなくなるとして反対論が業界を揺るがすために一筋縄ではいかないが。
声優さんの声を人口学習することについては、恐らく肖像権の延長線上に、近く法整備が必要になる、実際に声の人口学習を禁止する運動は始まっています故に。ただ、一作当たりの本人への出演料というかたちで妥協する可能性はあるのでは、とみている。
業界団体をしっかりと構築する必要があるとは思うのですが、結局、一人で自己完結のアニメーション長編がAI生成により可能となるのは現実的に近いのではと思う。それは前述の通り、個人の投稿作品という形で、最初はグレーな扱いを受けるかもしれない。
変革と変容、この背景には予算不足、いや予算は社会全体で一定程度あったとしても、その配分は多様化しているという実情からクリエイターに潤沢に回せない時代が来ています。その収斂と変容がどうなるのか、そんなことを古刹で、考えてしまいました。
未来への展望と云えば大阪関西万博なのかもしれませんがわたしはこういう古刹でこそ考えがまとまったりします。
寂光院でここまでアニメーションについて考えるとは思わなかったのですが、素晴らしい毛氈と目の前に本堂、放火され再建されたというも尾ですが来年で本堂再建から20年という風月を経て質感が情緒を醸すように至った堂宇を前に、思想が広がる。
POMERA,愛用していた100が遂に不具合を起こすようになり、買い置きのPOMER200を使い始めましたが、若干重く大きくはなったもののバッテリー駆動、数日に一回充電しますとほぼほぼ丸一日、執筆に活用してそん色ないという性能は気に入った。
執筆という視座からは、ふと思ったときにどこか座るところがあれば長文を作成できてしまうのは嬉しいところ。まあ、長時間居座られては寺院の方にも迷惑かもしれないので、混雑してきますと当方も空気を読むことは吝かではないのだけれど、も。
AIとアニメーション、これからはAI生成画とアニメーションの問題が、調和できるのか著作権の問題で対立するのか、という分水嶺が、そう遠くない将来、場合によっては次の政権交代くらいまでに深刻な問題として取り上げられるのではないか、と。
画像生成、そう画像生成、結局現在の生成AIは既存の写真や絵画や作品などから人口学習して出力しているものなので、現時点で既に倒錯問題が生じている、恐らく古い作品で、AI学習利用を禁止する、と明示されていない作品や著作物が狙われる段階だ。
JR西日本の車内広告に広告募集としてAI生成の写真や風景や、これは同じか、あとは水墨画などをそのまま張り付けていますが、あれはどこからか訴訟の対象とならないか、過払い金訴訟のように大手弁護士事務所の訴訟対象となるのは近いように思います。
著作権、すると、今後考え得るのはキャラクターデザインをアニメーターが体系化して、いわばデジタルツインのように肖像権を持つキャラクターを一人ひとりアニメーター個人の人物、もしくは小説などの原作者が持ち、世界を形成するようなるのでは。
街路や背景などは、これは京都アニメーションの現地取材方式ではないのだけれども、個々人が撮影した写真などをもとに人口学習させた、個々人にカスタマイズされたAI人口学習アルゴリズムを構築して、著作権上の問題を回避する時代となるのではないか。
クリエイターとアニメーターの融合というような時代がそう遠くない時代に到来するのではないか、と思うのです。無論、大手アニメーター、というよりも中小を含めて、これでは存続できなくなるとして反対論が業界を揺るがすために一筋縄ではいかないが。
声優さんの声を人口学習することについては、恐らく肖像権の延長線上に、近く法整備が必要になる、実際に声の人口学習を禁止する運動は始まっています故に。ただ、一作当たりの本人への出演料というかたちで妥協する可能性はあるのでは、とみている。
業界団体をしっかりと構築する必要があるとは思うのですが、結局、一人で自己完結のアニメーション長編がAI生成により可能となるのは現実的に近いのではと思う。それは前述の通り、個人の投稿作品という形で、最初はグレーな扱いを受けるかもしれない。
変革と変容、この背景には予算不足、いや予算は社会全体で一定程度あったとしても、その配分は多様化しているという実情からクリエイターに潤沢に回せない時代が来ています。その収斂と変容がどうなるのか、そんなことを古刹で、考えてしまいました。